2011年9月11日日曜日

9月11日に思ったこと。

暗くなるのがはやくなって、
日中陽射し浴びた半袖の腕にも
さらさらした夜があたる。

虫がシャーリーリーと鳴いている。

昨夜、ふとんを並べたわたしたちは
3時を過ぎるまでぽつぽつとずっと話しつづけていた。

疲れているはずなのに
心も目も冴えて
今夜しか話せない会話があるような気がして
眠ろうとすることができなかった。
 
 
 
今の仕事は契約期間があるから、
その先自分が福祉の仕事を続けていくのか
今はまだわからない。

それでも
「期間を終えてもやめないでほしい」
と介助にあたっている方から言われたとき
なんとなくすなおに
うん、と思った。
どういう関わり方、働き方になるかは
わからないけれど
福祉という分野にひらいていたいとは漠然と思う。


だいたい、
老人介護に関していえば、自分が弱る、老いるという想像はしやすいと思うけど
障害にしてみたって、本当にいつ、自分が社会から障害者と位置づけられたところに立つかわからない。
万人が。あなたが。わたしが。
だからぜんぜん、他人事じゃなくて自分のことのはずなのだけどな。
自分が幸せに生きるためのことなんだけどな。

今の行政からの支援では障害者が自立して生きるには負担が大きく
現在だと特に被災地で「当事者」と「健常者」のギャップが目に見えるかたちで
あらわれていると思うのだけど

ある人が
障害のある人の負担が大きくて生活できない人たちがいる現状があり
その改善を求める交渉で行政の担当者と関わったとき

「障害者には生きていてほしくないのかもなって思った。
 わたしたちがいなくてもいいって、この人たち、思ってるんだなって思った」

そういう風に感じた、と話してくれて

なんつーこっちゃ…と思った。

それを言わせたのは、わたしでもあるんだなとも感じた。

 
 
どうしたら、

あたりまえに人が幸せに生きることができて

宇宙の中の、星の上の「人類」に所属する感覚をもって、多様な生物のちいさな一部として
うまく生きていけるものかな。
 
 
 




関われば関わるほど、
赤い障害者手帳をもった人も
青い障害者手帳をもった人も
ただその人であるだけっていうことがわかる。


手帳があったってなくったって

どの人もみんなばらばらで
それぞれのかたちで

そういうことなのだよな。



 
じぶんがじぶんでありたいように

わたしは

ひとがひとであること

それがそれであることを

許せているのかな。
 
 
 

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