2011年5月18日水曜日

もうひらいているのに。

もしも、自分の状態が一枚のお皿の上にあらわされるとして

「今よりもうすこし、やさしい状態」をのぞむとしたら

お皿の上にくわえたいやさしさの分だけ

なにかを退かす必要があるのだろうか。

そうしたらわたしは何をすてるだろう。

書店の雑誌棚の前でふと思った。
 
 
 
そしてその「なにか」を差し引くということは

「なにかである状態」を生みだしている

行動、環境を変えるということなのだなと

エレベーターを昇りながら考える。










電車の中で高山さんの日々ごはん⑫を読んでいたら
11月23日の日記が、またよかった。





・・・

 丹治君の、「働くっていうのは、人のために動くって書くんですよね」というのと、
「ドリトル先生って、ドゥー、リトルなんです。ちょっとのことしかしない人っていう
意味の」という名言を思いだしながら。(中略)
 ドリトル先生は器用な人ではないから、できないこともたくさんある。だからこそ、
周りの動物たち(不器用だけど、何かひとつはとりえがある)が知恵を持ちよって、
助けてくれる。それぞれは皆、ドリトル先生を大好きで信頼しているので、力の
すべてを出して役に立とうとする。そして、人に喜ばれるような素晴らしい仕事を、
力を合わせてひとつひとつやってゆく。まるで「クウクウ」のよう。マスターがドリトル先生。
アヒルのダブダブはリーダー。
 暗くなったので、起きて風呂に入る。

・・・

『日々ごはん⑫』高山なおみ / アノニマ・スタジオ




高山さんの日々をとらえる目線や、心の行方に
どれだけの人が
ぐっと力をもらっているんだろう。

今、引用しながら思った。

高山さんも好きだとよく触れている
武田百合子さんの『富士日記』にもやっぱりそういうところがある。

人がひとり、生きているということは
すごいことだなと思う。

その人がその人だけの心で
日々を体験して
はっとするようなこと
なんでもなく流れていくこと
毎瞬、思うということ。
 
そういうものを
共有したいな、と
いつもどこかで思ってる。
 
  
 
 
 

 
夜、
土手の雑草の影がずいぶん高くなっていることに気がつく。
 
 

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