2012年12月31日月曜日

世界のうつくしさを
発見しつづける。

心がほんとうになったときの
人のひとみの
つやつやと揺れるやわらかさが
好きだ。

生々しさを
風にさらしている。

今年もありがとうございました。

あたたかなはじまりをお迎えください。

2012年12月27日木曜日

歩いていたら、
海がみえてきた。

すごく深い青だ。
波に光が照って銀。

青空に白い月
夕暮れオレンジスモーキー

夢の中にあるようだ。
地球の上だ。

赤ちゃんが笑うと
人は嬉しくなって
泣くとわたわたとして
周りに集まる

おしくらまんじゅう
厚手のコート着たむくむくのからだを
ベビーカーからのぞいた小さな顔を中心に
ぎゅうぎゅう

やわらかい心は素敵だ。
笑わせたい
笑うとうれしい
その一心の。


おいしいとか
うれしいとか
きれいとか

どうして伝えたくなるのだろう

おしくらまんじゅう、

ぎゅうぎゅう

海にむけて
空へむけて

届け、

なつかしくなったり
こいしくなったり

ひとりで生きられない

太陽、
月、
風浴びてチクチク痛い頬

弱いといいきるだけでは
こぼれてしまうたくさんの、

2012年12月25日火曜日

自分がひとつの人格をもち
意識を維持していることが
ふとした瞬間
なんどでも不思議になる。

あ、まだ、世界を
みてて、いいんですか。

あ、ども、ども。

と、思う。

すごい仕組みのなかにいる。
お金を払っているわけじゃないのに、
惜しみなく与えられている。

目を覚ます
眠る
頑張る
くじける
眠る
目を覚ます
よろこぶ


かみさまは
なにをしているんだろう。


生きて世界をみることは
世界をつくることに
貢献しているのだとも
どこかで思う。

世界はイメージだから
あらゆる生命の夢の結晶だから


命があってうれしいな。

A.C.
永い放課後だ。



チャイムは鳴った
たたかいを終えよう



ねぇまだもうすこし
夢をみてもよいのだったらば

あたたかいのや
やわらかいのがよいよ

2012年12月19日水曜日

目を凝らしていなくてはならない。
朝のはじまりは風。
真っ暗闇に風が先に光を連れてくる。
風に触れた瞳が艶々と光ると、
星が眠る。
何も見えなくても明るい。
それは朝だから。

2012年12月15日土曜日

小さな気持ちを、おそれないで話そう。

あっちも、こっちも
ただしく思えて
あっちも、こっちも
間違えて思えて
わからなくなることがある。


このあいだ
朝、自転車を漕ぎながら
「わたしは、わたしを信じよう」
と思った。

それはいけないよ、
それは幼い考え方だよ、
成熟していない。


いろんな「ただしい」があって
ぐらんぐらん、とする。

でも本当は
わたしが知ってる。

わたしがわたしを信じなくて、どうすんだ!
そう思ったら涙がボロボロッとこぼれた。


そうだそうだ!
って、
わたしの中の小さなわたしがこぶしをあげて踊っているのがわかった。



ただしさは、いくつもある。
誰かからみたら
わたしは間違えているかも。
でも、わたしは間違えていないってわかってる。

それはわたしが、よく知っている。



小さな気持ちがある。

ひかりがきれいだな、
白い息だ、うれしい。
あのひとの瞳をのぞきたいなぁ、
あたたかいもの飲もう、
満員電車はいやだ。

それから

ずーっとずっと、人が人へ思ってきた気持ち。

この人と一緒にいたい、

この子にずっと、元気でいてほしい

笑いながら、大きくなってほしい。



そういう気持ちは、
馬鹿げていないし
幼稚ではない。



小学生のときに、
「お母さんの木」という
戦争に行った息子たちのために一本一本、
木を植えて無事を祈ったお母さんのお話を
朗読しながら先生がゴーゴーと泣いた。

今も忘れられない。



人のかわいらしさや
いじらしい思いのさきには

愛がある。



大学生のころにみた夢で

「宇宙の秘密って愛なのかな」
って、ひとりの人が言った。

「ピンポーン!」
と、おじさんが答えた。


宇宙の秘密は愛。

それからずっと、そう信じている。


宇宙の秘密は
夜中に窓の外をいく鼻歌のなかにある。
落し物を拾ってくれた、おばあさんの手のなかにある。
自転車を漕ぐわたしの足にある。


大きなことを、言うのは
案外、かんたん。


耳をすませて聞こえるところ

ひとつひとつ、ちがう「ほんとう」


忘れてしまわないように。

2012年12月10日月曜日

ほうきで玄関先を掃く音

思考は道筋をつくる

でもほうきの音が
ただ鳴っているだけの朝

波よせているだけの朝

朝日さすだけの朝だよ

2012年12月9日日曜日

寂れた商店街のなかで
集まって遊んでる小学生がいて
からだねじらせて笑って
そうすると
寂しいはずのシャッター街も
あたたかな公園になる。

大丈夫なんだよ、
思っているよりも。

いたずらにこわがらなくて。

浮き立たないで
見つめれば
失わないでいられる。



こわいよこわいよ、って暗くしたら
からだを包む毛布や
いっこのマッチ箱を
こわいよこわいよ、って
奪いあってしまう。


深呼吸。

毛布は奪わなくても
みんなの足をいれよう。
それから抱き合ったり
手を繋げばあたたかいし

うれしい話や
おかしい話を
小さな声で話そう。

いつだって楽しくなれるんだ。

火は小さくてもいいし
隣のひとな体温があれば
くらやみでも安心。

大丈夫なんだよ、

生きている、そのちからのほうが

大きなことばよりも

よっぽどたしかなのだ。

2012年12月6日木曜日

髪の毛を切った。
コロさんとは、
切ってもらっているあいだに
色んな話をする。



今朝、起きる。
髪の毛はすっかり、短くて
額も耳も
もう隠れない。

どんな顔をしていても、
まる見えだから
なるべく笑っていられたらいい。


小さな気持ちを
忘れないでいよう。


考え過ぎてしまう癖は
ほとんど足かせだ。

だけど、
ひとの、繊細な
ちいさな気持ちが
好きだ。

感情はときどき、
煩わしい。

単純なものは美しい。

だけど、複雑な
違う感情の層が折り重なっても在れる
人のおおらかさ
やさしさ(たぶん、慈悲っていう)
それが、好きだ。

2012年12月4日火曜日

枝に雨粒が連なる
葉の先に垂れている

出かけるのに、雨の中は億劫だと思ったけれど
雨粒が木々を飾る様が綺麗で
その気持ちもすこしやわらぐ。



里芋の皮をむきながら
友人と話した夜

袋小路にあった思いが
すこしほどけたように思えたし

久しぶりに大きな声で笑った。






誰によって、何のために檻に入れられているのかはわからないが、いつだって鍵は開いている。ドアもばーんとあいているからだ。
出ないと決めているのは、他ならない自分自身なのだ。


『王国 その3 ひみつの花園』よしもとばなな(新潮社)

2012年12月2日日曜日

仮眠のときの布団が新しくなって
夜勤明けのからだがまるで違う。

寝具って、すごいなぁ…
と思って
帰ってから
自分のふとんを干した。


こどもって、ないしょばなしが好きだ。

耳もとで
ちいさな声で
「コショコショコショ…」
っていうだけで、
くくくって、たまらないように笑って
耳もとに小さな顔を寄せて
熱い息といっしょに、ちいさな声で「コショコショコショ…」って
返してくる。

ただのそれだけで
おかしくって、うれしい。


ちいさなことを、
わすれないでいよう。


しずかなおとを
きけるみみでいよう。

2012年12月1日土曜日

気力がでなくなってしまった。

オールを失くした舟に乗っているみたいでおどろく。

気力ってどこから
やってくるのだったか…!

探すけど見つからない。




Amazonから届いた、
木下晋也の漫画を読んだら
ちょっと元気がでた。

こういう、
ちょっとすてきなものや
ちょっとやさしいものが
たくさん
世界を助けているんだなぁと
いま、思った。


すてきなことや
あかるいことは

いつも、ちょっと、のなかにあるのかもしれない。

そう気がついたら
ちょっと、
気力がでてきた気がする。



ひみつは
ちょっとのなか。

2012年11月30日金曜日

夢をみても
目を覚ますといつも忘れてしまう。

今朝はおぼえていた。


緑色の草っぱら
丘 傾斜
石の階段があって

三人で走るみたいに降りていく。

ライブをみたばかりの、このあいだのギタリストがひとりで
もうひとりは小さな女の子だったような気がする。

「合奏しよう、あなたは何やる?」

わたしは
「タンバリン!」
って答えた。

なんだかとても、明るい景色だった。

走りまわって遊んだあとのような感覚があった。



草の色が綺麗だった。
夕焼けなのか
太陽なのか
光が先にあって
草の合間に揺れる黄金。




朝起きて
またわたしがいて、驚く。

まだ続きをくれるんだ、って思う。


曇り空

選挙のポスター

さようなら、ってきれいな言葉だ。

さようなら、

こんにちは。

おはよう。

おやすみなさい。

また明日。

いつかまた。

はじめまして!



