2012年8月30日木曜日

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寝ても眠たい朝です。
ハンバートハンバートの
妙なるしらべ
という曲を聞いていました。


中学生の頃、
妙子ちゃんというともだちがいて
書道教室からの帰り道、
ふたりで歩いていたときに
「みょうな子、で妙子だよ。なんでこんな名前なんだろう」
と言った妙ちゃんに、
「妙って、とてもすぐれているとか、そういう意味があるみたいだよ。すぐれている子って名前だよ」
と話したら
「そんな意味があるんだ!」
と言って、笑顔になってくれた。


わたしは、
妙ちゃんが自分の名前の意味を知らなかったことに
ちいさく驚いたし
ずっと、きみょうの妙、と、
自分の名前の意味を
思いつづけていたんだ、
と思ったら
それは辛かったろうなと
想像した。



わたしがそのとき、
妙、の意味を知っていたのは
やはりわたしも以前、
どうして奇妙の妙の字が、名前につかわれているんだろう
と思って、
妙という漢字の意味を調べていたからだった。

妙なる子
たえこ

素敵な名前だと思っている。




「小さな山」
を、ロイテに置かせていただきました。

6人の友人からことばをもらいました。
わたしが感じた彼女たちについて、や
彼女と過ごしたときについて
短い文章をかきました。


本人の印象とは
もしかして違うところがあるのかもしれない
とも、どこか思うのですが
わたしのとらえている、
彼女たちの側面で

そしてひとりひとりのことが
本当に、すきです。


誰かと出会えた場所が
ロイテでした。

今日も
明日も、
入り口のそばに
置かせていただいています。

2012年8月26日日曜日

気がつけば
聞こえてくる虫の鳴き声が変わっている。


ひと晩、冷静になってみると
本当に欲しかったものが見えた。

慌てながら探していたときはずっと
頭で見つけようとしていたから決められなかった。



わたしはもうすぐ引っ越そう。
何度もそうしようと思いながら
なんとなく理由をあげては決められないでいたけど、
何度も思い浮かんだのだから
そうしてみよう。


すぐにということはないけど
いつかということはない。


わたしも準備をしよう。
季節が変わっている。

2012年8月19日日曜日

明日にはなにもかもが違う

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西日のおちた空

NTTの鉄塔と
ベランダの洗濯物



木の枝が夢みるみたいにして揺れてる。

農家のお家を取り囲む小さな森は
影になっている。


アパートの石塀のむこうに
テッポウユリが見えた。



アリアハンの勇者は誕生日の朝に
お母さんに起こされてお城へ向かう。


起こしてくれるお母さんのいる朝が
いつも絶対みたいなのに



セリフを聞いたら
はい

いいえ
を答える番で

いいえ、
と答えても
はい、
になるまで
物語が進行しない。


はい、

答えたあとには
すべてが変わる。


いいえ、
と答えることが
わたしたちにはできる。


物語は
わたしたちを待っていてくれる。

だけれど、
保留期間にはいつまでもいられない。


わたし(たち)はいつか
かならず
はい、
と答えて
そのむこうの景色を見に行くだろう

ひかりもやみも

風があって、木々の葉が揺れる。


ヨガを教わりながら
バランスポーズをとったとき
「揺れてもいいんです。木は揺れるものだから。でも倒れない」
と先生であるあいぽんが言った。


揺れてもいいんです、
でも倒れない。


その日はなんだかうまく、
バランスをとることができた。

2012年8月14日火曜日

天の川通り

ガレージに出て
ゆるやかに傾きはじめた午後の光の中で
プランターの緑を覗きこむ
母子の姿が綺麗だった。



解体されていく夏の日

サルスベリの花びらが土に散っている。




一年前の日記帳がでてきた。

今までに得たものを持っていこうとするから、
進めない。
新しい場所へ行くということは
今までに得たすべてを
置いていくこと。


ということが書かれていて

あ、そうだな

と思った。

覚悟をみせる。

坂本美雨はかっこいい。

http://natalie.mu/music/pp/miu

2012年8月12日日曜日

よくなる、


 

 
青いプールの中で子どもたちがはしゃいでいる。
ひと夏のうちに何度もは交換できない水

プールの中でおしっこをする人もいれば
消毒は欠かせないなぁと考える。
海の中でおしっこをしても
それは問題にならないだろう。
なにかを溜める、ということはそういうことで
流れている、ということはそういうことなのかな
と思う。
 
 
影がうすらいで、
空気の芯に冷たさがある。
 
 
 
夕方の風がやさしくなる。
金色
日焼けした腕でハンドル握って
サンダルの足でペダルを漕ぐ人ら。
 
 
 
