2013年5月30日木曜日

みおちゃんとなおちゃんと、つきちゃんと遊ぶ。

ちいさなつきちゃん加わって
三人から四人で遊ぶことが
とても自然で楽しくなってきた。

つきちゃんもわたしたちのことを、
受け入れてくれたからだと思う。





ワークショップで教わったマッサージを、
なおみおにやらせてもらう。



「手があたたかくて気持ちがいい」



そう言ってもらって
手のひらのあたたかさに気づく。



それは、
わたしの手のひらと
受け入れてくれるからだとのあいだで
エネルギーが巡りあって
じんわり生まれるあたたかさで

おたがいで生み出しているものなんだった。



乗り換え駅で
JRがとまっていて

駅のスターバックスで
コーヒーを飲む。


工事の続くロータリー

その先の道の光


なにもかもは、
できないと
わかったから

見えるものには
手をのばすこと。





朝、
iPhoneに入れて聴いた曲は
テレビで何年も前からぐるぐるかかっているヒット曲で
でもはじめてちゃんと聴いたら
すごくいい曲で涙がでた。

何度も何度も繰り返しながら、歩いた。





もう、
なにがどうなってもいい。


それがどうなるかまで全部
自分の手のなかにあるかのようなのは


選択肢ぜんぶ持ってるかのような
悩み方は

くるしいし

どこへも運んで、くれないこと、ばかり。





いまにあるものへの
ありかただけが


素直に光がのびるそれに

正直になるだけが

2013年5月29日水曜日

父の誕生日があり、
禁酒している父が
きりっと冷えたビールが飲みたいとごねたので
無視していると
拗ねていくのが見てとれたので

近所のコンビニへ行って
ビールを買って帰ってきた。


ある時期、
父が睡眠薬と合わせて飲酒をしていた
家族の闇時代がある。
家族も苦しかったけど、
本人がいちばん辛かったと思う。


昨夜は
ビールを両親も兄もわたしも一緒に飲んで
ケーキにろうそくを並べて、
父に吹き消してもらって
思い返してみるとすごくしあわせだ。
ほんとうになんてことないけれど。