12月がくる。

2012年11月28日水曜日

月のまわりに
虹の輪ができている。

屋上にのぼって
すこし空や街を見渡してみた。


ひとり、ひとり
ひとつ、ひとつのたましいが
しずかに
つよく
やさしく
光っているように
守られているように




あのとき
あのこのことばに
傷ついた

自分がきらいってことばに。



癒されますように
かなしい心が

許せますように
怒りの奥に隠れてる感情



祈りには、ちからがあると信じてる。

だからクリスマスや
大晦日に
あんなに世界が綺麗になるんだ。


祈る。
心の中に平和をつくる。

月のまわりに
虹の輪がある。

2012年11月27日火曜日

夜勤明けに夜勤から日勤と続いて
昨夜、仕事を終えたとき、疲れた。と思った。


そういうことは、あまりないことだったから
あ、いけない。と思った。
何か間違えてる、と。



何を思っているのか
何を欲しているのか
体調はどうなのか
想像するから
相手の命のリズムに巻かれやすいのだけど

巻かれてしまえば疲れるんだと思った。
自分で引き受けたことなのに、
心にちいさな不満も見つけてしまう。


身体的な疲労はある程度気持ちで乗り越えられる。
でも心が疲れるとどんなに保とうとしても、
細部から雑になり
相手も疲れるし、悪循環。

自分を保てないで、
ケアなんてできないんだと痛感した。


あなたはあなたで
わたしはわたしで

どんなに近づいても

わたしがわたしのリズムを投げてしまうと
介助者じゃなくなってしまうし、
他人のリズムで踊り続けることはできない。

ハーモニーを見つけるのが
きっとよい方法で

相手になることや
自分に寄せることは
どこかでひづみを生む。



なんでも、
心から、する。
ということが多分大切で
その心って
自分自身のたましいから、
ってことなのだと思う。

相手を思い遣ることと
相手の心から、自分の手を動かす。
ということは
違うんだと思った。

それは、一見優しいけど、
怒りや疲弊を隠している。


誰も、たましいを
誰かに貸すことはできないし
誰かから、借りることもできない。


自分のリズム
自分のたましい

相手のリズム
相手のたましい


「合奏はたのしい」なんだ。

2012年11月24日土曜日

いろんなことを考える。


ここのところは、
すごかった。

なんだか色んなところへ
足を運んだ。

それは前から入っていた予定がほとんどで
突発的なものはほぼなかったのだけど

予定を入れているときは
いまの自分の気持ちとか
状況を知らなかったから

なんだか
寝起きに冷たい水を
ぱしゃっぱしゃっと
投げかけられるような

それでいてふいに
思いがけないあたたかなものでくるまれるような

そんなことが
続いている。



いろいろなこと
人や、状況や、
いろいろなことが浮かんできては
考えるのだけれど

目の前のことに
ちゃんと反応しようと
決めたから

考えが追いつかなくても
世界を浴びている。



「やさしくなりたいって誰の歌だっけ?」
と、勤務中に聞いたら
「ミタだよ、ミタ。斉藤和義」
と教えてくれた。


自分のことばかり
ずっと考えていたんだなと思った。


不安に駆られてるときって、そうなんだ。



そんなことはもう終わりにしようって思った。

前にも思ったのだけど、
また思った。

2012年11月21日水曜日

文化祭をやりたい。

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これはアイデアなのだけど、
公表すればかたちになりやすいと思うからメモします。

わたしは、
新しい知識
新しい環境
新しい生き方
が必要だと思うのだけど
(おのおの、実践されているだろうけど)

街づくりのこと
子育てのこと
高齢化のこと
障害のこと
自然療法のこと
食のこと
からだのかと

ぜんぶ、
それぞれの専門家が
同じような解決方法を求めています。

それで、
わたしはどこも専門じゃないのだけど、
ラッキーなことに
友人たちが
おのおののスペシャリストです。


それで、
知識の共有、
知識に実践が伴った知恵までの変換、
サムシング、ニューを浮き上がらせる。

なにかこう、
できないかな。
こういうこと。

ひろびろ。
たのしく。

2012年11月18日日曜日

たった一週間のことだけど、
すごくいろんなことがあった気がする。

世界はつづくのだろうか
来年も再来年もあるのだろうか

わからないことばかりで
わからないが不安になって
苦しくなった。

でも
わかってたことなんて
今まであったかと振り返れば
いつもわからないままだったと気がつく。


わからないはこわくない。

あたりまえだから。



わからないと思ってるとき
心は未来へ飛んでいる。

未来は未定。
わからない。

あたりまえ。


今どこにいるか
目を覚まして
感じてみる。

2012年11月17日土曜日

久しぶりに風邪をひいて
一日家で寝たり起きたりしていた。

起きているときには借りてきた映画のDVDを観た。

レンタルビデオ屋には
何本もの映画がある。

様々だけど、
ストーリーにはいくつものパターンはない。

どの映画のなかでも、
正直さ
誠実さ
何かを受け入れること
勇気を持って自分が変わること

によって
混乱はほどけて
物語はひらいていく。

物語の混乱は
ちいさな嘘や
無意味なプライド(自己保身)
から始まる。


多くの映画の中で
多くの主人公が様々なものを失う。
そのときにその人物が
いちばん大切だと思っていたものを
様々なかたちで。

それがなければと
必死で掴んでいたものを手放して
それがなくても
世界が続いてることに気がつく。

物語が動き
新しい風が吹く。

映画の終わりには
新しい景色がある。

その人らしい
景色がある。


ハッピーエンドが好きだ。


ハッピーエンドの鉄則は
手放すこと
素直であること
愛に気づき、感謝すること。

2012年11月16日金曜日

「わたしは自分が嫌い。でもあなたが好きでいてくれるなら、そう思うのをやめるね。そう思ってもいい?」

思ってもいいよ!
あなたが好きだよ!

と思った。


わたしの心と、よく似ている。
うじうじ、ぐるぐる、
考え続けてしまう。
あのとき、あれで、よかったのだろうか。
思いやりが、足りなかったのではないか。
自分のことばかりに、
またなってしまった。
うじうじ。


わたしがもうすこし強ければ
あのひとの力に
なれたのではないか…


だけど、ちがうのかと思った。

その人の弱さは
その人自身の責任。

わたしの弱さは
わたし自身の責任。


誰かの力になるということは
弱さに手をあてることではなくて

その人自身に力があることを
確信していること。

その人のあたたかさや
精神の強さを
好きでいること
信頼していること

そのように思えた。

2012年11月15日木曜日

わたしの気持ちの弱さは
わたし自身の問題。
そう思うと、
すごく楽になる。

2012年11月2日金曜日

11月のはじまり。
風邪ひきのそばにいる。

帰り道は月がきれい。

お母さんが手をつないでる小さな娘さんに
「今夜は月がきれい。見えるかな」
と言った。

駅をでてすぐ
連れあったひとたちのひとりが
「ほら、月」と指さして過ぎていった。

振り向くと白い月。



一緒に見たくなる。
見てるかな、と思う。

いいな、月や星や
どの人の心にも
美しく映るものはと思う。



自分は元気だけど、
風邪予防にマスクをかけはじめた。

マスクをかけると目しか出なくて
少しだけ心が黙り込む。


介助の仕事中
ふとんを利用者の肩までふわりとかける。
かけおわると無意識にいつも、ぽん、と手のひらで軽くふとんの上をたたく。

ふとんの中の利用者と
マスクからでた私の目が合う。



視点が逆転する。


へろへろになって病院のベッドで眠るとき
看護師さんの、マスクにほとんど覆われた顔の中、ふたつの濡れた目。
見たときに、ほっとした。


もう大丈夫なんだ、って思った。



ベッドの中からの視点を、思い出す。

自分がいつか(いまも)憧れたもの。





心が惹かれるものに、
ひとは呼ばれて
いつかそうなっていくのなら

あのとき自分のなかで

気づかないくらいしずかに
でも深い深いところで強く
惹かれて憧れたようなもの

いまの自分にとっては
どんなものなのかなと思う。

2012年11月1日木曜日

11月はあたらしい国。

空気が澄んで、きっといろいろよくなる。と思った。


もうだいぶ、上々だ。

言葉は世界をつくるから、
もしも働きかけないのなら、
ただ悪く言うだけのようなことは、やめ。そう思う。


自分の気持ちと、判断力。
思いやり。
見通す、見渡す。


なにより体を動かすこと。



自分自身に対するメモ。



パソコン画面の中のあいぽんに導かれてヨガ。





心の中は無限。
溺れてしまわないように。

腕を伸ばす
背筋を伸ばす。
力を抜く。
力強く踏ん張る。


うまくいかないときはチャンス。
周りを見渡すことができるし、
気づいてほしいって何かが、とても近くで呼びかけている。

2012年10月29日月曜日

iPhoneの待ち受け画面を
自分のiPhoneから撮った写真にしていたのだけど、
いつか出掛けたい場所の画像に変更した。



なんだかわからないけど、
ものすごく頑張ってた気がする。

今朝は朝靄が綺麗。


力をぬいて
もっとのびのびとしよう。

もっと楽しくなろう。

2012年10月27日土曜日

スニーカーに穴があいたので、
新しいスニーカーを買いにでかけた。

新しい靴は嬉しい。


久しぶりに新幹線に乗った。
真面目な仕事中だったので
高ぶる気持ちを抑えるように意識したけれど、
体から高揚が滲み出てしまってる気分だった。



けれどそのあと、
仕事の中で、個人の反省として落ち込むことはあったけど
仕事内容で落ち込むことは
初めての経験だったかもしれない。


落ち込んでいても仕方がないから
切り替えて踏み込んでいくほかないのだけど、
どうして?
という気持ちがしばらく離れなかった。



そういうなかで、
大切な友人から
新しい命の報告を受けた。

ふと、花束を届けてくれる友人がいた。


ジャムの瓶が届く。

手紙が渡って、メールが送られる。



「よろこびと
かなしみは
にじのよう」


ゴフスタインの、絵本のなかの言葉。

「それがわたしをあたためてくれる。
にじのように」



冒険はつづく。

2012年10月20日土曜日

s-clothes-treeさんのストールを巻き始めた。


寒くなった首元に嬉しい。


大宮のYAMA COFFEEへ
久しぶりに出かけて
(山のふもとの綺麗な空気と水の気配を思い出す。
おいしいコーヒーとパリッとトーストされたパン!)

なおちゃんと帰り道に寄ったお花屋さんで

ふたりとも巻いていたストールを褒められて
とても明るい気持ちになった。



部屋の片付けはだいぶ進んで

今日、出かけてくる前にドアに立って部屋を眺めて
「ゲストハウスみたい…」
と思った。




おばあちゃんは
庭の草花を
いつでも花瓶にさっといけた。


でていくものと
入ってくるものの流れが

それくらい自然に
なっていくとよいのかもしれない。

2012年10月18日木曜日

少しずつ部屋が片付いてきて
埋まっていた床も見えてきた。
だけどもう少し、持ち物を整理したい気持ちでいる。


本もまだ、整理できる気がする。

全ての装置を知恵に置き換えること
というタイトルの、石川直樹の本があるけれど

言葉が精神に宿れば
本は手放してきっとよい。

ふたつの場所に
同時には立てない

常にすべてを持っては歩けない




大人になろう、と昨日書いたけど


大人になることは、
自身の荷物が減ることだと感じた。



より心と体に
由来していくことのように思えた。

2012年10月17日水曜日

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古本屋さんからの帰り道、
国道からコスモス畑が見えて
脇道へ左折すると
同じように傍らに車を停車させ
コスモスの群れの中で笑っている人たちがいた。



