2011年9月29日木曜日

秋のおやつとショートショート

10月1日から、ひそかに進めていた企画が動きだします。

cafe leute×aurora
秋のおやつとショートショート


ロイテが秋のおいしい(といえば…じゃーん、栗!)を使った
スペシャルタルトをデザートとして登場させてくださいます。
そこにすっと、私と田中奈緒ちゃんふたり(auroraという名前で活動しています)で書いた
ショートショートを添えさせていただきます。

オーダーしていただいた方には
おいしいおやつと一緒に
小さなお話もたのしんでいただけると
嬉しいなと思っています。


恋の話なのですが
5月のマルクトで販売させていただいたTRUST ME Tシャツに添えたショートショートの
続編にもなっています。


奈緒ちゃんとカフェで打ち合わせをしていたら
隣の席の女の子たちが恋の話に湧き立って
つい耳がダンボになりました。

そこでひとりの女の子が
「結局DNAが惹かれるらしいよ!」と熱弁していたのがおもしろかったです。

登場人物たちが、どうなるのか
わたしたちも気になっていたから
つづきを書けたことが
嬉しかった。

そうしてまたまた、つづきを書いていくと思います。


書きながら
おなじ時間が流れる上を
生きられることのやさしさを見た気がします。


関係や思いが、変わっていくこと。
重なること
離れること



つづきのつづき
いつもいつかのつづき。


おたのしみに!

2011年9月24日土曜日

信じる。

 
 
 
 
 
朝起きると、窓から見える空が高い。
近くの中学校から、鼓笛隊のタイコの音が聞こえてくる。
窓から冷たい風が静かに寄せてくる。

ぽかんと明るい空だ。
この下にいる人がどうか漏れなく幸福であるようにと思う。
右へも左へも行けなくても
空だけはいつもぬけている。

おじさんが倒れた。
息つめる人たち。それでも朝がくるとすこし、心が緩む瞬間があって
もそもそと朝食をとったり
眠ったりする。

一晩のうちにおじさんは左半身不随を告げられる。
一瞬で、何かが、絶対的に変わる。

それでもそれは、終わりじゃなくて
いつでもこれまでの続きで
これからへ続く瞬間。

おばさんがいつも文句を言っていた長男のりょうちゃんが
今、おばさんを支えて、おじさんの勤務先への連絡や交渉など全部やってくれているという。

りょうちゃんは元・超ヤンキーで
聞けば聞くほどどうしようもないような話をいくつも持っている。
だから親戚が集まると
「りょうはどうしようもない」としばしば話題にのぼった。

そのりょうちゃんが今、誰よりも家族を助けている。


時間は流れていて
生活は続いていく。
「もうだめだ」という瞬間をいくらでも越えていく。



電源を落としても、世界は消えない。

本当に辛い瞬間はそのタフさにいっとき絶望するけれど
過ぎていったとき
そこに宿っていたのはどちらかというと希望らしきものであったと
きっときっと、気がつく。
 
 

 
 
 

2011年9月23日金曜日

手をつなごう

越えられないなら、くぐっておいで
という言葉を
いつか銀色夏生さんの本に見つけて
その言葉を思い出すと
心の奥に
しずかに力が湧く。

昨日の朝の空は
台風一過
美しくて

中学の卒業文集の田中先生の言葉には

疲れたら空と木を見ればいい
と書いてあったのも思い出す。

田中先生は
そうやって
何かを乗り越えてきたのかな、
もしくは
くぐってきたのかもしれないと思った。




遠くを見ると
背すじがのびて
呼吸が深くなる。




笑うと
お腹のおくまで
空気が入って
体がすこし
新しくなる。



朝、
メールに添付されたちいさな友達ともちゃんの写真に
元気をもらって

夜、
電話でともちゃんにそのことを伝えたら

「そうだったんだー。それはうれしいなー」

とあかるい返事があった。

生きてるということは
それだけで
あらゆるものに知らず知らず
支えられているから

ひとりぼっちに
いつでもならなくていい。

2011年9月20日火曜日

見えないものには祈るという方法で関わればよいのかな

 
 
 
 
