2013年6月30日日曜日


名古屋にきてから
ほとんど眠れていない日が続いていた。

このマンションの設備管理のためについた24時間換気機能
その換気扇の音が、日中は慣れて気にならなくなっても
夜になるとごぉごぉとひたすら迫ってくるようなのだ。

止めないでください、って注意書きに忠実でいたけれど
からだが緊張したまま緩まないので
眠るときだけ換気を止めることにした。
それでぐっすり眠れるようになって、夢もみた。

夢の中の自分はもう埼玉に帰っていた。







週末の名古屋は仲間と飲みに出る人で溢れて
賑わいが美しい。

豪快で見栄っ張りで、おおらかで正直な街だなと思う。
人はふつうに粗雑だし
ふつうにやさしい。
そのままの姿でいることを、厭わないでいるように見える。

都会なのに、裸で歩いているみたいに人が生っぽい。
高いビルや高級店が並んでも
その格式よりも、人のほうが優ってる。




こっちにきてから
買い物をして店員さんと向き合ってる自分を
ふと、いいひとぶってないかなと感じるし
自分はただ、こうなんだとも思う。









むかいの旅館の窓辺に
はじめて人がいるのを見た。

2013年6月29日土曜日


土曜日の日勤が終わった。
いま胸の中にあるものは、ここに書く言葉にならない。
生々しく個人的で
広げられるほど強い言葉になっていない。





「わたしのこと、もうなんでもわかる?」
そう聞かれたことがある。
「わからない。自分のこともよくわからないのに、わかるはずないよ」
そう答えたとき、彼女が笑った。



結局、わからないままだなと思う。
でも大好きになった。


2013年6月28日金曜日

 
2回目のお休みがやってきた。

緑の山と大きな川のある場所へでかけた。








もうすぐ6月が終わる。


2013年6月27日木曜日

折り返し地点をぬけていく。

 
夜勤前に冷蔵庫へ入れて
作っておいたアイスコーヒーを楽しみに帰ってきた。



今日は、ゆきこさんに教わったお店へでかけようと
東山線へ乗った。
通勤で使っている地下鉄は桜通線。
東山線はまだ慣れない。

本山という駅で降りる。
先日降りた東山公園の手前の駅だ。

東山公園に降りたときも思ったけれど
ここまで来ると名古屋中心地の空気の密度が失われている。

大きな道
住宅街
丘の緑

あまりにもあの煮立つような空気感がないことと
すこし東京にある街にも似ていて
平行世界にいるような不思議な感覚をおぼえ
足下が不安定になる。



教わったお店は穏やかな静けさが渡る空間で
出していただいたお茶をゆっくり飲んでいたら

ロイテでコーヒーを飲みながら、涙がでたときのことを思い出した。

すごくほっとしたんだと思う。





2013年6月26日水曜日

部屋に花がほしい。


夜勤前

行ってみたいお店を見つけて
足をのばそうかと思ったけれど
雨が降っているし
からだも疲れてきたし
欲張らずにゆっくりと過ごすことに決めた。



ゆきこさんが教えてくれたお店へは
夜勤明けの明日、出かけてみようと思ってる。




すこし慣れてきたように思っても
からだが疲れてくると最初に感じたこの土地の濃さがぐっとやってくる。


昨夜は電気をつけたまま眠ってしまった。











一週間とすこし過ぎ
滞在の折り返し地点がみえてきた。

わたしはここから、帰るけれど
一緒に来たひとはこのままこの土地へ残り、暮らしていく。

やってきたばかりのはじめの一週間は
名古屋へ来た!今まであったものがここにはなにもない!
という未知に触れるのにお互いに夢中になっていたけれど

土地の空気を吸い 土地の上に眠り 土地のものを食べ
からだと土地とが近づいてくると
(もしくは土地に内包されると)
生活が始まり
そのままここへ定着していく彼女と
滞在先のそばにある梱包屋さんで
荷物を送る段ボールを買おうと考えているわたしと
重なっているラインももうすぐ離れ
いよいよ、もうすぐ、さようならなんだと
わかっているはずの事実に
今気づいたように、
はっと生々しく触れる瞬間が
ふいに訪れる。