西日がさして
冷たい風は甘い匂いがしている。

蝶々がはねるみたいにふわふわと
コスモスの花々が揺れた。




古本屋さんへは本を売りに行った。
ずいぶんと本が減ってる。

『プラネテス』や『魔女』、『火の鳥』とか
いつか感動した漫画も棚からぬいた。


保坂和志とか好きな作家の本は、
チェーン店の古本屋さんで安く扱われるのが嫌で
市のリサイクルセンターに引き取ってもらった。





部屋はまだ
ひっくり返したように散らかっている。


大島弓子の漫画が床の上。

棚はからからだからどこにでも入るのだけど

ちゃんと「いい位置」があるから、
しまうのに時間がかかる。



何度もこんなことを繰り返しているけど
ずっと棚から消えない本もたくさんあって

それは魂の宿り木だ。







本棚に、たくさんの隙間。
引き出しもカラカラ。


大人になろう。

2012年10月11日木曜日

書きたい手紙や
掛け直したい電話

取りつけたい約束や
立てたい計画

たくさんあるのだけど

何もできないでいて
ごめんなさい。


すこしずつ順番に
しています。

2012年10月8日月曜日

コトコト煮る。

会いたいと思っていたひとに会えると
心がふくふくと膨らんでいく。




ポストに届いた手紙がうれしい。







涼しくなってきたからか
夢をおぼえたまま、
目が覚める日が続いている。

今朝の夢では掃除をしていた。

ホコリを見つけて
あぁ、どうしよう、と思うのだけど
ほかの人もつかう場所だから
やっぱり拭いておこうと思って
拭いていたのだった。


起きてから
夢のなかの自分が
見ないふりをしないでいて、よかったと思った。

2012年10月5日金曜日

やわらかいこと

90を過ぎた母方の祖母が体調をくずしている。

ひとが悲しいからといって
空は雨を降らさない

それはすばらしいことだ。

2012年10月4日木曜日

とにかく捨ててしまおう。

引き出しのなかには
色々たまっていく。
インクの出なくなったままのペン
貰ったものの減らない美容液
書いたまま出していない手紙



本ももっと少なくしよう。
もっとおばさんになっても
おばあさんになっても
読みたい本だけ。



自分のからだがひとつあればいいように
そういつか思ったんだった。




過去ばかりが
部屋のなかに溢れている。


彼女の赤ちゃんが
でてくる世界だ。


「ここはもう、素晴らしい未来なんだぜ!」


そうなんだぜ。

雲が落ちてきそう。
ぽったりと重たいクリームのようだ。

駐車場の柵にからんで
朝顔が気持ちよさそうに咲いている。




とにかく色々なものを
捨ててしまおうと決めた。

2012年10月3日水曜日

とてもちかくで変化があり
わたしも変わる。


電車に乗って出かけた先で
久しぶりにひとり
ゆっくり、ゆっくり
ごはんを食べた。

2012年10月1日月曜日

台風一過。

昨夜は風が窓や壁を打ちつけて
頭もキリキリしたので
はやく眠った。
22時に眠ったので、3時頃に目が覚めるだろうなと思っていたら
6時まで目が覚めなかった。
久しぶりにたくさん眠れた。



台風の過ぎた風
やわらかい布を浴びてるみたい

すこし重たく
あたたかい




いくつか見た夢のなかで病院にいた。


ベッドがふたつあって
そのひとつにいる。

部屋を出れば
すぐに土と木のある庭だったことが救い。


心が小さくなっていくことが
いやだな。

主に不安によって。


秋の空が綺麗なのに、これではいけない。




不安なんて本物じゃない。


太陽を浴びたら溶けてしまう。



今日できることをしよう。

できることだけを、喜んでしよう。

2012年9月28日金曜日

台風が近づいて
なんとなく息苦しい。

あまり急いだりしないで
考え込んだりしないで
ただ過ごしていることがよさそう。





葉っぱのかたちが妙にくっきり
目に迫ってきて
いたたまれない。



一方で
いままでは目にとまらなかったものが
視界に入ってきて新鮮だ。



夜がきたらはやめに休もう。




マイクミルズの『人生はビギナーズ』
ようやく観た。

DVDを買おうと思う。

2012年9月27日木曜日

コスモス

朝、自転車を漕いで駅までむかう。
コスモスが咲き始めた。



昨日は青空が深かった。
はじめての場所に出かけて
はじめましての出会いがあった。


素敵な場所だった。
素敵なひとたちだった。




一緒になったayacoちゃんと
月を見て帰る。
電車の中で交わした会話が
気持ちに入った。


ホームで手をふる、しあわせ。




お腹がすいて立ち寄ったお店のカウンター席で
カレーを食べ終えたところ、話しかけられる。


その人は
地震で婚約者を亡くしたんだ、と話しはじめて
それから
状況の断片を
大きな声で話し出した。



お酒も入っていたのだろうけど
合わせたその目が
すこしも揺れなくて
揺れない目を見てるしかできないでいたら、

席を立って
テーブル席のグループのところへ行き
同じ話を始めた。







帰り道、
わたしはayacoちゃんたちと交わした
お鍋の約束がかなうといいなと思った。




夜中に目が覚めて
あの目があたまに浮かんでる。


生理がはじまって洗面所で下着を洗った。

2012年9月26日水曜日

宇宙のいろ



おやすみの日に
電車に乗って出かける用事もなくて気ものらないでいて
夕方になって少し川べりを散歩したりし始めると
そのまま駅へ向かってロイテへ行って珈琲を飲んだ。
 
そんなふうに、ここ数年はずっと過ごしていたんだなぁと
9月も半ばを過ぎて、気がつき始めました。
 
わたしはほとんどのひとよりすこし勤務日数がすくなくて
週にいちど、連休もある。
ロイテの珈琲はわたしにとって日々の句読点だった。
 
いまはさらさらと時が流れて、
自分にはこんなに時間があったんだなぁと
気がつくのです。
 
 
 
 
今日は羽毛布団を出して、
いま陽にあてている。
 
 
お昼をすぎたらすこし電車に乗って出掛けよう。
 
 
 
 
 
秋のひろい日。
何年前かのいつかに似ていて
いろんな人の顔や
いろんな場所の風景が
ふと脳裏に浮かんでは
あわあわ流れる。 
 
 
 
手紙を書こう。
整理整頓をしよう。
 
 
 
 
 

 

 
 

2012年9月25日火曜日

その日によって、からだは違うから
前屈して指がついたのはまぼろしだったのではないかと
前屈してみたらやっぱり指が床に触れる。

小学生の頃の体育ではもう
床すれすれのところで指がプルプルしていた気がする。

いまの自分のからだは、
小学生の頃のからだより柔軟なんだ。

そう思うと、すごくうれしい。

何かが新しくなって
戻ってくるような。






昨日は真夏日に戻ると予報にあったのに、
涼しい一日で
太陽のひかりもガラス瓶のなかみたい。

2012年9月22日土曜日

金曜日




本棚の整理をした。
久しぶりに古本屋さんへ
本をまとめて持って行った。



午後からヨガを教わる。

お昼の光が気持ちよかった。

あいぽん先生にサポートしてもらって
前屈のときに指先が床についた。

そのあとひとりでした時にもついた。


昔から地上20センチくらいで
指先をぷるぷるさせていた自分の中で
からだが変わったと感じられた瞬間だった。


日曜日に、
愛さん(あいぽんとは、またちがう方。愛という素敵な名前の友人たちがいて嬉しい)に誘っていただいて
通っているヨガでも
素敵な先生に教わっている。
「胸を広げて。鎖骨に光をあてるイメージ!」
先生がよく伝えてくれる言葉は
日常の中でもよく思い出されて
姿勢やからだの使い方に
意識をむけるのを助けてくれる。



祖母のからだや
10年以上難病を抱えている従姉妹のからだに触れると
動かせないから、
動かさないからだが
変形して固まっているのが
よくわかる。


わたしは、傾くからだや
固まるからだも、
すごく、美しいと思う。

たとえば右手でフライパンを振り続けてる
料理人の腕の左右差や

前のめりの作業を経た
農家のおばあさんのまがった背中

こどもを抱きかかえるお母さんの
肩のかたち。



それはその人のかたちだから。


ただ、
動かせなくて
傾いたり固まっていった体を
さすってほどいたり
補ってととのえることもまた、
すごく美しい。



動かさないで固まった体を
ゆっくり見つめてほどいて
動くようにととのえることも
気持ちがいいことだと
すこしずつ、感じられるようになってきた。




昨夜は、
稲荷山のジョンソンカフェへ行った。


オリジナルTシャツを
手に入れました。
すごくかわいい。

たくさん着よう。



Tシャツは本当に
かたちや色やプリントや、
ぜんぶ合わせて
いいなと思える瞬間が奇跡なので
とても嬉しい。



いろんなバリエーションがあったので、ぜひ。

2012年9月15日土曜日

遠くまで手がとどく。

あいぽんがヨガを教えてくれるとき、
自分のいまの体でいけるところよりも
もう少し深く
ポーズに近づけるように
手を添えてくれることがある。


そのとき、
少しずつからだと向き合っていけば
いつかたどりつく感覚に
一瞬、触ることができて

それは道標になるから

次におなじポーズをするときに
もう少しいける、と
体を信じて進むことができる。



そんな風に
自分のなかにもう潜んでいる答えを
もう一度目指していくようなことが
ある。

(そればかりなのではないかとも、思う)





歩いてみなければ
辿り着かない。

だから歩く。
どんな道のりになるのか
わからないけど。
何にむかっているのかもわからないけど。
わからないから
楽しむことができる。


でもどうして、

みつけた、って思うんだろう。
わからないで歩いていたのに、
大切なものに出会ったときには、
あの体に残った、完成したポーズがもつ感覚みたいに

知ってたみたいに
それが大切だと、わかるのだろう。



自分のなかに答えがある

いろんな人が言う。
いろんな本に書いてある。


わかりながら進むわけではなくて
見つけたときにわかる。
触ったときにわかる。


だから道に迷わない秘訣はいつも
自分を偽らないことと
ひとまず歩いてみること。


そんな気がしている。

2012年9月9日日曜日

あ、電車がくる。

夜勤明け
電車がとまっていた。
駅のベンチで
運転再開を待っていた。

ホームには人が溢れて
小さな駅なのにお祭りの日のようになっている。

電車がいま、ホームに入ってきた。


むかいのホームの人をさらって
ぬけていった。


もうすこしで、
こっちにも電車がくる。
踏切が降り始めた。

柔らかい風が、ずっとふいている。
涼しさを帯びて。

あ、きた。
乗ろう。

2012年9月7日金曜日

秋空たかい。フランスパンをかじろう。



ひさしぶりに何の予定もない金曜日になった。
 
ここのところ両足がつって
ふくらはぎと足裏に湿布を隠し貼っていたり
週に1,2回が習慣になっていたヨガをしばらくお休みしたためか
体がちぢこまっている。
昨日は久しぶりに湯船に入って足裏やふくらはぎをマッサージして
からだをよく伸ばしてから眠った。
 
今日は旅行の下調べをゆっくりしながら
のんびり過ごすことにする。
 
目覚ましをかけないで眠って起きたら
久しぶりに夢を忘れないまま目覚められた。
 
 
秋の音のとおり方
秋の光のわたり方
 
秋が好きだ。
すーんと清んで
わたしたちを許してくれているような気がするから。
 

やっと秋がきた。
 
 
 
