2011年12月31日土曜日

ピカピカ!

昨日、冷たい風がぴゅうぴゅう吹いた。
年末の強風は、かみさまが世界を洗ってるんだって
ずっと信じています。
 
大晦日の今は空がきれい。
心のおくがひゅんとなる。
 
ほんとうに、
今日、明日、あさって、しあさって、
おひとりおひとりがそのときを
あたたかくあれるように
今こころからお祈りします。
 
ピカピカ!
 
 
 
「わたし」はどこにいるのかな?
いないんじゃないかな、と
さっき考えていました。
 
たとえばあるとしたら
それは
beじゃなくてdoにあるのではないかと考えました。

be  ただある、という状態は美しいですが
それは自然で世界と溶け合っているときで

何かと反応しあったとき
何かに働きかけたとき
そのアクションが「わたし」のひとつのかたちなのではないかなと
ふと思って

それって、状態じゃなくて運動だから
次の瞬間にはもう消えていて
 
だから、
生きることはたぶんダンスなんじゃないかなと思いました。
 
 
わたしはどんどん生まれて消えていくので
いたと思った場所に次の瞬間もういない。

それはきっと、
ほかの誰もおなじ。

だから
つかれたら休んでよく眠って
目が覚めたらまた
ステップを踏み続けたらいいんだなと
そういうことを
考えていました。
 
 
わたしはダンスを踊りたい
きみがいるから!
という気持ちです。
 
ほんとうに
それはすてきで
どうもありがとう。
 
 
 
また!



小さな山
http://chiisanayama.web.fc2.com/

2011年12月28日水曜日

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心は世界に映ると
この季節になるたび実感します。

クリスマスから年始にかけて
世界中で感謝や祈りが捧げられるから
空気が遠く綺麗になる。



今年はすごく長かったなと思います。

それでも
今日を今日をと生活していると
やがて大晦日がくるんだなとわかって、

スタッカート
レガート
なんでも
一音一音響かせること。


手、三つ分のことができることは
すごいけれど、
すごくないことにみえる
二つを動かすことを
し続けることで
現実に魔法を織り込むことと
そこに宿る美しさのもつ強度について





この一年で
自分にもたらされたものは

以前から
ふわっと思い浮かんでいたことへの確信という感じがします。





今年も
たくさん、ありがとうございました。

本当に多くの優しさが
あたりまえのように
照らしてくれたので

その中でわたしもわたしのなかの優しいを
見つけて
そう在れました。


気まぐれと意地悪に関しては
来年もついてきそうで、
旅支度しているのが見えます。
ふたりでケラケラ楽しそうに、
年末年始のテレビ特番をチェックしています。

少しずつ精進して
彼らとも穏やかにやっていこうと思います。




ヨチさんの土人会のはじめに
朗読したマザーテレサのことばの内容を
しばしば、思い出します。



わたしは
わたしの心のありかたに気をつけます。

それは言葉になり
行いに宿り
世界に響くからです。

意識していても
していなくても

ただあるだけで
わたしたちのひとつひとつが
音楽だからです。


わたしはわたしの奏でる音について
責任があります。


わたしはわたしを
ととのえます。





みなさまにあたたかなはじまりがありますように。


ありがとう

2011年12月24日土曜日

メモ

昨日の夕方
母の誕生日ケーキを受け取りに
駅前まで車で出かけた。


YUKIちゃんのCDをセットしたら
その前に運転していた父が
プレスリーを大音量でかけていたらしく
大きな音で『Hello!』が流れ出す。




耳があって音楽が聴けてよかった。
空気があって揺れて音鳴る世界でよかった。


きみよ、天国はここではないかな。


うつくしくしよう。






かなしみにひかりあたれ
わたしはつくるかひかりどのくらい、どこへむけるかな
あてられてるひかりはどこからだ
あちこちから!360°!
うえだけじゃないしたからもだまさかの!








うつくしいよもう。うけとろう。




ほどけたらむすぼう。








生きてるあいだだけ
見られる夢だ。


死んでからはわからない。


たぶん、命は続く予感がするけど


でも触れたり
笑い合えたり
くだらないことでゲラゲラ笑ったりするのは
みじかい夢の中の話だ。






疲れるとおこりっぽくなるから
疲れてるときは人に会いたくない。
わたしはそんな未熟者ですが
あかるいひかりがさしたら、
目がそちらにむく生物だ。
赤ちゃんのころからの人の本質。
だからひかりに気づけるようでいたい。






じぶんをととのえよう。
そうしたら世界がうつくしくなる。




まずはそこから。




部屋の片付けをしよう。


機嫌よくいよう。




空気がきれい。

2011年12月23日金曜日

「サンタさんにお手紙ハイドーゾ」

母の誕生会の買い出しをしたり
年賀状を刷ったり
サボテンの鉢をかえたり
枯れてた花瓶の花をかえたりした。

その合間に
冷たい風を浴びたり
くっきり浮かぶ秩父山脈見たり
キンと冷えた手を手袋のやさしい手と合わせたりした。

重なっていた不在着信の履歴にも終止符。
久しぶりの声にぽかぽかする。


特別なものはなにもないけれど
ひとつひとつが尊い。

あるのが当たり前だから
欠けてはいけない。
あって欲しい。明日も明日も明日も。

年と年の合間
空気が凪ぐ。

わたしたちみなが
向こうに渡っていけるように。

2011年12月20日火曜日

tamashi-i

家の前の道で
水道管工事をずっとやっているのだけれど
ひとり、女性の警備員さんがいて
家を出るたび、挨拶を交わす。

「おはようございます」
「こんにちは」
「いってらっしゃい」とか
「おかえりなさい」とか。

その警備員さんがいるから
ほかの警備員さんや工事をしている人とも
挨拶を交わすのが自然になった。
 
毎朝
家を出て、その警備員さんと挨拶を交わすちいさな瞬間が
もっと寝てたいな とか
お休みならな とかいう気持ちをさっと拭いてくれて
まっすぐ自転車を漕がせてくれる。
 
 
この間
コーヒーショップに寄って帰り際
「お気をつけてお帰りください」と声をかけられたとき
すごく嬉しくなった。
 

 
心がある生き物が
電車に詰まって
流れている。
 
 
 
 
改札をぬけていく。
 
 
 