昨日は前日あった出来事のために
気分はよかったけれどからだが疲れていて
日勤を終えたあとの帰り道
疲れたからだがこの土地の空気の密度から逃げたくしてるのを感じた。

賑やかに喋る若いカップルの隣に座った桜通線の車内で
自分が生まれ育った場所を離れて暮らす感覚についてすこし考えた。

正確には、自分が生まれ育った土地とは異なる性質を持った土地へ
ひとり向かい、ここで生活をしようと決める
そのひとりひとりに、何があるのだろうということ。

距離は関係ない。

自分の中に流れる空気感と土地の呼吸が合えば
どれだけ離れた土地でも、それは音楽になるだろうと思う。
音楽になれば、生きやすいだろうと思う。

でもなかなか手強くて、すぐにはなりださないこともあるのだろうと思う。

それでも、そこへ行き、暮らす、そこにある決意のようなもの。
その温度について。


地下鉄を降りてから
気合いを入れようと思い、
駅地下の矢場とんで味噌カツを食べた。












2013年6月24日月曜日

プール


ここ数年のことを、振り返りながら
ひとつ、後悔が生まれた。

反省じゃない、
この気持ちは、後悔だって思った。


後悔は、先に立たない。
反省は、活かせても。
「後悔するなら反省しなさい」
と、学校で教わったような、
何かでいつか読んで、納得したような
そんなおぼえもある。



でも今
後悔してる、自分を見つけながら
後悔って、こういう思いなんだって、味わいながら
これは、悪い気持ちでは、ない。と思った。


その時の自分が、精一杯だったことを知っている。
だから悪かったとは思わない。
その過去についてどうにかしたいと思わないし
こうにしかならなかったことをわかってる。

でも今の自分から振り返ってみれば
もうすこしこうだったら…
そう感じる。
今だから、そう思える。

だから後悔する。

だけど、否定していない。

ただそう思うだけ。





これは、ひとのやさしい感情ではないかと
やさしい機能のひとつなのではないかと

そんな風に、思う。




2013年6月22日土曜日


ちゃんと眠れるようになった。

きのうは東海道本線に乗って岐阜へ行った。
岐阜の空気はやわらかくてしずかで
雄々しい場所を想像していたけれど
緑も山も穏やかにみえた。


途中でおいしそうな野菜が売っていて
買って帰ってきた。
にんじんを切ってそのまま齧ったら
香り高くて、嬉しくなった。


テレビで東京スカイツリーをみて懐かしくなった。

天気予報では日本列島のおなかの部分がうつる。

飛騨高山、津、


眠る前になおちゃんから電話がかかってきて
言葉がつめたく澄んだ水みたいでうれしかった。




何も知らない土地で
いつも通りの仕事をしているのも、不思議な感じがする。

不思議な感じがするけれど
いつも通りの、仕事をしよう。

いつもよりも、丁寧に、でもそれがわからないように
いつも通りの仕事をしよう。

2013年6月21日金曜日

体験記


6/20

夜勤をあけてすこしぼんやりしていたら、
乗換駅を間違える。

どこで降りても、はじめての駅だ。

すこし遠回りして名古屋駅に戻って
おなかが空いていたのではじめてモーニングをした。

濃い珈琲と小倉トーストで満腹になって部屋に戻って
洗濯機をまわしたり掃除をしていたら
眠気がからだを柔らかくした。

6/21 (夏至)

それで昨夜は、ちゃんと眠れた。
夜中に1度目が覚めたけれど、
そのあとまた寝つくことができた。


ひとりだから、
いろいろなことをひとりで受け止める以外なくて
その場所にいることがダイレクトに自分という存在と結びついて
必然性が発生する。
それはつまり物語が生まれるということで、
メロディになるということ。