 
シャーシャーと細かな雨が降って朝から肌寒かった。
道端に彼岸花が咲いている。彼岸入り。今日は道が混んでいた。 
 
 
 
 
 

2011年9月18日日曜日

アンサー 

いろいろなことがあるけれど
「悲しいこと」っていうことはないのだよなと
帰り道にふと思った。

そこにあるのは
出来事と
悲しみを感じる心で
悲しみは出来事にあるのではなくて
心の中にあるんだと思った。

そう思うとすこし、
隙間ができて
その隙間の質はどちらかというと希望に近い予感がした。

隙間があることで感情ではなくて出来事へむかう行動を導きだせる気がするのと

悲しみが自分の中にあるのなら向き合うことができるし
人の中にあるのがわかるなら、その人の隣にいることができることとで。たぶん。



秋の夕方においしいにおいが風にのると
やさしい気持ちになる。
誰かが待ってくれている記憶がよみがえるから。
 
 

2011年9月17日土曜日

月のちかくに見えるのは木星というはなしです。

久しぶりに美術館へ出かけた。
国立近代美術館で開催しているイケムラレイコさんの回顧展をみてきた。

海の生き物みたいな
まだひとのかたちにならない胎児みたいな

そうほんとうにそうだ、ポニョみたいな
尾びれのようなスカートのようなもの広げてる
少女たちの像

なんだか涙がでた。
顔をちかづけてみてたら
からだの中でなにかが「アイラブユー」といった。

やわらかいまっくらやみからやってきたこと。
血肉をわけてもらってかたちになれた。



(だからあるだけでほんとはいつもあいかもしれない)


どんな気持ちで、ものをつくりだすのだろう。




都内をぐるぐるして
帰り道にロイテへ寄ったら
話している間に外が暗くなって
小さな電球が星みたいに光る。

なんだかひさしぶりな気がして
話とびかわせているうちに
まるい気持ちになってきて
このままあっちにこっちに話ころがせながら
眠りたいなぁと思う。


小島さんの野菜を買って帰ってこられたので
明日のお昼にいただこう。





仕事で人に触れるとき
どんなちょっとのときにも気がそぞろにならないように気をつける。

慣れないときに早くしなきゃと焦って痛い思いをさせたことがある。
触れることに遠慮しすぎて逆に我慢させてしまったこともある。
すこしずつすこしずつ、力の入れ具合がわかってきた。
急ぐときこそ心をぶらさない。
指先ですませようとしないで
ちゃんと手のひらをあてること。


ふと自分のからだにひとの手が触れたとき
相手のきもちがどこへむいているのか
こんなにも伝わるものかと知る。


こころのどこかでずっと
あこがれている手がある。

 
  

 

2011年9月16日金曜日

やさしい目

 
 
 
 
 
 
フィッシュマンズの『チャンス』を聴きながら
駅を出て、自転車乗って、坂道くだった。




Let's get 欲しいものなんて そんなにないよ 何にもないよ
サンドウィッチ 口につめこんで あなたが来るのを 僕は待っているよ

FISHMANS/チャンス





月の近くに浮かんでいた星はなんだっただろう。
 
『富士日記』を読んでいるあいだ、百合子さんの目の中にいた旦那さんの泰淳さん
ここのところは彼の書いた(百合子さんによる口述筆記だそうである)『目まいのする散歩』を読んでいたから
泰淳さんの目の中の百合子さんを見つけてた。
 
 
 
人と生きることは
たくさんの人の中に自分があるということ

自分の中に
たくさんのひとりひとりがあるということ

やさしい目で見てる。


人を信じるそのときに
その人の中にいる自分も信じようと思う。


 
 
やさしい目で見てくれて
どうもありがとう。
 
 
 
TSUTAYAに寄って帰った。
 

2011年9月13日火曜日

遠くで誰かがあなたを思った瞬間、知らぬまますこし、あなたはいい気分になる。ちいさな魔法は常に行き交っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
電話が終わってしばらくしたら、鳥が鳴いて東の空が明らむ。
すこし寝ようと思った。
 
 
 





残暑のなか
コンビニで祖母にアイス買って帰る。
家に着くと、玄関からすぐの部屋にいる祖母から呼びかけられ
「アイスが食べたいな」
とちょうど言う。
「買ってきたよ、おばあちゃん。テレパシーかね」
そう返事してチョコモナカ・ジャンボを渡す。

