2017年2月10日金曜日



東京から新幹線に乗ってやってきたたっつんは
翠江堂の苺大福と鹿の子をくれた。

きっとその日の朝に作られただろうお菓子が
いま大阪の自分の手元にある不思議。
距離をひとは飛んでいく。


村上春樹の著作の中で読まないでいた
『ねじまき鳥クロニクル』を勧めてくれたのはたっつんで
その本を読んでいる間には、本の内容と現実がシンクロしていくような
不思議なことが起こった。
 
埼玉から帰る日、
本棚に残していた本と雑誌をすこし、後から送ってくれるように
母に頼んでいて、そのなかに『ねじまき鳥クロニクル』の3冊もいれた。

 
村上春樹の小説とか『モモ』から教わったことは
くらやみ(何が起きているかわからないところ)への耐性だったように思う。

何が起きていて、どこにいるのか、わからないから
やみくもに動いてしまいそうになるけれど
確実に、着実に、1の次の2を、2の次の3を、と
歩みすすめること。決して戻らず、決して急がず。
そのときに必要なこと、それだけを、そのときに。

 

読みながら、学んだつもりでいたけれど
34歳のわたしはすっかり忘れていた。
 
 
 
もう一度、てもとに。
 
 
 





2017年2月9日木曜日

古河、幸手とめぐって
ふたりの祖母に会って
埼玉への帰省を終えて大阪に戻って来た。

夜行バスは池袋23時半発で、梅田に6時10分着と
短めの乗車時間だったのと
乗る前に薬局で耳栓を買ってつけていたので
案外楽だった。

隣の女の子は毛布と首にはめこむタイプの枕を持参していて
夜行バス慣れしている感じで、乗ってすぐに毛布にくるまって眠っていた。

朝、大阪に到着してシャワーを浴びたあと
三重の亀山へ向かって電車に乗った。
時間はかかるけど、乗り換えは一度だけでよかった。

奈良を走っているあいだ、山の色に春が混じっていて
あぁ、季節が変わったんだなぁと思っていたら
線路のむこう側に雪山があらわれ出す。

伊賀の山々には雪が積もっていて、
雪を被った木々の影が美しかった。

亀山の駅に迎えに来ていただいて
絵のお仕事をいただいたアトリエで、お話を伺う。

毎回、思う。大切な屋号を描く仕事を承っているということについて。
だいじなイベントのお知らせも同じくだけれど。

光栄な気持ちと一緒に、びびっている私もいる。
だからこそ、たんたんと。ぶれないように。

2017年1月31日火曜日



道半ば、ということばが
ふと浮かんでくる。

二度寝してしまったところを電話で起こしてもらい
電車に乗って京都へ向かった。

京都は寒い。
雪に触れているような、湿気を帯びた冷たさが渡っている。

JRの駅を降りて
京都タワーをみると、心がすこし、すっとする。

2017年1月26日木曜日

 
きのう、自転車を漕いで介助にむかいながら
前はまっくらだったのに
今日は公園も道の先も見えるな、と思った。
 
雪あがりで空気もたんと澄んで冷たい。
この冬の寒さの底にいるのに、ひかりは先に届いてきている。
 
 
携帯電話のインターネットが、突然使えなくなった。
その前からちょっと調子が悪かったのだけれど
それでラインもgmailもスマートフォンでは見られなくなって
ショートメールと通話しかできなくなってしまった。
 
それで自然とスマホに触れる時間が減っている。
心のなかで閃いたことがあっても、誰にも共有できないから
スマホの中のメモ帳をひらいて、どこにも発信されない言葉を綴る。
 
 
文字制限のあるショートメールが
思いがけず、気持ちを楽にする。
 
スマホを見すぎてしまうのが気になっていたので
これを機に、ガラケーにかえようと思った。

 
 
 
携帯がつながらなくなったとき
直前に起こった出来事とリンクして
「よっぽどこたえたんだな」というようなことを言われた。
電化製品は、身代わりになってくれることが多いから、と。
 
 
確かに、けっこう、ショックを受けているな…と思いながら過ごしていて
数日後、
わたしが相手にされたことと同じようなことを
調子が悪くなった自分が他者に対して、していると気づいた。
 
 
がくっと力がぬける。
 
 
 
どんな理由かわからないけれど、
スマホの調子が悪くなったことはよい機会だった。
 
持ち物をかえよう。人との関わり方もまた見つめ直そう。
24時間つながっているところから、すこしずつ離れていきたい。
 
 

 
 
 

 


 
 

2017年1月12日木曜日

 
 