 
心が歩いている。
 
 
ヒートテック着て
ウコンの力飲んで

うなだれて
笑って

ハチ公前で待ち合わせてる。

心が。






 
 
小学生のとき
タカハシくんがこわかった。
タカハシくんが机から外れた30センチくらいの細長い棒を振って
「叩かないでー」とびくびくしていたら
小野田先生がタカハシくんをぎゅって抱きしめたときのことを
時々思い出す。
 
 
見つけてよ、って
心はあばれる。
 
そこにあるよね、って
手をあてられると
涙が出る。
 
 
心がクリスマスケーキの予約をして

心が手紙を書いて

心が

2011年12月18日日曜日

コスモス

楽しみに使い始めた新しい手帳であったけれど、
自分の時間の流れ方とは合っていない気がして
昨日、違う手帳を買った。

予定を書き写して
ほっとする。



朝の帰り道

青空に白い月

ほどける飛行機雲

わたしにしか見えない
わたししか見てない

と思ってほっとする。

何も分け合いたくない。

そういう気持ちの日もある。

2011年12月16日金曜日

『まぶしい目をしたあの子はたいよう!』

星屑サンセットを口ずさめば
帰り道に勇気が灯る。

光がないと道がわからなくなるから

陰りに気づいたら
自分でマッチを擦るんだよ。

しゃがんで泣いたフリを続けても
誰も手を引きに来てはくれないけど
立ち上がってスタスタ歩けば簡単だ。





踏切開いて
車椅子押して渡り始めたら
またすぐ踏切閉じ始めて焦る。

焦ってタイヤを溝に引っ掛けて慌てた。


『もし危なかったら私置いて逃げてね』

『そんなことできない!一緒に命を終えよう』

『あはは』

『ていうか、抱きかかえて逃げればいいよね』



解決策はシンプル
心が鎖


『もう歩けない』なんてマジック

生きているのが答え

2011年12月14日水曜日

今日が今日であって、明日が明日であること。

 
12月11日の夕方から、
cafe leuteで「夕べのカノン」というタイトルの催しがありました。

冬の宵の、この時間が生まれるまで
ひとつ、ひとつの大切な出会いがあります。
 
わたしたちが、会場に着くと
音響の環境はすっかり調い、リハーサルが行われていて
farverさんの生み出した、植物による美しい空間が生まれていました。
 
なおちゃんとふたり、auroraとして参加させていただきました。
わたしたちは受付をしながら、
やってきたおひとりおひとりとお顔を合わせ、
言葉を交わしていくことに
すごく心をあたためてもらいました。
 
「目には見えないけどあるもの」を意識して
綴った言葉を、auroraは読ませていただきました。
 
目を閉じて、聞いてくださる気配に心をすませながら
それから、その場所にはいない、人のことも感じながら
読ませていただけたことに
言葉にならない思いを感じています。
 
leuteの用意したお飲み物やパンが
人の気配を緩めて、空間が深まっていくのを感じました。
 
haruka nakamuraさん
janis crunchさん
rie nemotoさん
3人の奏でる音楽は、たゆたうやさしい光みたいでした。

音楽と繋がって、
そこにおられる方おひとりおひとりの存在感が立ち上がっていくのを
感じていました。

それは、ささやかでいてふかーく響く、
とてもやさしい魔法でした。
 
 
cafe leuteのおふたり

そして、あの場を共有できたみなさん
あの場にはおられなかったけれど、確かに一緒に
あの日のあの空間を作ってくださったおひとりおひとりに

深い感謝を感じています。

ありがとうございました。

そして、あの宵に生まれた光が
またどこかに繋がっているように思えてなりません。


 
 
いつでも、生きていることが
ギフトだと思っています。

また、祈りはかならず叶うと信じています。

本当に強い祈りは行いとともにあるように思えることと
心は世界に響くと感じているからです。

本当の本当の祈りは
祈ると同時に達成されている感覚を知っています。
(それくらい、わたしたちは、切実に、世界なんだと思う。)


そう、だから

毎日の心が、日常の行いが
瞬間を作っていると思う。
 
指先をあてたささやかな行為が
未来のかたちだと思う。

笑っている、いつかの未来への手紙だと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
peace peace peace

2011年12月10日土曜日

2011年12月9日金曜日

いたいところは、あたたかいものでなぐさめられる。

雨降り
冬の白い空

昨夜、
閉店時間を過ぎたはずのお店に
思いがけず明かりがともっていて
嬉しい笑顔に会える。

あたたかい気持ちわいて
帰ろうと、ドアを開こうとしたら
ガラスが曇っていた。

霧雨

イヤホン耳につめて
陽気な歌を聴いて帰る。


生まれてきたら
生きているだけで
本当にたくさんの出来事があって
いろんな人に出会えるし
心はどんどん動くし
色を変える空も見られて
空から水が降るようなファンタジックを
当たり前の蝙蝠傘でブロック

記憶喪失だ
どうして生まれたのかわからない
からだができる仕組みの中
意識も生まれて
わたしができたのか
意識がからだを見つけて
宿ったのか

わからないけど
それは問題ではまったくない
どちらでもよい

からだも心もいまあるので。
つかうことのほうが問題。

とにかく入場しているから
退場時間まで

わたしたちはあそぶ。

心が視力。



ここはまったく
ワンダーランドであるよ、

2011年12月5日月曜日

まばたき

12月にあっという間になっている。

重たい体を持ち上げてヨガへ行く。
動くと淀みが流れて軽くなる。

たのしいから笑うのではなく
笑うからたのしい


と、YUKIちゃんが歌っているのを思い出して
きっと本当にそう、と思った。

帰り道、月が綺麗。

駅からバスに乗って帰って
バス停は川向こうだから橋を歩いて渡る。

川の上の空は広い。
星粒光る。
ドーム状に見える夜空。

目ー、見えてありがとうと思う。




今朝は銀杏の葉の美しいの見た。

歩道橋から雪かぶった富士山も見た。

笑う人も見た。



きれいきれいよ、

2011年11月27日日曜日

朝、昼、夜
あっという間にぐるりと廻る。

自転車を漕ぎながら
裏ぶれた気持ちになった昼間

夕方の再会のあとには
心はパンみたいに膨らんだ。


わたしは手が冷たいけど

この手に触れた人いつも
「つめたい」と言って
包んでくれる。

ひとりになって
何気なくもらったその瞬間を思い出すと
かたまった心が溶けて泣きそう。



駆け込み乗車の車窓から金ピカ夕日


わたしはケチ

自分が足りないと思うとたちまちあげられない

でもこんなに注ぎこまれてくる


溢れる優しさで桜咲きそうよ

まとうこと

昨日はロイテまで
s-clothes-treeさんの
冬の展示会へ行ってきました。


色のバリエーションが多くて
その場に居合わせたみんなで悩む。

たくさん試着して
似合うものを身につけた瞬間
みんなが、わっ!と明るくなる。


サオリさんがワンピースを
試着した方の体型に合わせて詰めていく佇まいが
綺麗で
しずかに胸うたれる。



ハンガーにかけられたお洋服は
そのままでもキュンとする佇まいなのですが

肌に合わせると
それぞれの表情になって

それが本当に感動的。


その人にピタッとくるものを身につけた時の
本人も周りも
明るくなる感覚。

こんな風にお洋服を選べることって…!


