2013年8月29日木曜日

橋から川あそびをしている、おじいさんと男の子の姿をみた。

 
 
部屋の電気が壊れてしまって
(多分、配線のどこかがおかしい)

ちいさなライトを夜になるとつけるのだけれど
本を読むのにもノートをとるのにも
すこし光が足りない

それでここ1週間とすこし
夜になるともうすっかり夜で
活動的なことなく
ただ夜を過ごしている
 
 
 
電気屋さんに頼んで
この際、天井に備え付けてあるのを外してもらい
電灯を替えようと考えてそのままになっているけれど

いよいよ夜がはやくなってきているから
そろそろ頼んだ方がよさそうだ。
 
 
 
それでも
夜が夜らしいのは、なかないいと思う。
 
 
 
 
 
ある国に他の国が軍事介入していいって
やっぱりへんだなと私は思う。
 
 
 
おかしなことがまかりとおる
 
考えの違う人で溢れている
 
 
 
 
空爆の準備ができてると知って
どんな気持ちでいればいいんだろう
 
 

初秋の腹痛




 

クリスタルの山 赤土 サボテン 伝説の鳥
 
 
 
  
 
 
 
 
 

 
 
呼吸を合わせるということを、
あたまのすみで思った

息が合わないときもあるし
息を合わせたくないときもある

自分の呼吸をつづけていたいとき

息つく間を与えないこと
息つく間が、必要なこと



同じ呼吸をするのはつらいな、
という人も時々いるけれど
(そういう場合は相手にとってもそうだろう)

ふだんは息が合っているのに
ふと合わせられなくなるとき


お互いにあるいはどちらかが
自分の呼吸から離れてしまっているときなのかもしれない。



(自分の呼吸をつづけたい)
その思いにあるとき、
呼吸にしがみついている理由は、
呼吸ができていないから。
自分の呼吸を離れ本来のリズムとのずれを
どこかで感じとっているからではないか。


ほんとうに、
自分のリズムと合って、自然な呼吸をしていれば
呼吸にしがみつかなくてもよくなる。

ほんとうに自分の呼吸ができていれば

芯にたちながら

相手の呼吸とのあいだに
気持ちのよい流れを生み出し
それをたのしむことができる



 

、のかもしれないなと、今なんとなく思っていた。






 
 
 
 
 
 
昨夜、ひさしぶりにあいぽんにヨガを教わりに行った。
 
ひさしぶりに、ひとつひとつのポーズと向き合いながら感じたのは
からだのバランスがとれてきているということ
 
以前は、ヨガで調整しきれないゆがみを
数ヶ月に1度、整骨院で調整してもらってきた。
(その整骨院の先生が面白くてつい行きたくなるというのもあるのだけど)
 
それは
身体介助のときの姿勢が原因のゆがみだった。
もうすこし意識すれば改善できたことだし、
続けていくためには意識的になる必要があることなのだけど
どうしても動いているときは無意識に癖に寄った動かし方になってしまう。
 
 
ヨガのポーズをとりながら
からだのなかのねじれが少なくなってる感じがするなと見つけて
自分のからだは前職から離れてきているのだなと感じた。
 
 
 

 
 

 




2013年8月28日水曜日

あさはつめたい。

 
本屋さんで買い物をしたら
「無料占い体験」の整理券をもらう

それで朗らかな女性にカードを引いてもらった。
1枚とびでたカードに「Wait」とあって
あ、まただと思った。

「いまは休んで、すこし待って」
という言葉。

 
 
きのう失業保険の申請にハローワークへむかったとき
交差点をわたるときに大きなクラクションが鳴って
なんだと思ったら、わたしに向けられていた。
赤信号をわたろうとしていたのだった。

 
 
 
 
