2012年9月28日金曜日

台風が近づいて
なんとなく息苦しい。

あまり急いだりしないで
考え込んだりしないで
ただ過ごしていることがよさそう。





葉っぱのかたちが妙にくっきり
目に迫ってきて
いたたまれない。



一方で
いままでは目にとまらなかったものが
視界に入ってきて新鮮だ。



夜がきたらはやめに休もう。




マイクミルズの『人生はビギナーズ』
ようやく観た。

DVDを買おうと思う。

2012年9月27日木曜日

コスモス

朝、自転車を漕いで駅までむかう。
コスモスが咲き始めた。



昨日は青空が深かった。
はじめての場所に出かけて
はじめましての出会いがあった。


素敵な場所だった。
素敵なひとたちだった。




一緒になったayacoちゃんと
月を見て帰る。
電車の中で交わした会話が
気持ちに入った。


ホームで手をふる、しあわせ。




お腹がすいて立ち寄ったお店のカウンター席で
カレーを食べ終えたところ、話しかけられる。


その人は
地震で婚約者を亡くしたんだ、と話しはじめて
それから
状況の断片を
大きな声で話し出した。



お酒も入っていたのだろうけど
合わせたその目が
すこしも揺れなくて
揺れない目を見てるしかできないでいたら、

席を立って
テーブル席のグループのところへ行き
同じ話を始めた。







帰り道、
わたしはayacoちゃんたちと交わした
お鍋の約束がかなうといいなと思った。




夜中に目が覚めて
あの目があたまに浮かんでる。


生理がはじまって洗面所で下着を洗った。

2012年9月26日水曜日

宇宙のいろ



おやすみの日に
電車に乗って出かける用事もなくて気ものらないでいて
夕方になって少し川べりを散歩したりし始めると
そのまま駅へ向かってロイテへ行って珈琲を飲んだ。
 
そんなふうに、ここ数年はずっと過ごしていたんだなぁと
9月も半ばを過ぎて、気がつき始めました。
 
わたしはほとんどのひとよりすこし勤務日数がすくなくて
週にいちど、連休もある。
ロイテの珈琲はわたしにとって日々の句読点だった。
 
いまはさらさらと時が流れて、
自分にはこんなに時間があったんだなぁと
気がつくのです。
 
 
 
 
今日は羽毛布団を出して、
いま陽にあてている。
 
 
お昼をすぎたらすこし電車に乗って出掛けよう。
 
 
 
 
 
秋のひろい日。
何年前かのいつかに似ていて
いろんな人の顔や
いろんな場所の風景が
ふと脳裏に浮かんでは
あわあわ流れる。 
 
 
 
手紙を書こう。
整理整頓をしよう。
 
 
 
 
 

 

 
 

2012年9月25日火曜日

その日によって、からだは違うから
前屈して指がついたのはまぼろしだったのではないかと
前屈してみたらやっぱり指が床に触れる。

小学生の頃の体育ではもう
床すれすれのところで指がプルプルしていた気がする。

いまの自分のからだは、
小学生の頃のからだより柔軟なんだ。

そう思うと、すごくうれしい。

何かが新しくなって
戻ってくるような。






昨日は真夏日に戻ると予報にあったのに、
涼しい一日で
太陽のひかりもガラス瓶のなかみたい。

2012年9月22日土曜日

金曜日




本棚の整理をした。
久しぶりに古本屋さんへ
本をまとめて持って行った。



午後からヨガを教わる。

お昼の光が気持ちよかった。

あいぽん先生にサポートしてもらって
前屈のときに指先が床についた。

そのあとひとりでした時にもついた。


昔から地上20センチくらいで
指先をぷるぷるさせていた自分の中で
からだが変わったと感じられた瞬間だった。


日曜日に、
愛さん(あいぽんとは、またちがう方。愛という素敵な名前の友人たちがいて嬉しい)に誘っていただいて
通っているヨガでも
素敵な先生に教わっている。
「胸を広げて。鎖骨に光をあてるイメージ!」
先生がよく伝えてくれる言葉は
日常の中でもよく思い出されて
姿勢やからだの使い方に
意識をむけるのを助けてくれる。



祖母のからだや
10年以上難病を抱えている従姉妹のからだに触れると
動かせないから、
動かさないからだが
変形して固まっているのが
よくわかる。


わたしは、傾くからだや
固まるからだも、
すごく、美しいと思う。

たとえば右手でフライパンを振り続けてる
料理人の腕の左右差や

前のめりの作業を経た
農家のおばあさんのまがった背中

こどもを抱きかかえるお母さんの
肩のかたち。



それはその人のかたちだから。


ただ、
動かせなくて
傾いたり固まっていった体を
さすってほどいたり
補ってととのえることもまた、
すごく美しい。



動かさないで固まった体を
ゆっくり見つめてほどいて
動くようにととのえることも
気持ちがいいことだと
すこしずつ、感じられるようになってきた。




昨夜は、
稲荷山のジョンソンカフェへ行った。


オリジナルTシャツを
手に入れました。
すごくかわいい。

たくさん着よう。



Tシャツは本当に
かたちや色やプリントや、
ぜんぶ合わせて
いいなと思える瞬間が奇跡なので
とても嬉しい。



いろんなバリエーションがあったので、ぜひ。

2012年9月15日土曜日

遠くまで手がとどく。

あいぽんがヨガを教えてくれるとき、
自分のいまの体でいけるところよりも
もう少し深く
ポーズに近づけるように
手を添えてくれることがある。


そのとき、
少しずつからだと向き合っていけば
いつかたどりつく感覚に
一瞬、触ることができて

それは道標になるから

次におなじポーズをするときに
もう少しいける、と
体を信じて進むことができる。



そんな風に
自分のなかにもう潜んでいる答えを
もう一度目指していくようなことが
ある。

(そればかりなのではないかとも、思う)