食べて半分かなと思っていたけど
にこにこしながら全部食べた。

そのままアイスを食べる祖母の隣で読み途中の本を開く。

祖母の部屋にいると読書が進む。
祖母は目を開けていても眠っているみたいで
薄暗い部屋は静か。

「爪のびてない?切ろうか」
と聞くと
デイ・サービスで切ってもらったということだった。
 
 
祖母とふたりでいると
今、目の前の時間が
昔のことであるような
起きているのに

眠っているような
しんとした気持ちになることがある。
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 

運命を頼らない。偶然を愛して手を動かす。

月が綺麗な夜でした。


朝夕はもう涼しくて、ずいぶん過ごしやすい。
気温が高くても光の色が秋で心が澄む気がする。

 
帰り道、電車の中でずっと大きな声で電話している人がいて
日本はもうだめだ、何も変わらないというようなことをずっと話していて
なんとなく、底空しい気持ちになった。

そしてなんとなく、自分のことが恥ずかしくなった。

わたしも電話で話してるその彼と同じことをしていると思って恥ずかしくなった。

ほんとはそれがすごく小さくても
自分ができること
自分が変わることを見つけて始めることの方が
当たり前の勧善懲悪を説くより現実的で具体的なのに
自分は動かないで大きなものを批判する。

きのう書いたこととかも
そうだよな、
わたしじゃあ、何してるんだろう。と思った。


 
 

2011年9月11日日曜日

9月11日に思ったこと。

暗くなるのがはやくなって、
日中陽射し浴びた半袖の腕にも
さらさらした夜があたる。

虫がシャーリーリーと鳴いている。

昨夜、ふとんを並べたわたしたちは
3時を過ぎるまでぽつぽつとずっと話しつづけていた。

疲れているはずなのに
心も目も冴えて
今夜しか話せない会話があるような気がして
眠ろうとすることができなかった。
 
 
 
今の仕事は契約期間があるから、
その先自分が福祉の仕事を続けていくのか
今はまだわからない。

それでも
「期間を終えてもやめないでほしい」
と介助にあたっている方から言われたとき
なんとなくすなおに
うん、と思った。
どういう関わり方、働き方になるかは
わからないけれど
福祉という分野にひらいていたいとは漠然と思う。


だいたい、
老人介護に関していえば、自分が弱る、老いるという想像はしやすいと思うけど
障害にしてみたって、本当にいつ、自分が社会から障害者と位置づけられたところに立つかわからない。
万人が。あなたが。わたしが。
だからぜんぜん、他人事じゃなくて自分のことのはずなのだけどな。
自分が幸せに生きるためのことなんだけどな。

今の行政からの支援では障害者が自立して生きるには負担が大きく
現在だと特に被災地で「当事者」と「健常者」のギャップが目に見えるかたちで
あらわれていると思うのだけど

ある人が
障害のある人の負担が大きくて生活できない人たちがいる現状があり
その改善を求める交渉で行政の担当者と関わったとき

「障害者には生きていてほしくないのかもなって思った。
 わたしたちがいなくてもいいって、この人たち、思ってるんだなって思った」

そういう風に感じた、と話してくれて

なんつーこっちゃ…と思った。

それを言わせたのは、わたしでもあるんだなとも感じた。

 
 
どうしたら、

あたりまえに人が幸せに生きることができて

宇宙の中の、星の上の「人類」に所属する感覚をもって、多様な生物のちいさな一部として
うまく生きていけるものかな。
 
 
 




関われば関わるほど、
赤い障害者手帳をもった人も
青い障害者手帳をもった人も
ただその人であるだけっていうことがわかる。


手帳があったってなくったって

どの人もみんなばらばらで
それぞれのかたちで

そういうことなのだよな。



 
じぶんがじぶんでありたいように

わたしは

ひとがひとであること

それがそれであることを

許せているのかな。
 
 
 

たまたま隣にいる人を、たいせつにするということ。

 
 
