2014年1月18日土曜日

Memo

世界に、手をあてているようなものだ。

なにかを掴むということ
なにかを手放すということ

は意識の上のあそびのようと思えばよくて

実際はいつも状態があり

自分自身もまた状態の一部。


ただ(たましい)がある場合、
そこが自分自身の中心で
観察点であり


その一点をもって

あれがちかくにある
あれがとおくにある

ない
ある

みえない
みえる


と感知の可能性の話をしているのではないか

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