2013年7月29日月曜日

ひえとりについて、すこし。


きのうのイベントは、
からだの冷えをとる、冷えとりのお話会を中心に
あたためる、から繋がる、すてきなものが並んだ
ほがらかな顔ぶれの集った、
そんなやわらかな時間でした。

冷えとり、murmur magazineという雑誌をきっかけに
ひろがっていると感じています。
わたしも、この雑誌をとおして知りました。
そして周りでひとりふたりとはじめた人たちが、
なんだかとても楽しそうに快適そうにしているのを見て
はじめてみることにしました。
そのひとりは、お話会をひらいてくれた、yokoさん。






冷えとりについて、すこし。
わたしの知っていることを。







多くの人のからだは、上半身と下半身に温度差があり
温度差があることで血の巡りがわるくなり、
それをきっかけに心身に不調を抱えている場合も
少なくないそうです。

冷えとりは、
特に足下をあたため、
下半身の体温をあげることで
上半身との温度差を埋め、
血の巡りを改善していく健康法です。

体温が一定になり血の巡りがよくなることで
心身の不調が改善されたり
より心地よく生活できるようになると考えられています。

下半身をあたためる方法として、半身浴を基本としていて
お風呂に浸かっていないふだんの生活では
自然素材の靴下を重ね履きすることをすすめています。

詳しくは、
進藤義晴先生の本にとてもわかりやすく書かれています。
『新版-万病を治す冷えとり健康法』(農文協)
murmur magazineからも、別冊の特集号がでています。
http://murmurmagazine.com/about/bs_contents01.html








かならず必要なものでは決してなく
手段のひとつだと感じています。

そしてちょっと、気持ちがいいものです。



わたしは、昨年末からはじめて
夏に入ってからは素足で過ごすこともあるし、
靴下の枚数も少なくしたりと
自分が無理なくできるかたちで続けています。

ひとによって様々だと思いますが
まず、100%絹の靴下を履いた心地よさを知りました。

それから、足下があたたまると
体は安心するみたいです。
体が安心すると、漠然とした不安感が薄らいでいきました。

不安感が解消されていくと
ひらめきに素直になれたり
おおらかになれたりという変化がありました。

足もむくまなくなったし、
いろんなよいことがありました。

それで今もつづけているし、
興味のあるひとにはすすめたくなってしまう。

「冷えとりが楽しい」ってどういうこと?
と思っていたのだけれど
実際楽しいのです。







hietori会

きのうは、
千駄ヶ谷のshoe labさんで
yuzuriha会による、
東京hietori会がありました。

とてもあたたかく、
ほがらかで充実したひとときでした。

参加していただいたみなさま、
スタッフのみなさま、
ずっと穏やかに細やかに、会のぜんたいを見守っていただいた
shoe labの大平さん…
ありがとうございました。

そのひとときに、一緒に携わることができて
空間をともにできて
ほんとうに嬉しく胸がいっぱいでした。


また、どんな会だったかの
ちいさなレポートと
冷えとりについて(ふまじめな初心者ですが)
すこし紹介したいと思います。

写真は、みんなでいただいた
タケイ A サカエさんによる、絶品カレー



あたたかく
ほがらかに



大切なことを
思い出すような日でした。

2013年7月25日木曜日

遠足準備




今週末の、shoe lab.さんでのhietori会は満員となったそうです。
お申し込みいただいたみなさま、ありがとうございます。

紹介文を見たら、
すごい!マジカルな紹介をしていただいています。

そのことばにかなうように、
みんなに喜んでもらえるものを作ろうと思います。


本みたいなノートになったらいいなと思って
今、水彩をだして絵を描いたり
わたし自身が靴下の重ね履きをして冷えとりをしてみて
体感した感覚を詩にしたり、
ノートの中に含むアイテムを増やしています。

集中して絵を描くのは久しぶりだけれど、
やっぱりたのしいなぁと感じます。


前回のノートの原稿を確認するのに、
今までつくったものを入れてる箱をあけたら
昨年、狭山のカフェleuteが閉店する前につくった
フリーペーパーがでてきて久しぶりに読み返しました。
(leuteは、お店はいちど閉めていますが、イベントなどで活動を続けています。
ふたりのつくる飲み物、食べ物、空気感を思うと、
おへその奥がふわっとあたたかくなります。
それから、leuteが「いちばん、おいしい!」と言って、珈琲豆を頼んでいる
yama coffeeさんは、django banquetと、名前をあたらしくされました。
「ジャンゴ バンケット」と呼ぶそう!)

