2011年11月27日日曜日

朝、昼、夜
あっという間にぐるりと廻る。

自転車を漕ぎながら
裏ぶれた気持ちになった昼間

夕方の再会のあとには
心はパンみたいに膨らんだ。


わたしは手が冷たいけど

この手に触れた人いつも
「つめたい」と言って
包んでくれる。

ひとりになって
何気なくもらったその瞬間を思い出すと
かたまった心が溶けて泣きそう。



駆け込み乗車の車窓から金ピカ夕日


わたしはケチ

自分が足りないと思うとたちまちあげられない

でもこんなに注ぎこまれてくる


溢れる優しさで桜咲きそうよ

まとうこと

昨日はロイテまで
s-clothes-treeさんの
冬の展示会へ行ってきました。


色のバリエーションが多くて
その場に居合わせたみんなで悩む。

たくさん試着して
似合うものを身につけた瞬間
みんなが、わっ!と明るくなる。


サオリさんがワンピースを
試着した方の体型に合わせて詰めていく佇まいが
綺麗で
しずかに胸うたれる。



ハンガーにかけられたお洋服は
そのままでもキュンとする佇まいなのですが

肌に合わせると
それぞれの表情になって

それが本当に感動的。


その人にピタッとくるものを身につけた時の
本人も周りも
明るくなる感覚。

こんな風にお洋服を選べることって…!


だからぜひ

気になっている方は
実際に行かれた方がと思います。

今日、日曜日まで。

2011年11月25日金曜日

きみはピース

ケストナーの『飛ぶ教室』を読みはじめました。


わくわくしながら読み進めて
ふと
そうか彼らは本の中を生きてるから
目の前の世界の続きには、いないんだなぁ
と思うと
ぽかんとする。


こんなにいるのに、
会えないんだなぁ
と思う。



こんなに心にいるのになぁ

それはもう、いるのに。



思いながら
同じ電車に乗り合わせた人たちを見れば

どの命もかたちをもってる。

かたちをもっているということは

何かに愛されてるってことだと思った。

2011年11月23日水曜日

a piece of rainbow

これは道具であるので
これだけでは完結しない。
自然光が反射すると
壁に小さな虹ができるのですと。
すごく美しい道具。
ツールツール。

今日もらったもの。


自分も道具だなと思う。

何かがあって
作用する。

作用して生まれる現象がある。

現象だから
それは保持できない。

反応しあい
生まれる景色があるけど
それは
反応によって生じているものだから
それは運動だから

ずっとは保てない。
今この瞬間その時の幻のような、本当。
実体はない、本当!