歩いてみなければ
辿り着かない。

だから歩く。
どんな道のりになるのか
わからないけど。
何にむかっているのかもわからないけど。
わからないから
楽しむことができる。


でもどうして、

みつけた、って思うんだろう。
わからないで歩いていたのに、
大切なものに出会ったときには、
あの体に残った、完成したポーズがもつ感覚みたいに

知ってたみたいに
それが大切だと、わかるのだろう。



自分のなかに答えがある

いろんな人が言う。
いろんな本に書いてある。


わかりながら進むわけではなくて
見つけたときにわかる。
触ったときにわかる。


だから道に迷わない秘訣はいつも
自分を偽らないことと
ひとまず歩いてみること。


そんな気がしている。

2012年9月9日日曜日

あ、電車がくる。

夜勤明け
電車がとまっていた。
駅のベンチで
運転再開を待っていた。

ホームには人が溢れて
小さな駅なのにお祭りの日のようになっている。

電車がいま、ホームに入ってきた。


むかいのホームの人をさらって
ぬけていった。


もうすこしで、
こっちにも電車がくる。
踏切が降り始めた。

柔らかい風が、ずっとふいている。
涼しさを帯びて。

あ、きた。
乗ろう。

2012年9月7日金曜日

秋空たかい。フランスパンをかじろう。



ひさしぶりに何の予定もない金曜日になった。
 
ここのところ両足がつって
ふくらはぎと足裏に湿布を隠し貼っていたり
週に1,2回が習慣になっていたヨガをしばらくお休みしたためか
体がちぢこまっている。
昨日は久しぶりに湯船に入って足裏やふくらはぎをマッサージして
からだをよく伸ばしてから眠った。
 
今日は旅行の下調べをゆっくりしながら
のんびり過ごすことにする。
 
目覚ましをかけないで眠って起きたら
久しぶりに夢を忘れないまま目覚められた。
 
 
秋の音のとおり方
秋の光のわたり方
 
秋が好きだ。
すーんと清んで
わたしたちを許してくれているような気がするから。
 

やっと秋がきた。
 
 
 
「楽になったー」と言ったあのこの気配が
ほんとうに軽々としていて
よく冷えたハイネケンがわたしたちをほどく。
 
夢から受け取ったメッセージは
思わぬかたちで宝物をくれた。
いつでも予測よりもいいかたちですべては運ばれる。
「いつでも予測よりも、いいかたちですべては運ばれる」
勇気と誠実さのもとに。
だからグローブ落としちゃだめだよ。ボールがやってくる。

世界は個人を超えている。
自分の視野の外
自分の視野の外

それから声を出す。
グローブ持って、ゲームに参加してるよって。
手をふって、芝生の上に立つ。
そうすると見えてくる。
 
内野のみんなが
マウンドに立ったピッチャーが
 
審判が手を高くあげる。

プレイボール
 

 
 

 

 
 

 
 
 

 
 
 
 

2012年9月2日日曜日

かさなる

夜勤明けの駅のホームから
駅の隣の空き地の
草が風に揺れるのをみていた。

風はおだやかですこし冷たく湿ってる。

草と土の匂いがする。

山の貸別荘に泊まった朝
早起きして外へでたら
同じように朝の散歩にでていたおばあちゃんが
貸別荘の前の坂道をあがってきた。


その時みたいな匂いと風だし


部活の朝練に
眠たくて重たい足を引きずってむかった時とも
おなじような風と匂いだ。



空をみていると
色んなものが飛んでいく。


ビニール袋


旋回する鳥影
ときどき光があたって白くみえた。


群れて飛ぶ鳥影をみていたら
仕事中に椋鳥の大群に頭上をかこわれた時のことを思い出す。

案の定という具合で
腕にフンが落ちて
除菌ウェットシートで拭いて
「大丈夫です」
と言ったのに

友人たちと遊んでいるさなかだったのに

「トイレいこう。わたし、トイレに行きたい」

利用者の方がいってくれたときのこと。


まのぬけた話だけど
思い出すと
その人のその時のやさしさが
今も嬉しい。



着床前診断
ということが
できるようになって

受精卵の段階で
その命が障害持って生まれる可能性があるか
調べられるようになったらしい。

たとえば
その結果をしって
堕胎を選ぶことも
法には触れないということで

その診断を受けることでも
200人に1人はその検査が原因で流産する可能性があるらしい。



その診断結果をもって
生まれてくる子の障害への準備ができるなら
いいかもしれない。

でも障害があるから
産まない
という選択が簡単にできるようになったら
それはとてもこわいこと

という
当事者のことばをきいて
涙がでそうになった。

自分が泣くの違う、と思ってこらえたけど
心が揺れた。

2012年9月1日土曜日

小さな山

はじまりはおわりを含んで

おわりにははじまりが宿っている




わたしたちはゆるやかに変わっているので

顔をあげていよう。



しばしば、
迷うけど、


あのひとやあのひとたちに
会えたから
わたしはわたしにとって
ただしい道をあゆんでるって
自信をもてる。



彼女が
彼が

わたしのYES。




わたしも誰かにとっての
YESでありますように。





九月がはじまります。