2014年12月30日火曜日


朝身支度をととのえて
車を運転し、祖父の墓参りへ出かけた。

ほうきとちりとりと
ライターと線香、それから使い捨てのペーパーを持って。

踏切を渡って、坂道をのぼっていくと寺がある。
入り口の横に花が売られている。
「1束500円」と赤い文字が書かれた白い箱の中に
折り畳んだ1000円札を入れて2束手にとる。

黄色い菊と、淡いピンクのカーネーション


蛇口が凍らないように水道に発泡スチロールの箱がかぶさっているのを外して
おけに水を溜めて祖父の墓を目指す。
霜が降りて土の表面が白くなっていた。

祖父の墓では
前に供えた花が枯れていた。

花立の水を捨てると濁った水と薄い氷が落ちた。
雑草がすこし生えていたのでむしった。

墓の掃除をして花を入れ替え
手を合わせて帰る。

帰りに本堂の前でも手を合わせる。

賽銭箱の横に「大川小学校捜索費用」と書かれた箱が置いてあり
その小さな箱の方に1000円札を入れた。



掃除をしている時に出てきた
祖父と祖母と、小さな頃の兄と私のうつった写真を
写真立てにいれて部屋に置き始めた。

父は祖父に似てきている。
 




2014年12月21日日曜日




掃除を始めたら
大掛かりなことになってきてしまって

もういろんなものを持っているのが
苦しくなってきて
どんどん、捨てている。


長引くのは「これはどうしよう」という
ジャッジの保留期間のためのように感じる。


大切に読んでいた本を
何冊も床に積んで

2日後くらいに(やっぱり手放そう)
と思って古本屋へ持っていく袋につめる。
 
 
そうしていると、もうなにもかも
本当にはいらないような気がしてきて

そうしてまたどんどんと
捨てるものが増えていく。





もう片付け途中の散らかった部屋にいることと
これはいる、いらないの仕分けから逃げたいのだけれど

読んでいたWEBコンテンツの中のことばに励まされる。

「片付けは、未来の自分が
快適になるための準備。」

北欧、暮らしの道具店 /
-本多さおりさんに教わる収納-より
http://hokuohkurashi.com/note/75071


励まされるものの

もうどうしてこんなにがむしゃらに
掃除をしているのかわからない



こんなに
いらなくなってしまったのかもわからない




わからないからものすごくくじけそうになるのだけれど
ふるい落とすように。
 
 

 
 
 
 




2014年12月19日金曜日



胸の真ん中にごろっと大きな石みたいなものができて
話したり
動いたりすることが
難しくなってきてしまった。

その石がある時は
ぐーっとそっちへ
降りて行く必要があって
そのためにはよけいな言葉を
話せなくなる。


都合を合わせようとして、すこしくらい、と軽口を叩いたり
ことばがでてくるのを待たないで、口先で喋ってしまうと

少しずつずれていって
そのずれが積み重なると
戻るのにものすごく、時間が必要になる。


石ができたら
じっと黙らなくてはならない

石が自然とほどけて
音が鳴るまで。
 

2014年12月12日金曜日

湯たんぽのはなし


三重への3泊のために
ゴム製の湯たんぽをリュックへ入れた。



荷造りは
旅が続いていたので
すぐに終わった。

コンタクトレンズの洗浄液とか
化粧水の小さなボトルは
ポーチにまとまっていて

着るものが薄手で気温にかなわなければ
カイロを貼ればいい。
とか
そういうささやかだけど有効な知恵も
からだのリズムに流れ始めていた。



湯たんぽは
プラスチックのものを使っていた時に
足もとに固いものがあるのがいやで使わなくなって

もらいもののゴム製の湯たんぽも
ずっと使っていなかった。


それでもきっと
先月、
関西の友人宅に泊めてもらった時
彼女が眠る前
ふとんの足もとに湯たんぽをいれて
あたためてくれていたことがのこっていて
三重へ発つ朝
そのゴム製の湯たんぽをリュックにいれたのだった。

湯たんぽは厚手の毛糸カバーに包まれていたけど
かさばるのでコットンの薄い袋に入れかえた。
コットン薄い袋、
といっても
無印良品で売っているエコバッグだ。
何度も洗って、クタクタになっている。



ビジネスホテルの水道は
お湯の蛇口をひねっていると
熱湯がでてくる。

だからお湯をわかさなくても
そのまま蛇口からのお湯を湯たんぽに入れればよかった。

部屋について
お風呂に湯をためている間に
ふとんにいれておき
眠る前にまた
熱い湯を入れなおして眠った。



A3サイズの
無印良品のエコバッグの中の
ふにゃふにゃとやわらかい湯たんぽは気軽で
旅の3泊で使うことに慣れたのか
帰ってきてからも毎晩お湯を入れてベッドに持っていく。


家ではやかんでお湯を沸かす手間があるけど
容量が少ないのでお湯もすぐに沸く。

湯たんぽは、
陶器のものがいいと以前聞いていて
関西で泊めてくれた子も
陶製の湯たんぽを使っていた。


それはきっと保温性や
熱伝達の仕方のはなしと
それから
彼女や、彼女、
ひとりひとりの暮らしの在り方から
生まれてきた実感に違いなく


わたしは
わたしの在り方から
私の実感で
見つけていけばいいんだ。

という気持ちを
また新しくする。




ゴム製の小さな湯たんぽの中で湯は
朝にはほとんどぬるくなっているけど
足にあたっても邪魔じゃないから、
ふとんからはじき出さずにいられる。

厚手のカバーよりも
ぺらぺらでクタクタな
コットンの袋が
物理的にも心理的にも
かさばらなくてちょうどいい。



そうやって、
体験を通して
道具と親しく通じていくことが
うれしい。




通じたことではじめて
道具がいきる。

道具がいきたとき
自分が拡張している。



皮膚の内側が自分自身ではなく
道具と通じてなにかをなしている状態や
起こっている体験の中に
自分が流れている。





























2014年12月3日水曜日


寒くて、ふとんをでるのに
時間がかかる季節になった。

窓を開けば、空は澄んで美しい。

「おはよう!」と声を出して体を起こす。

声にひっぱってもらって、起きる。

昨日は
「アイラブユー!」
だった。

2014年11月29日土曜日

またたび

沖縄へ行ってきた。

まだからだのなかがぐわんぐわんと揺れて波のなか。



なんで行くのかわからないまま
行って帰ってきたら
それがかけがえのない旅だったことに気づく。



旅のあいだ、となりにいた友人の声を
朝起きると聞いて
夜眠る前にも聞いていた。



とても、いい声だ。




なにをどうしても、行けない場所がある。
どうやっても、行けないところがあるのを
わたしは多分、もうわかった。


それから
なにをどうしたかもわからないまま、いる場所がある。

どんな場所でも
そこに立っているということは
そこへ行けたということだ。





そして変わったら、もうそこへはいられない。


そういうふうにしてちゃんと
潮の流れるようにして。
 
 

2014年11月16日日曜日


関西の友だちに会いに行ってきた。

「どうして来たの?」と聞かれたときに
いろんな理由がかけめぐって、 でも言葉にしきれなくて
「これる!って思ったから」と精一杯こたえたときに
涙が出そうになった。

行ける、じゃないんだ。これる。だ。
もうここに、来たんだね、と思った。
相手の目も、じんと濡れてるのが見えた。


「今そう思ったんだ」と、言ってくれた言葉に
頷いたら胸がいっぱいになった。

2014年11月7日金曜日



帰り道に、ふとあまい香りに触れて
枇杷の木に近づくと白い花が咲いていた。

鼻を寄せて、しばらく木の下にいた。

枇杷の花の匂いが大好きだけれど
どんな匂いか、説明できない。
木を見つけたら、近寄ってみてというしか。




2014年11月6日木曜日

駅を背に歩いていたら
誰かの手から離れた風船が
糸を垂らして道の上に浮かんでいた。

もうきっとガスがわずかで
道の上すれすれをかろうじて浮かび上がって
地面に落ちては弾んで
またすこし浮かぶので

ちいさく揺れながら
歩いてるみたいに、
道を進んでいく。



追い越したあとの、風船の行方は知らない。


なんだか、排水口を目指す水みたいに
日々が過ぎていく。


流れてみるのもいいし

はやすぎるのなら
じぶんのちからで、
留まらなくては。

2014年10月26日日曜日

ドーナツ



なんだか駆け抜けるように
朝昼晩を、過ぎている気がする。

数ヶ月前に、入れていた約束の日。
歩くどこからでも青空が見えて気持ちがよかった。

来月の打ち合わせを
ホテルのラウンジみたいに広く
妙にエレガントなサンマルクカフェでする。
すこし寒くなり始めた夕方で
あたたかいココアを頼んで飲んだ。



昨日は友人のお店でアルバイトの日。


帰る前
お茶をいれてくれた友人とすこし話す。
こわばっていた身体が
話しているうちに軽くなっていく。


そのまま帰宅して眠ってしまいたかったけれど、
お茶を飲んで気が巡りはじめたからだに励まされる。

途中下車してお店に立ち寄り
お別れする人に贈るプレゼントを探す。

今月に入ってからずっと探していたけれど
いいものが見つからないでいたのに
昨日は、これ。と思えるものを、
ちゃんと見つけることができた。

今日、渡す。





お腹が空いたのでコンビニでドーナツを買って
電車を待つ間にホームで齧った。

高校生のときによく食べた
ヤマザキのローズネットクッキーを思い出す。
かたいドーナツ。















2014年10月20日月曜日

今まで出会ったひと
関わってきたひとたちから

ものすごく、たくさんのことを
そのひとの時間や精神という、
かけがえのないものをかけて
教えてもらってきたと

電車のなかで
思った。


じぶんには、何もない。
というようなことを
かんたんに口にするのはやめよう。
と思った。

2014年10月16日木曜日



焦りすぎても
期待しすぎても、見えなくなってしまう。

頭のなかの通りになれと思っても
頭のなかは、未来を知らない。






ドアを開くと、風が流れ出す。

相手の声を聞きたい一心で
一生懸命話しかけ続けることよりも
耳をすますことが大切だったり

ない言葉は、話せない。と
知ることが必要だったり。





大掃除を手伝って、部屋の空気がめぐったのを感じる。
その効果がたぶん、わたしのからだの滞りもめぐらせて
そのからだで家に帰って
夜から部屋を片付け出す。

本棚から出した本を、棚に戻すこと
取り込んだ洗濯物を、箪笥に戻すことも
なんだかずっとできなくて

おそろしいくらい
散らかった部屋の中で寝起きし続けていた。




机の上はまだ散らかっている。
手紙が重なっているし
書きかけの返事、やりかけのことが
ひらいたままになっている。



それでもすこし、だいじょうぶになった。

服は箪笥におさまったし、
本棚のなかは整理されていないけれど
床に積んでいた本をひとまず棚に入れることはできた。
 
 
 
