2011年4月30日土曜日

4月のこと。

 

プロ野球が始まった。
わたしは詳しくないけれど
ラジオのナイター放送はすごく好きだ。

アナウンサーの熱を帯びた声 歓声
澄んだ夜の空気とそこにある高揚

部屋の中や
車の中の小さなスペースに
離れた場所の同時刻が入り込む。

大勢の人がひとつのプレーに歓喜したり
胸を震わすことを
美しいと感じる。





4月もとても長かった気がする。



本を読んだり、映画を観るとき
これは地震前のことなんだよな
という思いが湧く。
あの経験のない世界の話なんだよなと思う。


地震があって、感じたり考えたりしたことと
個人的に続いている日常の中で
考え続けていたことが融合していく。

その中で生まれるものがあって
いらなかった、と気づくものがあって

今、更新されていくアイデアは
遠い未来に対しても
強い影響力を持っている予感がする。



わからないことがたくさんあり
わかっていなかったと気づくことも増えていく。


意志を必要とする部分が明るくなっていく。





誰かのことを思う時間が
多くなる。

なにができるだろうと探している。



あたたかい蒲団で眠っている。





気楽すぎるのではないかと
自分に刃先をむけながらも

愛という選択肢について
予感してもいる。



 
 
やさしさについてすこし、わかった気がする。
 
 
 
 
 




 
 

 
 
5月がくるんだな、と思っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 






このスピーチを共有したいと感じますが ここにわたしのアイデアはありません。
残念ながら今、わたしはこのスピーチを話せる側にいません。
でも、なんか今、と思います。 → 
あと…、(たのしかった!) → 
 
 
 

流れ星

 
 
 
届いたメールが嬉しくて
胸に金色のBB弾を仕込まれたみたいだ。
 
 
 

2011年4月29日金曜日

ライクミュージック

朝起きても胸のところがねじれてて
昨日書いた記事を書き直したら
胸のつかえがとれた。

すごく小さなことかもしれないけど
おもしろいな、と思う。

前日の記事を読んでくださった方がいらしたら
もう一度ドウゾ。
イギリス人の男の子が
ここへ来た感想を聞かせてくれました。





人と対面して
話すことは
わたしは多分、とても好きなことだし
ほんとうに、おもしろいことだと感じる。



今、
なおちゃんと一緒にちいさなお話を書いているのだけど
その下書きで人と人が話している場面を書きながらも
そういうことを、感じていた。

もしも
ぽろっとこぼしたユーモアを
気持ちよく拾ってくれる人がいたり

言葉以上のものを共有できた感覚があったら

その人のことを
ほんとうに信じていいのだと思う。



 
 
言葉はその人のからだで
歴史だから。




 
 
内容がどう違うと
読む人が感じたかわからないけど

昨日のブログの記事は
朝起きるまで私の心をねじらせてて

それは変なからだの捻り方をして
出した言葉だったからなのかもしれない。




自分のすなおなからだで
話せること

相手のすなおなからだの言葉を
受けとれること


その交流





人と話すことが、好きだな
と思う。

 
 
 

よいおやすみを。


 
 
 

2011年4月28日木曜日

ピカピカ光る初夏の夜にギョーザを食べたい。

 
 
強風の陸橋の上で
男が踊るようにのびのびと
鉄柵を越える素振りをしてみせたり
美しい投球フォームを繰り広げたりしている。

わからなくなる。

目にみえる世界
心のある世界


それはわかれていると思っていたけど、
そうではないのかもしれないと今は感じている。



だから心がなくなってしまうことも
心だけになってしまうことも、こわい。







音楽を流していて
英語の曲が続く中に
ふと入ってきた日本語の曲が新鮮だった。

日本語の音の響きは
横に広がるんだな、と感じる。
平たいとよくいうけれど
濡れた土に手のひらをつけるような
音の響きだと思った。

英語は口の中に空間を生む。

毎日のその音の発声は
思考に影響を生むのかなとか
そういうことを考えていたら
カフェで近くに座ったイギリスの男の子とのあいだで
英語のちいさなレッスンが始まった。


× レディオヘッド
○ レイディオヘッド



そして英語だけでなく、教えてくれました。
明日からゴールデンウィークだって。

明日はロイヤル・ウェディングのイギリスをあとにママが日本にやってくるから
この休暇を一緒に過ごせると、とても嬉しそうに話してくれた。

アースクウェイクでナーバス
バット ジャパニーズ はとても フレンドリーで
ジャパンはビューティフル
富士山にものぼったよ
ベリーコールドだった
サンライズをみたよ
ソービューティフル


