2014年6月3日火曜日






夾竹桃の花が、もうひらいていた。









世界の認識のほとんどを、視覚に頼っている
ということばに触れて


視覚の感度をさげて

聴覚や触覚の意識をあげるということを
 
気がついたときにしている。
 
 
 
 
たとえば、テレビをみているときも

耳で音を聴いている、ということに意識をもっていくと
画面にむけてる注意力がすこしさがって

目の前で流れているドラマが
画面のそとにでていく感じがする。
 
 
実際に意識してみると、体感のちがいを実感できると思うのだけど

ふだん、目でテレビを見ている
という状態が画面に頭を入れている感覚で

耳で聞いている、という意識をひらくと

もうすこし空間的な現象になる。




そうなるとどういう変化があるかというと、

単純に目の疲れが減るのと

頭のかたまっていく感じが薄まるのと、
それにともなって身体がリラックスするのと


画面のなかのドラマが(見る)というところを越えて
もうすこし体験的になるということ。










こどものときは、
今よりも視覚によりすぎていなかったのではないかなと思う。


ちいさなひとたちを見ていると
かけまわるし、さわるし、くっつくし
とにかく全身をつかっているから

風や匂いの思い出が、つよい。

 
今からまた
ああいう風に世界を体験していくことは
可能なのではないだろうか。




耳をすます

肌に触れるものに、心をすます

目をとじる

あたらしい目をひらく


そういったことで。

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