その後ろ姿を見て思い出す。

好きな人に会えなかった夏休みは長かった。
授業のない校舎は眠ってるのに、
職員室だけに生々しい動きがあって不思議だった。
先生が知らないただのおじさんのように見えた。
 
 
 
木立を抜けて、体育館に向かった。何度も。
凍らせた麦茶のボトルが汗をかく。
 
 



 
 
 
自分だけしか、信じていないのかなと思って悲しくなったら
疑ってもない人の声が聞こえて
その明るさは花火に似てた。
朝や昼間にあがる、明るい花火の音。
 
 
 
二学期は空っぽの教室から始まって
壁にあいた画鋲のあとを、指でなぞった。
 


 
 
 

 

 
 


 
 

 
 

 
 

 
 
 

2012年8月9日木曜日

クールビズファイター

ロイテでfabrica[*]の写真をみた。


伸び繁った木々の緑が
窓からの自然光に照らし出されてる。


光景に自由な未来を感じる。



ねばならない、を撒いて
呼吸する理想
食卓の上でカチャカチャ響く音と共生





そこから銀座の月光荘へ
ayacoちゃんの絵をみにいこうとしていたら
ayacoちゃんが友人と一緒にロイテにやってきた。

とても素敵なTシャツを着て、
素敵な笑顔で。



月光荘の店員さんは
穏やかなやさしい顔をしていて
どの人もなんだか人間らしくてほっとした。

ayacoちゃんの絵はやっぱり素敵だった。

真面目でおかしくって、
太い時間が流れていて
繊細で逞しい。


絵をみながら
絵がファンタジーなのでなく
この世界がファンタジーだ。
生きたり死んだりして
なにもわからないまま。
と感じてくる。

目の前にある
ayacoちゃんの絵の中の人たちが
勇気をくれる。

自分の中の逞しさが
やわやわとしたお肉の奥できらっと光る。


タフにいこう。
太くなめらかな波のうねり。
力強くオールを漕ぐ。

海原が真っ暗でも迷わない。
自分の中に光があれば。

2012年8月6日月曜日

生まれたばかりの赤ちゃんに触らせてもらった。

なんだかもう、
そこにいるそのことが
まるまる、かんぺきで
本当に、じゅうぶんで

「なにができるようになればいい」
とか
そんなことは、ないなぁ!
足りないものなんて、どこにもないなぁ!

と思った。

お父さんの笑顔を
お母さんの笑顔も
本当に素敵だった。





熱気にくるまれて眠って
夢の中のレストランで
モヒートを頼んだ。

お祭明けの朝
街はすえた匂い

だらしなく弛んだ電線

ほどいて
日常になる

その流れもわたしは見てたい。




目に見えてこない奥のところで
ちゃんと通じてるから
大丈夫なんだよ、

駅のホームで思った。

2012年8月1日水曜日

p e a c e



7月21日からはじまった Dear Our Baby
namiotoの展示を終えて、昨夜搬出してきました。
 

大切な友人たちに協力してもらって作れたこと
期間中も、制作途中も cafe leute のふたりが
見守っていてくれたこと
ちいさくもおおきくも、楽しんでもらえたことの
ひとつひとつが、かけがえのないものです。
 
ありがとう。
 
 
 
期間中
友人たちと、たくさん会話を重ねました。
 
Dear Our Baby の展示のなかには
今に繋がる過去が、集まっているのだけど
 
そのときの中で
これからの話をしたり
小さな友人たちと遊ぶことができた時間を
とてもいとしく感じます。
 
 
 
会おうと思えば、いつでも会えるけれど
今は会わない、たくさんの人のこともふと思いました。
  
 
それから今はみえない、数日後、数ヶ月後、
来年、自分のいないいつかへも 思いを馳せてみたりしました。
 
 
 
 
かたちがあるというのは
何か大きな力に引きつけられてだと思うのだけど、
 
ふだんはかたちがあるということに
手ぶらで無頓着でいることができ
私たちは出会ったり
関わることができる。
 
それはすごいことだなと
いつも思う。
 
 
過ぎた時間はかたちから離れてしまうから
いつでも今しかないし
ここになくて触れないものは信用し難いこともあるけれど
でも多分それはたしかにあって今をつくっていて
今はいつかへのメッセージを送り続けてる。
 
 
それなら
何を受け取って、どう生きたいか
何を送って、今をどうありたいか
と思うと
 
素朴でありふれた
新鮮な愛が
それとしてよし。とあれる
ひとときのように思う。
 
 
 
この展示ができてよかった。
 
 
8月になった。
 
とても新しい。