「楽になったー」と言ったあのこの気配が
ほんとうに軽々としていて
よく冷えたハイネケンがわたしたちをほどく。
 
夢から受け取ったメッセージは
思わぬかたちで宝物をくれた。
いつでも予測よりもいいかたちですべては運ばれる。
「いつでも予測よりも、いいかたちですべては運ばれる」
勇気と誠実さのもとに。
だからグローブ落としちゃだめだよ。ボールがやってくる。

世界は個人を超えている。
自分の視野の外
自分の視野の外

それから声を出す。
グローブ持って、ゲームに参加してるよって。
手をふって、芝生の上に立つ。
そうすると見えてくる。
 
内野のみんなが
マウンドに立ったピッチャーが
 
審判が手を高くあげる。

プレイボール
 

 
 

 

 
 

 
 
 

 
 
 
 

2012年9月2日日曜日

かさなる

夜勤明けの駅のホームから
駅の隣の空き地の
草が風に揺れるのをみていた。

風はおだやかですこし冷たく湿ってる。

草と土の匂いがする。

山の貸別荘に泊まった朝
早起きして外へでたら
同じように朝の散歩にでていたおばあちゃんが
貸別荘の前の坂道をあがってきた。


その時みたいな匂いと風だし


部活の朝練に
眠たくて重たい足を引きずってむかった時とも
おなじような風と匂いだ。



空をみていると
色んなものが飛んでいく。


ビニール袋


旋回する鳥影
ときどき光があたって白くみえた。


群れて飛ぶ鳥影をみていたら
仕事中に椋鳥の大群に頭上をかこわれた時のことを思い出す。

案の定という具合で
腕にフンが落ちて
除菌ウェットシートで拭いて
「大丈夫です」
と言ったのに

友人たちと遊んでいるさなかだったのに

「トイレいこう。わたし、トイレに行きたい」

利用者の方がいってくれたときのこと。


まのぬけた話だけど
思い出すと
その人のその時のやさしさが
今も嬉しい。



着床前診断
ということが
できるようになって

受精卵の段階で
その命が障害持って生まれる可能性があるか
調べられるようになったらしい。

たとえば
その結果をしって
堕胎を選ぶことも
法には触れないということで

その診断を受けることでも
200人に1人はその検査が原因で流産する可能性があるらしい。



その診断結果をもって
生まれてくる子の障害への準備ができるなら
いいかもしれない。

でも障害があるから
産まない
という選択が簡単にできるようになったら
それはとてもこわいこと

という
当事者のことばをきいて
涙がでそうになった。

自分が泣くの違う、と思ってこらえたけど
心が揺れた。

2012年9月1日土曜日

小さな山

はじまりはおわりを含んで

おわりにははじまりが宿っている




わたしたちはゆるやかに変わっているので

顔をあげていよう。



しばしば、
迷うけど、


あのひとやあのひとたちに
会えたから
わたしはわたしにとって
ただしい道をあゆんでるって
自信をもてる。



彼女が
彼が

わたしのYES。




わたしも誰かにとっての
YESでありますように。





九月がはじまります。

2012年8月30日木曜日

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寝ても眠たい朝です。
ハンバートハンバートの
妙なるしらべ
という曲を聞いていました。


中学生の頃、
妙子ちゃんというともだちがいて
書道教室からの帰り道、
ふたりで歩いていたときに
「みょうな子、で妙子だよ。なんでこんな名前なんだろう」
と言った妙ちゃんに、
「妙って、とてもすぐれているとか、そういう意味があるみたいだよ。すぐれている子って名前だよ」
と話したら
「そんな意味があるんだ!」
と言って、笑顔になってくれた。


わたしは、
妙ちゃんが自分の名前の意味を知らなかったことに
ちいさく驚いたし
ずっと、きみょうの妙、と、
自分の名前の意味を
思いつづけていたんだ、
と思ったら
それは辛かったろうなと
想像した。



わたしがそのとき、
妙、の意味を知っていたのは
やはりわたしも以前、
どうして奇妙の妙の字が、名前につかわれているんだろう
と思って、
妙という漢字の意味を調べていたからだった。

妙なる子
たえこ

素敵な名前だと思っている。




「小さな山」
を、ロイテに置かせていただきました。

6人の友人からことばをもらいました。
わたしが感じた彼女たちについて、や
彼女と過ごしたときについて
短い文章をかきました。


本人の印象とは
もしかして違うところがあるのかもしれない
とも、どこか思うのですが
わたしのとらえている、
彼女たちの側面で

そしてひとりひとりのことが
本当に、すきです。


誰かと出会えた場所が
ロイテでした。

今日も
明日も、
入り口のそばに
置かせていただいています。

2012年8月26日日曜日

気がつけば
聞こえてくる虫の鳴き声が変わっている。


ひと晩、冷静になってみると
本当に欲しかったものが見えた。

慌てながら探していたときはずっと
頭で見つけようとしていたから決められなかった。



わたしはもうすぐ引っ越そう。
何度もそうしようと思いながら
なんとなく理由をあげては決められないでいたけど、
何度も思い浮かんだのだから
そうしてみよう。


すぐにということはないけど
いつかということはない。


わたしも準備をしよう。
季節が変わっている。

2012年8月19日日曜日

明日にはなにもかもが違う

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西日のおちた空

NTTの鉄塔と
ベランダの洗濯物



木の枝が夢みるみたいにして揺れてる。

農家のお家を取り囲む小さな森は
影になっている。


アパートの石塀のむこうに
テッポウユリが見えた。



アリアハンの勇者は誕生日の朝に
お母さんに起こされてお城へ向かう。


起こしてくれるお母さんのいる朝が
いつも絶対みたいなのに



セリフを聞いたら
はい

いいえ
を答える番で

いいえ、
と答えても
はい、
になるまで
物語が進行しない。


はい、

答えたあとには
すべてが変わる。


いいえ、
と答えることが
わたしたちにはできる。


物語は
わたしたちを待っていてくれる。

だけれど、
保留期間にはいつまでもいられない。


わたし(たち)はいつか
かならず
はい、
と答えて
そのむこうの景色を見に行くだろう

ひかりもやみも

風があって、木々の葉が揺れる。


ヨガを教わりながら
バランスポーズをとったとき
「揺れてもいいんです。木は揺れるものだから。でも倒れない」
と先生であるあいぽんが言った。


揺れてもいいんです、
でも倒れない。


その日はなんだかうまく、
バランスをとることができた。

2012年8月14日火曜日

天の川通り

ガレージに出て
ゆるやかに傾きはじめた午後の光の中で
プランターの緑を覗きこむ
母子の姿が綺麗だった。



解体されていく夏の日

サルスベリの花びらが土に散っている。




一年前の日記帳がでてきた。

今までに得たものを持っていこうとするから、
進めない。
新しい場所へ行くということは
今までに得たすべてを
置いていくこと。


ということが書かれていて

あ、そうだな

と思った。

覚悟をみせる。

坂本美雨はかっこいい。

http://natalie.mu/music/pp/miu

2012年8月12日日曜日

よくなる、


 

 
青いプールの中で子どもたちがはしゃいでいる。
ひと夏のうちに何度もは交換できない水

プールの中でおしっこをする人もいれば
消毒は欠かせないなぁと考える。
海の中でおしっこをしても
それは問題にならないだろう。
なにかを溜める、ということはそういうことで
流れている、ということはそういうことなのかな
と思う。
 
 
影がうすらいで、
空気の芯に冷たさがある。
 
 
 
夕方の風がやさしくなる。
金色
日焼けした腕でハンドル握って
サンダルの足でペダルを漕ぐ人ら。
 
 
 
その後ろ姿を見て思い出す。

好きな人に会えなかった夏休みは長かった。
授業のない校舎は眠ってるのに、
職員室だけに生々しい動きがあって不思議だった。
先生が知らないただのおじさんのように見えた。
 
 
 
木立を抜けて、体育館に向かった。何度も。
凍らせた麦茶のボトルが汗をかく。
 
 



 
 
 
自分だけしか、信じていないのかなと思って悲しくなったら
疑ってもない人の声が聞こえて
その明るさは花火に似てた。
朝や昼間にあがる、明るい花火の音。
 
 
 
二学期は空っぽの教室から始まって
壁にあいた画鋲のあとを、指でなぞった。
 


 
 
 

 

 
 


 
 

 
 

 
 

 
 
 

2012年8月9日木曜日

クールビズファイター

ロイテでfabrica[*]の写真をみた。


伸び繁った木々の緑が
窓からの自然光に照らし出されてる。


光景に自由な未来を感じる。



ねばならない、を撒いて
呼吸する理想
食卓の上でカチャカチャ響く音と共生





そこから銀座の月光荘へ
ayacoちゃんの絵をみにいこうとしていたら
ayacoちゃんが友人と一緒にロイテにやってきた。

とても素敵なTシャツを着て、
素敵な笑顔で。



月光荘の店員さんは
穏やかなやさしい顔をしていて
どの人もなんだか人間らしくてほっとした。

ayacoちゃんの絵はやっぱり素敵だった。

真面目でおかしくって、
太い時間が流れていて
繊細で逞しい。


絵をみながら
絵がファンタジーなのでなく
この世界がファンタジーだ。
生きたり死んだりして
なにもわからないまま。
と感じてくる。

目の前にある
ayacoちゃんの絵の中の人たちが
勇気をくれる。

自分の中の逞しさが
やわやわとしたお肉の奥できらっと光る。


タフにいこう。
太くなめらかな波のうねり。
力強くオールを漕ぐ。

海原が真っ暗でも迷わない。
自分の中に光があれば。

2012年8月6日月曜日

生まれたばかりの赤ちゃんに触らせてもらった。

なんだかもう、
そこにいるそのことが
まるまる、かんぺきで
本当に、じゅうぶんで

「なにができるようになればいい」
とか
そんなことは、ないなぁ!
足りないものなんて、どこにもないなぁ!