だからぜひ

気になっている方は
実際に行かれた方がと思います。

今日、日曜日まで。

2011年11月25日金曜日

きみはピース

ケストナーの『飛ぶ教室』を読みはじめました。


わくわくしながら読み進めて
ふと
そうか彼らは本の中を生きてるから
目の前の世界の続きには、いないんだなぁ
と思うと
ぽかんとする。


こんなにいるのに、
会えないんだなぁ
と思う。



こんなに心にいるのになぁ

それはもう、いるのに。



思いながら
同じ電車に乗り合わせた人たちを見れば

どの命もかたちをもってる。

かたちをもっているということは

何かに愛されてるってことだと思った。

2011年11月23日水曜日

a piece of rainbow

これは道具であるので
これだけでは完結しない。
自然光が反射すると
壁に小さな虹ができるのですと。
すごく美しい道具。
ツールツール。

今日もらったもの。


自分も道具だなと思う。

何かがあって
作用する。

作用して生まれる現象がある。

現象だから
それは保持できない。

反応しあい
生まれる景色があるけど
それは
反応によって生じているものだから
それは運動だから

ずっとは保てない。
今この瞬間その時の幻のような、本当。
実体はない、本当!



世界って綺麗。
そしてどんどん、本当に移り変わっていく。


目的に向かって日々を生きるとき、特に、
手順をふみ、
行程を超えていくとき、
1→2→3

直線的に進行している感覚があるけど

じつは

タン、
タン、
タン


進めていく、という発想ではなく

作用、反応、現象
=変化

変化を発生させ続けてるって
発想にすると

見え方が
変わるところがあるような気がする。


時の観念を変える。

インマイマインド

『夜間飛行』を読み終えた。
二木麻里さんの訳で光文社古典新訳文庫のもの。
夜空に置いてけぼりにされたようだ。
終わらないエンドロールの中にいるみたいだ。
 
かなしいのに、ピカピカ光っている。
 

目の前の人と出会うのは奇跡のかたまりだけど
そうなるしかなかったことだとも思う。

生きているだけで
もうそれだけで
最高におもしろい。
そう思えないときも時々あるけれど、
でも人間は真面目で美しい。

ただそこにいればいいんだよって、
本当にそう思う。

紅葉した葉が光をチラチラ照らし返すの美しい。

ただそれだけ。

それ以上のなにもない。

意味をつけるのは心。

木々はあるだけ。

日は射すだけ。

いつもそれだけ。

2011年11月16日水曜日

memo////

毎日 毎日
奇跡みたいだなと思う。

koro美容室の本棚で見つけたゴフスタインの絵本の中に

よろこびとかなしみは
にじのよう

という言葉があって忘れられない。

虹のようなのだって。

真剣勝負の蜃気楼。
うそをついていてはもったいないけど、
足をとめてまるくなってうじうじすることさえ
見逃されて許されている。

自分を特別扱いしないで

ダンスダンスダンス。

2011年11月12日土曜日

ワールド イズ

駅へ向かう途中
七五三のお詣り帰りか
ふた組の家族とすれ違った。




おじいちゃんおばあちゃんも一緒に
家族中がきれいな装いをしている。




お母さんの白っぽいストッキングの足と
ヒールの靴


おじいちゃんおばあちゃんの歩幅で
家族はゆっくり進んでいく




目の前の景色と
自分の過去がリンクして


ブラウスの大きな襟や
レースが嫌だったこと


わけもわからないまま
退屈で


だいじにされていることにも
無造作でいられたことを
思い出した。






今は
おじいちゃんはいないし
おばあちゃんは歩けない

あの時
おじいちゃんやおばあちゃんは
この家族の続きには
もう自分がいないだろうと
感じる瞬間があったのだろうか。


お父さんとお母さんは
何をみていたんだろう。


ひとつひとつのことが
いつでも奇跡で


それでも
なかにいる時はそうと気づかず
当たり前のように享受して
新聞たたむようにこともない

めんどくさくさえ感じてる

朝昼晩


消えていくことよりも
今目の前に浮き上がる世界に
視点を
合わせていられる
人の幸福が

どういったわけで

わたしたちはどういったわけで。




 
 



この気分のつづきの映画

『永遠のハバナ』
『歩いても、歩いても』


 
 
だいたいどうしてこんなふうに
始まったのか続いていくのかもわからない。

神様のあくびの中にいるような気分だ。
 
手綱になるような意味がほしくなることもあるけれど
探している間に神様の口は閉じてしまう。
 
意味なんてないというのが
今のわたしのこたえ。

もしかして
生まれてくる前に地図を持ってくるのだとしても
なくした地図を探して歩くより
降り立った土の上を心身つかって探検する方が懸命だ。
 
 
それは覚悟するということ。
 
 
 



2011年11月11日金曜日

namioto nao to mio to naomi to


この間、
なおちゃんと思い立って新橋まで野田凪展をみに行って
みおちゃんに連絡したら偶然銀座に出たところだったらしく
すぐに歩いて会いに行けて
ひととき過ごせた。