深夜の帰り道、彼女が
「すこしでも今関わっている人たちって前世でも出会ってるっていうでしょ。
どうなっているのかな。どうして出会うんだろう」
と言った。

「本当にそうだとして、わたしたちも出会っていたのかな」
と呟いたら
「きっと出会っていたと思うよ」
と彼女がこたえて

それが本当でも嘘でも

何度も生まれ変わっていたとして
今わたしと彼女が出会ったことが「再会」だっていう風に

彼女が感じてくれたことが
涼しい風がふっと渡るみたいに、
やさしくて嬉しくなった。
 
 
 
 
『ホノカアボーイ』という映画があって
春に、よく観返していた。
 
 
人は人に出会う。

出会って関係が生まれれば

偶然のぜんぶが必然のように感じられ

出会うべくして出会った、なんていう風に思ったりする。
 
 
運命というものがあって
前世やら来世やらなどというものがあり

実は何度も出会っていて、今生でも会おうと約束があるのかもしれないけど

そんなことはぜんぜんわからないし

わからなくてもいい。


わたしたちは結局、

たまたま出会う。

たまたま出会って、そこからはじまっていく。
 
なんてやさしい。 
 
 
もしかして、にくにくしいような、誰かと出会うことも
あるかもしれないけど


でも。


今、たまたま隣にいる人とのあいだに

「運命」がなくても
「奇跡」がなくても

だいじにしたい。


たまたま隣にいるという

なんでもなさの上で。
 
 

2011年9月10日土曜日

ヘリコプターの金色が月に向かってあがっていく。


中学校の卒業文集に
学年主任の田中先生が書いた言葉を
ときどき思い出す。




眼差しを遠くに投げること
愛するものをたくさん持つこと




秋の夜はきれいだなぁ。

浮いている月が明らかで、
地球人は電車に乗ったり
すこしゆっくり帰り道をたどったりする。

2011年9月9日金曜日

すくわれますように。このよのあらゆることの、ちいさなしんしさのすべて。

光の具合が変わって急に秋めいた一日だった。
季節が変わることがこんなに美しいことなんだと
驚きとともに新鮮に感じる。

ずっと活字が追えずにいたけれど
ようやく最近本に向かえるようになってきた。



『ガールフレンド』しまおまほ
がよかったです。
やさしいといじわるととおいとちかいとそこにあって。
まほちゃん・・・!
 

今は『目まいのする散歩』を読んでいて
奥さんの武田百合子さんについて書かれた文章を見つけると
うれしくなったりする。
散歩の描写から話題が転々と変わっていって、
変わった先の情景ひとつひとつ生々しくておもしろい。

身近な土地の当時の様子が感じ取れるのもおもしろい。
 
 


~のため。ということをここのところの自分は意識しすぎていて
目的のないものや瞬間を見過ごしてきた気がする。

 
本を読むことはためになるから読むわけじゃなくて
ただおもしろいから読む。

そういうことを
体がもういちど受け入れられるようになってきた気がする。
 
 
わたしはずいぶん、
つまらなかったのではないかな。
 
 
 
 




 
 

2011年9月7日水曜日

素直であること。いつでも。

 
 
 
時間があればとにかく眠った。
今朝起きたら、体が軽い。
深海から上がった気分。
ダイバースーツを脱ごう、こうしちゃいられない。

山から冷たい風が流れる流れる。
街のすべてが清流の通り道。

 
そんな朝には調子がよいもので
嬉しい手紙が届いたりする。


9月17日から10月2日まで
入間市のジョンソンタウン内acht8で
ayacoちゃんの個展がひらかれるそう。

(20日、26日、おやすみ)

http://ayacot129.blog90.fc2.com/
 
 
DMの絵は最高で
わたしはどきどきする。

今、窓の外に見える山々がそのまま、絵の中にあるみたいだったから
 
目の前の世界と
小さな手紙の中の絵がリンクして

心が動いてしまう。
 
 
 
 
大学のときの後輩の男の子が
今も文章書いてるって知れたのも今朝。


なんだ、嬉しいじゃないか。


どきどき。


まだまだ、楽しいじゃないか。
 
 
 
 
 
わたしも絵が描きたいよ。

世界って、みんなで作っているんだよね?
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしはわたしのパーツを、動かそう。
油さしてさ、いつも。