はじまるということは、
出会うということで
(コミットする)ということ。

共鳴し合うと影響を与え合って和音になる。
2つの音が発生した。
その瞬間から
揺らぎのなかで調和して、ひとつの響きになっていく。

そのためには「時空」が必要なんだ。


ただ鳴らしただけでは
響き合わない。

そこに場があり、時の経過があるために

和音となってそれから旋律となっていく。





2013年6月20日木曜日

雨、とまる。雨降る。


夜勤を明けた帰り道

角を曲がるところで
ノウゼンカズラが咲きこぼれているのをみた。



オレンジ熟れた薄い花びら
雨上がり曇り空


名古屋に来てまだあまり寝ていない。





来る前はわからなかった。

からだを運んでみれば
土地と反応して意味が生まれ綴られる。


からだはスイッチで

土地やひとや ある瞬間となにかと

反応すると奏でられるうたがあって


そのうたがどんなうたか

双方の意図の上にそれはなく

奏でられてみないとわからない。

指先でたどっていくうちにそれがなにか「わかっていくように」

たどらなければ、「わからない」(うまれない)




そのうたがききたくて


息をしているのも

どこかへからだを運ぶのも

出会うのも黙るのも

ただそのうたがききたい



それだけで、それだけで
それだけの




チョコボールをあけたらくちばしに
銀のエンゼルをみつけた。



2013年6月19日水曜日

滞在記2


夜勤に入るまで時間があるので
今朝はコメダへ行ってモーニングをしようと思っていたけれど
あまりよく眠れないまま朝になって
しばらくベッドでからだを伸ばしたりしてから起きだして
身支度をしたり洗濯物をたたんだりして(なんと、室内乾燥機がついている)
8時になって「あまちゃん」を観終えたら
移動に合わせてコンビニのごはんが続いていたからか
外食する気がからだにないのがわかった。

昨日、スーパーで買ったキュウリを切ってかるく塩もみして
ミョウガとあえる。
冷凍庫に入れていたパスコのマフィンを解凍する。
クリームチーズをのせて、
それからキウイを半分切った。

家から送って昨夜届いた日用品の中から
黄色い大きなまるいお皿を取りだしてそこにぜんぶのせて
ゆっくり食べた。

なんとなく、とても、ほっとしたような、そんな気がする。

コップは昨日、名鉄百貨店の無印良品で買った。
安くなっていたのでクッションも買った。
しかも持ってるmuji cardでの買い物で
10%オフになると案内してもらってそうした。
嬉しかった。
それに今も座ってる。

どこへあっても同じ音楽が流れて
同じ品物の並ぶ、無印良品に入ると、
そこでは店員さんもきれいな標準語で、なんとなくそこでもほっとした。



カーテンの下を、昨夜みつけたちいさな蜘蛛が走っているのを
いま、みた。


昨日は無印へ寄ったあと近くのイオンへ向かって
そこで食料品や日用品をすこし買い足したのだけれど
イオンは包丁を並べていないようで
レジで店員さんに
「包丁はないんですか?」
と聞くと
「当店にはありません」
と言われ
「このへんだとどこへ行ったら買えますかね?」
と聞くと
「当店では扱いがありません」
と言われた。