その時に写したふたりの写真を携帯の待ち受け画面にしている。

明るい気持ちになる。

2011年11月7日月曜日

ピースが電柱にひっかかっている。

大学の新館みたいな
広く平らな窓辺の席で
電車が何本も行き交うのを眺めている。




まだ浅い夜の中を
明るい窓が流れていく。
きれいだなと思う。








0時をまわって自転車漕いで
角を曲がって空がひらけたら
星粒
西の空の月。








一度眠れば
次の朝がくる。




音はしない。

2011年11月6日日曜日

ゴー、ドリトル、ゴー

スーパードライにはほど遠い。
感情の大波かぶって超ウェットだ。


舵をとれ。




足下をみていては沈んでしまう。
荒波を越える秘訣は
まっすぐ遠くを見ること。


小さく迷わない。
怖がらない。


笑う。










ロイテのふたりの旅は
きっと大成功!
胸をあたたかく膨らませて
帰国する彼女たちを私は知っています。


わたしも靴を履こう。


とまってるから迷うんだ。

2011年11月2日水曜日

やさしい風、ひかり。

ダイの大冒険でいうところのポップ
ドラゴンボールでいうところのクリリン
バガボンドではまたぞう。
ワンピースではウソップか(読んでいないのでちょっとわからない)

圧倒的陽の存在を担うヒーローの隣には
「卑怯な気持ち」「弱い気持ち」「理想への批判」といった表現を担う彼らがいる。
 
人間的な感覚・共感の役どころ。

物語が進むにつれて
彼らはどんどん成長していく。
自分の弱さをある段階で乗り越えて強くなる。
(乗り越える瞬間がいつも大きく物語を動かす)
そうしてときにはヒーローの一番の理解者になるし
ヒーローの視界からはずれた存在への繋ぎ役となる。
陰が光に転じて自身の中にヒーロー(陽)が宿るから
ヒーロー(外的存在)あってのキャラクターではなく
自身の中に陰陽のバランスをもった自立した存在になる。


 
 
 
現実の世界では
個人が物語そのものだから

個人の中に
ヒーローもウィーザーもいる。

圧倒的に100%ヒーロー気質な人がいたら
それも超素晴らしいけれど
自分の中のウィーザーを抱きしめてほどいて越えてきた人の優しさほど
いつも胸の深くまで届く気がする。
 
 
自分を守るために
他人にウィーザーを担わせることもある。
(思い返せば私もそれをしたことがある。何度も。

でも本当に自立している人はそれをしない。
他者に自分の影を担わせない。
他者に自分の光を預けない。

成熟していくことは
自分の中に光と影をもつこと。

たぶん。

そこへ向かう途中。



 
 

2011年10月31日月曜日

コアをおさえてポップにきれ

坂道をのぼったところに
光が射す。
ありがとうって口からこぼれた。

今日はどんな日か。



「彼は優しさゆえにすこしダサい。
わたしはそこが好き」


やさしいからダサいのではなく
自分がダサくなれるやさしさがある、
彼はポップスター




彼女の瞳がキラキラした。

2011年10月29日土曜日

やさしいが眠っています。肩までふとんをかけてあげてください。

 
 
 
 
洗濯物を取り込むとき
空の色にはっとする。

毎朝、目がさめて
からだが動く。

モットモットの魔法の
ほどけた世界がいま。
 
 

 
 
 
 

2011年10月26日水曜日

物干し竿は間に合っています。

ずっとよく眠れないでいて
朝起きても眠った感覚がなく
体がかたくて疲れていたのが
今朝はひさしぶりに起きたときの体もやわらかくて
眠ったなぁと感じられた。
 
夜勤の際も普段より体位交換の依頼が多く
眠れないでいる様子だったから
気候などに原因があったのかもしれない。

「夢にあなたがでてきた」
とふたりのひとが教えてくれて

そのふたつともに小さな男の子が出てきている。

わたしの今朝の夢で親しくあそんだのは女の子であったけれど

ちいさなひと特有のあたたかいぱつぱつの手に触れたとき
すごくなにか、慰められるものがあった。
 
 
朝起きてから、
ニューシネマパラダイスの中の台詞がふと思い起こされる。
「自分のすることを愛せ」
 
 

ただしくばかり、生きられないし
誰かに情けない思いをさせる「正しさ」なら
ふるわなくていいようにも思える。


どうなのかな、と自分をふがいなく思うことも
少なくないけれど

間違えてもいいから

自分が自分を
わかっていようと思った。
 
 
 
 
 
 

水底をのぞいて梨をむく

朝が冷たい






校庭で裏返ってるバケツ




川底あきらかにして溝を
流れていく水も澄み






金管楽器の音




石灰の匂い







今朝起きたら
久しぶりに眠った感覚があって
体もやわらかい


夢もおぼえている


小さな女の子と遊んでいた












自分がこどもの頃の感覚が
そのまま体の中にあって

ちいさなひとといるときに
その時の目線から今の自分を覗くことがある



寄ってきてくれるものにしか手を伸ばせなかったから

相手の目の中に自分が宿っているときの
よろこびを知ってる

2011年10月21日金曜日

閃光

すごく強い光があればいいのに。
壁だと思っていたものが実は影で実体がなかったと一瞬で気づけるようなもの。


 
 

オーケー、ブランケット

黄昏前、
空気全体が赤みがかって
開いたドアの向こうに
心がすくわれる。






「見て!」


と声掛けると彼女は


「地球最後の日だ」


と言った。


「晩餐だね。何食べますか?」


「冷蔵庫の中のもの」










毎朝起きると
夢の名残が体のすみで煙ってる。




憶えてることはほとんどないけれど


いつでもあのひとやあのこと
ついさっきまで話していたような感覚が
喉のまわりをじりじりして




目が覚めてしばらく
思い浮かべてる顔がある。






地球が終わるよりさきに
会いたいなと思う。
 
 
 

2011年10月19日水曜日

「のぼりはじめちゃったんだから逃げられないってはなしよ」

心が決まると動き出す。
心が最初のひかりになる。

長い糸がむこうからあっちに

 
 
 
 
 
夜の風が水みたい。
遠い気持ちになる。
期待も浮かばないくらいに
静かな気持ちになりたい。

なりたいと思うのは
なれていないからだ。

「マンホールを踏むと運が落ちるんだって」
とあのこがいって

いくつ踏んできたかわからないけど
今こうしてラッキーでいるから

足元にびくびくしてないで

前みてればいい。
 
 
 
 
 
 

2011年10月15日土曜日

あたたかく

 
 
実は小さな山にはホームページがありまして
午前中、ひさしぶりに絵を描いたので
それですこし更新しました。
イベントがあるときにはこちらのscheduleでもお伝えしています。
http://chiisanayama.web.fc2.com/