ゴールデンウィーク

5月3日
5月4日

cafe leuteでMarktです。

本当にすばらしくスペシャルで

ちょっと、はずせません。


稲荷山公園の新緑もすごく綺麗な時期なので
そのままピクニックに流れてみるのもよさそうです。


夜の緑もまた、
気持ちがいいんだ。



やさしい時間を過ごせますように。

 
 

2011年4月27日水曜日

ワールドはピースですか

 
 
 
 

今、この胸にひろがるものが愛というなら
それはとてもいいな

昨日会った人たちが
どんな風に今日をはじめているのか
ちいさな祈りと一緒に
思ってみるような気持ち


駅のホームに降りて
電車がやってくるまでの1分間
そんなことを考える。


乗り込んだ車内には東からの光


女子高生

紺のハイソックス
ピンクのイヤホン










ワールドは
ピースですか




思いをはせたとき
心にかげりがうまれる


そのかげりを
ていねいに
ふきとっていくこと


それは
だれかをたすけるとかいう話ではなく
わたしのこころをたすけるということなのかもしれない



 
 


きみはたいよう。

 
 

 
とみくんがつくってくれたCDを
お風呂あがりに聴いていた。

ピアノを長く習って、
今、ひとつだけ自分に残ったのは

鍵盤から手を離すときは
音の波をよく聴いてね

ということ。

とみくんはやっぱり、音楽のひとなんだと思った。
はじめからおわりまで、ひとつの波のなか。


今日は風になんども体を持っていかれた。
風がやむと不安になった。

体を押す力を失った瞬間
体が見つからなくなるから。



音楽を聴きながら、
昨日 おねえちゃんがくれた言葉を思い出す。

サンキャッチャーみたいって。

いいたとえすぎて、もったいないと思ったけど
サンキャッチャー自体が発光しているわけじゃないんだなと思ったら
すごく嬉しく、受け取れる気がした。

陽光を浴びて、乱反射。




とがさきさんには
まりもみたいというお言葉をいただく。

見た目か?


 



 
 
昨日の朝

青空からアラレが落ちるように唐突に
両目から涙がこぼれた。

どうしてかわからなかったけど、
タイムリミットの感覚が
ありありと体内に湧き起こった。


たぶん、
生命が健全に運動しているということ。



自分を自分で保有しているような感覚にもなるけど
自分もまた世界の現象であるなら
たましいとかたちをもってここにあれるのも
自分の都合だけではいかないから


ここにいられるうちは

出会う人のたましいがうつくしいことと
風景がやさしく変わっていくさまを

みつめていたいと思う。

 
 
 
 

2011年4月25日月曜日

夕にはわすれる。


 
 
 
 
 
すごく目の綺麗な人と会って
話しているあいだ 目を離せなかった。


家に帰って、鏡で自分の目を見てみる。

「コンタクトしてますね」 
「イエス」



もっと無頓着にやさしくなっていいのだと思う。








     Regina Spektor / Us



 



2011年4月24日日曜日

mio in the beauty


虹がでたのだって。



18日、cimaiさんでパンをたっぷりお土産にできたので
冷凍していたパンを持って
ともだちのたけしさんとあいぽんのおうちで一緒にいただく。

あいぽんはリシケシ。

風が強く、ベランダで黄色い花が揺れていた。


ちょうど前日に
みおちゃんの紹介で知った
『自分は死なないと思っているヒトへ』という本を図書館で借りていて
たけしさんがぽっと話してくれたこととリンクする。


都市を夢だという話





ホノカアボーイという映画を最近見返してから
その映画の中の風景や
人のちいさな仕草や言葉が
ふとした瞬間に心に浮かびあがっては
しばらくその中に佇んでしまう。



ホノカア
ビーさんのおうちのカーテンは
いつもしずかに揺れている。


自分よりも
景色が大きくて
声あげて叫んでも
風がすぐに
連れていってしまう





それはやさしいことだと思った。










たけしさんと珈琲豆をひいてもらいにロイテへ行って
お茶を飲んだ。

ツッキーがきて
前に古本屋さんでみて、でもお財布と相談して棚に戻した
RICHARD LONGの『OLD WORLD NEW WORLD』をくれた。
会うまで鞄に入れてくれていたらしい。

RICHARD LONGも、みおちゃんに教えてもらった。
教わって、手帳に記した、彼の言葉


I use the world. I find it.



