2013年8月14日水曜日

夏休み

 
 
あたらしい景色
みたことがないもの

それでもとても、心惹かれて懐かしい感じのするもの

 
 
 
 
 
秋に、ふたつの企画が控えています。
 
それぞれ
あたらしい挑戦で
信頼しているひとたちとともに
作り上げる企画です。
 
 
auroraでも、ひさしぶりにものづくりをします。
 
auroraの名前でたくさんのひとと出会ってきました。
すこし離れて、それぞれの生活のなかから育んだものを
照らして反応させて、またあたらしいものをつくるヴィジョンがみえました。
秋にむけて、手を動かしていこう。

それぞれ、もうすぐ
企画の内容をおしらせしたいと思っています。

 
 
 
時間の感覚がかわりました。
 
31歳になった体内感覚なのだろうか。
むかしよりももうすこし、
例えば戦争だったり、いつかのときの感覚に想像が及ぶようになってきた。 
 
経験による実感のある語彙が増えたこともあるかもしれない。
 
でも31年生きて、わたしは肉体と、ようやくすこし
親密になってきたのではないだろうか。
 
 

先祖から脈々とつづいてる遺伝子というものがどうやらあって
土地の物をいただきながら肉体をつくり続けてる。
 
からだには記憶がある。
 
一方で意識というのは、また別個のものではないかと想像する。
すべてからだのはたらきの上で意識も成ってると思えば
意識はからだに帰属するのだけど
 
なんとはなしにやっぱり、魂っていうものがあるのではないかなと
わたしは想像する。
 
からだと魂がうまく融合し合うまで
やっぱりそれなりに時間がかかるのではないだろうか。
 
よく、
意識は速いっていう。
臨死体験したひとが、ぱっとある人のことを思った瞬間に、その人の前にいるって
聞いたことがある。
 
信憑性はわからないけど
 
なにかものをつくろうって思ったときにも
意識は先に完成を触ってる。
 
 
 
からだは時間がかかる。 
それは、「遅い」というわけじゃない。
意識のはやさと相対的に考えれば「遅い」けれど、
ほんとうに遅いわけではなくて
からだ時間があるということ。
意識時間とからだ時間は違う。
その差に焦ったり苛立ったり先回りしたり諦めたりすることも多い。
 
でも生きて経験が増えてくることで
 
意識時間は意識時間としての認識
からだ時間はからだ時間としての認識が
うまくできるようになってくる。 
 
 
それぞれを独立して体感できるようになることで
ギャップへの葛藤がなくなっていく。
 
葛藤がなくなってくると
相互をうまく通わせて、生きることができるようになっていく。
 
そうするとからだから意識に触れること
意識からからだに触れることの
可能性が増えていく。
 
 
その交感がスムーズにいくようになった上で

意識で
からだの記憶にアクセスしやすくなっていくのではないかな。
 
 
 
わたしのからだには
先祖の記憶や
土地の記憶が記録されていて
 
 
わたしは自分の夢をみているつもりで
 
遠い時代の誰かの記憶に
 
土地のみてたなにかに
 
触れてるようなことがあるのではないだろうか。

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