 
 
 
だれかが、わたしのことを「すごい」って時々、言ってくれる。
でもそんなことはなくて
わたしはわたしのケアも、うまくできていない。

一緒にいると、ちからがでると
ある友人がわたしに言ってくれたけれど

それはきっとわたしに、
ちからがないからのように、今は思える。

小さな声で話すと
相手が耳をすますように。

大きな声で話していると
ひとは耳をとじる。



 
 

中学の校舎から、
吹奏楽部の練習の音が聞こえてくる。
 


ケアの仕事を一度終えることに
整理がつかない部分はすごくあるけれど

わたしはわたしの散らかりを
ひとまずきちんと、たたんでやらなくてはならないことは
たぶん、
どうしたってなのだ。



 
 
 
 


2014年10月15日水曜日





眠っているあいだに、台風19号は通り過ぎていた。
青空。
強風に木の葉がざわざわっと揺れては光が散らばって
駅までの道がまぶしかった。
 
 
朝入った連絡を抱いて過ごす1日。

 
送られてきた写真にうつった
生まれたばかりの真っ赤な姿がかわいくて
何度も見てしまう。
小さな手、濡れた髪。
 
 
 
 


2014年10月9日木曜日

月食

月に地球の影が映りこむ。

あ、あれが
地球の影。

生きている星の、影。

と思うと
胸の奥底からじわっと
よろこびのような
うれしさのようなものが
静かに湧き上がってきた。





月に映りこむ影をみて
自分の生きる場所のすがたを
はじめて知る。



自分の顔を見ることができず
鏡に映った姿をみて
これがわたし、と知ることと
同じようだなと感じた。


影を通じて
ほんとうのすがたを
感じる。

2014年10月8日水曜日



スマートフォンにダウンロードしていたLINEの調子が悪くて
フリーズするようなことが重なったので
アプリを削除して、もう1度ダウンロードしてみる。

そうしてログインし直してみると
今までの会話の履歴が全部消えていた。
 
 
 
 
「なおみちゃんの通信関係が、否応なしに削ぎ落とされていく様を
興味深く拝見しております(ごめんなさい)」

と友人からのメッセージにあり

わたしにとっても興味深い現象の連鎖の中にいると感じた。
 
 
 
 
台風が過ぎた。
 
ススキの穂が冷たい風に揺れている。
 
 
 

2014年10月3日金曜日







すこし前から、つぼみがたくさんなっていたお茶の木に
花が咲いていた。
 
 
下の方から咲いていくのだなと思った。
地面に近いところから。
まだ小さな花は葉のかげに隠れて
しゃがまないと、見つけられない。
 
くしゅくしゅと縮まってひらききっていない薄い花びら
溢れそうな黄色い花粉
 
みせるために咲くのではなく
いのちをつなげるために、ひらくんだなと思った。







電車のなかで数日前にふと
昨年の秋に友人からもらった言葉を思い出した。
 
 
 
 
(受けとる)というメッセージをもらって

「いいと思えることだけが、ギフトじゃないんだ」とはっとした。
 

ひとつひとつのこと
よろこびをもたらすもの
かなしみにつうじるもの
 
晴れの日だけを生きたいから雨の日はいらないとはいえないように

晴れも雨も
贈られたものを
たんたんと受けとり
生きること。
 
 
ということが
腑に落ちたきのう。 

 
 



2014年10月2日木曜日



数日前にふと
じぶんが何を思っているのか
じぶんがわかったかんじがあった。

それは、すこしずつ
おわりが重なって
隙間ができてきたから
こころのおとが響く
余白ができたのだと思った。
 

電話番号を新しくした。
仕事で関わるひと、急な連絡が必要になるひとにだけ
伝えたままになっている。

利用しているyahooのフリーメールが
システム障害で使えなくなっている。
 

わたしは、自分の居場所をつくりたいんだなと思った。
 
誰かの場所や
仮の場所にいるような
感覚のするところにいることを
 
もう、おわりにしたいと思っているんだなと
思った。
 
 


それから
余白をもって生きたいと思っている。
 
音が、響く余白。
 
  
 
 
 
 
いろんなものが、解体されて
骨組みをあたらしく組んでいくなかに
いるような感じがしている。
 

2014年9月28日日曜日

やわらかい場所に、たどりつくこと。



朝、友人からメッセージをもらって
会う約束をする。

彼女と会う約束をしながら
一緒に行きたい場所があるような感じがしていた。

神社みたいな、かみさまのかんじがするところで
澄んでるところ
ふと落ち着いて、あかるいところ

そんなところで会いたいと思って
でもそれがどこだか、知らなくて

ひとまずの待ち合わせをして
会ってからごはんを食べて、
はじめての場所を散策していたら
そんなところに、辿り着いたのだった。
 
 
 
源泉ちかくの
澄んだ水に触って

金木犀のかおりがうつった
冷たい空気もあびた。
 
 
 
 
すこしずつ、はじまったことが終わっていっていて
終わりのしずけさのなか風がたてば
また景色が変わりはじめる
 
 
 
 







2014年9月25日木曜日

はじまり














所沢にCha-tu-chaというお店があります。
きのう、お店のホームページと、
Cha-tu-chaのオンラインショップchamitが完成して
オープンしました。



オンラインショップをはじめることや
ホームページをつくることの前で
立ち止まっていたところに
「手伝うよ!」とわたしが言った一言で
動いたと、友人は言ってくれたけれど

実際に動き出してからは
彼女自身がぐんぐんと動いて
短い準備期間のなか、きのうのはじまりに
立つことができました。
 
 
 
 
1ヶ月ちょっとの、準備期間中

s-clothes-treeの出張アトリエ週間もあり
お店にお手伝いで立たせてもらって感じたことは

いいお客さんのいる、お店だなぁ…ということです。

常連さんはもちろん
 
初めてやってきた、というお客さんとも
お会いしたけれど

なんだかひとりひとり、印象にのこるところのある
すてきなひとたちでした。
 
 


Cha-tu-chaに置かれているひとつひとつの作品は
ちゃんと光をあびて、空気をふくんで
そこにあります。



今までのご縁も
あたらしいご縁も
 
またよい流れでめぐっていきますように。
 
 
 




2014年9月21日日曜日

どんどん澄んでいく






気がつくとカーデガンを着ている。
 
 
 
 
きのう
Cha-tu-chaでひらかれていた
s-clothes-treeの出張アトリエ週間がおわりました。
 
わたしもお手伝いに出かけていた。
 
 
 
色んなひとに会えて嬉しかった。
お手伝いにいっているあいだに会った、ひとりひとりのことが
とても印象に残っています。
 
 

 
「着心地がいい」「かたちがきれい」
身につけて
よろこぶ顔を目の前にして
 
わたしもとてもうれしかったです。


似合う色やかたちに出会った瞬間の
そのひとの表情が変わる瞬間にいつも
感動します。



期待して着たら、あまり似合わない瞬間も。
似合わないことを知って、
ちがうものにチャレンジしてみる。

ほんとうに似合うものを、見つける気持ちになってる。


試着室でおこる短い時間の出来事はささやかですが

でも確実に、
そのひとの輪郭を支える、ひと場面のように思えるのです。
 








わたしも期間中、ドロップTを購入しました。
これから着ていくのが
すごくたのしみだな。
友人ともおそろいです。
だけどきっと、それぞれの服になる。
 
 








閉店の時間に外へでると
夕焼けがすごかった。
 
 
それを眺めて、搬出をして
 
みんなで近くのお店まで歩いてごはんを食べにいきました。

帰り道
暗くなった空にまだ白い雲が透けてみえて
「違う世界に来ちゃったみたい」と
のんちゃんが言ったとき
 
わたしの頭の中には以前漫画でよんだひと場面が浮かんでいました。



お正月
誰もいないしずかな街を歩いているふたり。
 
ひとりが「みんないなくなっていたりして」と言うと
もうひとりの目に涙が浮かぶ
 
という場面です。


すごく小さな場面なのに
その場面が大好きです。
 
 
 
 
なんでもないことばかりのなかで
心がうごいて毎日生きている。

大きななにかをしたい気もするし
でもしようとした瞬間、そんなものは望んでなかったと気づいたりする。
 
大きななにかなんて幻だったなと思って

でもこのままよりすこし、遠くまでいかなくちゃいけないような気がしたりする。





だけど魔法はいつでもすでに起きている。
ときどきひみつがみえそうになって
涙がでそうになる。
 
 
 
 
秋がはじまってから昨日まで
いろんなことがすでにあって
 
斎場近くの土手からみた、川のむこう
対岸の光が
今もあたまのなかをちらちらとしています。
 
 
 



 
 

 
 
 



 
 

 
 


2014年9月18日木曜日



東京タワーやスカイツリーは
目に入るとなぜかうれしい。


流れていく電車のひかりとか、車のライトとか
 
あそこに誰かがいて生きているということを思うと
すこしやすらぐ感覚がある。
 
 