世界って綺麗。
そしてどんどん、本当に移り変わっていく。


目的に向かって日々を生きるとき、特に、
手順をふみ、
行程を超えていくとき、
1→2→3

直線的に進行している感覚があるけど

じつは

タン、
タン、
タン


進めていく、という発想ではなく

作用、反応、現象
=変化

変化を発生させ続けてるって
発想にすると

見え方が
変わるところがあるような気がする。


時の観念を変える。

インマイマインド

『夜間飛行』を読み終えた。
二木麻里さんの訳で光文社古典新訳文庫のもの。
夜空に置いてけぼりにされたようだ。
終わらないエンドロールの中にいるみたいだ。
 
かなしいのに、ピカピカ光っている。
 

目の前の人と出会うのは奇跡のかたまりだけど
そうなるしかなかったことだとも思う。

生きているだけで
もうそれだけで
最高におもしろい。
そう思えないときも時々あるけれど、
でも人間は真面目で美しい。

ただそこにいればいいんだよって、
本当にそう思う。

紅葉した葉が光をチラチラ照らし返すの美しい。

ただそれだけ。

それ以上のなにもない。

意味をつけるのは心。

木々はあるだけ。

日は射すだけ。

いつもそれだけ。

2011年11月16日水曜日

memo////

毎日 毎日
奇跡みたいだなと思う。

koro美容室の本棚で見つけたゴフスタインの絵本の中に

よろこびとかなしみは
にじのよう

という言葉があって忘れられない。

虹のようなのだって。

真剣勝負の蜃気楼。
うそをついていてはもったいないけど、
足をとめてまるくなってうじうじすることさえ
見逃されて許されている。

自分を特別扱いしないで

ダンスダンスダンス。

2011年11月12日土曜日

ワールド イズ

駅へ向かう途中
七五三のお詣り帰りか
ふた組の家族とすれ違った。




おじいちゃんおばあちゃんも一緒に
家族中がきれいな装いをしている。




お母さんの白っぽいストッキングの足と
ヒールの靴


おじいちゃんおばあちゃんの歩幅で
家族はゆっくり進んでいく




目の前の景色と
自分の過去がリンクして


ブラウスの大きな襟や
レースが嫌だったこと


わけもわからないまま
退屈で


だいじにされていることにも
無造作でいられたことを
思い出した。






今は
おじいちゃんはいないし
おばあちゃんは歩けない

あの時
おじいちゃんやおばあちゃんは
この家族の続きには
もう自分がいないだろうと
感じる瞬間があったのだろうか。


お父さんとお母さんは
何をみていたんだろう。


ひとつひとつのことが
いつでも奇跡で


それでも
なかにいる時はそうと気づかず
当たり前のように享受して
新聞たたむようにこともない

めんどくさくさえ感じてる

朝昼晩


消えていくことよりも
今目の前に浮き上がる世界に
視点を
合わせていられる
人の幸福が

どういったわけで

わたしたちはどういったわけで。




 
 



この気分のつづきの映画

『永遠のハバナ』
『歩いても、歩いても』


 
 
だいたいどうしてこんなふうに
始まったのか続いていくのかもわからない。

神様のあくびの中にいるような気分だ。
 
手綱になるような意味がほしくなることもあるけれど
探している間に神様の口は閉じてしまう。
 
意味なんてないというのが
今のわたしのこたえ。

もしかして
生まれてくる前に地図を持ってくるのだとしても
なくした地図を探して歩くより
降り立った土の上を心身つかって探検する方が懸命だ。
 
 
それは覚悟するということ。
 
 
 



2011年11月11日金曜日

namioto nao to mio to naomi to


この間、
なおちゃんと思い立って新橋まで野田凪展をみに行って
みおちゃんに連絡したら偶然銀座に出たところだったらしく
すぐに歩いて会いに行けて
ひととき過ごせた。


その時に写したふたりの写真を携帯の待ち受け画面にしている。

明るい気持ちになる。

2011年11月7日月曜日

ピースが電柱にひっかかっている。

大学の新館みたいな
広く平らな窓辺の席で
電車が何本も行き交うのを眺めている。




まだ浅い夜の中を
明るい窓が流れていく。
きれいだなと思う。








0時をまわって自転車漕いで
角を曲がって空がひらけたら
星粒
西の空の月。








一度眠れば
次の朝がくる。




音はしない。

2011年11月6日日曜日

ゴー、ドリトル、ゴー

スーパードライにはほど遠い。
感情の大波かぶって超ウェットだ。


舵をとれ。




足下をみていては沈んでしまう。
荒波を越える秘訣は
まっすぐ遠くを見ること。


小さく迷わない。
怖がらない。


笑う。










ロイテのふたりの旅は
きっと大成功!
胸をあたたかく膨らませて
帰国する彼女たちを私は知っています。


わたしも靴を履こう。


とまってるから迷うんだ。

2011年11月2日水曜日

やさしい風、ひかり。

ダイの大冒険でいうところのポップ
ドラゴンボールでいうところのクリリン
バガボンドではまたぞう。
ワンピースではウソップか(読んでいないのでちょっとわからない)

圧倒的陽の存在を担うヒーローの隣には
「卑怯な気持ち」「弱い気持ち」「理想への批判」といった表現を担う彼らがいる。
 
人間的な感覚・共感の役どころ。

物語が進むにつれて
彼らはどんどん成長していく。
自分の弱さをある段階で乗り越えて強くなる。
(乗り越える瞬間がいつも大きく物語を動かす)
そうしてときにはヒーローの一番の理解者になるし
ヒーローの視界からはずれた存在への繋ぎ役となる。
陰が光に転じて自身の中にヒーロー(陽)が宿るから
ヒーロー(外的存在)あってのキャラクターではなく
自身の中に陰陽のバランスをもった自立した存在になる。


 
 
 
現実の世界では
個人が物語そのものだから

個人の中に
ヒーローもウィーザーもいる。

圧倒的に100%ヒーロー気質な人がいたら
それも超素晴らしいけれど
自分の中のウィーザーを抱きしめてほどいて越えてきた人の優しさほど
いつも胸の深くまで届く気がする。
 
 
自分を守るために
他人にウィーザーを担わせることもある。
(思い返せば私もそれをしたことがある。何度も。

でも本当に自立している人はそれをしない。
他者に自分の影を担わせない。
他者に自分の光を預けない。

成熟していくことは
自分の中に光と影をもつこと。

たぶん。

そこへ向かう途中。