カウンターの横っちょで
ロイテのふたりと
ツッキーとたけしさんの背中をみて

好きな人たちがいて
しあわせだという思いが沸きあがってくる。


わたしたちは

たまたま 出会ってる。



すごくだいじに思っている人とも
その人に会うことを知ってそこへ行ったわけじゃない。
そこにいたわけじゃない。




前世で兄弟だった?
そんなことはもはやどうでもいい。





たまたま出会って
だいじになる。







わたしは世界がすきだ。











mio → 
takeshi and aipon → 
cimai → 
虹をおしえてくれた人 → 






 






2011年4月23日土曜日

WORLD'S END SUPERNOVA


誕生日にもらったお花が部屋に明るい。
芍薬の季節になったなんて、素晴らしい。
クリスマスローズって、なんでこんなにきれいなんだろう。
あますことなく うつくしさに心震わせていたい。
多分それが、生きるっていうことだ。ぜったい。



おととい
湯船の中で目を瞑ったら
中華料理屋の赤いカウンターでラーメンをすする人の姿がみえた。

ナルトをよけたのはなぜ?




今朝起きたら
すごくすっきりした気持ちで、それからどんどん明るい気分になっていく。
5月からは新しい仕事もはじまる。
あと、行きたい場所へ行く。
その見通しがすっと通った感覚があり、
心が澄んでいる。

気持ちって、自分だけの事情とは思えない。
もっと大きなものの中にあるように感じる。

それなら
もうすこし まかせてみてもよいのかもしれない。
力をぬこう。

あなたはどんな気分だろう。

もし同じものを浴びているのなら
この心の兆しをともにしていたい。
ほんとうにそう感じてる。

虹をみたみたいになりたい。




お腹が減っているのだけど
病みあがりのような感覚が体にあって
あまり食べられない。
お粥をつくっていただく。

お米っておいしいと思った。



昨日の夜中に起きたとき また地震があって
それから頭にくるりが流れて
そこからくるりを聴いている。

WORLD'S END SUPERNOVA








地震が
あっても
なかったとしても

希望と それを見失うことと 希望と

ひとりの人の一生で
そこを何度も行き交うはずだ。

行き交ってきたはずだ。


だからぜったい、
大丈夫なんだ。

そう書かせてほしい。








明日はここへ行きます。 → 
5月10日までの企画展、
ぜひいかれるとよいなと感じています。





 













2011年4月22日金曜日

朝の出来事。



朝、水筒を倒して床にお湯をこぼした。
ほとんどすべてこぼれて
でも床拭きができてよかった。


夜中に目が覚めてから
ぼんやりと
やさしさについて考えた。

目に入る人はみなやさしさを宿らせている。
わたしはそうなりたいという憧れだけで
やさしさが足りていないと感じた。

高校時代、倫理の先生が話していた
「やさしい人は自分がやさしいと知っている」
という言葉が降ってくる。

(やっぱり、欠けてるんだ)


それでやさしさって
なんのことだったっけ。


午前3時43分

アナーキー・イン・ザ・ムジークとばらの花の間に秒針の音2回






明るくなった部屋のなか

沸かしたてだったお湯で
床を拭きながら思った。



誰かにやさしくするということは
その人にやさしさを受け止めてもらう必要があって

それはまたもや
やさしい話だ。


やさしさを受け止めてくれる人も
やさしいし
やさしさをわたしてしまう人もやさしい。




それでやさしさとは
なんであったか。








選挙カーの破壊力あるポジティブシンキングにも
わたしたちの朝はかき消されない。

自転車を漕ごう。










(ちりん、ちりん)
参加ちかづいてます。

Tシャツはじめます。 → 
なおちゃんと! → 

2011年4月21日木曜日

ワールド イッツ オーバー バット 


  YUKI / ひみつ





昨年の夏、
乳がんで乳房をなくした方についての
ドキュメントやニュースを
TVをつけると、している。というタイミングが重なりました。

その中で
とても印象的で
ずっと心に残っているものがあって
それは
乳がんで乳房を失った方のための
ある下着についてのレポートでした。

片方の乳房を失うことは
精神的にも深く傷つくことだし
それに加えて
左右のバランスが崩れることで
肩こりや頭痛など身体的にも大きな負担が加わるのだそうです。

そこで
下着の
失われた乳房側に、乳房と同じ質量を加える必要が生まれます。

そこで特集されていた
下着は
失われた乳房の重みを
真珠で補っていました。

もちろん
真珠は
絹の中に包まれて
おもてへはあらわれません。

でも
すごく美しいその施しに
胸が熱くなりました。


失った乳房に
美しい真珠をあてること。




ファンタジーだけが届く場所がある。






そのレポートが
忘れられなくて
心の背中に
いつも貼りついているみたいでした。

震災のあと

またしずかに 思い返すことが
重なっています。








 







