2014年3月31日月曜日

3月のおわりに。

 
 
夜勤明け
 
外へ出るとアスファルトからはみ出たホトケノザ
空き地に溢れたナズナ
 
小さな踏切を
上り電車と下り電車が走り抜ける
 
各駅停車から乗り換えた
下りの急行列車
先頭車両
 
 
運転席の車掌の後ろ姿
綺麗に切りそろえられたうなじを眺める
 
 
  
 
 

 
あの時々やってくる絶望的な気持ちはなんだろう
 
友達がいても家族がいても多分恋人がいても
あの感じはきっと、やってくる。
今までだってそうだったから。
 
 
あの感じ
もう生きてるのも、というあの気持ち
 
誰もが経験しているのだろうか。
経験しているとしたら、
みんなどうやってほどいているんだろう。
 
 
(ここに書いているのは
記録も含めているけど
自分はこうしているっていうのが
あの状態にいる誰かに届くことがあるかもしれない
そう思っているから。
友人はやさしいメールをくれたり
手紙を送ってくれたりした。
そっと見守ってくれていたと聞いた。
ありがとう)
 


夜勤前の電車の中にもやってきて
「もう、ほんとうに、むり。神様助けてください」
と思ったら
 
開いたドアから知人が乗ってきた。
 
涙はマスクの中に隠れてた。
 
数駅のあいだ、話して
降りた駅で笑って手を振って別れる。
 
すこし気持ちが、もう、変わっている。
 
 
 
 
 
神様、いた。
神様ありがとう、と思いながら青い道歩く。
助けてくださいって、ちゃんと言おう。
そう思って歩く。
心の中で何度か、ありがとうって繰り返す。
 
歌いながら通り過ぎる自転車のひと、続く夜。
 
目の前で立ち止まった女の子が
空の星にカメラをむけていた。
 
 
女の子が立ち去って
わたしも空を見上げたら
星だと思った金色の丸い光は
飛行機だったらしい。
ゆっくりゆっくり空を移動していく。
 
 
 
 

悲しみは通り過ぎる
歓びも通り過ぎる


 
 
 
 
あの空しさ
あのどうしようもなさ
 
 
 
意味とか意義では
太刀打ちできない
 
 
 
 
なんとなく今、思っているだけで
すこししたら、違う気持ちになっているかもしれない
 
それでもこうして今
ふとやってくる空しさを浴びながら思うのは
 
いのちを、意味とか意義に賭けるのはやめようということ。
意味や意義から、生まれてくるわけではないのだから。
 
ただ生きるくらいのことしか、できない。
 
時間がないとか
ああしたほうが得だ損だとか
 
そういうものの、何にもならなさ。
 
 
 
生きているうちは
生きていることから逃げられないなら
 
すみずみまで、よく見よう。
 
 
へんなものの流れにつかまらず
損得や、大義名分に命を預けず
 
立ち止まる。
 
耳をすます。味わう。
 
役に立たなくてもいい。
 


 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