この間のお休みは
清掃センターから帰ってきたあとはずっとふとんにくるまって
『あしながおじさん』を読んでいました。
すごくすてきな本だった。

なんのリアクションもない「あしながおじさん」から
はじめてジュディにたよりが届いたとき
胸がいっぱいになって涙がでた。

トットちゃんの入学を校長先生がゆるすとき
ビーさんがレオくんに毎日ごはん食べにきなさいというとき
ニューシネマパラダイスの、あの、あのシーン

心が繋がった瞬間にいつも
世界が変わってしまう。




 
いつの間にか
夏より冬のほうがちかい。
あたたかく。

 
 

2011年10月12日水曜日

ゆっくリリース

わたしのスーパースターYUKIちゃんは
ミュージックステーション出演時に断捨離について
「ほんとうにすきなものをだいじにすること」
そんなふうに話していて

それを聞いたわたしの心には
いらなくなったものを捨てる のではなくて
たいせつにしたいものをたいせつにすることなんだと
ちいさなあたらしい光がともった。


折々、整理をしてきたようで
それでもクローゼットでの長い夜をずーっと強いてきてしまったものが
わたしの部屋にはやっぱりあって

午前のうちに清掃センターへ持っていく。
不燃ごみと、可燃ごみ、ひと袋ずつ。
それからずっと捨てられなかったもの
高校生の時から持ってるスニーカー、一足。
ランドセル。
高校の制服。
ランドセルには修学旅行先の日光で買ったキーホルダーがそのままついていて
ちっともかわいくないそれをなんとなく気に入っていたちいさな自分と再会する。
ランドセルを贈ってくれたおじいちゃんもとっくに天になった。
「もういいよね」と心の中で声かけてみる。
制服は最後に着てみるかとちらりと思ったけど思うだけだった。

服とぬいぐるみはリサイクルプラザに引き取ってもらった。
リサイクルプラザには市民が持ち込んだ洋服や家具などが並んでいて
安価で譲り受けることもできる。
持ち込み品の状態確認をしてもらっている間、本棚を見ていたら
欲しいな、と思っていた『あしながおじさん』の文庫本があったので
10円で譲ってもらった。

帰ってきて部屋を眺めてみる。

これが今のわたしかなと思う。

すこし光がかるくなった気がする。
 
 
 
 





 



 

2011年10月10日月曜日

きみ、停めていきなよ。

三連休だったのか、と
昨夜はっとしました。


今日もよい日となりますように。




秋のおやつとショートショート
きのうまででした。


栗タルトは一週間のあいだにも
すこしずつ違ったものを
ロイテのふたりが用意してくださいました。

それぞれきっと、
おいしく召し上がっていただけたことと思います。

ありがとうございました。




ショートショートには
金木犀の香りがでてくるところがあって


季節の匂いや

雲のかたちの変化や

栗がお店にならびはじめたな、とか

バラの実がなっているな、とか

そういうものを

毎日暮らしているなかで

知らぬ間に
わかちあっていたり

伝えて
わかちあいたいと思ったり

教わってはっとしたり

気づいて気持ちが澄んだり


変わるよろこびの中を

たくさんのものと

人と

生きているなぁとあらためて感じます。




ショートショートのおはなしは
まだ続いていきます。





起きたら世界がある希望

2011年10月8日土曜日

対象がなくてもやさしさは発動しますか

秋のおやつとショートショート
今週末までです。


栗タルトとお話、ぜひー。


阿佐ヶ谷イネルでのなおちゃんの展示、
お店の空気にからだが馴染み始めると
入ってすぐに読んだ言葉が
ちがう言葉のように届いて

ことばと会うってことに
触れたような気持ちになりました。




みおちゃんが日本に帰ってきた。

帰ってきた!




空気が乾いてきたから
ひきつづき
からだを大切に。

2011年10月5日水曜日

SPARK


  (SPARK / 児玉奈央)


明日、6日から阿佐ヶ谷のinellという場所で
田中奈緒ちゃんの展示がはじまります。 → 

この前の夏ににじ画廊の3人展で
ひさしぶりに奈緒ちゃんのことばに触れました。
その時
変わっていくなかにあるみたいって思って、このつづきに触れたいなぁと
感じたのでした。

ちいさな場所のようだから
しずかな心で歩いていこう。

奈緒ちゃんと、leuteと一緒の企画
秋のおやつとショートショートは
今週末の日曜日まで。
ロイテの栗タルト、
ほんとうに心がよろこぶおいしさです。
季節の素材をつかうのが
ふたりは本当に上手です。
なによりもふたりが
季節のものをよろこんでいるからなんだろうな。
栗の渋皮煮はたっぷりいつでも入っているけれど
中身はすこしずつ変わるみたいで
それもたのしみです。

おいしく召し上がれますように。 → 



雨が降ってしずかです。
どうかあたたかくお過ごしください。

わたしは長袖を着ることやら
朝起きたふとんの中のふわふわがうれしい。

そう、
この間 ほぼ日刊イトイ新聞をみたら
被災地の方の冬服や防寒用品は足りていないと思う
ということが書かれてあって

春になるところの地震だったのだから、
そうだよなと感じました。

わたしは寒くなることがうれしいけれど
不安でいる人もいて

暖房器具を送る方法など色々ありそうなので
調べてやってみようと思います。




 





atarashii jibun ni naru.