蝉の声がちいさくなる。


飛行機の音はよく響くようになる。




2013年8月27日火曜日




この夏は気がつけば
この組み合わせでよくでかけていた。



「スプーンが好きみたい」
「穴があいているものが好きみたい」

みんなが、
なんだか惹かれてしまう物について話してるとき
(わたしはね、)と思っていたけど
声までならなかった。


わたしは、チクチク、
刺繍のもの
(きれいな刺繍も好きだけど、手元の歪みがみえるようなもの)
に、どうも弱いです。



手元の歪みがみえるものに
弱いんだ。

その歪みが
作り手のまっすぐであるかたち






メールを1件

雨が降り出して
さぁさぁとしている。

まっすぐに降り落ちる雨だ。







この間の帰り道に

わたしの通っていた幼稚園は
キリスト教育のもとで
朝と、帰り
それからお弁当のまえに
お祈りの時間があったのだけど


あのとき
毎日、毎日、
先生たちが自分たちへむけてくれた祈りは
いまもわたしたちを
守ってくれてるんじゃないかなと

ふと思った。



ふと思ったら、
からだがじわぁっと
あつくなった。























服は
http://s-clothes-tree.sunnyday.jp/

バッグは
http://cha-tu-cha-memo.cocolog-nifty.com/


2013年8月26日月曜日

夏休みのおわりのこども



市役所に行って手続きをすませたときの
小さな達成感と充実感はなんだろう



レシピ通りに手を動かしたら、
難しいと思っていたお菓子が
出来上がっていたような
あの感じと似ている





信頼に触れる

わたしも信じよう

信じているんだ、いままでも。

でも、3つの手のひらのそれぞれの体温にそっと触れてもらって
変わった。またすこし、深くで、うごいてる。
なにかが。











市役所までの道を歩きながら、
かたかたと車椅子の車輪が心のすみにちらちらする。
うしろ姿が浮かんでくる。



また電車に乗って、駅を降りて
色から力のぬけてきたサルスベリを見上げて歩いていったら
外のテーブルをかこんでる女の子3人

約束したみたいに





「信頼すること」
きのうも言われた

信頼すること。

STARMANN



大雨のあとの薄曇り
しずけさと過ごしやすさになぐさめられて

呼吸が深まった

この数日はトンネルだったように

朝目をあけたら青空がみえた。


言葉が吸い込まれていくあの青だ。あの空だ。
季節が変わってしまった。
蝉がすこし鳴いてる。やわらかくなった土から出てきた新しいこが。


目をとじてしばらくしてまたひらいたら
雲が流れて消えていた。青いだけの空。

ゆるされてる気がしてしまう。

半袖ではつめたい。



文化祭の白い花火、空砲

テニスコートから、ボール弾く音が届く


もうさよならだし

掃除機かけよう、午前中に。
 
 
 
 



iTunesでダウンロードしてきいてるんだ。


 

2013年8月24日土曜日

ひかり


昨夜は蝉の音がぴたりとやんで
鈴虫の音がきこえていた。

朝になって、すこしまだ蝉が鳴いている。
今朝生まれたての蝉の声か。




岐阜へでかけたときに、
ちいさな産直のような場所で買った
余り布を使って編まれたまるい鍋敷き

配色と手作りのその感じがかわいくて
買って帰って出張先でつかっていた。


昨夜眠る前に、それをベッドのあたまむきの壁にかけた。

朝起きて
ふとそれが目に入る。

まるいものがいちばんに目に入るのは
うつくしい心地を生んで

そのままお祈りしていた。



今日生きてることへの感謝と
今日起こる出来事についての感謝と。



まるいもの(そしてそれは、かわいいにしろ鍋敷き)
に促されるわたしの滑稽さと
まるいものに促されるさきが祈りであることの
生命のうごき。

まるはひかりの象徴と
むかしどこかで教わったっけ





ひかりに手をあてる

やみにつかりながら

ひかりをむねにともす

うすやみのなかで目をあけながら





雲がはって
さいきんはうすあかるい(うすくらい)昼間

呼吸しやすい

蟻がつたをはっていた


2013年8月21日水曜日

飛行機

 
 