フリーペーパーでは、身近な友人たちが
わたしに見せてくれた風景をスケッチしていきました。

自分はこういうことを、やり続けたいなと
あらためて感じました。

人が生きていることに触れること
そこにある風景、その人がみせてくれた熱を言葉にすること
そしてそれを、読んでもらうこと



ずいぶん前だけれど
leuteのふたりも含んだ友人たちと
代官山へharuka nakamuraさんのライブへ出かけたことを思い出します。

harukaさんが音楽を奏でると
照らし出されるのは演奏者ではなく
観客のひとりひとりのように感じました。

cafe leuteでおこなった夜のピクニックというイベントのときにも
暗闇のなか公園にあつまったひとりひとりの存在感に
しずかに圧倒されたのを思い出します。

ひとりの人の存在に触れたとき、
やっぱりどきっとするし、美しいと感じます。



hietori会のノート作りや
yokoさんのスタイリングレシピ作りも
あるひとりのひとの存在をいきいきするためのもの作りで
コンセプトに共感しながら
自由に制作させていただいています。

ありがたいことです。

ざっくばらんな記事になってしまいましたが
そんな感じで、
こつこつ、制作させていただいています。

ときどき散歩にでながら。

夜はノンアルコールビールをぐびっとして
休憩、はさみながら。






数日の雨で川の水が満ち
水面が空と近づいている。

湿度を含んだ風は重たい。

曇天のもと、
黒く静まった水面に
釣り糸を垂らす人がひとり。


土手の入り口に
朝までの雨に濡れた昼顔が花開かせている。

淡いピンク色
ラッパの口に雫を抱いている。

苔生す空き地の木。



あいぽんがヨガの太陽礼拝を教えてくれたとき

「自分の中にある、内なる太陽へむけて」

そう教えてくれた。


それから時々、
内側の太陽を意識する。

ある、と思うと
感じることができて
感謝すると、
繋がることができる。


時々、意識する。

意識するといつでも、
そこにあるのがわかる。

2013年7月24日水曜日

道を掃く。

雨が弱まって、窓の外から光と蝉の声。
ここ数日で、自分の中がずいぶん散漫になっていた。
見晴らしをよくするためと
お知らせをかねて
活動予定。(決定しているもの。進行中のもの。)

1、東京 shoe lab.さんでひらかれる ヒエトリ会のためのノート作り ○
2、yokoさんのスタイリング講座へ参加された方たちへのスタイリングレシピ作り ○
3、フラワーエッセンスつわみさんの名刺、パンフレット作り
4、auroraの本作り
5、ある作家さんと共同制作
6、IMA

個人的に実現すること。
1、あたらしい仕事を始める。
2、引っ越しをする。
3、あるテーマについて文章を書き、本にする。
4、聞き取りをして、物を作る。
5、仙台の友人へ会いに行く。



仕事を終えたら「旅にでも行くといいんじゃない」と言ってもらって
「外国とか行くのもいいかも」と思っていたけれど
なんとなくすぐ活動したい感じでいるし、引越しが優先な感覚がある。

もし求職中に旅をするとしたら、今度は目的を持った旅がいいと考える。
(福祉先進国へ。もしくは鹿児島のしょうぶ学園へ。)






雷雨/窓

 
 
 
やることがあるのに
なかなか手につかずに、考えも散漫になっていた。
世界堂で紙を買ったり、必要なことを順にととのえていく。

夕方、焼うどんを作っていたら、雷雨。
心が整わないままなので
そのまま映画館へ出かけて『風立ちぬ』を観てきた。
 
いざ生きめやも


作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”を、堀辰雄が訳したものである[1][2]
「風立ちぬ」の「ぬ」は過去・完了の助動詞で、「風が立った」の意である。「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっている。また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえている。(Wikipediaから引用)