11月はじまりの手帳を買ったので
今使っている手帳は今月でおしまいになる。
今年の1月から使っている手帳だ。

久しぶりに1月、2月と頁を開いてみると
当たり前だけれどそこに予定を書き込んでいる自分は
その後の日々のことを
全然知らないでいる。

ひっくり返ってしまったことがたくさんあるけど

1月の自分がいた場所よりも
今が好きだ。

新しい手帳は眺めるだけで
まだ何の予定も書き込んでいない。

何があるだろう。
誰と会うだろう。

たぶんきっと、
今はぜんぜん予想もしてなかったことの中に
いるのだろうな。

でも変わらない同じ笑顔もいっぱい
そのときもちかくにありますように。

ぐるーっと冬春夏越えて、
来年も手帳を新調する頃に
金木犀のかおりに
気がついたりしているのだろうか。

2011年10月2日日曜日

おしらせ

おしらせしております
秋のおやつとショートショートは
9日までと予定しています。

また、
1日10食と
おやつの数にかぎりがあります。

おこたえできないことが
あった際には
とても申し訳ないのですが
ご理解いただけますように。




ロイテの珈琲は
一杯、一杯
ハンドドリップで丁寧に淹れられ
とってもおいしいです。


豆の種類も揃っているので
おかしやお食事に合わせて
おすすめを尋ねてみたり
お好みを伝えて相談されると
たのしんでいただけると思います。


もちろん、
珈琲のほかにも
おいしいお飲み物が
メニューにならんでいるので

秋のおいしいを
たのしく味わっていただけますように。







金木犀のかおりがします。

2011年10月1日土曜日

見つける、という不思議。

日が昇る前の明るい暗やみを
風が吹き渡ります。


ピュウピュウ冷たい音がして
気持ちよい。



秋のおやつとショートショート
今日からはじまります。




先日から新しいお財布を使っています。


もうしばらくずっと、
新調したいという思いがあって

お財布を扱っているお店に入ればいつでもチェックしていたのですが

なかなか見つからないでいました。




それがこの間入ったアウトドアショップで
無意識に流した視線の先に
発見しました。

しかも本来の用途は別にあって
お財布として作られたケースではありませんでしたが

これだ!と思いました。


とても気に入っています。




具体的なイメージも浮かばないまま
まだ見たことのないものを探す
というのは
不思議な行為だなと感じました。




それが何かわからないのに、
他の何を見ても
「これじゃない」ということはわかる。


見つけたときには
「これ!」って確信する。


はじめて見たのに
間違いなくそれなのがわかる。




10月になりました。

2011年9月29日木曜日

秋のおやつとショートショート

10月1日から、ひそかに進めていた企画が動きだします。

cafe leute×aurora
秋のおやつとショートショート


ロイテが秋のおいしい(といえば…じゃーん、栗!)を使った
スペシャルタルトをデザートとして登場させてくださいます。
そこにすっと、私と田中奈緒ちゃんふたり(auroraという名前で活動しています)で書いた
ショートショートを添えさせていただきます。

オーダーしていただいた方には
おいしいおやつと一緒に
小さなお話もたのしんでいただけると
嬉しいなと思っています。


恋の話なのですが
5月のマルクトで販売させていただいたTRUST ME Tシャツに添えたショートショートの
続編にもなっています。


奈緒ちゃんとカフェで打ち合わせをしていたら
隣の席の女の子たちが恋の話に湧き立って
つい耳がダンボになりました。

そこでひとりの女の子が
「結局DNAが惹かれるらしいよ!」と熱弁していたのがおもしろかったです。

登場人物たちが、どうなるのか
わたしたちも気になっていたから
つづきを書けたことが
嬉しかった。

そうしてまたまた、つづきを書いていくと思います。


書きながら
おなじ時間が流れる上を
生きられることのやさしさを見た気がします。


関係や思いが、変わっていくこと。
重なること
離れること



つづきのつづき
いつもいつかのつづき。


おたのしみに!

2011年9月24日土曜日

信じる。

 
 
 
 
 
朝起きると、窓から見える空が高い。
近くの中学校から、鼓笛隊のタイコの音が聞こえてくる。
窓から冷たい風が静かに寄せてくる。

ぽかんと明るい空だ。
この下にいる人がどうか漏れなく幸福であるようにと思う。
右へも左へも行けなくても
空だけはいつもぬけている。

おじさんが倒れた。
息つめる人たち。それでも朝がくるとすこし、心が緩む瞬間があって
もそもそと朝食をとったり
眠ったりする。

一晩のうちにおじさんは左半身不随を告げられる。
一瞬で、何かが、絶対的に変わる。

それでもそれは、終わりじゃなくて
いつでもこれまでの続きで
これからへ続く瞬間。

おばさんがいつも文句を言っていた長男のりょうちゃんが
今、おばさんを支えて、おじさんの勤務先への連絡や交渉など全部やってくれているという。

りょうちゃんは元・超ヤンキーで
聞けば聞くほどどうしようもないような話をいくつも持っている。
だから親戚が集まると
「りょうはどうしようもない」としばしば話題にのぼった。

そのりょうちゃんが今、誰よりも家族を助けている。


時間は流れていて
生活は続いていく。
「もうだめだ」という瞬間をいくらでも越えていく。



電源を落としても、世界は消えない。

本当に辛い瞬間はそのタフさにいっとき絶望するけれど
過ぎていったとき
そこに宿っていたのはどちらかというと希望らしきものであったと
きっときっと、気がつく。
 
 

 
 
 

2011年9月23日金曜日

手をつなごう

越えられないなら、くぐっておいで
という言葉を
いつか銀色夏生さんの本に見つけて
その言葉を思い出すと
心の奥に
しずかに力が湧く。

昨日の朝の空は
台風一過
美しくて

中学の卒業文集の田中先生の言葉には

疲れたら空と木を見ればいい
と書いてあったのも思い出す。

田中先生は
そうやって
何かを乗り越えてきたのかな、
もしくは
くぐってきたのかもしれないと思った。




遠くを見ると
背すじがのびて
呼吸が深くなる。




笑うと
お腹のおくまで
空気が入って
体がすこし
新しくなる。



朝、
メールに添付されたちいさな友達ともちゃんの写真に
元気をもらって

夜、
電話でともちゃんにそのことを伝えたら

「そうだったんだー。それはうれしいなー」

とあかるい返事があった。

生きてるということは
それだけで
あらゆるものに知らず知らず
支えられているから

ひとりぼっちに
いつでもならなくていい。

2011年9月20日火曜日

見えないものには祈るという方法で関わればよいのかな

 
 
 
 
 
シャーシャーと細かな雨が降って朝から肌寒かった。
道端に彼岸花が咲いている。彼岸入り。今日は道が混んでいた。 
 
 
 
 
 

2011年9月18日日曜日

アンサー 

いろいろなことがあるけれど
「悲しいこと」っていうことはないのだよなと
帰り道にふと思った。

そこにあるのは
出来事と
悲しみを感じる心で
悲しみは出来事にあるのではなくて
心の中にあるんだと思った。

そう思うとすこし、
隙間ができて
その隙間の質はどちらかというと希望に近い予感がした。

隙間があることで感情ではなくて出来事へむかう行動を導きだせる気がするのと

悲しみが自分の中にあるのなら向き合うことができるし
人の中にあるのがわかるなら、その人の隣にいることができることとで。たぶん。



秋の夕方においしいにおいが風にのると
やさしい気持ちになる。
誰かが待ってくれている記憶がよみがえるから。
 
 