と思った。

お父さんの笑顔を
お母さんの笑顔も
本当に素敵だった。





熱気にくるまれて眠って
夢の中のレストランで
モヒートを頼んだ。

お祭明けの朝
街はすえた匂い

だらしなく弛んだ電線

ほどいて
日常になる

その流れもわたしは見てたい。




目に見えてこない奥のところで
ちゃんと通じてるから
大丈夫なんだよ、

駅のホームで思った。

2012年8月1日水曜日

p e a c e



7月21日からはじまった Dear Our Baby
namiotoの展示を終えて、昨夜搬出してきました。
 

大切な友人たちに協力してもらって作れたこと
期間中も、制作途中も cafe leute のふたりが
見守っていてくれたこと
ちいさくもおおきくも、楽しんでもらえたことの
ひとつひとつが、かけがえのないものです。
 
ありがとう。
 
 
 
期間中
友人たちと、たくさん会話を重ねました。
 
Dear Our Baby の展示のなかには
今に繋がる過去が、集まっているのだけど
 
そのときの中で
これからの話をしたり
小さな友人たちと遊ぶことができた時間を
とてもいとしく感じます。
 
 
 
会おうと思えば、いつでも会えるけれど
今は会わない、たくさんの人のこともふと思いました。
  
 
それから今はみえない、数日後、数ヶ月後、
来年、自分のいないいつかへも 思いを馳せてみたりしました。
 
 
 
 
かたちがあるというのは
何か大きな力に引きつけられてだと思うのだけど、
 
ふだんはかたちがあるということに
手ぶらで無頓着でいることができ
私たちは出会ったり
関わることができる。
 
それはすごいことだなと
いつも思う。
 
 
過ぎた時間はかたちから離れてしまうから
いつでも今しかないし
ここになくて触れないものは信用し難いこともあるけれど
でも多分それはたしかにあって今をつくっていて
今はいつかへのメッセージを送り続けてる。
 
 
それなら
何を受け取って、どう生きたいか
何を送って、今をどうありたいか
と思うと
 
素朴でありふれた
新鮮な愛が
それとしてよし。とあれる
ひとときのように思う。
 
 
 
この展示ができてよかった。
 
 
8月になった。
 
とても新しい。
 

2012年7月30日月曜日

展示期間中に
ロイテでプラムソーダが始まった。


季節のものをとると
からだによく渡って、ほっとする。

今と仲良くなるんだ。




展示は
今日、月曜日はおやすみで
明日の一日となりました。


展示をみた人が
自分の話をはじめたとき

あ、それだよ

と思います。

2012年7月26日木曜日

展示がはじまって
すこしずつ、場所と展示物が仲良くなってきて
空間がやわらかくなってきた気がする。

展示をみて、思い出したこととかを
ほろっと聞かせてもらえたとき
よかったな、って思う。





全部がおわったら、
なにをしたかったのかっていうことや
いろいろを
もう一度みてみたい。


火曜日までだから
ゆっくりお茶をのみながら
みてもらえたらなと思っています。



金曜日は仕事がないので
在郎しようかとも思ったけど
髪を切りにいくことにしました。

2012年7月20日金曜日

明日からロイテで展示がはじまります。

なんだかバタバタとしてしまって
お知らせを送ろうと思ったままお手紙をだせなかったり。。

だけど
みてほしい。

ただ、ロイテでゆったりお茶をしたいひとの風景にも
溶け込むようにと思って
どーん、とした空間展示ではないけれど
今日、最後の作業をしながら
ああ、いろんな人にみてほしいな、と思いました。


今まで
なにか作るときは
自分がみたいもの、
未開拓でおもしろいもの
という意識がいちばんだったように感じます。


今回の展示は
ロイテでのお茶の時間を
たのしみにしている人たちのことが
まず頭に浮かびました。

本当にロイテがすきです。
だからおなじようにロイテが好きなひとたちに
まずよろこんでほしい。

そして
もちろん今回はじめて訪れる人や
どんな人にも届くように
そう、素直に思いながら
作ってきたように思います。


ぜひゆっくり
あそびにきてください。

2012年7月17日火曜日

たびはつづく

暑さのせいか目が冴えて
どうにも眠れない日が続いていたのだけど
天井に星空が映るライトを点けたら
安心がやってきて、それから眠ることができた。



からだの思いと
こころの思いと
あたまの思いとが
バラバラでとっちらかっていたのを
ともだちと話しているうちに
涙がでたとき
気がついて
気がついただけですこしらくちんになった。



汗をたくさん流して
足をあげて
いっぱい歩きたい。

2012年7月15日日曜日

時々ふと、
文脈からはずれて
いまどうしてここにいるんだろう?
いまはいつで、なにをしてるんだろう。
という感覚になる。

自分の命に意味を与えている文脈がある。
重なり合っていても
誰とも同じ文脈をたどってはいない。

眠って起きたら、
そこは今日からみた明日で
そういう約束があって、
それを繰り返して、
なにをしてるのかな、という感覚がわいて、
目が、たいらになるような気がする。

2012年7月10日火曜日

このあいだ
友人からいただいた大きなズッキーニがとても美味しくて嬉しかった。

夏野菜や、
この時期の果物がとても好きだ。
特にソルダム。
あともうすこしで。



駅まで歩く通勤時に、
色んな植物を見かける。


塀に垂れて花をこぼしているノウゼンカズラを見て
あの時から一年が経ったのだなと知る。

二年前には一年前のことを知らなかったし
一年前には今の景色を知らなかった。
来年もきっと、今は知らない景色の中を歩いている。


自分がいなくなったら
世界は消えるのかなと思っていたのは子どもの頃の話で
今は
自分がいなくなったら
ひとつの観察点は消えるけど、
この世界は多分続くのだと思えるので、
いよいよあらゆるものは借り物のように思え
自分がいるときといなくなったときと
なるべく景色が変わらないことがよいと思うけど、

わたしが今こうして生きていても
ひとりの人に心を動かされて変わったり、
誰かの小さな仕草で未来が変わったりして、
だから生きてくことは歩いた道の周りの景色を変えていくことそのもののようにも思え、
それは難しいようにも思えるけど、

それでも響いた音もいつかは空気に散ってまた無音に還るように

痕跡は瞬く間に薄まっていくだろう。

人がひとり
できることは
とてもささやかなことなのかもしれない。

毎瞬間にはたらきかけるから
ようやく保たれている景色なだけで
はたらきかけをやめれば
あっという間に星に呑み込まれていく。


ぎゃくをいえば
生きているかぎり
はたらきかけをつづけ
星に絵を描きつづけて生きてる。


そういう誰かがソルダムを摘んで
配送されたソルダムは誰かによってスーパーに並べられ
買った私は食べて
また次の景色を見る。





ロイテでの展示、
7月21日から31日までの開催です。

月曜日がおやすみです。

おしらせブログもすこしずつ更新しています。

2012年7月6日金曜日

準備が進みます。

夜中に雨が降って起きたり眠ったり。

namiotoブログに、作業写真が上がっています。
素敵な写真です。
友人の幸島愛さんが撮影してくれました。




7月ではないですか。

と、時々気づくたび、小さく驚いています。

2012年6月30日土曜日

Dear Our Baby

前に、展示してあった皆川明さんのアイデアノートの中に

「新しい価値観は自分の寿命を外した時間軸から生まれる」

というような言葉があって、
そのことをふとした瞬間によく、思い出します。


田中奈緒さんと鈴木美央さんとはnamiotoという名前で、
いつでも日々の中にあるよろこびを中心にした出来事や思いを見つけだし、
共有するための手段を探してきました。


今回、cafe leuteが
namiotoに展示の機会を与えてくださいました。

7月21日から、7月31日までの展示となります。

この展示を機会にブログを立ち上げています。
http://namioto.blogspot.jp/

展示のタイトルとテーマは
Dear Our Baby
です。




よろしくお願いします。

2012年6月24日日曜日

未来の自分にあげる服。

今日は、夕方からロイテへ
s-clothes-treeさんの展示会へ出かけてきました。


キノシタさんに会うと、笑顔がこぼれて元気になる。

予約制の展示会ということで、ゆっくりたくさんの試着をすることができました。


一着一着、かわいくて
どれもじゃぶじゃぶ洗いながらたくさん着て
長く大切にしていくことを思い描けて

迷いながらも、
迷わなかった二着を購入させてもらいました。


服をあてながら
「どうしよう…」と呟くと
「どんな自分になりたいか、」
と、キノシタさんが言いました。

わたしは、そうか、って思った。



わたしは、どんなわたしになりたいのだろうか。


キノシタさんのお洋服を日常的に着たいから
介助の仕事のときにももちろん着たくて、
そうするとリネンよりコットンの方が肌にあたる感じが気持ちよいだろうな、とか

青と白のストライプの柄はくっきりしていてすこし冒険だけど、
背すじをのばしてくれそう、とか


ああ、わたしは
そういたい自分を、選べたのかもしれないと
少しだけいま、選んだ服を思い浮かべながら、感じられました。



できあがって手元に届くのを、
ゆっくりたのしみにしていよう。



すごく嬉しい時間だった。

2012年6月18日月曜日

通勤電車の窓から、
中学校だか小学校の校舎が見える。


緑に囲われて開け放たれてる窓の
向こう側に顔の見えない
たましいがたくさんあって
雨が続くと思っていたのに
今朝は晴れて眩しいくらいで
わたしは心を整えようと思う。

自分が元気でいることは
関わる誰かの健康でもあるだろうから
心を整えようと思えた。



女子というのは、
課長とか部長とかみたいに
存在の由来は社会にある。

自然とか自分にあるわけではないから、
自分を女だとか男だとかいうのでなく
自分を女子とか男子といい続けるのは
なんとなくとても、
かなしいことに思える。


もっと自分でいていいはずだ。

2012年6月16日土曜日

雨が降ったり、
明るくなったりしています。


5月は体感期間が3ヶ月くらいあって、マンホールに落ちていたような時間だったけれど、
6月はさらさらと小川が流れるかのようなはやさです。


『なおちゃん、こう見えてけっこういい歳なのよ!』
『いくつなんですか?』
『三十です』
『ほらー!』


すこしは成長しているのか。
自分のことを女子だなんていってわたしはごまかさない。

そういうことを思いながら小学校の裏を歩いた。

2012年6月9日土曜日

慰めるみたいな雨だ。

http://www.youtube.com/watch?v=_TjPd80rD6o&sns=em
(ぜひ観ておくれ。)