疲れたら休もう。

なるべく笑って働こう。

好きな人に好きと言う。

ごはんはおいしくいただく。

怒ったら深呼吸。
 
 
決めつけはじめたら注意深くほどこう。
 
 
 
草がふるえる音をみのがさない。
 
 
やさしいはやさしいのまま。
 
 
思っている以上にいつだって
愛されているのだ。
 
 
信じよう。
 
 
 
 
 
あなたの耳の横の髪をいま
世界のやさしいがつついています。

手を触れたら
挨拶してみてください。

どうやらやさしいは
あなたのことが好きらしく、
ずっとそこにいたみたい。
 
 

 

 
 
 
 
 
ピース。
 
 
 
 

2011年9月6日火曜日

トレモロ








台風明けの空が高かった。


駅までの道に黄花コスモスが咲いている。


魔女の宅急便を見なくては。



台風が過ぎたら歯痛がおさまる。


そういう具合にできているのか、と思う。




ピース、

ピース。

2011年9月4日日曜日

電車の中の人はどんなにそれが速く移動していたってゆっくり新聞紙をめくる。

 
 
重たい潮水を浴びたみたいにどっぷり眠った。
目が覚めたら暗くなっている。
サンダルを履いて自転車を漕ぐと
まだ浅い夜は穏やかにたなびく。
台風が過ぎたんだと思った。
 
 
 
昨晩も夜勤でそれはいかんことなのにものすごく深く眠ってしまった気がする。
時々、目を覚ますと冗談みたいに激しい雨音がした。
背中を持ち上げるような強い揺れが一度あって、目を覚まして「今、地震?」と確認して
余震があるかしばらく体を硬くしていたけど気づいたらまた眠っていた。
 
 
 
台風のあとは空気が掻き回されて
澱みも浮き上がり流されて
きっともうすこし健やかな心持ちで生活できるような気がする。
 
 
 
今日の夕方過ぎ、重たい眠りが晴れたら
本当にずいぶん、変わったんだな景色がと思った。
新しい世界にはあまりまだ慣れなくて
いつもどこか心もとない。
それともまだ移動途中なのかもしれない。
 
 
手をつなごう!と思う。
 
 

2011年9月3日土曜日

エナジーはここにあるよ、セーラームーン!

 
最近ブログのタイトルがおもしろいね、と言ってくれたあいぽんが
今日のタイトルは一緒に考えてくれました。
ムーンプリズムパワー!
 
 
 
インパクトの強い出来事が続いて、
昨日と今日のコントラストにうたれてしまう。
心を繋ぎたいなと思うときに
手作業に集中する機会がありがたい。

 
ここのところ、手作りのものをプレゼントでいただいたり
お手紙をもらったりすることが以前よりも増えて
そのひとつひとつがとても嬉しい。
 
 
時空を超えるメールはすばらしいし
相手の喜ぶ顔を想像しながら色んなお店をプレゼント探して歩くこともとても豊か。
それと並んで、
その人の手から渡されるものの喜びをまたあたらしくあたたかく感じる。
 
 
 
きつねyogaのよちさんと、Tシャツを作ろうという話もゆっくり進めることになったけど
わたしもだいぶ気分が変わっている。
 
Tシャツを昨年はじめてシルクスクリーンで作って、
毎年作っていったらおもしろいだろうなと思っているけど
今の気分のまま、来年にいったとしたら
一着一着、ハンドメイドくらいのことになりそう。

 
なんだか、すごく変わってしまった。 
 
 
 
明日、4日の日曜日には
幸手にありますshureという素敵な場所で
「つなぐもの市」が開かれます。
http://shure.jugem.jp/

それぞれの方の、大切にしていたけれどもう不要になったものを
次に大切にしてくださる方へ渡していく
そのような市です。

わたしも20冊ちょっと、本をださせていただきました。
特別手に入りにくいような珍しいものはありませんが
「今このときに、誰かにパスしたいもの」
というのを意識して選びました。
中には今も手元に置いておきたい本がありますが
それは本の中のアイデアをシェアしたいという思いで出品することとしました。

すてきなお品が並ぶことと思います。
ぜひおでかけください。