 
 

2014年9月12日金曜日

START : s-clothes-tree出張アトリエ週間 + 所沢 Cha-tu-cha



今日から(もう日付がかわってしまう。12日から)
所沢にあるお店、
Cha-tu-chaで
s-clothes-treeの出張アトリエ週間、スタートしました。
 



店内のレイアウトがまた、かっこよいです。
 


わたしもs-clothes-treeの服を着て
今日はお手伝いでお店に立たせていただきました。




上の紺のプルオーバーは以前の展示の時に出されていたかたちです。

着心地がよく、動きやすいので
自然と着ていることの多くなる服です。

Vネックになっていて、
もちろんそのまま1枚すっと着られるのですが
Vネックが似合わないわたしは
中にシャツなどを着て襟を出して着るのが好きです。
今日は下に薄手のパーカーを着ていて、フードを出して着ました。
寒くなってくると、下にタートルネックのセーターを着て重ねたり。



今回も
Vネック、丸襟のワンピースがそれぞれオーダーできるようになっています。
ラグラン袖の、パーカーワンピースも。
スカートに、つなぎもあります。


着ると、かたちのきれいさがとてもよくわかりますし
着心地のよさも体感してもらいたいなぁ…と感じているので
たくさん試着してみてほしいなという思いがあります。





写真では暗くて見えにくいけれど
下は紺のスウェットを履いています。
 
出張アトリエ週間中、お店にも並んでいます。
 





上の写真のように、リブが長くなっていて
すっとのびたラインで足がきれいに見えます。

お腹と、足首をリブがささえてくれて
着ていると、からだを心地よく支えてもらっている感覚があります。


白とグレーのスウェットもあります。
 
 



今日はお店にお越しくださったお客さまが
それぞれに試着をしてくださって
好きなもの、似合うものと出会うよろこびやたのしさに
たくさん立ち会えて
すごくうれしかったし
とてもたのしかったです。
 
 
いろいろ着てみているうちに

やっぱり似合うもの
意外にも似合って新鮮に感じられるもの
好きなもの
ピンとこないもの
 
着ているひとのなかで
その出会いがどんどんクリアになっていく感じが
いつも、いいなぁと、思うのです。




着てみてはじめて、頭の中にあった印象と
実際のじぶんと服の相性がちがうことがわかったり
やっぱり、という自分と出会ったり。
 
肌触りや、生地がからだをささえる感覚や、ラインの出方
ただ見た目だけではないもので(見た目はもちろん)
服を感じていることにも気がつきます。
 
 
 
たのしく、たくさん、着てみてほしいなぁと思います。
お店は
月、火、金、土のopenで
出張アトリエ週間は20日まで。
 
 
Cha-tu-cha
http://cha-tu-cha-memo.cocolog-nifty.com

s-clothes-tree
http://s-clothes-tree.sunnyday.jp








s-clothes-treeとの出会いは
狭山に開いていたカフェ、ロイテから始まりました。
今日は
ロイテのお客さまで、s-clothes-treeを知っていて…
という方もいらっしゃり
とてもうれしかったです。
 
あたたかい流れに、さわったようなかんじがしました。
 
 
 






ちなみにまんなかの写真の
三角のブローチは
Cha-tu-chaでhaseさんのワークショップがひらかれた時に
つくったブローチ。いいブローチ。

haseさん
http://www.hasenokutsuhomepage.com

 




2014年9月11日木曜日

s-clothes-tree出張アトリエ週間 + 所沢 Cha-tu-cha


所沢に、Cha-tu-chaというお店があります。
チャトゥチャとよみます。
とても好きなお店です。
 

http://cha-tu-cha-memo.cocolog-nifty.com/blog/
 
 
こちらのお店で明日から20日まで
(お店のオープンは、月、火、金、土曜日)

s-clothes-treeの出張アトリエ週間が始まります。
 
http://s-clothes-tree.sunnyday.jp
 
 
 

Cha-tu-chaの好きなところのひとつは
お店に置かれているもののどれにも
気持ちが届いていることです。


気持ちが届いて置かれているものは
じぶんの場所を与えられて、素直でいられるから
たたずまいが、きれいです。



 そして
s-clothes-tree
すこしずつ、ここの服が、生活の中に増えていくことが
じぶんを助けてくれていると感じています。

着心地がよく、着て立体的になったときに
服のきれいさがよくわかります。

それから不思議なのは
s-clothes-treeの服やストールを身につけると
なんだか着たそのひとが、その人らしく見えるのです。
 
 
 
初日の明日、12日は
わたしも伺って

みなさんがたのしく、試着したり
お買い物できるように
 
お店のお手伝いをさせていただくことになりました。


最終日の20日は
s-clothes-treeのサオリさんがおこしになるそうです。



期間中ぜひ、
たくさん着てみて

じぶんにふっと、合う一着を
見つけてみてください。





昨日、Cha-tu-chaで、企画展用にレイアウトされた店内をみせてもらってきたのですが
とってもすてきになっていましたよ。











なんだか気がつくとお風呂にも入らず床で眠っているこの頃です。
朝方目を覚ましてお風呂に入って、朝ごはんを食べて
1日が始まると、また同じように眠っていたりするのだけれど
 
 
こういう時は、こういう時だなと思います。
 
 
それからまた、時間がほかっと空いて
部屋の整理をして、ふとんでふかふか眠るときがきている。
 
 
 
からだは素直に、割とその時に適した場所で眠っている気がします。
 
 
 

2014年9月7日日曜日



ひさしぶりに雨が降るなかを
歩いた感じがした。
 
わからないことがあったら
わかるようになればいいということを
体験から知っていく。
 
わかるまでの時間はまちまちだろうし
解る、ことばかりではないかもしれないけれど。



 
 
 

2014年9月5日金曜日

ちいさな、




空気も冷たいのに
むっと蒸す感じがあって

おなかがすーすーするのに
肌の表面はじわりとする感覚が
心細い。
 
  
 
 
仕事を終えて外へでると
雲が晴れて月が見えていた。
 
 


2014年9月4日木曜日




なににあせっているのかわからなくなるから
足をとめようと思い
 
今日は夕方までクールダウンする。
と、決める。
 

大切な友人が
今日、どんな気持ちでいるのか
考える。
 
考えても、わからないので
祈りともいえない、祈りのような気持ちで
思ってみる。
 
 
釣り堀のある公園を一緒に歩いたときの気持ちを
もう思い出せなくて
歩きながらみた光景だけが
感情を含ませずに
浮かんでくる。
 
 
 
どんな光景も
それはただ起こっているだけ。
 
感情は内側にある。

景色は感情を含んで、構成されてはいない。

 
だから本当はもっと
いろんなことが
自由にできている。
 
 
 
あせったり、頭の中がいっぱいになっていると
景色を感情で解釈しだし
足が浮ついてくる。
 
 
 
 
溢れ出しそうな感情をもっているときこそ

深く呼吸をして
 
たちどまり、感情をはきだし
 
その流れをきちんと、終わらせること。

ゆっくり眠って
 
またあたらしい日を、始めること。
 

2014年9月3日水曜日





すずしさと、すこし盛り返す暑さのなかで
揺れる季節だ。

音と光の変化が、
なによりもうれしい。


2014年8月31日日曜日

季節の変わり目

 
 
 
 
なんとなくこころもとなく聞こえる、蝉の声だ。
 
8月31日
学生たちの夏休み最後の日は、日曜日。
雨があがったので、
近所の家で干した布団をたたく音が
響く昼間です。
 
 
わたしは、夏休みの宿題を
9月に入ってもまだやっている人間で


白紙のドリルを抱えた8月31日の
途方に暮れた気持ちと
まだなんとかなると
どこかで思っているあの感覚を
ふと思い出す
 
 

 
今日を最後に閉じてしまう、市営プールへ行ってしまおうか

でもやっていないことが、あまりにもたくさんある
 
 
あのときの気持ち。
 
 
 

 

窓から入ってくる空気は
今日もすこし、つめたい。
  

春のおわりあたりから、
ひとが窓をあけだすと

夕闇のなか
開いた窓から
知らない人の部屋がみえる

テレビの音
壁のポスター

生活の断片
 

ブラインドをおとし忘れたビルの窓のむこうに
働くひとの姿がみえることもある

白いYシャツ

デスクに向かう横顔

鳴り出しそうな電話
 
 

 


会うはずがない誰かの
肌に触れてしまったような
あのときの

ほんのすこし体温が上がる感じのする
奇妙にあかるい
あの、うれしさ。




市営プールがしまって
窓がかたく閉められる季節がくると
 
今度は空が、近くなる。

光がかるくなり、
遠くの音が聞こえる。
 

それからどんどん、気温が下がっていって
冷気にあたった目玉から、涙がでるときに
じぶんが温かい存在だと気がつくような、
そういう季節もくる。
 
 
 
 
金木犀も、もうすぐ香るだろう。
 
すこしまえに、ちいさな蕾をみたのだ。
 
 




夜になると、虫の声がする。


久しぶりに、土手を歩いて帰る。
川は嵩を増して流れている。


滑らかなクリームのように見える雲が
川面にもうつりこみ
波紋がそれをくずしていく。






2014年8月28日木曜日




ほそくあけた窓の隙間から
つめたい風がながれてくる。
 
目が覚めたらそれが顔にあたっていて
この感じの中に
いられるようでありたいなと思った。
 
 
目が覚める
着替える
出かける
働く
帰ってくる
めし、ふろ、ねる
 
 
の背景にある圧倒的に膨大な世界に
さわっていようと思った。






鳥の鳴き声が曇り空の下、ひびいて
耳のなかがちりちりとする。
 
 
 
 
 
おなじ年で、車を持っている人と出会うと
なんだかすごいなぁと思う。
 
車くらいの大きな買い物を
わたしはまだしたことがない。
 
 