夏休みが終わり近くなって
昨夜降った雨のあとで
今朝はすこし涼しく、雲がはって陰っている。
 
蝉はいくらでも鳴いて
今も鳴いているけれど盛りよりは
すこし落ち着いて
蝉の声の合間に
光の揺れだとか
国道へむかう車の走る音だとか
こどもの声やら鳥のさえずりが届いてくる。
 
 
なんとなく、日々
やるはずのことをして、
合間にともだちと遊んで出歩いていたりした。
そうしながらも気が回らなくなっていて
連絡ごとを落としてしまったり
ずっと考えながらお返事をだせないでいることがあった。
これからのことについても
保留になっていることをどう扱えばいいかわからないでいたし
保留を保留として置いておいたところで、
どこへ向かえばいいのかよくわからなかった。

どどっと夏を超えてきた。
 
いまはすこし冷静になってきた。


気が回っていなかった。
ずっとすこし混乱していたんだなと、
今朝になって気がついた。

気が、ついたんだ。
 
 
ことばのとおり




 
手続きごとをすませて
秋へむかう準備をしていく。

2013年8月14日水曜日

夏休み

 
 
あたらしい景色
みたことがないもの

それでもとても、心惹かれて懐かしい感じのするもの

 
 
 
 
 
秋に、ふたつの企画が控えています。
 
それぞれ
あたらしい挑戦で
信頼しているひとたちとともに
作り上げる企画です。
 
 
auroraでも、ひさしぶりにものづくりをします。
 
auroraの名前でたくさんのひとと出会ってきました。
すこし離れて、それぞれの生活のなかから育んだものを
照らして反応させて、またあたらしいものをつくるヴィジョンがみえました。
秋にむけて、手を動かしていこう。

それぞれ、もうすぐ
企画の内容をおしらせしたいと思っています。

 
 
 
時間の感覚がかわりました。
 
31歳になった体内感覚なのだろうか。
むかしよりももうすこし、
例えば戦争だったり、いつかのときの感覚に想像が及ぶようになってきた。 
 
経験による実感のある語彙が増えたこともあるかもしれない。
 
でも31年生きて、わたしは肉体と、ようやくすこし
親密になってきたのではないだろうか。
 
 

先祖から脈々とつづいてる遺伝子というものがどうやらあって
土地の物をいただきながら肉体をつくり続けてる。
 
からだには記憶がある。
 
一方で意識というのは、また別個のものではないかと想像する。
すべてからだのはたらきの上で意識も成ってると思えば
意識はからだに帰属するのだけど
 
なんとはなしにやっぱり、魂っていうものがあるのではないかなと
わたしは想像する。
 
からだと魂がうまく融合し合うまで
やっぱりそれなりに時間がかかるのではないだろうか。
 
よく、
意識は速いっていう。
臨死体験したひとが、ぱっとある人のことを思った瞬間に、その人の前にいるって
聞いたことがある。
 
信憑性はわからないけど
 
なにかものをつくろうって思ったときにも
意識は先に完成を触ってる。
 
 
 
からだは時間がかかる。 
それは、「遅い」というわけじゃない。
意識のはやさと相対的に考えれば「遅い」けれど、
ほんとうに遅いわけではなくて
からだ時間があるということ。
意識時間とからだ時間は違う。
その差に焦ったり苛立ったり先回りしたり諦めたりすることも多い。
 
でも生きて経験が増えてくることで
 
意識時間は意識時間としての認識
からだ時間はからだ時間としての認識が
うまくできるようになってくる。 
 
 
それぞれを独立して体感できるようになることで
ギャップへの葛藤がなくなっていく。
 
葛藤がなくなってくると
相互をうまく通わせて、生きることができるようになっていく。
 
そうするとからだから意識に触れること
意識からからだに触れることの
可能性が増えていく。
 
 
その交感がスムーズにいくようになった上で

意識で
からだの記憶にアクセスしやすくなっていくのではないかな。
 
 
 
