2013年1月13日日曜日

小学生の頃
かえる倒立、と呼んでいたポーズを
ヨガでくむことになった。

小さな頃は簡単だったのに、
今は両手で地面をおしながら、
肘にひっかけた両足を
地面から離すことができない。

足を離してしまったら、
前のめりになって
床に顔をぶつけてしまいそう
そんなイメージがのぼって
足が離れない。

「こわいって思っちゃう」
と言うと
「こわいって思うとできないんだよ」
と教わる。

こわい!と反射的に
湧き上がる思いを
すっと消すことに集中してみると
簡単に足が離れて
バランスをとれるのだった。



わからないことを、
することは、こわい。

介助をしてきて
失敗をしたときはいつも

指示の内容が受け入れられないときで

「それをしたら、失敗してしまう」
と、わたしが思い込んでいるとき。

ほんとうは指示に従えばスムーズにいくし
失敗をすることもまた、大切なギフトなのに

わたしは
「失敗」のほうがこわくて
思い込みの「正しさ」を
行動の寄り辺にしてしまう。


どうしてこんなに
「わからない未来」
に、からだを開けなくなっているんだろう。



そんな風に部屋で反省していたら
窓の外からご近所さんの声がして、
おもてへ出た。



お隣の猫、はなちゃんが
屋根の上から降りられなくなっていた。


はなちゃんが、
ガレージの屋根にうつってくれたら、
下から手をのばせるのだけど
家の屋根からガレージの屋根への
ほんのすこしにみえる段差も
はなちゃんはこわがって降りられない。

窓からおかあさんが手をのばしても
おとうさんが手をのばしても
ひゅるひゅると逃げてしまう。


屋根の端まできて、
途方に暮れてるはなちゃん

はなちゃん、こわくないよ。
はなちゃんなら、飛べるんだよ。

そう思っても
はなちゃんは警戒して最後まで飛ばず

結局、
はなちゃんのしっぽを
おかあさんがお家の中からいっぱいいっぱいに伸ばした手で掴み
「ギャッ!」
というはなちゃんの鳴き声とともに
騒動はおさまったのだった。



認知症の祖母と話していて
ぎゅっと睨まれたことが
何度かある。

そういうときはいつも
祖母が「わからない」の不安に迷い込んだときだった気がする。

ゆっくり
大丈夫だよ、って伝えて
伝わると
祖母はふわっと笑った。



自分の身の
不安や恐怖心をぬぐって
素直になれたら

いろんなことは
ただシンプルに
あるようにあれるのかもしれない。


ここのところの出来事から
そんな風なことを
近頃は思っている。

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