昨晩は涼しかったので素足をくるんでいるタオルケットの重みが心地よかった。










2013年7月22日月曜日

ピンクの雲を、みんなが携帯のカメラから撮影したあとに








大きく打ち上がる、花火を見た。


夜中の橋から、高架下を流れる、
黒くつやつやした川面を見下ろした。

 


花火が始まる前は白くひんやりとしていた月が
夜中に見上げたときには虹の輪をつくって輝いていた。





虫刺されてひっかいた傷跡、治るのに時間がかかる。
31年を毎日生きてきた。

ゆっくりと衰えているのを感じながら
しずかに鍛えつづける。
自分のからだに意識的に関われるようになったのも
ここ数年のことだ。
それから精神はやわらかく、いよいよ自由になってきたようにも感じる。




なにかが大きく変わりそうなそんな感じを受けていて
いちど自分に触れ直さなくては
これから関わるひとや出来事と
誠意をもって対話できない気がした。


反射だけで ひとを傷つけてしまうことのないように
 
 
 
 

2013年7月19日金曜日

風がやわらかい。


言葉がつづかなくて
下書きフォルダに入れたままにしていたメールに
昨夜返信がきて

送信メールを確認すると

それ以上、
何てことばを、重ねたらいいのか
黙り込むようになってる文末の
そのままを

誤って送信していた。



まとめあげることができずに
ある一文から
じっと黙ってるその文面は
たしかに正直な手紙だった。




きっと黙ってしまった気配まで
読んでお返事をくれたのだと

返信の文面から伝わる体温に
涙がこぼれた。





「しょうがない」

わかっているけど
そういかないんだものと
やっとカラカラ笑って
話せるようになったなぁと

店員さんが
「特別です」
そう言いながら
うれしそうに運んでくれた
厚切りのベーコンステーキを
分け合いながら思った。


さっぱりと髪を切ったばかりの
つるんとした笑顔のひとと。



こたえにむかっているわけではなくて
一生懸命いきている。

2013年7月16日火曜日

sign



まだ春がやってくる前、
ヨーコさんと大阪のsewing tableを訪ねた。

ずっと行きたいと思い続けていたから
仕事が終わる前に出かけよう。
そう決めていた。


「アラスカの先住民、ストーリーテラーのBob Samが
sewing tableでお話を語る夕べがある。よかったら一緒に」

そんなで中ふと、
ヨーコさんから声をかけてもらったのだった。



sewing tableは小さな洋裁学校の裏に、
のびのびと
そっと、ある。







自分がどうしたいか、よく見つめた方がいい。

ある人からそう言われたばかりで
介助の仕事を終えたあと、自分がどうしていきたいか
そもそも、自分の燃えどころは何なのか
一生懸命探していた冬だった。





sewing table 
星ヶ丘洋裁学校の庭のベンチに
ヨーコさんと並んで腰掛けて
夜のイベントにむけて準備をしている玉井さんたちの姿を眺めているとき
じっとじっと揺れない水面を見つめるようにして探していた
「ほんとうにやりたいこと」
その中心に、ふと触ってしまったような
そんな感触があった。