わたしのからだには
先祖の記憶や
土地の記憶が記録されていて
 
 
わたしは自分の夢をみているつもりで
 
遠い時代の誰かの記憶に
 
土地のみてたなにかに
 
触れてるようなことがあるのではないだろうか。

2013年8月10日土曜日

異常事態も日常にまじってしまうと案外人は受け入れられること/変化を知りたいなら、ずいぶんと過去にさかのぼって照らし合わせる必要があるということ/戦争のはなしに実感をもてなかったけれど、いま体感のなかに含まれてると感じるのは、わたしの時間意識が土地や空間と融合しているからではないかと考えた。/ひとはかんむりがあるとどうやら安心する/それは手がかりになるから。

 
 
 
 
40度を記録したらしい。
ここはどこですかという気持ちになる。


1日家にいて、友人のお店のパンフレット作りなどをしていた。
名刺シートが余ったので、自分の名刺も1シート分、10枚つくった。
名前と電話番号くらいの、とても簡単なものだけれど。


名前だけというのは、なんとなく心地悪くて
かんむりが必要と思ったけど肩書きもなにもない。

それで名前の前に
「小さな山」といれてみた。

 

2013年8月9日金曜日

朝おきたときに聞こえてた音のはなし/意図せず鳴る音楽とそこに感じる必然性/意識は幾層にも重なっていて、ときどき奥の層から表層にサポートが入る/それはつまり根源的に、生きろといってる力があるのではないかという仮定/また、どうしようもないというのはある一層の思い込みに過ぎず、多方向から自由に考えること。

 
朝、目が覚めたらチャットモンチーの
『シャングリラ』があたまに流れている。

昨日も起きたときにあたまに音楽が流れていた。
メモをとったつもりが残っていなかった。
わりと唐突な音楽で、
ふだん聞いてるものでもない。

八方塞がりだ、どうしようもないと
以前思い行き詰まりを感じていたとき
ふと
レリビーレリビー
とThe BeatlesのLet it beが流れて
すごいな、と思ったことがある。




2013年8月8日木曜日

目黒川の近くで奈緒さんと会ったこと/東横線には大きな鞄を持った人が多い(美容師さんか、スタイリストさんかと推測する)/くじらさんの美容室と、くじらさんにもらった言葉/この夏赤毛になったことについて。

 
9月に参加させてもらうイベントについて
なおちゃんとふらりと会ってイメージを合わせた。
目黒川
遠い川底 水の流れが涼しい
8月に入った途端、景色に秋が含まれる。

「戦争がなかったら、8月はどんな季節だったんだろう」
大学生の時に、詩の創作クラスで先生が言った。

風立ちぬの、おだやかなオープニング

となりの橋が木々の葉の間に覗く。




ひと駅さっと電車に乗って
くじらさんのところで髪をととのえてもらう。

仕事もひと段落して、転換期。
すすめてもらって、とても明るい色にしてもらう。



くじらさんの口にしてくれたことばのなかに
わたしの祈りがあって、涙がでた。

離れてしまったけれど、
あの子が自分のしあわせもきちんと大切にして生きられるように。




思いがいくつあっても、からだはひとつで
わたしはここでまた、始めなくちゃならない。
でもちゃんと歩いていけば、また会える気がする。







ロイテのショップカードを、大切に持ってくれてる子がいるよ
と、教えてもらって、ありがたかった。

目の前のことに、一喜一憂し
すぐにこたえ合わせをしたくなることもあるけれど

時間は、こんがらがったカラーテープのようになっていて
歩いてそれをラインにしていくことで
過去と出会うことができ
未来と出会うことができる。



だからあきらめてはいけないし
絶望はナンセンスだ。


歩いてラインにしていく。



そうすることで
過去とも未来とも
出会うことができる。










2013年8月6日火曜日

帰り道が見えて、
ふとさみしくなる。

ゆっくりやってくる夜


開いた窓から話し声が漏れてくる

2013年8月4日日曜日

hietori会、おまけ。プラス、










(上から)