だけど
いまの生活のうえでは車をもたなくて、いいから
わたしはそこに力を使わないんだろうと思う。


車を持ったら、車と繋がるエネルギーがいる。

ほかのものもきっとそう。
自分がほしいもの、それをみつけて、出会うこと
関係を築くことに
自分のいのちのかたちが、ひとつの変容をみせる。


変容が容易なもの

すこし、ちからを注ぎ続けなくては変容がキープできないもの

きっと、いろんなものがある。



わたしは今
じぶんのまわりにあるもの
そこと繋がるじぶんのかたちの変容を
信頼している。
 
 
 
これから、またこのいのちのかたちと

繋がりがどう変化していくかわからないけれど

わたしは、ドアがあって開けていくものだといつかまで思っていたけれど
いまなんとなく感じているのは
じぶんがドアだったということ。
 
 


 





2014年8月27日水曜日



ひさしぶりに
夕方頃、1時間くらい眠った。
 
ふと寝入って、そのまま
気持ちよく眠った。



2014年8月25日月曜日

きみとドーナツ





きゅうに、涼しくなった。
息もできないくらいに、暑かったのに。
 
 
終わらないように思える夏も
ふと気づけば空気が冷たくなって
ツクツクボウシの声も聞こえなくなって

光がかわって影がうすくなる。



そういう風に、何度も
永遠みたいな気持ちになるもの
終わりが見えないものにも

なだらかなおわりがきて
それと重なり、あたらしい波がそそがれてくる。




2014年8月23日土曜日

Tシャツ





川口のTanabikeさんでの展示を終え
ゆりヶ丘学園さんがプリントしてくださった
Tシャツが手元に届きました。

写真のような、Tシャツをつくっていただいたのです。
 
100人のTシャツ展

展示は終わりましたが、
オンラインでは今月末まで注文することができます。


1枚、1枚
ゆりヶ丘学園のスタッフの方々が
丁寧にプリントしてくださっています。

注文をしてから、
そのひとの1枚を、プリントしてくれるのですよ。

だから届くまでにすこし時間がかかりますが
なんだかその過程もすてきだなって、感じます。



わたしのつくっていただいたTシャツはこちらです。

写真でわたしが着ているサイズは160です。
 
 
なんだかいいTシャツ、できちゃったなぁーと
思えて

(ゆりヶ丘学園さんとTanabikeさんのおかげです。
それから、原画をデータにするのを手伝ってくれた
fabrica[*]のおかげ。)

いろんなひとに、着てみてほしいなと
あらためて思って、
すこし、宣伝です。



Tシャツは他にも、いろんな方のデザインされたものが
たくさんあります。

よかったらぜひ。


すこし涼しい風

汗をかかなくなってることに
気づくまえに。





2014年8月20日水曜日





ひかりと、風がかわった。
 
ふと気づけば、夜につかっている。
 
 
 
密度の濃いお盆の空気をぬけて
とおくから傾く夕方の透明なひかり
ぬけるとみずいろの夜
 
 
 
 
 

2014年8月14日木曜日

ひかりのながれ

ずっとパソコン画面をみていたのと

お盆の密度の濃い空気感に

すこし、まいってしまう。


とおりのよいこと

に、心をすます。




ちいさな不安や

じぶんの本心ではない価値観や
ものさしで

うすくうすく、
膜が重なり

動き方が
わからなくなることがある。



何かを見つめて
不安や深刻が増すとき


風のとおるところを
光のぬけていくところに

視点をうつしてみる。



星はまわっていて

まわっている星の上にいることを思い出す。


動けない

そう思うときにも

風がふきぬけたら

もうさっきいた場所に

わたしたちはいないのです。

風とおしの、よいこと

更新





土曜日に、友人と一緒に格闘して
HPの更新をしていました。


触るのをためらうような
(わからない)

すこしずつ
すこしずつ

調べ 理解して

触っていきます。

あたまが疲れれば休憩をして
理解が深まれば作業が加速していきます。


くりかえすうちに
(わからない)は
(わかる)になります。


(わかる)になると

そこから広がる、景色があります。

 
 




(わからない)
(できない)

と、諦めそうになるようなものに

すこしずつ、すこしずつ、ちかづいて
ふれて

(わかる)
(できていた)

になっていく経験をして

大切なことを思い出したような、気持ちです。
 
 
 
 
そんなことの気持ちの延長で、
じぶんのHPも更新しました。

いまはとても、シンプルなかたちになっていますが

profile(プロフィール)も
schedule(スケジュール)も
更新しました。


スケジュールには
過去の写真を探してきて、
写真も貼付してあります。


blogは
nikkiとコンテンツの名前をかえました。
 
 
 
ここには、日々感じたこと、みたこと、経験したことで
だれかと、わかちあいたい
と思ったことを書いています。

すごく私的だけれど、だれかのことを心に置いて、
いつも書いています。

「日記」とするのが
いまはしっくりくる感じがありました。
 
 
 
スケジュールをみると、
いろんなことをしてきた自分が浮かび上がります。

詩のリーディングをさせていただいたり
絵を描いてみたり。


「なにをしているひと?」とたずねられると
説明しにくいけれど

わたしは

なにかをするときには、いつも(だれか)がいて
その関わりのなかから
できること
したいことをいつでも
している感じがあって、

ひとつの流れで、繋がっています。



これからもうすこしまた、
HPや、活動名など
新しくしていくかもしれないけれど

ひとまず、いまの自分と
おしらせの状態に、無理のないかたちを
見つけてみました。


ここを読んで、このひと、なにしているひとなんだろう?
と思ってくださった方は
よかったら1度
HPもすこし、みてみてくださると幸いです。




http://chiisanayama.web.fc2.com

2014年8月13日水曜日

夜が明ける前に
目が覚めてしまって、
そのまま起きている。

6時になって、桃をむいた。

7時過ぎに家を出て
電車の中は空いている。

お盆休みに入ったようだ。

電車のなか、
向かいの座席では
人が横になって眠っている。



目を覚ます前に夢をみた。

わたしは派手な黄緑色のTシャツを着て
自転車に乗って家に帰るところだった。


黄緑色の由来は
数日前のカマキリかもしれないと
今思った。


我が家はおふとんをいっぱい、ほしている。

風があって、

シーツがたなびいて

Tシャツの裾も揺れていた。


起きたら窓の外は
深い青で

メールを一通、送信したら
すぐに返事がかえってくる。

起きているのだ。

夜明け前
すこし離れた場所にある、体温。
家の匂い。












スーパーで特売していた桃は
甘みがうすくて、実がしっかりとしていた。

水を飲むみたいに食べる。
 
 
 
 

2014年8月12日火曜日


 
わかる、なんて
言ってほしくないから
 
 
じぶんのなかのふかくにある海
 
 

 
昨日並んだ帰り道
自然にくちから海がすこしこぼれた
 
 
 
 
 
海を海のまま

この水はしょっぱいとか
この水は澄んでるとか、にごってるとか、
言わないひとだと
しってるからだったんだろう。
 
 
 
 
わたしは

かんたんに、ひとの、海を
「わかる」って
いってないだろうか

「この水、塩っからいね」
なんて
いってないだろうか
 
 
 
 
ひらいてくれたそのままを
ただみるみたいな、気持ちでいたい。
 
 

2014年8月11日月曜日



数日前

ふと会いたくなった友人の暮らす場所の沿線で
仕事が終わる日があって
夜の8時に終えたあと
1時間だけでも、会えるかなと思って
連絡をいれてみた。
 
 
 
待ち合わせした駅の前は芝がひかれた広場になっていて
夜空の下、椅子に座って友人を待っていると
芝の上をひとが、縦横無尽に
ゆっくりと
せかせかと
歩き、通り過ぎていく。


夜空の下の緑をみていると
わたしは自由な気持ちになってくる。
 
 
 
「夕方には帰っておいで」

という声から、私は離れて、おとなになったんだ。
という感覚に、なる。
 
 
 
 
 
 
見つめていた方向とは
反対側から友人はやってきて

1時間くらい、コーヒーを飲んで
パンケーキを半分ずつ分けて
ゆっくりと喋った。
 
 
9時前に、お店の人が
ラストオーダーをとりにきて
 
9時をすこし過ぎたところで、席を立った。



駅へむかいながら
広場の芝の上を歩いた。

「靴を履いてても感じるんだね」
と、彼女は言った。
 
 
芝を踏むと、そのやわらかさを感じる。
 
 
 
握手をしたあとそのまま、改札までの数メートル
手を繋いで歩いた。
 
 
 
わたしよりも小さな手。

他者のからだ、は、マジカルだと思う。
 
手を繋ぐとか
抱きしめる、というのは
マジカルだと思う。
 
 
他者のからだの感触に
重みのある体温に
 
どうして心が、ひらくんだろう。



その日
友人のなかに
はじめて感じる気配を見つけた。
 
 
 
芝の上を、縦横無尽に、歩く。
わたしたちもまた、そうして歩いた。



辺りが暗くても
緑が見える。
 
 
風に揺れる枝にみっちりと茂った葉の影や、匂い
芝の柔らかい感触が
 
微かな光量を支えて
わたしたちは、緑を見ることができる。
 
 
 









 
 
 

 

2014年8月10日日曜日




旅の予定が決まり
わたしは
すこし、変わり始めているのを感じている。


息ができないくらいの数日前の暑さを
涼しくなったとたんに、忘れている。
 
キンモクセイの蕾を見つけて
この先の季節を知る。
 
 
 
 

2014年8月9日土曜日

 
気づかぬ間に雨が降って
すこし風が冷たくなった。
 
最近、顔をあげると月が明るい。
すこし渋みのある金色をして空に浮かんでいる。
雲に隠れても、雲を照らし出す光で
その在り処がわかるような。
 
 
 
いつの間にか眠って
いくつか夢をみて目をさます。
 

 
 