夜中にさーっと涼しくなって
天から、四方から、
優しい雨音雨垂れに包まれた。


自分の言葉で、話す。
誰か自身の言葉を、聞く。聞くために待つ。手をぶらぶらさせて。

すぐに返事、しなくてもいいんだよ。

2012年6月8日金曜日

六月

夾竹桃の花が咲いているのを見た。

ネパール料理屋のテラスにネパール人女性が立っていた。
小さい顔とまっすぐ通ったかたそうな鼻筋。


本人ほど、向き合ってる人はいないから
前に立たないで
後ろに立ってみてる。


そういうやさしさが
コップの水面を
ちいさく揺らしている。

2012年6月5日火曜日

まとうもの。

6月24日
cafe leuteで
s-clothes-treeさんの展示会があるそうです。
予約制のかたちをとられるとのことで
試着をしたり、こまかな相談をしたりしながら
ゆっくりと気に入った一着と出会えるのではないだろうか、と考えます。

http://www.cafeleute.com/









一年前から、
ヘルパーの仕事をさせていただいています。
出会いになにより恵まれてのことですが
この仕事をはじめられたことを
本当によかったと感じています。

じぶんの手や、
心の運び方が
もっとしなやかに、こまやかに、鍛えられて、
ヘルパーという仕事のかたちになっていくといいと感じています。


ずっと使う道具が、
じぶんの手のかたちに馴染んでいくように。



キノシタさんのつくるお洋服のことを考えるとき

よく使われて馴染んだ道具、
そのいとおしさと、ある種の武骨さ(実際は、本当にかわいらしいお洋服たちですが)
を感じます。



オーダーのお洋服、というと少し緊張してしまうような印象をもたれるかもしれませんが、
決してそんなことは、ありません。



ずっと大切に着られる一着との出会いが、
やわらかくありますように。

2012年6月1日金曜日

湿度が高くて、ここしばらくいつでもどこかでずっと眠たいし眠りたい。


夜に外へ出るとふいに夏の匂いがする。


友人たちとの食事のあとにぱらぱらと、
会話が旅をする。

その旅の途中でうつらうつらして気が遠くなって
キャラバンから静かに離脱。
目を開けても
まだ会話は続いていて

眠っていたのがわからないように自然を装うも簡単に見破られている。


その全体が、とてもやさしい事態であった。




緑が繁っていて、どこまでも眠たい。

2012年5月25日金曜日

きのう、
ブリキッカさんのモーさんと久しぶりにお会いしたら
あのチャーミングな笑みをもって
「書いてる?」
と聞いてきてくれた。


モーさんにこそわたしは書いててほしいし、読ませてもらいたい。
わたしはといえば書いていない。
でもモーさんがそう聞いてきてくれるのは嬉しい。



いろんな機会をいただいて、
何かを書かせてもらったり
作らせてもらってきて、
そのひとつひとつ、チャレンジで、大切な機会なのだけど
頼まれなくてもつくります、という気持ちはとんとないなぁと思っていた。


でも、
一昨年からはじめたTシャツ作りは続けたい。

今年の形が見えなかったけど
さっきひらめいた。

すごくよい形でできそう。
思っていたいくつかのことの
出口がみえた!


なにが集約点だったかというと、
数日前との友人との会話がそれだと思う。


楽しみにおもってくださっている貴重な方よ、
おたのしみに!

2012年5月23日水曜日

大きなブルーシートを駐車場に広げて
土を拭き取る。
風が吹くので何度かめくれあがる。

大きく広げないで畳みながらやった方がよいのではないかなと思うけど
綺麗に広げて、という指示だったので
めくれあがるたびまた綺麗に広げて雑巾をかけた。


優先されるのは効率のよさではなくて、
指示を出す人のよいと思う方法、やりたいやり方がかなうことだということが
やっとやっと、馴染んできた。

よっぽどの強風で難しければ提案しただろうし
別の指示をもらっただろうけど。




たとえば、
花瓶のことを水差し、と話していたとしても
本質的にはずれていないときや、ただの言葉間違いのときには訂正しない。

逆に、しないでいてもらっていることも感じる。

期待と違う動きをした瞬間に咎めないで、
その動きの意図が果たされるまで、見守られていること。見守ること。



人と近くいるということの術を
からだでおぼえていっている気がするし
辛抱強く、教わっているように思う。



いいや悪いを逡巡することがずいぶんと、
最近のわたしの空白を埋めていた気がする。


言葉があって、生きるわけではないから

もう黙ろう、と思った。



なにがいいとか
なにがいけないとかに
疲れたし
結局どこへも行けなかった。















もう黙っていたらいいのだと思った。


草木が繁って、言葉がみえなくなるまで。

2012年5月20日日曜日

草に埋もれる。

http://www.youtube.com/watch?v=_YB3in5xEC8&sns=em


朝のホームに
茶畑のむこうから
茶葉を蒸す匂いが流れてくる。


薄く張った雲。
水色の空。


乗り込んだ電車。
座席の青。
リクルートスーツ。



昨夜、あのひとは多弁であった。

小さな反省を繰り返す。
いたらなさを戒める。
今度からはもう少し、うまくできるようにと誓う。


しずかな真面目さや優しさと
ささやかな怒りが
お風呂に入って床に就く。


感情の波立ちは寝息にかわって
やがてほどけていく。




うまくいきますように。
すべてのことが。

なるようになり、
わたしたちがおそれずにそれらを
受けとめられますように。




やさしい人がやさしいまま、
いつでもいられますように。




夜中に数度起きてやがて
カーテンのむこうに光。


からだを起こすには早いから
時間がくるまで仮眠用の布団の中で本を読む。



それから時間がきて、
起き上がって電車に乗った。


カレンダーばかり見ていた。

時間を数えるのをやめよう。



新しくなる。
新しくなれ。

2012年5月18日金曜日

リッスン

雨が強くなる。
雷の音が近くなった。

空気が綺麗になる。

『パピヨン』で、キューブラー ロスに触れ
彼女の自伝『人生は廻る輪のように』を読み始めた。



彼女が余命僅かとなった患者たちとの面接を繰り返し
彼らひとりひとりから受けとった言葉の中に共通するメッセージを見いだし
こう記している。




生きなさい。ふり返っていのちを無駄にしたと後悔しないように。
生きなさい。してきたことを悔やみ、別の生き方を望むことのないように。
正直で、じゅうぶんな人生を生きなさい。
生きなさい。





『人生は廻る輪のように』エリザベス・キューブラー・ロス(角川文庫)


それから
ロスは自ら経たいくつかの後悔をもとに
死の間際にある人が何かを要求したとき、
それへの対応は本当にその瞬間ただちにであることが重要であると書いているけれど、
本当はそれは、
死の迫る時でなくてもきっとそうなのだろうなと思った。



今、会いたい。
今、話したい。

そう気持ちが沸き起こったその時に
応えられることこそ。


明日のことを考えたら、あと30分で帰りたい。とか
今日のうちに片付けなくてはならないことがあるから時間はつくれない。とかいう気持ちを
一度どかして、

椅子に浅くおろしていた腰を
深くかけ直して

そわそわする心を洗って、

今の時間だけに
心を向けること。

そうすると、
ないと思っていた時間はいくらでも深まり膨らむ。

魔法が働く。





本当はそう。

いつでもきっとそう。

2012年5月15日火曜日

また湯船でとっぷり眠ってしまった。

あがると、闇の色が青くて
鳥が鳴き始めていた。

人の声がするので窓を開けたら、
男の子たちが校庭で爆竹鳴らして遊んでるのが、遠く聞こえる。
ひとりの笑い声がずっと、大きく聞こえている。


風は山の匂い。
濡れた木の匂い。


蛙の声もした。



爆竹が高く鳴る。

2012年5月14日月曜日

ハッピーバースデー

誕生日をお祝いさせてもらったり
産まれたばかりの赤ちゃんを抱かせてもらったりした一日だった。


現国の教科書で読んでから
『永訣の朝』という詩が好きだ。



うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる




命が何かわからないまま、
新緑の美しさや
陽光の恵みにさらされて立っている。


赤ちゃんの爪は小さくて
あくびをして
手足を動かす。

かわいくて夢中になる、
この気持ちの働きはなんだろう。


わからないまま
燃えている。

生命体。


ありとあらゆる、
ひとつひとつが。

2012年5月13日日曜日

稲荷山公園をぬけて、
出かけようとしていたのだけれど
新緑が綺麗だから出かけるのはやめて
公園で過ごすことにした。

好きな場所まで
柔らかい土を踏みながら歩く。

草の緑が濃い。
時々、木々の合間から射した光が
白く空間を浮かび上がらせていた。


草の上に寝転んで
見上げた空は鳥の通り道だったようで
いく羽も飛び交っていく。

羽の形。




空の青は同じトーンを保っていて
近いのか遠いのかわからない。




太陽が眩しくて
目の下までストールを引き上げる。

2012年5月12日土曜日

祖母のからだが
どんどん小さくなっていく。


隣に座ってテレビをみたり本を読んだりする。

祖母はノートに何かを書きつけている。
それは「仕事」らしい。


部屋にもどろうかな、と言うと
もう少しいろよ、と言う。



明日、デイサービスへ出かけるために
タクシーを手配してほしい、と言う。

◯◯さんと、◯◯さんの家の前にも、頼んでくれ、と言う。

デイサービスから迎えに来てくれるから、大丈夫だよ。いつもそうでしょ、タクシーで出かけたら、迎えに来てくれた人が困っちゃうよ、
と言うと

そうか、と言って黙った。



自分の出来ることを
祖母はいつも探しているように見える。




風が強くて
木の葉がざわめく。

祖母の背はますます丸くなって
埋もれるようにして座っている。

2012年5月11日金曜日

We Are Already One !

昨夜、
星空模様のリュックサックのおばあさんとは
帰り道も駅で一緒になった。


杖をついて体を揺らしながら
歩み進むおばあさん。


青い夜の始まり。
空の裾に橙。
ビルの先の赤い光はロウソクの先のようであった。


激しい雨が過ぎ去って
空気は澄んでいる。
星が光っている。




ゴールデンウィークの週末は本当にお祭りのように
キラキラしていて



楽しんだ分、ヘビーウェイト
泣きたくなるんだ。



ハミングバードの歌詞にあるように
つん、と悲しい気分がやってくる。

くると思っていたよ、と思って
できるかぎり静かにする。

それもまた過ぎてしまうのを知っているし、
この気持ちのときの過ごし方こそ、今は大切な気がする。




悲しみにたぶん理由はないから
探さなくてよい。


目の前のことに向かっている間に、
消えていってしまう。






新緑が美しい。

明るい約束をした。





生きてて嬉しい。

2012年5月10日木曜日

絶対世界平和。

星空模様のリュックサック背負ってるおばあさん、
今朝もまた駅でみた。


嬉しいことと悲しいことが
おなじお皿の上にある。


出来事はいつもポーカーフェイス。


見つめすぎると見えなくなるから
眺めていられたらいいのかもしれない。



ホームに電車がやってくる。


雨だと思って起きたら晴れていたから、
そのことが嬉しかった朝。

2012年5月9日水曜日

アイラブユー

http://www.youtube.com/watch?v=qwPOeqmnXMk&sns=em



朝、駅までの道を歩きながら

暗い道を歩いていても
明るい道を歩いていても
道の明暗と心の明暗は
べつのものだ、という考えを思い浮かべてた。

例えば歩く道が暗いときも
心を明るくしていられたら、
ということを考えていた。




田口ランディさんの『パピヨン』という本の中で引用されていた、
キューブラー ロスのことば






私は大丈夫ではない。あなたも大丈夫ではない。だからそれで大丈夫。






見つけた、と思った。

2012年5月6日日曜日

気がついたら眠ってしまって
起きたら天窓のふちが光っていて
覗き込んだら月が見えた。



明るいことは美しく
遠くからでも見えて
多くの人と分かち合える。

暗い道を歩く姿は見えにくいけれど
その歩みのなかで揺れ動く心が
粒子を細やかにする。

細やかになるほど光は近くも遠くも明らかにして

閉じた殻の内側まで静かにしみとおり、響く。


明るいことは美しい。

影は明るさを和らげる。
受け取りやすく響きやすく分かち合いやすく
しなやかな質に変える。


その両方を知ってる
あのこは素敵だ。
あのひとたちは素敵だ。

指の先に光


お腹の中に光


影は海風に撫でられ安らいでいる。



あたたかいこと


生きているからわかちあえること



今が光るとき
過去のすべてが癒される
未来が笑って近づいてくる



ピース、
ピース、
ピース。

2012年5月5日土曜日

満月にむけて。

笑ってる人の顔をみると幸せになる。
すごくシンプルに、ただ本当に嬉しい。
だから自分も笑って、
そしたらまたみんな笑う。

そんな魔法がはたらいていたな、今日も。


という、
3日、4日、
ロイテのマルクトなのでした。

2012年5月3日木曜日

たくさん書きたいことがあるのだけど

雨が降って言葉が散って
まとまらない。

胸の奥はしずかに安定していて
いろいろなものを感じとっているようだけど
まだ言葉になる前。


いのちのかたちはやわらかい。
正解はいくつもあるから、ひとつ選びだすことが難しい。


間違えもきっとたくさんある。
正解とおなじだけの数。



ただ、よろこびとか愛に向かっているかどうかを
ひとつ選びぬくときの
決め手としていたいし、
決め手として信頼したい。

2012年5月1日火曜日

ロイテでマルクト!

