2014年4月14日月曜日

帰り道に考えたこと

 
 
 
春のわりには、雨がすくないと思う。
 
 
夜勤を終えて、稲荷山につくと
桜の木々の枝に
やわらかく初々しいみどりの、ちいさな葉がついている
 
触れたらやぶけそうに、あたらしい
 
ほんの3、4センチほどの
ちいさな葉をみて
あぁ、かわいい。と思った。
 
 
 
 
新学期が始まったばかりの今は
全身新品にみえる服に身を包んだ女の子が目につく。
 
 
たぶん、3月まで毎日制服を着ていたその子と、
「こうなりたい」と思って買ったんだろうジャケットやミニスカート、パンプス
 
 
 

桜のあたらしい葉をみて
かわいい、と湧いた思い。
 
 
このきもちには、心をあずけられる
と思った。
 
 
kawaiiというのは、やっぱり創作なんだなというようなことも
思う。
kawaiiに心は、あずけられない。
飲み込まれてしまいそうな気がして。
 
 
 
 
 
すきなひとが「かわいい」と言ってくれるときは
kawaiiじゃなくて
この桜の葉をみたときの気持ちみたいならいいなということを考えた。
 
 
 
 
ばかばかしいくらい、ちいさな話です。
噛んだガムをつつむ、紙くらいちいさい。
 
 
 
 
 
 
かわいい
 

 
初々しい、たよりない、あの発芽するいのちのひかりのようなものに
触発して起こる感情なら
 
 
「かわいい」と
ひとが言ってくれるその時間は奇跡だ。
 
 
 
 
わたしのからだは、古くなっていくから。
 
 

 
ただ
初々しく、たよりなく、発芽するいのちのひかりを
生じつづけられるのが、精神で
 
 
 
わたしは死ぬまで
そういった精神を
 
あたらしい水みたいな精神を
持ち続けられるだろうか
 
 
 
 
 
kawaiiに預けるのは簡単だ
 
kawaiiのほうが、
かわいいより、耐久性があるだろう。
 
 
 
 

ただ
 
かわいいには、生命がある。
 
 
 
 
女の子の新品コーディネートの服には
まるでかわいさをおぼえないが
 
 
初々しい頬と
 
新品のヒール履いて小さな歩幅でゆっくり歩くその姿は
 
とてもかわいい。
 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 

 
 


0 件のコメント:

コメントを投稿