2014年8月7日木曜日

今日のできごと



スーパーでアイスひとつ持ってレジに並んでいたら
前に並んでいたおじいさんが
「先にいいよ」
と言ってくれたので
先にレジを通してもらった。

お礼を言ったときにみた、
おじいさんの小さな、やさしい目。




仕事を終えて
電車に乗りこむ。

首のところに、
後ろに立ってる人の
スマホか何かがカサリと当たった気でいたら

目の前に座っていた男性が
会釈をしたあとスッと左腕をのばし、
わたしの肩から
まだ初々しい黄緑色の
小さなカマキリをつかんで

電車のドアからぱっとホームに
放り投げた。


会社員風のそのひとの、
まるい目。



乗り換えた電車で
ドアに寄りかかってスマホの画面をみていたら

隣に立っていたお兄さんが
「ドア開くよ」と
声かけてくれた。

ピンク色の髪の毛した
お兄さんの目はサングラスで見えない。





今日は立秋らしくて
風がつよく、ふいていた。


2014年8月5日火曜日

 
 
ビルに囲まれてる、不忍池で
蓮の花の、大きさを知る。
 
ゆっくりやってくる、夏の夜は綺麗。
風はとっぷりと湿度をふくんで
それでもすこし、涼しかった。
 
ゆたかさはことばに、できない。
もっとうたのようで。
 
 


(乱暴に人生を解決しようとしないこと。)
 
 
 
風が吹いて、街の明かりが際立ってくる。
 

 

HPがじつはあります。

トップの絵を、かえてみました。

http://chiisanayama.web.fc2.com



このあいだ、Cha-tu-chaさんで
企画をさせていただいたときに
機会があって、描いた絵です。

じぶんでもけっこういいなと思って好きなので。

前よりも絵を描く時間が、すくなくなっているけれど

絵を描くことがすきだなぁと思います。

そして、じぶんの描く絵がわたしはすきです。


 
 

2014年8月3日日曜日

おかえりなさい


 
 
 
ひさしぶりに、友人のいえに
ヨガをおそわりにでかける。
 
 
半年以上、きちんと動かしていなかったからだが
ぎしぎしとして、それからすこしずつゆるんで
 
ごろんと寝転がって屍のポーズになったとき
 
窓からはいりこんだ夜風がなめらかに左頬をうって

友人たちの深い呼吸の気配があって
 
(ただいま)というきもちになったら
涙がわきあがってきた。
 
 

2014年8月1日金曜日

窓を開けて
布団を日と、風にあてる朝


床拭きをした。




朝はやい電車に乗る。

化粧したばかりの女性たちの
ファンデーションがのったふわりとした頬を見る。



骨盤が立ち上がって
お腹に力が入る感覚が戻る。

少しずつ。





火曜日
一緒に、Tシャツ展をみにいった友人たちが

Tシャツを買ってくれて、嬉しかった。




YURI TO
SUKOSHI
HANASHI WO SHITAI


そうローマ字で書いた、
文字がプリントしてあるTシャツ。

ゆりって、誰?

わからないもの
みえないもの

想像をめぐらせたらそこには
コミュニケーションが生まれる




眉間にしわ寄せて
ぎゅっと目をつぶっている、
6時54分発の電車に乗った男性




そのひとの魂が、
今日ひかるように。


蝉ばかりが鳴いている。

2014年7月31日木曜日


 
緑の芝の上を歩く。
土の柔らかさを踏んでいる。

おとといあたりから涼しい風がふくようなことがあって
体温より高くなるような暑さが
すこし落ち着いた感じがある。
 
 
 
ひとに、会えるようになった。
と思った。


今までだってずっと会っているのだけど

じぶんから「会おうよ」って声をかけたり
手帳を開いて時間を見つけたり、合わせようとしたり
そういう風にはからだが、ずっと動かなかった。

 
 
細い川の横を歩く。
街灯のあかりが水面に落ちてオレンジに光る夕方。
 
 
自分のなかに、やっと自分が戻ってきたような
そんな気がする。
 

嵐みたいなものが、通りすぎたような
そんな感じがする。
 
 

なんだか自分と自分が、ずれている気がする
目の前のことが遠い
 
現実感がない現実に落ちてしまったような感覚がずっとあった。
 
その間だって
ずっとわたしはわたしをやってきたけど
 
そうだこういう、感じだった。
自分が、ある。っていうのは
こういう感覚だった。
 
その感じが
すごく、久しぶりに
戻ってきた。
 



中学校の校舎の奥に
細い月がみえた。
 
オレンジ色に光って
青がのこる宵の口に、線引いたみたいにして。
 
 
 
マンホールの上を歩くと水の音がして
 
月曜日の夜に会ったひとは
レモンに塩をさら、とかけて
きゅっと、口にはこんだ。
 
 

2014年7月29日火曜日







今日は友人たちと午後からTanabikeさんへ。
100人のTシャツ展を一緒にみにでかけました。


 川口のsenkiyaさんの敷地内にある、
Tanabikeさんで展示は開かれています。
 
 
Tシャツの購入はwebでは8月末まで可能なのですが
ギャラリーでの展示は、8月3日(日)までです。
 
 
 
とても、いい空間で
いい、展示で

ぜひ、でかけてみてほしいなと

思っているのです。



海を浴びたひとに会って
心が深まる。


数ヶ月前から
なんだかふとふと気になって
行くことになるのかもしれないと思っていた場所から

舟が渡されてきた。

うつくしいそのひとが、舟でした。




そういうことなんだ、
と思った。



なんだかわたしは
ずっと、生き方を忘れてしまったと思っていて

見出したのに
忘れてしまったと思っていたけど、

舟のひとが
思い出させてくれた。

2014年7月27日日曜日

 


Cha-tu-chaのfurimaへいって
ブルーベリーの入ったトライフルと、冷たいコーヒーをいただく。
 
sale価格で、白い箱を買った。
はがきやメモ用紙を入れるのによさそうな気がしている。
 
 
いつも行くと、
元気をもらう場所。
 
夏休みに入った。
 
 
 
 
 
 
昨日はそのあと、
友人に声をかけてもらって
ももいろクローバーZのライブへ。
大きな会場を駆け回る5人の姿に
圧倒される。
笑顔で歌って踊り続けるパワーにどきどきする。
 
大きな鐘が、
ごわわわ〜ん…と身体の中でずっと響いているような衝撃にうたれる。
 
 




帰りの電車が混んでいて
新宿三丁目で降りて、西武新宿まで歩いているとき
 
さっきまでいた空間の濃密さが
いつも通りの新宿の景色のなかで
すこしずつ、ほどけていく。
 
 
 
西武新宿駅のスタバで、冷たい飲み物を飲んで
特急列車にのる。
 
隣に友人が座っている安心感と
冷房がきいた車内の心地よさで
 
気づいたら眠っていた。
こどものときみたいな無防備さで。
 
 
 
 
 

8月が始まる。
 
会いたいなといつだってどこかでぼんやり、思っている。
たくさんの、ひとのことを。
 
でもそうじゃなくて、
会うんだ。 
 
心で思っているのと
実際に会うのとは
ぜんぜん、別のことなんだ。
 



 

2014年7月24日木曜日

 
 
 
何をしたいか、というよりも
誰と、出会っていきたいか
その人と、どう在りたいか
 
どんな縁を、渡っていきたいか、
そういうことなのかもしれない。
 
 
そんなことを
ふと考えた。
 
 
 
雷雨あがって濡れたアスファルト
ふくらむ風はすこし、涼しい。
 
明日の朝には地面が乾いているように
ちいさな考えは夜のうちに消えてしまうかもしれない。 
 
 
ふと、思う。
ふと、考える。
 
 
電車が走り抜ける、縦横無尽に真夜中を。
 
 
ふと、思い出し
ふと、気が変わる。
 
ふと、 
 
 
今夜いい夢をみたい。
 


 
駅を降りたら、花火の音がした。
 
そうだった、と思いながら
花火の打ち上がっている方向に、心をむける。
 
マンション連なって、見えないむこうに
あがっている花火。
 
家の窓から見てた、毎年の光景をあたまに浮かべながら
住宅地のなかの細い道に入ったら
外灯も少ない暗がりのなか、
いつものおばあちゃんがおもてへでていた。
 
 
 
 
 
「こんばんは、おやすみなさい」
 
 
 
 
おばあちゃんは昼間みたいに、近づいてはこないで
でも笑っているのが、暗がりでもわかった。
 
 
 
 

花火の音だけ、空に反響してる。
 
ひかりは見えなくて
 
夜道で微笑む、ちいさなおばあちゃん。
 
 
 
 
 
毎日、汗をたくさん、かいて
 
ときどきいろんなことが、わからなくなる。
 
 
 
というよりも、わからないということを

ありありと、思い出す。


 
銀色夏生さんの
つれづれ日記が、好き。
 
彼女の作品のなかで私がすきなのは
『ミタカくんと私』シリーズ
短編集『夕方らせん』の中の『若草のつむじ』
それから、ずっと続いている、つれづれシリーズ

それから、
彼女の対談集がすきで
 
そのなかに、ミラさんという方とのおしゃべりが載った
『うらない』って本がまた、おもしろい。

ミラさんの、Twitterアカウントをみつけました。
https://twitter.com/FN_bot


それをきのう、みていたら

からまった糸を
ひっぱると結び目はよけいにきつくなる。
ほどきたいなら、ゆるめる。
 
ということが書いてあって
 
あぁほんとうだな。と
思ってた今。

2014年7月21日月曜日

 
午後の仕事がなくなったので、
夜勤明けにそのまま出かけてみようと思った。 
 
 
 
上り電車に乗って、ひとまずスタバに寄ったら
レジの合計が777円になった。
いい気持ちになって、iPhoneのカメラで
レジの画面を写真におさめた。
 
 
 
 
 