でも、エビスをひとくち飲んでから
わたしはオールフリーに切り替える。

ビールは好きだけど
酔っ払うのはそんなに好きじゃないんだなぁと思う。

あと、オールフリーはトマトみたいな味がしておいしい。



なんとなく、どうしても
思う通りにいかないと、
そう思っていたことがある。


なるべくしてなるのだから
うまく進まないことは
流れに反してるってこと

そんな言葉に触れるたび
とてもかなしい気持ちになった。

だから、おなじように何かと向き合ってて
思う通りにいかないと言っているひとがいたら、
そんな風には、いわないんだ。


ただとなりに並んで
景色をながめていたら

するする勝手に
ほどけていくことばかり。

一生懸命で真剣で
ただみんな、
真面目なだけなんだろうと
そんな風に思う。

2013年5月20日月曜日

青空から、弛んで
夕方過ぎから雨がすこし降った。

ほんのわずかに開いた窓の隙間から
雨水が入り込み
頬にピチャっとあたって
重たい粒がつめたく弾けて頬にひゅんと滲みるのが
気持ちよかった。


ハヤシライスを食べて
ほうじ茶を飲んで
ロールケーキを食べて
水を飲んだ。


頬がだらりと下がるように
すこし疲れていたからだの奥で
また命が燃え出す。

すこし元気になる。


心臓があります。
血がめぐります。

蟻に心臓があるって知ったときびっくりした。

小さいも大きいも
わたしサイズからの主観で
宇宙にはないものなのかもしれない。

2013年5月14日火曜日

急な暑さに参ってか
ふわーっと気持ち悪くなってしまった。

休み休み、駅までむかう。

道の隅でしゃがみながら
コンタクトレンズをはずした。

世界がぼやけて
輪郭が曖昧になる。
きゅっとしていた頭が
すこしほぐれたような気がした。



いろいろ、考え過ぎて
自己完結しようとしている。

でも、
思ってるその通りだったら
つまらなさすぎる。

他人も
世界も

わたしの「思い通り」なんかじゃない。

もっと手に負えなくて
もっと意外でとっぴょうしもない

すごく豊かだ。



気持ちが悪くて
頭ががんがんして
寝るしかなくなった。

「もうそれ以上、
勝手に考え続けるのをやめなさい」

そう言われてるみたいに。


身を投げだそう。

諦めよう。いい意味で。

2013年5月11日土曜日

久しぶりに下北沢へ出かけた。


地下から改札まで、
けっこうのぼる。

駅にはまだ広告が入っていなくて
壁が白くて
学校だとか
すこし美術館の中のようでもあった。



教えてもらったパン屋さんへ行ったら閉まっていたけど
その先に小さな古本屋さんを見つけて
友人の展示を見て
帰ってきた。


「街に呼ばれてるかんじ」

下北沢に住んでると話してくれた
あの女の子は、
数回、その言葉を口にした。



わたしは、
下北沢には呼ばれていないようだ。
そう思った。

呼ばれていないことが
わかるから
呼ばれていると感じるとき

それはきっと彼女の言ったように
呼ばれてるんだ、実際、街に。
きっと。



からだも土地も
水が合えば
呼び合うだろう。


あるいはひととひとも
そうなのかもしれない。





展示を見てお腹が空いて
kate coffeeで
アイスコーヒーとキーマカレーを頼んだ。

茄子おやじまで歩けなかったから
そうしたのだけど

コーヒーもカレーも
おいしかったし
本棚の本、眺めるのも面白かった。

手にとってちょっと読んだ、SFがよかった。



おいしいアイスコーヒーを飲んで
キーマカレーを食べたら

あるときのこと
大切な友人たちの顔を
思い出した。



kate coffeeの窓から
下の道を行く人びとを
なんとなしに眺めながら

写真が好きだな

ということを
考えてた。


こう写そう、
という意図を
感じない種類の。


写真家の世界への気持ちが肯定的で
瞬間のありのままになるべく近く

そうして見ると
心が自由になる類いの。




自分の心の編集や
誰かの編集された世界のなかに
入り込んでしまう

そういうことから

自由になれる類いの。




わたしの水が合うところは
どこだろう

まだわからないけど
そこに立ったら
きっと気づける。

2013年5月7日火曜日

連休が終わった。

風がふいて明るい今日だ。



ここのところずっと
大掃除をしていた。

実家暮らしなので、
自分がこどもの頃に母が着ていた服など
懐かしいものが、たくさんでてくる。


母は買い物が好きで、
また、物をとっておくひとだから
ほんとうにその量たるや、
唖然とするものがあった。



でも、

父の両親と一緒に暮らして
わたしたちを育ててきた母の
唯一自分の自由になる時間が、
買い物へでかけるそのときだったのだと想像すると


ただ飽きれるようなことは、やっぱりできない。




買いためていた色々なものを
燃えるか燃えないかで
どんどん分別して
手放したら


ちゃんとあたらしい時間が
流れだすように思える。









ちいさな頃、
家族から受けた影響のはなし
をした。


「じぶんは何かある?」

そう聞かれて
すぐにでてきたのは

「バランスをとろうとするところ」
だった。

当時意識していたわけではないけど、
家族が多くて
母は義理の両親とのあいだですこし緊張していて
そういうなかで育ったから、
ひとの輪のバランスをとろうとするのかもしれない、
でもそれは、
いい面もあるかもしれないけど、
すごく自分の、いやなところでもある。
そうからだが、動いてしまうけど
表面的なバランスをとることで、
本質的なところを逃しちゃうこともあると思うし…

そう話して

「でも、家族が多かったから、バランスをとろうとするようになったのかもしれない。という事実から、もうひとつ、すすめて、
そのとき、バランスが悪いのは嫌だ、そう感じたのが、わたしの本質なんだと思う」

そうつづけた。



由来にたどりつくと、
安心する。



こういう外部の条件があって、
わたしはこうなった。
そんなふうに。


でもはなしはいつも、
もう一歩先へすすめて、

その条件のなかで
こう反応した、

その反応には
自分自身の
なにかたいせつな
生命のもともとの部分が
光っているような

そんなふうなことを
ふと思っていた。

2013年5月5日日曜日

先日、
きくことの、ワークショップへ参加してきました。


たくさん
発見が、あって

まだ発見にもならない

なにかも持っていて


変わっている途中です。