2011年9月17日土曜日

月のちかくに見えるのは木星というはなしです。

久しぶりに美術館へ出かけた。
国立近代美術館で開催しているイケムラレイコさんの回顧展をみてきた。

海の生き物みたいな
まだひとのかたちにならない胎児みたいな

そうほんとうにそうだ、ポニョみたいな
尾びれのようなスカートのようなもの広げてる
少女たちの像

なんだか涙がでた。
顔をちかづけてみてたら
からだの中でなにかが「アイラブユー」といった。

やわらかいまっくらやみからやってきたこと。
血肉をわけてもらってかたちになれた。



(だからあるだけでほんとはいつもあいかもしれない)


どんな気持ちで、ものをつくりだすのだろう。




都内をぐるぐるして
帰り道にロイテへ寄ったら
話している間に外が暗くなって
小さな電球が星みたいに光る。

なんだかひさしぶりな気がして
話とびかわせているうちに
まるい気持ちになってきて
このままあっちにこっちに話ころがせながら
眠りたいなぁと思う。


小島さんの野菜を買って帰ってこられたので
明日のお昼にいただこう。





仕事で人に触れるとき
どんなちょっとのときにも気がそぞろにならないように気をつける。

慣れないときに早くしなきゃと焦って痛い思いをさせたことがある。
触れることに遠慮しすぎて逆に我慢させてしまったこともある。
すこしずつすこしずつ、力の入れ具合がわかってきた。
急ぐときこそ心をぶらさない。
指先ですませようとしないで
ちゃんと手のひらをあてること。


ふと自分のからだにひとの手が触れたとき
相手のきもちがどこへむいているのか
こんなにも伝わるものかと知る。


こころのどこかでずっと
あこがれている手がある。

 
  

 

2011年9月16日金曜日

やさしい目

 
 
 
 
 
 
フィッシュマンズの『チャンス』を聴きながら
駅を出て、自転車乗って、坂道くだった。




Let's get 欲しいものなんて そんなにないよ 何にもないよ
サンドウィッチ 口につめこんで あなたが来るのを 僕は待っているよ

FISHMANS/チャンス





月の近くに浮かんでいた星はなんだっただろう。
 
『富士日記』を読んでいるあいだ、百合子さんの目の中にいた旦那さんの泰淳さん
ここのところは彼の書いた(百合子さんによる口述筆記だそうである)『目まいのする散歩』を読んでいたから
泰淳さんの目の中の百合子さんを見つけてた。
 
 
 
人と生きることは
たくさんの人の中に自分があるということ

自分の中に
たくさんのひとりひとりがあるということ

やさしい目で見てる。


人を信じるそのときに
その人の中にいる自分も信じようと思う。


 
 
やさしい目で見てくれて
どうもありがとう。
 
 
 
TSUTAYAに寄って帰った。
 

2011年9月13日火曜日

遠くで誰かがあなたを思った瞬間、知らぬまますこし、あなたはいい気分になる。ちいさな魔法は常に行き交っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
電話が終わってしばらくしたら、鳥が鳴いて東の空が明らむ。
すこし寝ようと思った。
 
 
 





残暑のなか
コンビニで祖母にアイス買って帰る。
家に着くと、玄関からすぐの部屋にいる祖母から呼びかけられ
「アイスが食べたいな」
とちょうど言う。
「買ってきたよ、おばあちゃん。テレパシーかね」
そう返事してチョコモナカ・ジャンボを渡す。

食べて半分かなと思っていたけど
にこにこしながら全部食べた。

そのままアイスを食べる祖母の隣で読み途中の本を開く。

祖母の部屋にいると読書が進む。
祖母は目を開けていても眠っているみたいで
薄暗い部屋は静か。

「爪のびてない?切ろうか」
と聞くと
デイ・サービスで切ってもらったということだった。
 
 
祖母とふたりでいると
今、目の前の時間が
昔のことであるような
起きているのに

眠っているような
しんとした気持ちになることがある。
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 

運命を頼らない。偶然を愛して手を動かす。

月が綺麗な夜でした。


朝夕はもう涼しくて、ずいぶん過ごしやすい。
気温が高くても光の色が秋で心が澄む気がする。

 
帰り道、電車の中でずっと大きな声で電話している人がいて
日本はもうだめだ、何も変わらないというようなことをずっと話していて
なんとなく、底空しい気持ちになった。

そしてなんとなく、自分のことが恥ずかしくなった。

わたしも電話で話してるその彼と同じことをしていると思って恥ずかしくなった。

ほんとはそれがすごく小さくても
自分ができること
自分が変わることを見つけて始めることの方が
当たり前の勧善懲悪を説くより現実的で具体的なのに
自分は動かないで大きなものを批判する。

きのう書いたこととかも
そうだよな、
わたしじゃあ、何してるんだろう。と思った。


 
 

2011年9月11日日曜日

9月11日に思ったこと。

暗くなるのがはやくなって、
日中陽射し浴びた半袖の腕にも
さらさらした夜があたる。

虫がシャーリーリーと鳴いている。

昨夜、ふとんを並べたわたしたちは
3時を過ぎるまでぽつぽつとずっと話しつづけていた。

疲れているはずなのに
心も目も冴えて
今夜しか話せない会話があるような気がして
眠ろうとすることができなかった。
 
 
 
今の仕事は契約期間があるから、
その先自分が福祉の仕事を続けていくのか
今はまだわからない。

それでも
「期間を終えてもやめないでほしい」
と介助にあたっている方から言われたとき
なんとなくすなおに
うん、と思った。
どういう関わり方、働き方になるかは
わからないけれど
福祉という分野にひらいていたいとは漠然と思う。


だいたい、
老人介護に関していえば、自分が弱る、老いるという想像はしやすいと思うけど
障害にしてみたって、本当にいつ、自分が社会から障害者と位置づけられたところに立つかわからない。
万人が。あなたが。わたしが。
だからぜんぜん、他人事じゃなくて自分のことのはずなのだけどな。
自分が幸せに生きるためのことなんだけどな。

今の行政からの支援では障害者が自立して生きるには負担が大きく
現在だと特に被災地で「当事者」と「健常者」のギャップが目に見えるかたちで
あらわれていると思うのだけど