いくつかのことが絡まって
なんの見通しもきかなくなることがある。
 
絡まった編み目の底に、自分の心は落ち込んでしまって
手をのばしても、届かない。
 
 
 
からまった糸を、ほどくとき、
まずひとつのからまりを、ほどくように
 
どれも大切で今すぐこたえを出さなくてはいけない問題に思えるけれど
ひとつと、むきあってみる。
 
すこしほどけてきたら、こんどはすこし、目線をかえて
 
そうして全部がほどけてみると、
別々の糸がからまりあっていると思っていたのが
ひとつの輪っかになっていたことに気づく。
 
 
 
山手線の電車のなかで
トヨタの広告をみる。
ビーアドライバー
 
自分の人生の、ドライバーになりなさいという
メッセージ
 



 
ユーミンのうた

あれは本当かもしれない。
 

2014年7月19日土曜日




国道を渡るとき
Best Moyashiと文字の入ったトラックを見る。
 


もう日付が変わる。




心の中に不安が生まれる。
「贈り物が届いている」というのは、いつでも、いつの瞬間もで
不安で視界が狭くなって、手元しか見えなくなっているときにも
視界の外には贈り物が降っているということで

そのことを忘れない。
 
 
歩きだすと不安は消えている。
 
 
 
 
 

 
 
 


とにかく眠たいのではやく眠って
夢のなかで友人に会った。
 
「なおみちゃんはやっぱりすこし、浮いているね」
 
と言われる。
 

 
すこし浮いているところで、わたしたち会えるんだよ。
 
という声に聞こえた。
 
 
アイデアを忘れないで。
 
不安にかられて、欲しくないものに手をのばさないで。 
 
ほんとうを、みて。
 
 
 
 
 
目がさめて、パソコンをたちあげて
音楽をかけたら
メロディーがくっきりと立ち上がって
うたの歌詞が、立体的な感覚で
耳に目に肌に
入ってくる。
 
6時前。
 
雨はやんでいる。
 
 
 


2014年7月18日金曜日




ユーミンの歌ではないけれど
いつでもかならず、贈り物が届いている。
そういう気持ちが、自然と湧いてきている。
 
それでそういう気持ちで顔をあげると、
風が柔らかかったり
空から鳥の羽根が落ちてきたり
テレビドラマがおもしろかったり
なんだか本当にありとあらゆる、よきものを
贈られているような
そんな気がしてくる。
 
 
そうしてきっとほんとうに、そうなのかもしれない。
 

2014年7月16日水曜日

感謝をこめて。




Cha-tu-chaさん
夏休み前の最後の営業日

奥にちいさな部屋をつくってもらって

そこでたくさんの人と出会った。


ひとりひとりの気配がそれぞれに
味わい深く
心地よくて

今朝もふと思い返してはすこし、
浸ってしまう。




変わっていくとき
ひとは黙るのだな

そんなことを、思った。


はっとして、動いて
心が強く、光って

それから黙って
じっとその光を
なぞっていくようにして

ひとり、
変わっていく。





2014年7月13日日曜日

川口のTanabikeさんで開かれている
ゆりヶ丘学園とTanabikeの企画する、100人のTシャツ展に参加しています。


いいTシャツばかり。

ぜひお出かけください。


緑茂る敷地内

紫陽花にベンチが、のみこまれていた。


senkiyaさんの敷地内に
ギャラリーはあり、
senkiyaさんでお茶やお食事、いただけます。

敷地内には他にも

珈琲の焙煎と販売をしてるお店や、
革製品や真鍮の販売スペースをもつ工房

車の修理工場があり

なんだか
懐かしく新しい
場所。

ぜひお出かけください。


(ぜひお出かけくださいって、2回書いてしまった。
 川口は、西武線沿線に住むわたしとしては
 いままで馴染みがうすく、遠い場所のように感じていましたが
 武蔵野線に乗ってしまえば、思いのほか近い印象でした。
 最寄り駅は、東川口駅、東浦和駅とのこと。
 バスもあるみたいですが、もし何人かでおでかけするなら
 タクシーに乗ると便利だと思います)


https://m.facebook.com/tanabike?_rdr

http://www.senkiya.com

2014年7月11日金曜日

台風接近で
大きな風の渦に巻き込まれる感覚は
海の中に似ていると思った。

湿度を含んだ強風を
からだに浴びて
ぐんぐん湿って
冷たくなっていく。
公園のベンチで。


普段よりひと気のない公園で
隣のベンチに座るおじいさんは

麦わら帽子を手でおさえながら
ベンチから立ち上がることなく
無人のサッカーグラウンドを眺めていた。

2014年7月10日木曜日

それは
自分のパートを、鳴らさなくてはいけない。

という感じかなぁと思う。


ふだんは
いろんな楽器とのハーモニーがあって
リードしてくれるメロディや
呼応してくれるさまざまな響きがあり
身を委ねて音楽に没頭している。


でもある瞬間、
ソロパートがやってくる。

周りのすべての音がやんで

わたしの音が響くのを待っている。



わたしは音がやんでしまったことに驚いて
いそいそと楽器をしまい
舞台を離れ
また一緒に合奏してくれる楽団を探しに行くかもしれない。

でもきっと
その楽団でもやがて
同じような場面がくる。


いくつも楽団はあるし
音楽はきっと流れ続ける。

生きてること、それそのものだから。


でも

周りの音がやんだその瞬間に

自分のパートを
高らかに鳴らせたら

音楽は新しい局面を迎えていく。

場はすでにあたたまっていて

新しく、かつ、熟した演奏が生まれていき

知らなかったよろこびが
会場中に溢れていることに気づく。
 
 
百日紅の花の、あざやかなピンクが
ときどき視界に入るとはっとする。


すこしずつ、心にみえてきた景色には
あともどりせずに
触れてみようと思った。

それはきっと、触れられる景色なのだけど
「えい」と心を、からだを、投げてみないと
ずっと辿り着けない場所でもある。


 
疑わないで、むかってみよう。
 
 
 
 
生きていることはひとりでは進まない。

だから思いがけないことが、いつでもたくさん起こっている。
それがあまりにも自然にあるから、驚かないし
いちいち、立ち止まらないだけで。
 
 
 
たとえば、自分では予想もしていなかった仕事
企画に参加していることや、誘われること。
 
ももいろクローバーZのライブに誘われて、いくことにしたこと。

とうもろこしを食べたいと話していたら茹でたとうもろこしが
八百屋の店頭で売られていて、それを食べたこと。
 
道を歩いていたら、天体観測に誘われたこと。
 
車で道を走っていたら、目の前にふくろうが降り立って、
それから羽ばたいていったこと。
 
風がふくこと。日がのぼってしずむこと。
 
大人になること。
 
台風がくること。
 
お店で友人に似合う服を見つけたこと、
伝えたらそれを友人が欲しいと言ってくれたこと。

近くにいた友人がおいしいカレー屋さんに連れていってくれたこと。
 
仕事あがりに会った友人が、タコライスを食べさせてくれたこと。
 
そういう、自分の意思以外のありとあらゆる偶然が
日常のほとんどであって
 
そのことにもう驚かず(ときどきはとても驚き、ときに感謝し)
自然と受け入れ、波にのっていく。
 
 
 
いろんなことが、自分のちから以外のところで
ものすごく大きくわたしのいのち、生活をつくっている。
 
そのことのすごさを知っていたら
 
きっと「えい」ができるんだ。
 
 
わたしがじぶんの意思ひとつで飛び込んでも
かたい地面におなかつくわけじゃない。
世界が海をつくってくれるから。
 
 
でも「えい」と飛び込んでみないと
いけない新しい海流というのもきっとあって
 
いままでつかっていた潮との温度差に、肌が触れた瞬間どきりとするのだけれど
きっとおそれなくていい。

(どうなるかわからないからこわい)
 
そんな風に思うこともあるけれど

気づいていないだけで、
日常がすでにどうなるかわからない。
 
ももいろクローバーZのライブに行くことになるなんて
おとといまで、知らなかった。

 
 
 


無意識にいくつもの偶然を受け入れながら
ときどき
意識的になることを、迫られる瞬間が
やってくる。
 
 
そのときには
(わかっている安全な未来)を探そうとすると
自然に起こっていたいろんな偶然が、とまっていく感じがする。
 
(じぶんが、行きたい(生きたい)ほう)への迷いをどけていくことで
また偶然が起こりだし
音楽がつづいていく。


2014年7月7日月曜日





じぶんでじぶんを、閉じこめていることが
あるなぁと思った。
 
 
薄い雲のむこうで月がほんのりと白く光っていた夕方
 
花火をしようにも
待ち合わせの時間にはまだ空が明るい
 
夜はすこしずつやってくる。
 
 
 
 
 
雨の音聞いて夜中

眠れないで開いたiPhoneの画面が眩しくて
目をつぶってそのまま眠れるのを待つ。
 
 
 
 
 
 
 
「どこで生きていったらいいんだろうということを、最近よく、考えているんです」

わたしはそう問いを持つじぶんをひらいて
ひらいてみたものの答えを与えられるわけでもなくて
わからないままぼうっとしていたけど、
 
問いのなかに、答えがあるとはよくいったもので
 
場所を欲している自分がいるのだということに
きのうの午後、ふと気がついた。
 
 
 
 

それは抽象的なものではなくて、
 
きっと確かな場所なのだ。
 
 
 
 
望遠鏡から、土星をのぞいた水曜日
 
 
ストライプのワンピース着た女の子に励まされた日曜日
 
 
あのこの誕生日、月曜日
 
 
触れて始めて、探していたことに
気がつくような。

2014年7月6日日曜日

 
百日紅の花が視界に入って
ふっと目がとまる。

時の流れるのがはやすぎて、なんだかぼうっとしてしまう。

電車に乗りながら
周りにいるひとや電車の中の光景のすべてが
ただの映像のようになって
眺めている自分がそこにいるのかいないのか
すこし見失ってしまう感じがする。
 
 
 