湿度が高まって、
枝の先が重たくなります。


からだがとぽとぽ、しずみこんで
湯船で朝方まで眠りこけてしまった。

風邪がすこしはやっているみたいで、
冷たくなった湯船で目覚めたときには私もいかん予感がしましたが、
どうやら大丈夫そう。

とはいえ
今ひくだいたいの風邪は、夏にむけて体を調整してのことな気もします。
だから治ったときにはきっとすこし、強くなっているように思える。



おしらせがあります。楽しい!


今度の、木曜日と金曜日には
cafe leuteでマルクト(ドイツ語で市のことだそう)がひらかれます。

詳細はロイテのブログでご確認ください。
http://www.cafeleute.com/


それは楽しい、市なのです。

素敵なものがたくさんあるし、みんなニコニコしているし、
出かけると、なんだかいい気分になって、その夜あたたかく布団に入れるような。


ぜひお出かけくださいね。


わたしも田中奈緒ちゃんとのユニットauroraで、
ロイテでお食事を頼まれた方にお渡しするフリーペーパーを作らせていただきました。

テーマはピクニックで、
それぞれの描いた文章を、ふたりでレイアウトしました。


ピクニックのことを思い出すとき、食べたものの味や、風を受ける感覚はすごくよく思い出せるのに、
それがいつなのかは曖昧になったりする。

野外での食卓は
生きるよろこびのひとつだなぁと感じます。

いくどでも。




さて、
今は電車の中でこの記事を書いています。

隣に座ってる眠りこけた男の子がよりかかってきます。
お酒くさい…。


いつまで肩をかしたものか。



よい連休を!


お休みでない方にも、楽しい今日がありますように。

2012年4月24日火曜日

イッパイアッテナ

小さな雨がずっと続いた一日で
雨合羽かぶって歩いた。

明日は晴れるかな、
晴れるといいねと話したので
今朝起きて見た青空は嬉しかった。



時を経てから、
気づく優しさというものがあって
ありがとう。と心で思ったとき
目の前にその人はいないけど、
なにかかならず、
明るさとして届け。



深刻さに集中せずに
解く方向に働きかける。



光があるから見える。遠くまで。
それは今ある。


ナズナの葉っぱはハートの形だと、
今年も思った。

2012年4月20日金曜日

鳥が鳴いている。

30才になりました。

なんとなくこの年を迎えることを
すこし特別に感じていた。


実際に誕生日を迎えて思うのは、
30年も生きるというのは
奇跡を体現してるようなものだなぁということで

その奇跡というのは、
ありとあらゆる、連鎖。
それから出会ってきた人や育ててくれた人の力が、とりわけ強く思われ
それが心に
感謝と勇気を導く。



どうやって生きていけばいいのだろう、
そもそも生きてるのだろうか、生きるってなに?ここはどこ?
という模索を続けてきた気がするけど、

今は
とりあえず生きてるらしい。という感触がどうやらあるし、
生きるって意志はもとより、生かされてるという方が近い気がして、

その気分は
命に対して素直になることを引き起こす。



わたしは生きています。



それで、
とりあえず生存が前提となった世界は
(死ぬまでは生きている)
すごく身軽です。



これからは(も)
毎日がプレゼントだ。



なるべく、
やさしいもの
なるべく、
あかるいものを
火として
この器にともしていければいいと思う。





xxx

2012年4月12日木曜日

キツツキとトオイトオイ

薄いピンク
花の色と夜のはじめの空の下の色が重なる。

電車に乗る。
雨が降る。
思い出しては忘れて、思いついては流れていきます。

傘をさす。
傘はささない。

フードを被る。
家までもうすこし。



心戻ってこい。

視界が広くなる。
世界はもともと多分永遠だ。


心戻ってこい。



細やかに動きたい。


桜が咲いている。

2012年4月10日火曜日

ひとつ前の記事でご紹介中のワークショップ、
第二部はいったんお申し込み締め切りのようです。
第一部はまだ募集をしている様子。
とてもよい内容になると感じています。
好奇心はたらいている方、ぜひ*





さくら、さくら、さくら。



夜歩いても花の気配。

2012年4月5日木曜日

『未来はミラクル』

地面も空もなくなるような風が吹き渡りました。
過ぎ去ると地面と空が広々とあります。

今日はお知らせがあります。


shure という、場所で
4月21日、新月の日に
フラワーエッセンスのワークショップが開かれます。

ワークショップの内容と
フラワーエッセンスについては
shureのblogに詳細があります。
(↓ぜひご覧ください)

http://shure.cimai.info/?eid=32

フラワーエッセンスや
エッセンスの生活への取り入れ方に関心のある方
植物が好きな方。。
充実した内容になると思いますし、
とてもユニークな空間になりそうです。
興味のある方はぜひこの機会にご参加ください。



わたしは自分が、『治ること』への関心が強いことに気がついています。

フラワーエッセンスは自然療法ですが、
今回のワークショップで講師をされるつわみさんは
わたしにこんなことを教えてくれました。

フラワーエッセンスを体系化した英国の細菌学者、バッチは
フラワーエッセンスのことをレメディと呼ぶのを好んだそうです。

re medy
再び もとに戻る

語源をたどると、レメディにはそんな意味があるそうです。


『治る』ということは
強化することや、補足していくことではなくて
もとある状態になることなのだ、というアイデアは
わたしにとって
つるん、とゆで卵の殻がむけるような
シンプルで美しい閃きでした。



わたしはフラワーエッセンスが好きです。

そして、大切な友人でもある双葉さんは
とても魅力的で誠実な人柄を持っています。
彼女の作るエッセンスもユーモア(それは愛!)があって、精密。といった印象を受けます。



shureという、精神の自由を探求するあたらしい場所と
古くから伝わる自然としての人の感性に響く治療法が
どんな巡り合いをするのか
わたしはとても楽しみです。



shure
http://shure.cimai.info/
双葉(つわみ)
http://futaba8.blog121.fc2.com/

2012年3月31日土曜日

午前1時48分

靴をそろえる。

一日中、えらく眠たくて
今日は早寝だと思っていたのに
結局真夜中になっているけど、
春の夜中はとても綺麗だなぁと思う。

夜に嗅ぐ花の匂いは宇宙のことば。



ハクモクレンが開きはじめていた。




絶対に踏み込ませない
心の領域はある。

信頼している人の前では
扉が開いているけど
それはその人が、
そこを踏まないでいてくれると
信じられるからな気がする。


だから私も
人の心にそれがあることを
わかっていたいし
大切にしたい。




体の自由がきかなくて
あらゆる部分を他人に預けるとしても
心だけは自分で持っていることができる。
心は自由。
尊厳を保つことができる。


この一年で学んだことはたくさんあるけれど
その中の、大切なひとつのこと。

2012年3月29日木曜日

すこし上着が薄手になったりしながら、
螺旋を描くようにして春になっていきます。

あたまが自由になるといいな、
心はたぶん、もう自由だから。と思った。

浅くなりがちな呼吸を
ぐぐっと深くする。

2012年3月26日月曜日

紅白

眠っている場合じゃない!と思ったら
体が動かなくなって
一日眠ることになった。


月ごとにページが変わるスケジュール帳を
窮屈に感じ始める。

体感している時間の流れとのギャップがすごくてついていけないし、追いついてくれない。

マヤカレンダーの円盤をこの間テレビで見たけど
時の掴み方って方法で、
スケジュール帳がもちろん時間のかたちではないのであった。

あたらしいアイデアがほしい、と思っているけど
それは
古いアイデアを捨てたい
という思いから生まれてる。


自分の視点を古く感じる。
更新が必要だし、
もっと愛に寄りたいと思う。

2012年3月24日土曜日

ハイスペック!

髪を切ってもらった。

遠くを見れば視点が安定して、いま何をすればいいかがわかってくる。

本当にぼんやりしすぎていた。

夜空が明るい。
バッティングセンターから聞こえてくる音。
細い月が沈みかけている。
風に揺れてこすれ合う葉。
星はピカピカ。目に落ちてきそうなくらい金色の粒。

眠っている場合ではなかった。

まだまだ旅の途中であった。

まだまだであった!