2011年4月20日水曜日

世界へのプルーフ



わたしはここに
でっぱっていてよかった

きみのやさしさをリフレクト

それがここにいま、ある。
















ローズマリー
クリスマスローズ
ヤンソンの小屋
メールメール
ハグ
パン


自分が大切に思われるということについて
人は鈍感かもしれない。

わたしもそうなのかもしれないとここ数日感じた。


ただ
ここにいることが嬉しい。

自分がここにいる。

∴ ゆえに

彼女たちの
彼らの

やさしさを 浴びることができて

その うつくしいのを
感じ
見つめることが
でき

世界にそれが
ある。
ということを

あらわす 一部になれる。

きみのやさしさが世界にたちあらわれる働きの
一部になれる。

それがすごくすごく
うれしいです。




どうもありがとう。






 



2011年4月19日火曜日

nikki



駅を出たら光が眩しかった。
図書館の駐輪場に停めていた自転車に乗って坂道をくだる。
ロイテで温かいものを飲んで帰ろうと思う。

チョコミントのスコーンをついに食べた。
チョコミントにはすこしばかりうるさい。
それはロイテのふたりも一緒と知っているから
チョコミントに関しても
わたしは彼女たちを信頼している。

そしてロイテのチョコミントスコーンは
すばらしくチョコミントでした。

ふたりの笑顔に会えて本当に嬉しかった。
胸がいっぱいになって、
ハレーション起こしそうだった。




cafe leute → 

インザピース



電車を1本逃した。
まっすぐ進めば遅刻しない。
信号は全部青だった。

駅のホームは
涙のあとみたいでした。


泣きすぎて
喉の奥も痛いし
頬もひりひりするし
でも泣き終えたから
すっきりしている


そういう時の感じに
似て見えました。


雨あがりの
冷たい午前の風が
旗を震わせていました。


ハナミズキの赤い色が
目に残っていました。


わたしはあなたをなぐさめますか
世界はあなたをなぐさめますか


書類の白が
目に迫ります。







インドにきみはいますか



神戸にきみはいますか



ロンドンにきみはいますか



汐留にきみはいますか



三茶にきみはいますか






バイクに乗って

道を走っていますか





キッチンでお湯を

沸かしていますか




ミシン針に

糸を通していますか




雑貨屋の真ん中で

呼吸をしていますか







なにをしていますか








私は電車に乗っています

2011年4月18日月曜日

からだにピース




朝、起きてから
『からだにピース』
『からだにピース』

カルピスのコピーが
頭のすきまにふと流れてくる。



イエス、
ピース

29歳になりました。



あなたにピース



いつでも。

2011年4月17日日曜日

飛行機雲ほどけた。





帰り道、自転車を取りに
いつもと違う入り口から稲荷山公園へ入った。
その入り口から前に入ったときは
バレンタインで夜から大雪になった。

前に進むのも大変で、短い睫毛にも雪が重なって
そのぜんぶがすごく嬉しかった。

八重桜を見上げている女の子がいて
みほちゃんかと思って近づいたら人違いだった。

数人のランナーがいたがイノウエさんの姿は今日もなかった。

2011年4月16日土曜日

手をうごかす。


ずっとだいじに握っていたものが
影も形もなくなっていることに気がついた昼間。

16日か、と思った心は
ひろびろとして
かなしかった。

時計をみたら14:44だった。

水の中から顔をあげたみたいだった。

わかった、と思った。

もう大丈夫、とも思った。

大きな視点が世界にあてられたような感じがした。


もう何もこわくないと思った。

守ろうとするんじゃない、
愛するんだ、と思った。



夕方、なおちゃんを入間市駅までむかえに行った。
かけてきたなおちゃんを見つけて嬉しくなる。

春に包まれているみたいで。




Tuuliの窓際で
Tシャツのロゴを書いた。

ふたりで物語をつくって
触れた景色に胸がいっぱいになる。

そこに確かにいたみたいに。





ハナミズキが開こうとしている。


誕生日前の月 黄色

フライングプレゼントは
ともしびのブローチで
おととい開いた絵本と繋がる、