「袋はお持ちですか?」
と聞かれて
「ありません」
と返事をした。
そのまま支払いをした商品のかごをさっと差し出される。

レジ袋を買う仕組みなんだ、と思い出して
「袋を買いたいです」
と言って売ってもらった。


夜眠る前まで
昨夜はいろいろ考えていた。





2013年6月18日火曜日

滞在記


昨日の午後から名古屋へやってきました。
さっき、18日間滞在する部屋にたどり着きました。

蚊に狙われながら
鍵の調子がわからなくて玄関を開けるのに苦戦したけれど
無事部屋に入ることができました。

名古屋は不思議です。

何しろ、空気の密度がぐんと高い気がするのです。

物や人の存在感をつよく感じます。

昨夜はその質量がせまるようで
あまりよく眠れませんでした。


今朝、地下鉄をぬけながら
名古屋の人の盛っていく感覚が腑に落ちたような
そんな感じがありました。


名古屋は地盤がしっかりしているように感じられました。
立つと跳ね返ってくるような地力の強さがあるような、そんな感覚です。

その跳ねっ返るエネルギーが
物の質感にパワーを与えて、さらに盛っていくようなかたちになるのではないかな…。



武蔵野で育ったわたしには
ファンタジーの世界です。

そしてそれをとても面白く感じました。



今朝、ビジネスホテルの朝食で
濃いしっかりとした味噌で作られた
茶色〜いお味噌汁をいただきました。


スーパーでも愛知県産の野菜を買ってきたので

数日の間に
この空気への違和感は薄れるのかもしれませんが

発見の多い滞在になりそう。
そんな予感がしています。



2013年6月16日日曜日


ずいぶんと日がのびた。
まだ明るいだなんて。


少し部屋を片付けようと思っていたのだけど
帰ってきてからになりそうだ。




窓からオレンジの光
カーテンをめくったら中学の校舎のうしろに太陽

咳払い



夕ご飯の匂いがこぼれてくる日曜日

サッカーボール 壁あて繰り返す


心の皿の上に
なにもなくなってしまったような気分だ

空っぽの皿の上に
陽の光がこぼれているような気分だ












2013年6月15日土曜日

帰り道にクチナシの匂いがした。

ふりむいてパッと眺めても
花は見当たらなかった。



銀色の車どめをよけて
あまり使わない小さな駅に入る。





昨日、彼女が立った場所のはなし

昨夜わけてもらった、ティラミス



駅のホームで浴びる風




軌跡の上で
星のようにまたたいている




じぶんの中に
スクリーンがあって

そこに映るものを
ずっと眺めているようだ。



あらゆるものが
映り流れて

とりとめのない
光と影の点滅のいくつかが
繋がり、意味をもち、意識に拾われ

たいはんは流れるままになり

ただ瞬間のあるかたちが

意味に結びつかないまま
焼きつき
からだのなかに
滲みいって一緒に生きていく。






からだの深くで
ごろっとした手触りのまま
たゆたっていたものが


数年なりののち

そのときその瞬間の光と影に呼応して

浮かびあがってくることもある。







偶然はないというけれど
偶然だらけの銀河の星の並びが
軌跡の上で必然となる。






1月に
ちいさな会話からこぼれ
教わった場所の名前を

昨日、友人が口にして

今日、でかけた。



2回めにつかう駅のそばにきて

ここは10年前に
あのひとが暮らしてた場所だと思い出す。




歩みのなかで繋がり

重なれば反応を起こしてしまう




それがわずらわしくも
すこし思えるし

ただ重なっただけで
自発的に起こっていく小さな爆発の連続に
委ね眺めていくしかないような

やわらかな降伏と
きらきら光るなにかを思う。






出張へ行くのがいやだなと
まだすこし思っていた。
前にそこへ行ったとき
見たくない、触りたくない
そう思ったものが
あったから。



でも行くことになって

またスクリーンに様々に
映りこむ何かが
あるのだろうと思う。

そこに符合する
なにか、ごろり、がからだの中で
浮きあがる準備を
しているかもしれない




メールに添付した写真を
なんどもひらいて
ひとり見てみる。




わたしは降伏しているし

たぶんもう
その先に立ってる。

2013年6月14日金曜日

応援するのが楽しかった野球観戦。


すごいものをみた。




みんなそれぞれに生きてる様が
ほんとうにきれいだ。


わたしはなんだか
そのきれいさの正面に
どんと向き合い立てない気がする。




稲荷山公園を
降りていく木道脇に
紫陽花が植えられた。


こどもみたいにまだ小さな
紫陽花の房





「共感できるから尊いのではなくて
ただ、そこにその人がいる、そのことが、尊いんだって、わかった」


口からでてた言葉


背景を電車が流れる






ピッチャーに大舞台を与える観衆

マウンドの上、ひとり


より、生きたい
その思いひとつに

いつも引っ張られている。

2013年6月8日土曜日

息を吸うだけで
緑を食べているような気がする。



ミッドタウンの公園のベンチで
小型犬を散歩させてる女の人を何人も見送った数日前、
今年はじめて左腕に蚊がとまった。



海の色が深くなる。

思いつめてる人の全身どこを触れても
涙が零れるんじゃないかと思って

パキンと割れそうに
満ちてる思いの中にある人が

美しくて夜みたいでした。




六本木にも蚊はいて、
わたしのからだには血が流れていて
汗の匂いたって寄ってこられる。

緑が濃くて、
見知らぬおじさんに怒鳴られる。

引き返して言い返したくなって振り返ったら
おじさんはもういなかった。

逃げたものがちは、ずるい。

左腕にとまった蚊を、ころしてしまった。