2012年3月23日金曜日

メモ

○デザイン(うつくしいもの、価値のあるもの)によるコンプレックスの昇華=care

○障がいについて理解、共感すること=心理的にフラットになる→空間の隔たりが消える

○障がいがその人なのではなくて、ひとりの人が、ある障がいを持っている。
病気がその人なのではなくて、ひとりの人が、ある病気を持っている。

○レメディ=re medy
治ることは、もともとある状態になる。という考え方(つわみさんに教わったこと)



ちょっとぼんやりし過ぎていた。
正気に戻らなくては。

2012年3月22日木曜日

ブギー、ブギーバック

ホトケノザが咲いている。



おじいさんが、
ショッキングピンクのTシャツを着せた犬と散歩している。


背中にはハイビスカスのプリント。

じいさんも犬も次の一歩を決めかねているようなスピードで
のらりくらり進んで行く。

2012年3月21日水曜日

ランウェイ

川から水があがっていた。

梅の香りが混じる、すこし冷たい風と
夕方の金色の光とに
一年前の感覚が呼び起こされる。

体は記憶の保管庫みたいだ。


絵を描いていただいたお金で、
一年前ヘルパーの学校に通った。

「失敗」してはいけない、と思っていたから
(勉強してみて、その道を歩かないことを、その時の私は、失敗することだと考えていた)
決めかねていたときに

ただ描かせてもらえるだけで嬉しかった絵のお仕事に
先生と友人が、きちんとはからってくださり
充分(以上、といってしまうと、ふたりのくれたお仕事に不誠実だから、胸をはっていいません。)な報酬をくださった。

それが心をばーん、と押してくれて
前に進むことができたのだった。


自分自身に関する決断はいつも、自分自身がすること。

それしかできないとも思っている。



だけど決断までには
あらゆる人の思いや偶然の導きが
たくさん、たくさん
降り注がれているようにたくさん
助けをくれる。
いつもいつもいつも。


毎瞬感謝しても
死んだ後までしなくては
きっと間に合わない。


梅の香りは希望の匂い。

ひとりで生きられないように、世界ができている。

誰かに喜んでもらいたい。

狭山市駅のエスカレーターと階段の上に取りつけられた屋根は
虹色に光り始めた。

駅からぬけてきた帰宅者が
その光の前で一瞬「あ、」となり
虹をくぐって降りて行く。


黒いコートやスーツの背中が、
虹の下に吸い込まれて行く。


腕組みして眺める工事のおじさん達。


ぼんやりと発光する七色の下をくぐると
静かに明るい気持ちになった。

2012年3月17日土曜日

コミュニケーション

夕方から雨がすこし降った。

駅の西口ロータリーをぬけた遊歩道には
小さな星粒のようなライトが控え目に散らばる。

足もとにふいに現れた天の川にはっとなった。


それを、思いついた知らない誰かの気持ちに触れたみたいな気がして
(スロープへ導くライトを小さくしてランダムに散らしたら、星のようになって、それはすごく、素敵じゃないだろうか)

柔らかい心のあらわれを
見た気がして、
見つけたことがその人への返答のような気がして。


朗読サークルに入っている母は
今日の発表会のために
ひとつのちいさなエッセイを数ヶ月のあいだ読みこんでいた。



どうしてだろう。


熱心に。



認知症の症状がではじめた祖母は
夜中に自分の母親を探していた。




どうあるべきなんて、あるだろうか。
こぼれてしまう。こころは大きくて、柔らかいから。




祖母はわたしに
ひゃくおく兆円くれると言った。

それで服を買いなさいと言った。



バス停に貼られたジェットコースターのポスター

ポテトと一緒にテーブルに残されたメモ




生きてて嬉しい。

わたしがあなたに見えて
わたしにはあなたが見えるから。

ピース

うつむいていたら、
眼鏡のレンズの内側に天窓が映ってるのが目に入る。



久しぶりに夢をみた。

すごく重たいものを背負って階段をのぼっていく。
後ろを振り返ると体操の弘道お兄さんが
同じようにして階段をのぼってきていた。



沈丁花の花が開きつつあるのをみたり
桃の花が咲いていたりして
風の匂いがあまい。



はるなつあきふゆ、はるなつあきふゆ

ふゆはるなつあき


次はあたたかい季節。

2012年3月11日日曜日

ひかりがそそいでくる。

昨夜は布団に入ってから
結局1時間半くらい話していた。

彼女と出会えてよかったなと
その間2回くらい、ふと思う瞬間があった。

贈り物だと思っている。



夜勤を終えた朝

お腹が減っていたので
東口のドトールに入った。

店員さんの笑顔がまっすぐで嬉しい。

窓際の席には光がさしていた。



本屋さんが開く時間になっていたので、
ドトールを出たあと立ち寄ると
『ノーマライゼーションの原理』という本があったので買った。



家に着いたら眠たくなった。



部屋の中はしずかで、
天窓から光がそそがれて
目覚まし時計が光っている。



市役所からの放送が
黙祷をお願いしてる。


目覚まし時計が光っている。

2012年3月7日水曜日

エブリシングゴナビーオーライ

春だ。

空気が水を含んで揺れている。
それを孕んで膨らむ旗がバチバチ。

白い月がすこしずつ明るくなる。
夜がゆっくりやってくる。


あと一ヶ月くらいしたら
誕生日がくる。

春の夜はお腹の中と似ている気がして
羊水のなかで多分、
わたしはもうすぐ生まれるのを楽しみにしていたんだ、
と昨夜思った。
とおい、あまい、よろこびを吸うような感覚が
春にはいつもあるから。


もし、生まれ変わりが本当にあるとしても
今生のあとにまた
かたちを持って生まれてきたいと思わない。


忘れそうになるけど、
一回きりだよ、シャンとしよう
とちいさく思い直す。

2012年3月6日火曜日

準備ができていたなら、プレゼントが届きます。

夜に吹く風がまるくて春だ。


日曜日、
電車の乗換えを失敗してひっそり落ち込んでいたら
駅に降りたときに画家のayacoちゃんとあやちゃんと、ちおさんに会えた。

アンラッキーはラッキーの伏線だから
ページはめくりつづけてみよう。


目の前を駆け抜けて行った3人は天使みたいで
目の中の残像で「ayacoちゃん!」の輪郭を確認して駆け寄った。




昨夜は
電車の中で高校のとき大好きだった友人をみかけた。

10年ぶりだから自信がなくて声をかけなかったけど、

思い返せば
足の組み方とか
ピンクのごついスニーカーにクラシカルなコートを合わせるセンスとか
全部そのこそのものだったのだから
間違えてもいいから声をかければよかったのだ。




駆け抜けて行ったayacoちゃんは流れ星のようだった。


するりと視界から消えてしまう前に

追いかけて声をかけ

顔を合わせられたら
笑うことができる。

2012年3月5日月曜日

愛だ!

悲しみにつかまりそうになる朝でグズグズしていた。

枝の先の蕾を包んで
雨垂れ

悲しみは粘り強いけれど、
のろいというのが弱点で

悲しみより速く動いてしまえば大丈夫。


そして重たいというのも悲しみの性質だから
つかまると浸りがちだけど
もっと軽く明るいものを優しく振りかけてると散ってしまう。



イヤホンから YUKIちゃんが
『愛だ!』
って言う。

雨の前に多分、粉雪。

君たちの愛車の屋根に積もっていた。

2012年3月1日木曜日

アイラブユー

雪が降ってせんぶ真っ白になった。



ハンバートハンバートを聴いていた。

まっすぐな声に
顔が持ち上がる。

そういう力のあるものは、すてきだなと思う。


顔が、前をむく。
引っぱっられてるわけじゃなくて
それがそこで、光っているから。

2012年2月28日火曜日

ドアを開けたら冷たい風があたって少しひるむ。

それでも日がのびて、
もしかしてもう春の中なのかなとも思う。


働かせてもらっていた映画館に
昨夜、退職してからはじめて映画を観にでかけた。


ものすごくうるさくてありえないほどちかい
を観た。


朝の回がいちばん集客があって
夜になるほど空いていく劇場だから、
レイトショーではやっぱりがらがらであった。


それでも、周りに幾人かの人の気配があって

ひっ、と涙がこみ上げたときに出た音が恥ずかしかったり

エンドロールの終わりまで
誰も立とうとせず、
ある空気感を共有している感じがあった。



スタッフのまっ黄色いシャツを
わたしも一年前は着ていたと思うと
とても不思議な感じがする。

キャラメルポップコーンの匂いをかぶったまま
自転車漕いでいたのも
過ぎてしまうと、ぜんぶ夢みたいだけれど

ぜんぜん夢じゃなくて
そこにあったし、毎日いたんだなと思う。


高校時代の先生が奥さんと一緒によく来て
「ここの社員か?」と聞かれて
「アルバイトです」
と答えたら、
困ったふうな顔を彼はしていた。


すごく時給が安くて
全然お金も貯まらなかったけど、

だけど劇場を綺麗にしたり
楽しみにやってくる人の顔を見られたり
すごく素敵な仕事だったなと思うし、
いい仕事だなと今も思う。


「映画館でアルバイトをしています」
と言うと
「いいなぁ」
という反応がよくかえってきた。

いいんだよ、とよく思った。




自分のしてきたことのぜんぶ、
冴えないことも明るいこともぜんぶ、
過ぎてもなくなることはないのだなと思った。

2012年2月25日土曜日

ものとはなす

明日、26日まで
狭山のcafe leuteでは
ヨーロッパと日本のものを中心に集められた
雑貨たちの展示と販売がされています。


「小さな道具展」
と、つけられた名前のように
ひとつひとつ、雰囲気をまとった素敵なものが集まっていました。


わたしは写真にもあるくまくんが
どうにも愛らしくて、
くたっとしてすっかり眠ってる毛の感触にも心惹かれ、
一緒にうちに来てもらうことにしました。


ひとつひとつに味わいがあって、
それから物語を持っていて
ほかにも惹かれるものが
ほんとうにたくさんありました。


ぜひ
ご覧になって、
どんな街で手に入れたのか、
どんな過程を経て、いま目の前にやってきたのか、
ロイテのふたりから
お話聞けたら、たのしいと思います。




わたしも、
やってきてくれることになったくまくんとの出会いがとっておきなので
もう欲張りはできないけれど、
ゆっくり眺めに出かける時間が
この週末にまた、つくれたらなぁと思います。

2012年2月24日金曜日

遠回りのようで最短距離であった。

雨が降るごとに温まる。

新聞屋さんのバイクの音

タックタックタック


まだあたりは暗いけれど
いまが夜明け

そのさなか。



柔らかくなった土の下の
新芽の気配に
目がつつかれている。

2012年2月21日火曜日

お仕事明けの、小さな駅にある小さな花屋さんが
暗くなっても電灯ともして開いていて
帰り道
駅舎にむかう横目で眺めてばかりだったのだけれど、
駐輪場で払う小銭を作っておこうと思って
この間はじめて立ち寄った。


アネモネを買って帰って
明日生けなおそうと思って台所に置いていたら
「気持ちが明るくなるね」
と母が喜んだので、
部屋に持っていくのをやめて、そのまま台所の花瓶にさしておいた。



花屋のお姉さんは体格がよくて、
くっきり二重の大きな目をしている。


丸い指先の短い爪の際は緑黒く染まっている。


なんとなく、
彼女をすてきだなと思って


昨日もふらふら立ち寄って
ラナンキュラスと金魚草とレモンリーフを貰った。


お姉さんはそこにいるだけで
親しげなやりとりがあるわけではないのだけれど、
駅の隣の小さな花屋に彼女がいることが
なんとなく今うれしい。

チクタク、トントン

帰り道に駅の歩道橋を渡っていたら
作業後の造園会社の人たちが、
橋の下にある工事中の現場を覗き混んでいた。

木が幾本も植わっている。

大きくなるといいなと思った。