2014年2月24日月曜日

パターンの消滅

 
 
このあいだ、ふとつけたテレビで
プリキュアというのか
女の子がたたかうアニメが放映されていた。
 
わたしが小学生の頃にやっていたアニメと
だいたい同じ構造なのかなと
思いながら、すこし観ていた。
 


敵の役割をする存在があって、
1話ごとに怪獣が登場する。


画面をみながら、
敵らしき存在に対して
じぶんが戦えばいいのに。と思う。
 
敵は、気弱になっているひととか、
ある感情に支配されている人間の
パワーを増幅するかたちで、怪獣をつくる。

逆に媒体がなければ
干渉できないということなのかなと考える。
 
ひとがそういったある感情を異次元の存在に増幅させられ怪獣になるのが、
王道のパターンなのだなと記憶をたどりながら思い
これは実際、よくできている構造なんだろうなと思う。



そう思いながら画面をみていると
その画面全体が、ひとつのプレイに過ぎない気もしてくる。
 
 
 
敵とか、味方とか。
 
 
そもそも、その1話のなかで取り上げられる問題
(ある価値観にしばられる、とか、素直になれないとか)に
まず主人公が触れるところから物語がスタートし
怪獣を無事倒したところで、主人公やその周辺の人物が抱えた冒頭の問題も
解決されるという構造になっているのだ。






 
 
 
梅が咲いているのをみただけで
あかるくなる、心がある。



 
つかれたな、と思うとき
「つかれた」ってことばにできたとき
それを聞いてくれた耳に、
ありがとうと思う。
 
 
 

傾けてくれた耳があるから
そとへ出せた。 
 
 


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