ある人が
障害のある人の負担が大きくて生活できない人たちがいる現状があり
その改善を求める交渉で行政の担当者と関わったとき

「障害者には生きていてほしくないのかもなって思った。
 わたしたちがいなくてもいいって、この人たち、思ってるんだなって思った」

そういう風に感じた、と話してくれて

なんつーこっちゃ…と思った。

それを言わせたのは、わたしでもあるんだなとも感じた。

 
 
どうしたら、

あたりまえに人が幸せに生きることができて

宇宙の中の、星の上の「人類」に所属する感覚をもって、多様な生物のちいさな一部として
うまく生きていけるものかな。
 
 
 




関われば関わるほど、
赤い障害者手帳をもった人も
青い障害者手帳をもった人も
ただその人であるだけっていうことがわかる。


手帳があったってなくったって

どの人もみんなばらばらで
それぞれのかたちで

そういうことなのだよな。



 
じぶんがじぶんでありたいように

わたしは

ひとがひとであること

それがそれであることを

許せているのかな。
 
 
 

たまたま隣にいる人を、たいせつにするということ。

 
 
深夜の帰り道、彼女が
「すこしでも今関わっている人たちって前世でも出会ってるっていうでしょ。
どうなっているのかな。どうして出会うんだろう」
と言った。

「本当にそうだとして、わたしたちも出会っていたのかな」
と呟いたら
「きっと出会っていたと思うよ」
と彼女がこたえて

それが本当でも嘘でも

何度も生まれ変わっていたとして
今わたしと彼女が出会ったことが「再会」だっていう風に

彼女が感じてくれたことが
涼しい風がふっと渡るみたいに、
やさしくて嬉しくなった。
 
 
 
 
『ホノカアボーイ』という映画があって
春に、よく観返していた。
 
 
人は人に出会う。

出会って関係が生まれれば

偶然のぜんぶが必然のように感じられ

出会うべくして出会った、なんていう風に思ったりする。
 
 
運命というものがあって
前世やら来世やらなどというものがあり

実は何度も出会っていて、今生でも会おうと約束があるのかもしれないけど

そんなことはぜんぜんわからないし

わからなくてもいい。


わたしたちは結局、

たまたま出会う。

たまたま出会って、そこからはじまっていく。
 
なんてやさしい。 
 
 
もしかして、にくにくしいような、誰かと出会うことも
あるかもしれないけど


でも。


今、たまたま隣にいる人とのあいだに

「運命」がなくても
「奇跡」がなくても

だいじにしたい。


たまたま隣にいるという

なんでもなさの上で。
 
 

2011年9月10日土曜日

ヘリコプターの金色が月に向かってあがっていく。


中学校の卒業文集に
学年主任の田中先生が書いた言葉を
ときどき思い出す。




眼差しを遠くに投げること
愛するものをたくさん持つこと




秋の夜はきれいだなぁ。

浮いている月が明らかで、
地球人は電車に乗ったり
すこしゆっくり帰り道をたどったりする。

2011年9月9日金曜日

すくわれますように。このよのあらゆることの、ちいさなしんしさのすべて。

光の具合が変わって急に秋めいた一日だった。
季節が変わることがこんなに美しいことなんだと
驚きとともに新鮮に感じる。

ずっと活字が追えずにいたけれど
ようやく最近本に向かえるようになってきた。



『ガールフレンド』しまおまほ
がよかったです。
やさしいといじわるととおいとちかいとそこにあって。
まほちゃん・・・!
 

今は『目まいのする散歩』を読んでいて
奥さんの武田百合子さんについて書かれた文章を見つけると
うれしくなったりする。
散歩の描写から話題が転々と変わっていって、
変わった先の情景ひとつひとつ生々しくておもしろい。

身近な土地の当時の様子が感じ取れるのもおもしろい。
 
 


~のため。ということをここのところの自分は意識しすぎていて
目的のないものや瞬間を見過ごしてきた気がする。

 
本を読むことはためになるから読むわけじゃなくて
ただおもしろいから読む。

そういうことを
体がもういちど受け入れられるようになってきた気がする。
 
 
わたしはずいぶん、
つまらなかったのではないかな。
 
 
 
 




 
 

2011年9月7日水曜日

素直であること。いつでも。

 
 
 
時間があればとにかく眠った。
今朝起きたら、体が軽い。
深海から上がった気分。
ダイバースーツを脱ごう、こうしちゃいられない。

山から冷たい風が流れる流れる。
街のすべてが清流の通り道。

 
そんな朝には調子がよいもので
嬉しい手紙が届いたりする。


9月17日から10月2日まで
入間市のジョンソンタウン内acht8で
ayacoちゃんの個展がひらかれるそう。

(20日、26日、おやすみ)

http://ayacot129.blog90.fc2.com/
 
 
DMの絵は最高で
わたしはどきどきする。

今、窓の外に見える山々がそのまま、絵の中にあるみたいだったから
 
目の前の世界と
小さな手紙の中の絵がリンクして

心が動いてしまう。
 
 
 
 
大学のときの後輩の男の子が
今も文章書いてるって知れたのも今朝。


なんだ、嬉しいじゃないか。


どきどき。


まだまだ、楽しいじゃないか。
 
 
 
 
 
わたしも絵が描きたいよ。

世界って、みんなで作っているんだよね?
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしはわたしのパーツを、動かそう。
油さしてさ、いつも。

疲れたら休もう。

なるべく笑って働こう。

好きな人に好きと言う。

ごはんはおいしくいただく。

怒ったら深呼吸。
 
 
決めつけはじめたら注意深くほどこう。
 
 
 
草がふるえる音をみのがさない。
 
 
やさしいはやさしいのまま。
 
 
思っている以上にいつだって
愛されているのだ。
 
 
信じよう。
 
 
 
 
 
あなたの耳の横の髪をいま
世界のやさしいがつついています。

手を触れたら
挨拶してみてください。

どうやらやさしいは
あなたのことが好きらしく、
ずっとそこにいたみたい。
 
 

 

 
 
 
 
 
ピース。
 
 
 
 

2011年9月6日火曜日

トレモロ








台風明けの空が高かった。


駅までの道に黄花コスモスが咲いている。


魔女の宅急便を見なくては。



台風が過ぎたら歯痛がおさまる。


そういう具合にできているのか、と思う。




ピース、

ピース。