帰ってから、その感触に
潜って、潜って
いつでも、どこにいても
これからそれが見えるように
言葉になるところまで
潜って、触って、引き上げてきた。






そのあとは、いろんなことがあった。

ひとつひとつの出来事を経て
じぶんの内側がどんどん変わっていく感じがした。







今日、
sewing tableで 玉井さんのつくられている服たち
so seaの展示会が
東京のタンバリンギャラリーで初日を迎えた。


旅のときと同じように
ヨーコさんとふたりで訪ねた。


木の実や枯れ枝を綴ったレイを
首もとにかけた服が並んでいた。


ひとつひとつ
纏う人の肌に触れるのを
待っているような佇まいで。




はじめて会う人たちと
明るい声をあげながら
試着しては笑顔になって
感想をもらす



so seaの服を纏うほどに
そこにいたひとりひとりが、自由になっていくようだった。





ヨーコさんが出会っていたのは
いまのヨーコさんが目指すものや
そこへむかう日々をかろやかに支えてくれそうな
ひかりをたばねた色、しろい服。





わたしは太い黒のストライプの、
seaパンツを注文してきた。

1点もので頼めなかったけれど、
試着させてもらったもう1着は
鮮やかなオレンジのサンドレス。

手がのびたのは
心をしっかり持っていられそうな、
輪郭のつよいものたちだった。








再会したsewing tableの気配


「すすみなさい」








目の前で
風まいて踊ってるようにみえる

海の気配抱く
草原でつくられた
服たち





http://tamazkue.sakura.ne.jp/index.html

眠気覚ましのしりとりに
しだいに夢中になって
眠たいのがどこかへいった夕方

2013年7月14日日曜日



すこし気温が下がったように感じられる朝

呼吸が深くなる






目覚める直前までみていた夢の感触が現実的だった。
夢の中ではまだ、名古屋とこっちをうろうろしている。






夕方、ちいさく雨。


改札をぬけると
明るい藍色のワンピースを着た愛さんとすれ違った。
「愛さん」
声をかえたけど、届かなかった。


それから歩いて

水色のドアを開ける

旅から持ち帰られたもの

短くなった髪 やわらかい笑顔



ただ自分の仕事を終えたそのことに
「おつかれさま」と声をかけてくれて
あたたかい気持ちを贈ってくれた
そのおもいに
お腹の底が熱くなった。





たいせつにしてもらうことは、うれしい



たいせつにしてもらうことは、うれしいんだ。




2013年7月13日土曜日




ひとつも飛ばしていくことはできない

ひとつひとつを開いて閉じていくこと

2013年7月12日金曜日

夏休まない


飛行機の音がごぉんごぉんとする。
いつもの風景のなか。


戻って来てから
毎日友人たちと会って
それぞれの場所で新しい計画をたてた。

仕事を終えたらいったんおやすみかと思っていたけれど
心身が充実していてわりと動ける状態になっているし
もう動き始めていることもあるのだった。




昨夜は久しぶりにあいぽんにヨガを教わった。
からだを動かしていなかったので
腕も足もぐぅんと伸びるのを喜んでるみたいだった。




自分の腕やてのひらや
からだの使い方は、あるひとをサポートするための手段をおぼえた。

つかわないうちにそれは少しずつ眠っていくだろう。

でももとのからだには戻らない。
それを経たあたらしいからだになる。


心身にしみこんだ、彼女の生き方、覚悟のようなものの感触が
まだ鮮やかなうちに、
このからだでできることをしたい。

今はそういう気持ちでいる。






2013年7月8日月曜日

サルスベリ

 
 
 
 
 
出勤簿を出しに事業所へ向かった帰り道
駅で代表の方を見つけた。

ひとこと挨拶と思って声をかけたのに
向かい合ったら、思いがこみあげて
涙が溢れてとまらなくなってしまった。



もうすこしそばにいて、力になることができたんじゃないか
力になりたかった

どうしようもないのに、
どうしようもないからといって消せない気持ちが溢れて
ひとりになってからも嗚咽がおさまらなくて
ホームのベンチに座って、落ち着くのを待った。