2014年7月2日水曜日

眠たい朝7時ののうみそに
凌霄花のオレンジがそそがれます。



冷たい湿った風

駅へ向かうひとのワイシャツはくたりとして

2014年7月1日火曜日





狭山にずっと住んでいると
迷彩柄の自衛隊の航空機が
屋根に近い空を飛んで行き来するのは
当たり前の風景で

みおちゃんが狭山に来たときに
その光景をみて「こわい」と言ったのが
印象に残っている。


羽田から飛び立つ飛行機を見ると
やっぱりなんだかそれは、きらきらと自由な感じがして
ちいさなこどものほそい髪や
おんなのひとのやわらかな乳房
旅に出る期待と、そういった美しいものを
運んでいるんだなと、
切なくなるくらい眩しい明るさがあるように感じられて

自衛隊の航空機とは、別質のものなのかもしれないと
胸の深いところではっきりと感じる。






それでも、その自衛隊の航空機に乗っているのは
近所に住んでいるおじさんだったりして
自衛隊は戦争をしないっていう前提があるから
威圧的な迷彩柄だって、ただのポーズのような感じで
わたしは深刻になりすぎないでいられた。



でもそれが、変わってきている。



なんだか難しそうなことは、よくわからないし
まさか、賢い良識のあるひとが、争いを選択するなんて考えられないし

そんな風に、思っていたけど

このぼわんとした感覚がそのまま
まさかを堂々と展開させる
かっこうの土壌であることには気がついた。




わたしは油断している。





でも、わたしは自分の家の屋根の上を飛んでいく飛行機が
海を越えて戦争をしにいくなんてことを
永遠に受け入れたくない。



それをよしとはしない。



わたしはこう思っている。
武力を行使しない国の、国民であり続けたい。

意義の合わないひと、信仰の違うひと、
尊重し合いたい。

あたらしい景色がみたい。


その思いを、明確にもち
選択して、表現していく必要があるということが
いますごく、はっきりわかった。




それは、活動家になるとか
そういう、極端なことではなくて

自分のことばで、考えを述べられること。
その考えと、日々の行いを一致させていること。

わたしが考える、平和っていうものの本質をみつめて
その本質をくんだ生き方、生活をすること。


2014年6月30日月曜日

 
 
きのう、夜勤へ行く前に
ダイスケさんに写真を撮ってもらった。
写真展が控えていて、ダイスケさんはひとを撮ろうとしているのだそう。
その1枚に、写してもらったのだった。



ものをつくるとき、わたしも色んな人に力をもらっているから
じぶんが素材になれるのはうれしいことだ。

木曜日に、AKB48のこじはるのフォトブックを買ったばかりのわたしとしては
わたしが美しければ、と思わないこともないのだけど
そういうことではないらしい。

人間を、撮りたいのだって。



そこにはきっと、ダイスケさんも写り込むんだろう。

わたしがいて、ダイスケさんがいることが、写り込むんだろう。




ロイテがお店をしめるときに、
わたしも、友人たちのスケッチを記録した
フリーペーパー「小さな山」を作らせてもらった。

ひとは一瞬一瞬、変わっていくから
断片しかとらえられない。気配、かおりのようなものしか、触れない。

それでも、友人の気配をたどって、文章にする
という行為は自分にとって、すごく尊い経験で

わたしはこういうことを、ずっとやっていきたいって思った。


そこにいるそのひとを、見つめること。

見つめるなかで、出会うこと。


そうしてどうしてか、
伝えたい、って思う。

伝えること。






2014年6月29日日曜日

大雨が降る中を
走って帰る。

風が雨粒の波渡らせる中
無防備に手足かいて
思いのほか気持ちよくて
心が明るくなった。

2014年6月28日土曜日




冬の終わる前に歩いた道を
緑繁るなか、再び歩いて

そこを歩いて会いに行ったひとと
対話するような気持ちになった。

自分が今いる場所にあるものを
よく見ようと思った。

何と、離れようとしているのか
どうして、離れるのか
どこへ行こうとしているのか
今そこへ行くと、何が開く感じがするからか。
今のじぶんが、持っているものはなにか。

たいせつなものしかないんだと気づく。






恋人と別れたひとのはなしを聞く。

なんとなく、連絡をとらなくなって
また久しぶりに会って

離れていても思い出しているし
離れていても不安になることはない

会いたくなったら
会おうと言える。

友人とはそういうふうに、
それぞれの舟に乗りながら
波を読んで
それぞれの地図を見て
出会うことも出会わなくなることも自然なのに
 
恋人はちゃんと別れるんだな、と思った。
 
色んな関係があるから、そうじゃないこともあると思うけど。
 
それは、同じ舟に乗ろうとするから?
同じ行き先を目指していたから?

でも同じ流れに、このまま乗っていられないと気づいて
お互いの舟に渡していたロープを離すのだろうか。

それぞれがまた、
それぞれの命の流れに
素直でいられるように。

命は流れていないと、よどんでいってしまう。
じぶんの生命の流れに沿っていないと、弱っていってしまう。
 
それを知っているから、
結んでいたロープを外して
またそれぞれの命が、その命の流れを
たどれるように。
 
それでも、同じ海を旅している。
 
ロープを外したときに
 
ほんとうに、手に入ることも
ほんとうに、失うことも
 
もともと、なかったんだとわかって
 
すこしほっとするのかもしれない。

2014年6月25日水曜日

折りたたみ傘開いて
雷雨


通り過ぎたあとには
涼しい風


よどみ流して夜になる。









うたた寝して起きたあと
夜が明るくて眠れなくなった。


夜明けのキックオフにむけて
起きてるたましいが
たくさんいるのではないだろうかと感じた。


トラック走る音







朝まで、すこし眠ったら
夢をみた。

2014年6月22日日曜日

生きていることは
面白いなと思う。


体調を崩して、
タクシーで家まで帰宅した日の朝、

最寄り駅から家まで歩く途中
レッドブルの空き缶ばかりが袋いっぱいになって

ゴミ捨て場に出されているのを見た。



このゴミを出したひとは
大丈夫なのだろうか?

そう思って眺めていたけど

私こそ、レッドブルやら
チョコラBBを
毎朝のように飲んでいたのだった。


だけど全然、
気に留めていなかった。


じぶんで
じぶんを
ちゃんと見ていなかったのだった。



じぶんが人にのぞむ在り方を
じぶんが実践すること。


それには勇気が必要。


「このくらい、みんな頑張ってるし」
「みんなやってるし」
と思って
じぶんの在り方に
注意深くならない生き方を

もしじぶんがするなら

それは
延長して

他者にもその在り方
その生き方を
のぞむようになる。


ガンジーのことばがふわっと心に浮かぶ。




見たいと思う世界の変化に
あなた自身がなりなさい。


そのときには
勇気が必要。

生きていると何度も
勇気が必要なタイミングがやってくる。


でも
勇気をだした選択は
いつもそのひとにとって
最善であると知っている。




何かを選択する場面がでてきたとき

それを選ぶじぶんが
何によって動かされているか
いつでも
注意深くいるといい。


勇気によって、動かされているか。
恐れによって、動かされているか。
優しさか、狡さか。

じぶんに、力を注いであげる

20

2014年6月19日木曜日


 
 
 

午後から雨の予報を抱えて
朝霧
 
白い帽子を被ったひとが
道の向こうからまっすぐ、歩いてくる。



ばらばらの方角から歩いてきたひとが
駅にむかういっぽん道に重なり
いつの間にか連なり歩く。
 
巡礼者みたいに。
 
 
 
 
 
 
曇天
 
黄色い電車

リュックの底の折り畳み傘






2014年6月18日水曜日

蓋がとじていると
発酵がすすんで
ガスで器の中がみちる。

通気がよいときに
気づかなかった、
器の中身の存在に
気がつくことになる。

空ではなかったと。

2014年6月17日火曜日



通勤前に、すこし道を外れて
稲荷山公園の階段に腰掛けて
ぼんやりとしていた。



祈る、ということを
忘れていたなと思う。


2014年6月16日月曜日



関西から友人がやってきて
ずいぶんと、一緒に歩いた。
馬喰町から、早稲田へ行って
早稲田から高田馬場、電車に乗って原宿で降りて
明治神宮のなかを歩き、代々木に出て
またひとりの友人と合流して
食事のあと、新宿駅まで歩き
新線新宿駅から、馬喰横山まで。
 
 
 
一緒に歩きながら
彼女の気配や、エネルギーがぱっと開いた会話の部分を
いまも抱いたまま、週があけて、
月曜日にいる。
 
 
新幹線は彼女を関西へ運んで
満月過ぎて、この週末には夏至。
 
 
 
 
 
 
半年以上ぶりに、再会しながら
わたしはいま、エネルギーが落ちているなぁと
ありありと確認することになった。

 
もっと、聞きたいのに
もっと、彼女とともにありたいのに
 
じぶんが澄んでいない。
 
それでも、そこに響いてくる彼女の存在や
一緒にときを過ごしてくれている時間の尊さはかわらない。
 
 
 
一緒に
わたしが通っていた大学の構内を歩いて
文学部の語学のクラスや、一般教養の授業をとっていた建物のなかに
ともにそのとき、立っている。ということは、
うれしい、とか、感慨深い、とか
そういうことばに、簡単に翻訳できない体験
 
心にのこる、場面になった。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
いのちが落ちてるな、と気づいたから
やっぱり、むきあわなくちゃいけないと思った。
 
 


どんなひとにも、

そのひとのいのちが、循環する場や
循環するひと、行為というものが
かならずあるように思っていて
 
あたまはいろんなふうに、帳尻を合わせようとするけれど
 
ひとがほんとうにできることは、
じぶんのいのちに、誠実でいることだけのように思う。
 
 
 