当日のメニュー




eminaのまきまき。
(内側に草木染めされた羊毛が)
yokoさんセレクト、草木染めシルクソックス
(ちょっと隠れてしまって見えにくいですが
色とりどりあって、選ぶのがとても楽しかったです)
おみやげノート
(六芒星は、バランスを示す、と聞いたことがあったので。
 色の組み合わせもそれぞれです)



プラス


茶色の刺し子ポーチは、
イベントとははなれますが、
最近いつも出かけるときに、ふらりと手にしているものです。
刺し子がとてもかわいらしい。


先日、所沢にある
Cha-tu-chaさんで。



このポーチのなかに
eminaのまきまきにいろいろ包んで入れて
ふらりと出かけるのが
最近、毎日のよろこびです。



糸のはこび具合に胸がときめきます。

どうして、こんなに、
どきどき、はずむような気持ちになるんだろう。














2013年8月3日土曜日

「だいじょうぶ?」

Blogを読んでくれた友だちが
そう声をかけてくれることが
すこし続いたので
記事を読み返してみました。


しょうがない、
しかたがない、
みたいなことばが続いていて
心配してくれたのかな
と感じます。




しかたがない
という言葉は
どんな印象のなかにありますか


最近、その言葉の感触が
すこし変わりました。



風がふくのを、
両手でとめることができないように

息をとめて
明日がやってくるのを引き延ばしたり
できないように


仕方のないことがあって

それは
仕方がないのだと
おなかから納得できたとき



向かい風にむかって
大の字をひろげてたからだをとじて

もっと大切なことに
まなざしをむけ

手をはこび

歩けることが
あるかもしれない。


いま、そんな気持ちでいるのです。

秋のはじめになる音楽


幸手のcimaiさん
そのうえでひらかれるshure

秋には音楽会があるようです。

夏をこえて、たのしみな予定ひとつ。


http://cimai.jugem.jp/?cid=6

(用意していた席が、満席となったそうです。
 数席設けられるか、検討中だそう。
 shureでは、季節の保存食づくりや、からだと向き合うレッスン
 精神を自由にするための学びの機会がひらかれています。
 
 今後もまた、手仕事の会や、音楽会などのおしらせが
 あると思います。

 http://shure.cimai.info )

東京hietori会 レポート

先週の日曜日、
千駄ヶ谷shoe labさんでの、hietori会。



shoe labさんは、
なんと、
とてもすてきな皮靴を、
自分の手で作れる工房です。

主催されている大平さんは、
穏やかに、瑞々しく、
その日いちにちを見守ってくださいました。




ゆずりはの縁で繋がった仲間たち
冷えとりについて教えてくれたのは、
yuzuriの折原陽子さん。


ご自身の体験を交えながら、

冷えている、ということ
あたためる、ということについて
わかりやすく伝えてくれました。

からだに向き合っていると
しぜんと心、そのもっと奥へと
意識が向くようになっていきます。


理論や方法は、とてもシンプルで
きっと誰でも、誰かへ伝えることができます。

けれど、どんな変化があるかということは
それぞれのなかにしか、ありません。

正直に、真摯に
自分の体験を語り、与えてくれる姿はあたたかく
とてもうつくしく感じられました。

スタイリストのお仕事をされてきている陽子さん、
からだに心地よいものでありながら、

わくわくするような、オリジナルのお洋服や、
草木染めされた色とりどりの冷えとり靴下を持ってきてくれていました。






みんなの食事、
からだもこころもあたたかくなるおいしいカレーを作ってくれたのは、
イラストレーターでもある
タケイ・A・サカエさん。


カレーも、アチャールも、

ほんとうに美味しかった。

彩りも鮮やかなプレートを手に
みんな「おいしい」「おいしい」と何度も交わしながら
賑やかでたのしい食事の時間となりました。

古河のゆずりはさんのご実家の菜園からやってきたルッコラは
ぎゅうっと味濃く、パワーに満ちていて
「すごくワイルド!」と紹介してくれたサカエさんの
大きな笑顔が印象的でした。