『きょうというひ』





閉店後のleuteを借りて
出来上がったauroraのTシャツ


いい言葉を
刷る、刷る。






もう二度と会えない。
今日のきみには。

ぜったいに、
それはぜったいなんだ。

今のわたしには
明日も幻だ。

でも船出した。

明るい種をまく。


後悔も期待も
かなしいくらいに
意味を成さない。

してしまう。
でも、
淡い期待を浮かべてる暇もない。

今しかないんだもん。










2011年4月15日金曜日

cycle





気がついたら4月半ばだった。
バンテリンをヒラメ貼りして完璧な今日だった。





Priscilla Ahn / Dream

2011年4月14日木曜日

ringdong


Judee Sill / Blackbird ( The Beatles)



アルバイトの後、新宿の世界堂へ行く。
夕方になっても西武新宿線の車内は電気が消えていて
西日と影の往来。
わたしたちはあらわれたりねむったりいそがしい。

わたしは学校のことを思い出していました。
放課後の教室の戸を開けると
逆光で影になったクラスメイトがいた。
一日はゆっくり傾く。
葉桜の頃、重たいブレザー。


新宿は相変わらず人がいっぱいで
どの人のこともわたしは知らなかった。





テレビのニュース

都会の人の波


黒子はいないの 舞台じゃないんだ

本当がわからなくなって

道のむこうから

きみがあらわれたらいいと思った。

おはよう



こう伝わらないように、
と気をつけて伝えようとするときほど
そう伝わってしまう気がする。

これを伝えたい
という気持ちで
受けとる時間を含めながら
ゆっくり伝えることが
大切なんだなと思った。




今日をはじめる。

2011年4月13日水曜日

絵は扉



絵を描くときに、
絵筆を拭くタオルやティッシュが
絵の具で染まって
ちいさな頃からそれを
いつも綺麗だなと思っていました。

描いた絵よりも、眺めて。


いつか一緒に絵を描こう
と話していたyotiさんと 
絵を描く機会をいただきました。


5月15日、
yuzuriさんで開かれる こんこん市でのことです。

yotiさんは きつねヨーガ という
ヨガの教室を持っていらっしゃいます。

こんこん市は、
きつねヨーガのみなさんや
yotiさんと繋がりのある方々がそれぞれにお店をひらかれます。


 今回、
yotiさんと一緒に

yuzuriさんの小屋の壁に
市のあいだ、絵を描かせていただけることとなりました。



yotiさんと
yuzuriという場所で描かせていただけること
また、描いたその絵はその日かぎりで、消す
ということ



yotiさんとは
今回でなくとも
一緒にまた 絵が描けると思いますが


今、一緒に描きたいと
素直に強く
感じました。


どんな絵が描かれるか
その日 一緒に見届けられたらうれしいです。

そして
その場にもし
一緒にいることができたとしたら

それは
一緒に 絵を描いている
ということだと
思います。


きつねヨーガ → 
yuzuri → 

おはよう

ヘッドライトをつけた人たちが
山手線みたいになって夜の公園を走ってる。

光はぶれずに前を射す

この中にイノウエさんもいるのかな、と思う。


じゃがバタの露天からラジオが聞こえてくる。
何を話してるのかわからない、
男の人と女の人の声がアップダウン
風の流れで。


嵐の桜井くんだ。
コマーシャルになってナレーションがくっきり聞こえた。


足元には桜の花びら








イノウエさんはまだ通らない。

ランナーのヘッドライトはまっすぐ前を射し続ける。

足元を照らしては
走らないのだなと思う。



ラジオの音が止む。
露天が片付けられる。


焼きそば屋はとっくに撤収していて
オレンジのビニールシートにくるまれた屋台の沈黙。


明日になったらまた
今、背後でトラックに荷を積み始めた人たちが
ふとんから出てきて
トラックを走らせ
ここに着いて、荷をほどく。

夜になると
イノウエさんがぐるぐると走り出す。

わたしはそこにもういないだろう。





ヘッドライトは正面を照らす。




夢みたいな
明日の予定。


たぶん、たぶんの世界。



照らしていてよ、
正面。

ヘッドライト