生きているそのあいだ
必ず、介助の手をもって、生きる

その覚悟のある彼女を前に
できないけど、したい。したいけど、できない。
そんな思いは何にもならない。





出会って間もなく
何者かもまだ知らないままに

家に上げ
隣に眠らせ
からだに触れさせる

それはどんなに必要に迫られた上であっても
やっぱりとても、怖いことじゃないだろうか

それを越えて
それを、させてくれた

彼女がわたしにくれたものを

生きているあいだ
わたしは誰かに、与えることができるだろうか。




とおくで夕立



ひとりの帰り道
彼女がいないことを感じた。


わたしの身についた、彼女に合わせた身体の動き
可動域が、空白に揺れてる。


精神的な面でも
身体的な面でも
介助という仕事を通して
自分とは別個の存在の意図の通り道になったその分
わたしの心身も同時に、拡張したのだなと感じる。




「今、仕事にひと区切りついて、次はどこへむかっていくんですか?」

そう投げかけてもらって

今はまだ、終わりの余韻のなかにいることと
閉じていくのを感じていくことも、関わりなのだと
自分が感じていることに気がついた。



「それが終わったら、自分のからだになって、また次が見えてくるんだと思う」

ふと口にした言葉

「自分のからだになって」




わたしはまた、わたしのからだになって
そこから始めるんだと
感覚的にわかっていて

いまのわたしのからだには
まだ彼女としての機能が残っていることを
しっているんだ。

無意識に発した言葉のなかに
じぶんの実感があった。







昨夜は春から始まっていたワークショップのクラスも最後だった。

場を共有できたこと
ひとつの体験をともにできたこと

ひとりひとりの核から発せられる気配に
触れられたこと
出会えたこと


クラスは終わっても、ゆるやかに繋がっていく予感とともに

ひとりひとりがそこにいることで
生まれた空間を
いとおしく思う。
今朝はまだ、その余韻のなか。







きのうは虹がでたらしい。




名古屋から送って、そのままになっている荷物を
今日はゆっくりほどいていこう。










2013年7月4日木曜日

2013年7月3日水曜日

じぶんのためのメモ

体験をすぐに意味にかえないこと。

ただ体験があるということを、受け入れること。

滞在先近くの梱包屋さんで
もらった段ボールを組み立て
自宅へ送れるように荷造りしていた。

手帳を開けば、
来週の予定が書き込まれてる。


やってきて
身をおいてみれば
すごく深みのある時間をぬけてきた。






旅のおわりにさしかかって
旅の意味を探そうとしてしまう。

意味を繋げようとして心が走る。
「どうして?」と問いをたててしまう。



でも

すぐにわかろうとしないこと。

眺めるだけでたぶん今はいい。



何の絵が描かれてるのかが
大切なのではなくて



筆が走っている
そのことが
ただ大切なんだと思った。

7月3日



朝起きたら雨が降っていた。


さっきすこしでかけたときにはやんでいた。
窓からひんやりふくらんだ風がよせてくる。

部屋は薄明るい。
カーテンゆっくりと揺れる。
寝てるひとの胸みたいに。


今日は夜勤までのあいだ
荷造りをしながらのんびり過ごしている。

ポストに2通の手紙が届いていた。









昨日、ある瞬間に
さっきまで東京にいて
そこからやってきたばかりのような感覚をおぼえた。


ぐるりとめぐって、
はじまりとおわりは同じドアをくぐって帰る。


旅のおわりが近づいているサイン

2013年7月1日月曜日

あたらしい月


夜勤をあけて名古屋駅に降りたとき

新幹線の改札口から出てくる人の波をみて

ここから帰るんだ、とはっとした。





とてもよく空が晴れていて
洗濯物を干したあと
東海道本線に乗って岐阜へむかった。


もうひとつ、
行ってみたいと思っていた場所まで。





つぎはいつ会えるだろうと思っていた方と
偶然、再会できたこと


岐阜で暮らすひとたちの
いいところです。という声を
聞けたこと



おすすめの場所を
歩く距離や
帰り道のことまで想像してもらいながら

ていねいに、
教えてもらったこと








ゆっくり会えたこと。







風寄せて
薄い綿のカーテンが揺れていた。
 
 
 
 


歩いても
歩いても

ふと顔をあげれば
緑深い山が見える。




岐阜は19才のときに出会ってから
ずっと大切なひとのふるさとで

出張のことを伝えたら
金華山にのぼるといいよ
と教えてくれた。


そのことばひとつでやってきて

長良川の川べりから山をみていたら
涙がぽろぽろぽろぽろこぼれた。


とてもいいところだったから。












新幹線をみると
「もう帰るよ」って
いわれているような気持ちになる。





昨夜の介助中に、
彼女と夜道をたどりながら


埼玉の、あのでこぼことしたコンクリートの帰り道を
この子と一緒に歩くことは
もうないんだなと思った。

これからさきに、
いちどもきっと、ないんだと思った。





線路脇の道
都心から戻ると草の匂いがして
安心するね、と話した。



どの帰り道が最後だったのか
思い出せない。



いつだって明日もまたあるような
そんな気持ちでいるばかりだった。