昨日ふと、空をみたら空が広くて
なんだかほろりと、呼吸が楽になる感じがした。

 
月が満ちてきていた。
 
 
この1年、テレビがない生活は困るところなく過ぎた。
介助先でテレビを見ることもあるから、
まったく触れていないわけでもなかったし。

それでも、部屋で作業をするときには
不思議と「外の音」があったほうがリズムがとれるのも感じていたので
ちいさいラジオを買った。
 


 

2017年1月7日土曜日

 
 
 
仁美ちゃんとふたりで、仁美ちゃんの冬服を買いに行く。
トップスもボトムも、たくさん試着してみる。
手にとったときには似合うと思っていても
実際に着てみるとぱっとしなかったり
期待していなかった服が思いがけず似合ったりして
「似合う服」は着たときにはじめて見つかる。
 
 
仁美ちゃんに似合う服を、わたしが夢中で探す姿から
「なおは服が好きやなぁ」と言われて
あぁ、服が好きなのかもしれないなぁと思った。

 
おしゃれなわけでもないし
服もあんまり持っていないけど、服はたのしい。
 
「珈琲が好きやなぁ」と言われて
珈琲が好きなことに気づいたり
「辛いの苦手なのになんでからい、からいって言いながら食べるん?」と聞かれて
辛口カレーが苦手だと気づいたり
そんな風に、周りのひとの目線で自分を見つけることが重なっていたけれど
服のこともそうかもしれない。

 
 
いいのがあったらコートも買おう、と
なんばのリサイクルショップへ行った。

玉石混合の中から、ひたすら仁美ちゃんに試着してもらい
合わせやすそうな丁寧なつくりのチャコールグレーのコートを選んだ。

わたしも手にとったキャメル色のダッフルコートが思いがけず似合ったので買った。
1700円くらいで買ったけど、状態もすごくいいし
ほとんどウールなので軽くて暖かい。嬉しくなった。

 
今日、午前中に介助の仕事を終えたあと
仁美ちゃんは絶対に白のスヌードをあのコートに合わせるといい、と思うと
はやく合わせてほしくなり、大阪駅で降りてルクアで真っ白のスヌードを買ってプレゼントした。
自分のキャメル色のコートに合わせるストールも見つけた。


やっぱり服は面白い。


それにしても、
自分の買い物ではなく
仁美ちゃんに似合うものを探す、ということを夢中でして
「わたしって普段どうやって服を選んでいるんだったっけな」と疑問が浮かんできた。
 

「自分って何が好きなんだったっけ」と思った。

キャメル色のコートに合わせるストールもすぐに目に入ったけど
それはどうしてなんだろう。
 





2017年1月6日金曜日


年が明けて
カモメに餌をあげた。
今日が6日だから、まだ1週間も過ぎていないけれど
なんだか色んなことがあった感じがする。
昨年1年は、与えてもらった1年間だったなと
年の終わりに感じていた。
いろんなことがあったけれど、ひとつひとつの出来事に
ちゃんと関わって越えてきたと思う。
ひとりじゃなかったからできた。
今はまだわからないけど
昨年1年間で開いたことや、経験して終えたことが
このあと生きるだろう長い時間にとって
とても大事な1年になったと思う。そんな実感だけはある。
埼玉を離れて、昨年1年は
「自分が何をしたいか」ということを見つめるよりも
目の前にやってくることを、とにかくやっていくという年で
明日、自分が何をしているか前の日の晩に確認して…ということのずっと繰り返しでした。
そうやって自分のところに何がきたかというと
絵を描くこと
介助の仕事
聴くということのひたすら稽古
おばあちゃんとの再会 - 自分の生い立ちの確認
焼き芋屋さん
場を開く仕事
伝える仕事
ごはんに関わること
でした。
絵を描くこと、声をかけていただいて開いていく年でした。
そして、介助とか看護のようなところも、
やっぱり自分のところにめぐってくる。
森のイスキアに憧れた自分としては
聴くこと、場をひらく、ごはんに関わること
とキーが募っているのもおもしろい。


生きることは不思議です。
いつも
「自分の本当にやりたいことは何?」と問われてきた気がするけど
やってみないとわからない。
「どうやって生きていきたい?」の答えを探すよりも、
生き始めてみる、ということなんだな
と、感じます。
自分にできることは、
沖縄の島のひとたちが玄関のまえをいつでも綺麗にしているみたいに
自分を掃き清めたり、落ちてるものを拾ったりするくらいで
空の色や
隣に誰が引っ越してくるかなんていうことは
いつも外からやってくる。
外だと思っているそれも内側かもしれないし
内側だとおもっているわたしも、外の一部かもしれないけれど。
玄関のまえを掃き清め続けることだって
なかなかの仕事さ。
今年はもうすこし、
前日に明日の自分を確認するような展開ではなく
長い呼吸、深い呼吸で生きようと思います。
今年もよろしくお願いします。