 
どんなに好きな場所でも
どんなに大切な人でも
 
いのちが湧かずに、枯れていくようなら
 
やっぱりそこを、離れなくちゃいけないんだ。
 
 
 
 
じぶんでじぶんを、思い通りにすることすら
できない。
 
わたしはいのちをあずかっていて
そのいのちに従うしか、たぶん死ぬまでできなくて
 
それでもそうしていると結局
それがいちばん、このいのちを生き生きといかして死ぬ
そういうことになるのではないだろうか。
 
 
 
いのちは
わたしではなくて
 
いのちはエネルギーだし
いのちは、地球とか宇宙とか、そういう個を越えた生命で
 
そのなかの一部をわたしはあずかっているから
 
わたしがいのちをどうにかしようとすることは、きっとできなくて
いのちを育てたり、いのちが光るように
運んでいくことが
 
わたしのしごとのように
 
なんとなく、そんな風に
感じている。
 
 
だからどこへ行くかはわからないし
どこかへむかっているなんて方向を宿した考えさえも
幻想なのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
馬喰町の大きなまっすぐの道や
古いビルの並ぶかんじがすきだ。
 
隅田川の、巨大な気配。
 
生命を、計算することができるだろうか。
 
 

感じることができても。
 



2014年6月13日金曜日





specialという、1号だけ出ている雑誌があって
2006年に発行されているから8年前に手にとっているのだけれど
その雑誌の在り方に心が向いている。


その雑誌をつくっている赤荻さんは
アトリエAという活動をしていて

それからthrough.の瀬戸さんはnormalというTシャツのブランドをもっている。

じぶんの呼吸と関心のもとに
彼らの活動をみて、触れているから
ほとんどのことを知らないということ
それから、それはそれぞれの人物の、一部であってすべてではないという
ことわりをいれながら。






いっとき、私の本棚に
医学書院から出ている「ケアをひらく」シリーズの本が増えていった。



この間、本棚を整理したときに、福祉に関する本は結構減ったように思うけど





わたしは「障害」に興味があるのかもしれないと思う。

じぶんのたどってきた道を見返すと、たしかにそこに関心があるように思う。



どうしてか、ということが

すこし自覚できていて



自分の家族、親戚からはじまって、知人、友人に
身体障害をもつひとも精神障害をもつひとも
鬱病と診断されたひと、登校拒否、ひきこもり、難病患者

ふつうにいて、生きている。




わたし自身も、生きづらさをもっているし
すべてのひとが障害者だと思ってる。


統合失調症という精神障害を持つ祖母は、
わたしにとってはふつうの祖母で
ぜんぜん、こわくないし、すごくやさしくてかわいくて、大好きなひとだ。





社会は幻想だし
システム自体に人間は存在していない


みんな、すごくでこぼこしていて
それぞれの生命を抱えていて


そのひとのかたちにしか、なれない。




ひとつひとつの生命の在り方をよく見つめていったとき
「障害」はなくなっていると思う。

そのひと、そのいのち、そのかたち、その在り方だけがある。

そういう状態が、ある。それだけのことになると思う。






わたしが障害に関心をもつのは、

そこにそのひとが、あるように感じるからかもしれない。


平均の幻想としての「社会」に適合できない、
個という、その生命そのものの、在り方。


障害に
そのひとがあるというか、
そのひと自身の在り方に触れていくための、
きっかけがあるからのように
感じる。



それで、障害というのは、
障害者手帳をもっている人だけのものじゃないと思う。




specialのなかには

ありのままの、生命が、ひとつの雑誌の上で
おなじ地平に立っているかんじがあって

その空気や在り方が

心地よくて、おもしろくて、

新鮮で。
 
 
 
 



みんながじぶんの心でかんじて、あたまで考えて
じぶんのことばで、話すようになればいいし
話さなくてもいいし
眠ってもいいし

 
そういう風に
なるといいなと思うのは

自分がそういう風に、ありたいと思うから。







障害に関心がある、というのも通過点で

さらに深まったところにある本当の関心は


そこにいっこの、生命があるっていうこと。

それそういうことのように、思う。
 
 
 
 

2014年6月10日火曜日




参宮橋から明治神宮の前まできて、ふりかえった風景。


お疲れさまの、マーラータンメン。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ふとした瞬間に
名古屋の景色や、
長良川にかかる橋の上に立つ感覚が
思い出される。
 
ちょうど1年前の風景。
 






今日、母が何も知らずに
「なおみちゃんに見せたいと思った番組があったから、
録画しておいた」と言ってみせてくれた番組のなかに
 
昨年の秋に1週間滞在した場所が映っていた。
 
 
 
 
 

いまここにいるのは
あのときあそこに
あのとき、あそこに

あのときのあの出会いが

あのときのあの時間が






湿度の高い夜。
お風呂上がりの呼吸が深くなる。
 
 
 
 


2014年6月9日月曜日

 
 
 
家に帰ると
丁寧に包まれた、贈り物が届いていて
ひらいてみて
胸がいっぱいになった。

贈ってくれたひとつひとつに
わたしの好きなこと
(花をいけること)(動物のモチーフ)
(コーヒーをのんだり、食べたりすること)が宿っていて

こんなに、じぶんを
しっていてくれてるひとがいる。と思ったら
胸が熱くなって涙がこぼれた。





体調を崩して、延びてしまった約束がある。


いつでも
贈り物とどけてくれた彼女に
会いたい、と思ったら
会いたい、と言ってくれたら
会えるような
心と、からだを
まもれる

そういう生活をしようと思った。



2014年6月5日木曜日

クルーズ





働きにでている地域を
自転車漕いで進んだときに
あぁ、ここはなんて平らなんだろうと思った。


ひたすら平地がつづく。








朝、なおちゃんに
夜ご飯たべようと声かけてみる。

小田急線がふと、
心に浮かんでいたら
なおちゃんから
参宮橋のお店へ行こうと
提案があった。



前菜3皿で満腹になってコーヒー飲み終えたら
参宮橋から新宿まで
手をぷらぷらさせて
歩いていく


ひろい夜に投げるように
ことば放って
しゃべりながら
 
 




球の方向は不安定

手のひらの体温
うつったボールを

ぽーん、
ぽーんと。




空に放たれたまま

落ちてこないボール
 
 
 
 
 
 
 
 


代々木の大きな緑
高速道路の高架


門扉の閉じた明治神宮

 
 
 

ちいさなアップダウン

いくつものなだらかな丘のなごり


飯田橋
神楽坂
早稲田
新宿
代々木



山越えて
森抜けて
歩いていく


 
 

 
 
今までもたくさん歩いてきて、
今も歩いてる。
 
 
 
 

2014年6月3日火曜日






夾竹桃の花が、もうひらいていた。









世界の認識のほとんどを、視覚に頼っている
ということばに触れて


視覚の感度をさげて

聴覚や触覚の意識をあげるということを
 
気がついたときにしている。
 
 
 
 
たとえば、テレビをみているときも

耳で音を聴いている、ということに意識をもっていくと
画面にむけてる注意力がすこしさがって

目の前で流れているドラマが
画面のそとにでていく感じがする。
 
 
実際に意識してみると、体感のちがいを実感できると思うのだけど

ふだん、目でテレビを見ている
という状態が画面に頭を入れている感覚で

耳で聞いている、という意識をひらくと

もうすこし空間的な現象になる。




そうなるとどういう変化があるかというと、

単純に目の疲れが減るのと

頭のかたまっていく感じが薄まるのと、
それにともなって身体がリラックスするのと


画面のなかのドラマが(見る)というところを越えて
もうすこし体験的になるということ。










こどものときは、
今よりも視覚によりすぎていなかったのではないかなと思う。


ちいさなひとたちを見ていると
かけまわるし、さわるし、くっつくし
とにかく全身をつかっているから

風や匂いの思い出が、つよい。

 
今からまた
ああいう風に世界を体験していくことは
可能なのではないだろうか。




耳をすます

肌に触れるものに、心をすます

目をとじる

あたらしい目をひらく


そういったことで。

2014年6月1日日曜日

音を、目で聞かないように

耳から音を聞いている

目でそのひとをわかろうとしないように

そのひととわたしのあいだに起こってるものに
こころすます


そんなことを
意識しながら

2014年5月29日木曜日

拡張

 
 
 
 
 
このあいだ、体調を崩した翌日くらいから
「どんな風に生きようと思っていたのだっけ」
と、確認して軌道修正しようとしている自分がいて
 
「こうしたかったんだ」と顔をだしてくるじぶんを
もうひとりのじぶんが見ているような
そんな時間を過ごしている。
 
 
ひとつひとつ、みたら、そうする。
たぶん淡々とそうしていくことが
じぶんという現象をたすけるんだと思う。



 
 
 
感じるのは、
内側からたちあがってくるものは
じぶん、というか
いっこの世界の現象、エネルギーの流れで
 
わたし(意思)ができるのは、
そのエネルギーが
まっすぐ通っていくように
流れをみて、
みちを開けることなのかもしれないということ。
 




 
 
 
 
10年計画をたてる、
10年後を考える
 
人生設計について
 
なりたい未来を逆算して、今を考える
 
というアイデアに触れるたび
そんなことが可能だろうか?と思っていた。
 
 
 
今の自分の動きしか、自分にはわからないと感じていた。
 


 
 
それが
このあいだふと、10年後のじぶんが、今の視野にあらわれた感じがした。

10年後、どんな風に生活しているか
なにをして、だれといて、どんなふうに生きている姿があるか
 
 
自分にとって、初めての感じだった。
 
 
 
結果、確実にその10年後があるわけでも
その10年後に、着実にむかっていくというのとも
きっとすこし違っていて

今のわたしの中に浮かんできた「10年後のわたし」に違いなく
それはほんとうの10年後のビジョンとかそういうことじゃなくて
いまのわたしを、あらわしているんだと思う。




心が通るように。



意のままに生きるというよりも
すなおに、誠実であれるように。