サカエさんのお料理
素材の良さがだいじに引きだされているから、
味がのびのびしているのです。






古河でゆずりはを営まれてるminaさんは、
やわらかにおおらかに、みんなを繋げてくれた結び手です。

ゆずりはを訪れると、
植物たちの生き生きとした様子に心が躍ります。

今回も、多肉ボールや、エアプランツを持ってきてくださり
生き生きした植物たちの新鮮な気配で
空間にあたらしい命のエッセンスをさしてくれました。




それから、
minaさんと、イラストレーターのcamiyama emiさんとのユニットeminaで
ゆずりはに生えている植物たちで羊毛を草木染め。

その羊毛をつかってポーチなどを制作。
作品の展示と販売がありました。

針でちくちくとフェルトと布が縫い合わされ
ひとつのかたちをもった作品は、
ゆかいな生き物のようなのです。

わたしもひとつ、連れて帰り
アロマスプレーのガラス瓶を包んで持ち歩いています。
鞄のなかにその子がいると
それだけでもう、出かけるのがたのしくなるような作品なのです。






そして、shoe labさんとのご縁を繋げてくれたUra.さんは、
羊毛から、糸を紡いで、靴下になるところまで、展示で示してくださいました。


自分たちの身につけるものを
動植物からわけてもらった素材から、

自分の手で、作って、うみだせる、
そのアイデアを、あたたかくひろげてくれたのです。


Ura.さんは、ふだんから羊毛をつかって制作をしている作家さんです。
羊毛をフェルトにし、動物のすがたをうみだしていきます。
表情豊かな動物には命が宿っていて
もちろん、フェルトでできているから動きださないのだけど
どうして動いているみたいに見えるんだろう…。







わたしは、
心身の変化を記して、自分のリズムや、

揺れない、中心に気づけたらなという思いで
毎日の月の満ち欠けと、七十二候を冬至まで記した、ノートを作りました。
一冊ずつ、全部違う言葉を載せたページがあって

ひとりひとり、その人に合った言葉を引き寄せてくれますように。と
いのりをこめました。

それから、

niwaさんのオーガニックコットンで繊細に編まれたかわいい靴下や、
からだにやさしいお菓子の販売もあって…










そして、なによりも

来てくださった、
ひとりひとりが
ご自身の体験を、話してくれたり


質問しあったり、
自分で作ったという靴や、日傘(!)を見せてくれて

みんなが、わぁわぁきゃあきゃあ、賑やいで注目したりと、
すごくなごやかで、たのしい空気をつくりあげてくれていました。


ほんとうにあたたかく、おかしくて

ゆかいな時間でした。






あたらしいアイデアや試みをもって、
まだまだこの会は続きます。
(次は冬至ちかくを予定。

 はじめてのひとも、またきてくれるひとも、たのしい会に)




今回の開催場所であった
shoe labさんが象徴的だけれど

自分の手で、自分のつかうものを作れる。

というのは、本当に尊いことだなと感じます。

へたでも、じょうずでも、あまり関係ありません。
作っているうちに、じょうずになっていくし
その過程は、作り始めた本人のものです。
へたくそでも、自分の手と時間をつかって、うみだしたものは
なんだかそれなりに自分によく馴染み、大切に感じられます。




それから
自分が自分のからだを知っている
というのも、また、尊いことです。

今日はすこし活動的だ、とか、眠たい。といったことも
意識的になると、
自然と「きのう、食事を控えめにしたからかな」とか
かんたんな原因に触れられます。
それを手がかりに、もうすこし深く
または長い目線で
からだと付き合っていくきっかけが生まれたりもします。



たのしいことは、身の周り3メートルから
とどこかで聞いたことがある気がするけど

なんだかそれはたしかにそれも
ほんとうのうちの、ひとつかもしれません。