2014年6月13日金曜日





specialという、1号だけ出ている雑誌があって
2006年に発行されているから8年前に手にとっているのだけれど
その雑誌の在り方に心が向いている。


その雑誌をつくっている赤荻さんは
アトリエAという活動をしていて

それからthrough.の瀬戸さんはnormalというTシャツのブランドをもっている。

じぶんの呼吸と関心のもとに
彼らの活動をみて、触れているから
ほとんどのことを知らないということ
それから、それはそれぞれの人物の、一部であってすべてではないという
ことわりをいれながら。






いっとき、私の本棚に
医学書院から出ている「ケアをひらく」シリーズの本が増えていった。



この間、本棚を整理したときに、福祉に関する本は結構減ったように思うけど





わたしは「障害」に興味があるのかもしれないと思う。

じぶんのたどってきた道を見返すと、たしかにそこに関心があるように思う。



どうしてか、ということが

すこし自覚できていて



自分の家族、親戚からはじまって、知人、友人に
身体障害をもつひとも精神障害をもつひとも
鬱病と診断されたひと、登校拒否、ひきこもり、難病患者

ふつうにいて、生きている。




わたし自身も、生きづらさをもっているし
すべてのひとが障害者だと思ってる。


統合失調症という精神障害を持つ祖母は、
わたしにとってはふつうの祖母で
ぜんぜん、こわくないし、すごくやさしくてかわいくて、大好きなひとだ。





社会は幻想だし
システム自体に人間は存在していない


みんな、すごくでこぼこしていて
それぞれの生命を抱えていて


そのひとのかたちにしか、なれない。




ひとつひとつの生命の在り方をよく見つめていったとき
「障害」はなくなっていると思う。

そのひと、そのいのち、そのかたち、その在り方だけがある。

そういう状態が、ある。それだけのことになると思う。






わたしが障害に関心をもつのは、

そこにそのひとが、あるように感じるからかもしれない。


平均の幻想としての「社会」に適合できない、
個という、その生命そのものの、在り方。


障害に
そのひとがあるというか、
そのひと自身の在り方に触れていくための、
きっかけがあるからのように
感じる。



それで、障害というのは、
障害者手帳をもっている人だけのものじゃないと思う。




specialのなかには

ありのままの、生命が、ひとつの雑誌の上で
おなじ地平に立っているかんじがあって

その空気や在り方が

心地よくて、おもしろくて、

新鮮で。
 
 
 
 



みんながじぶんの心でかんじて、あたまで考えて
じぶんのことばで、話すようになればいいし
話さなくてもいいし
眠ってもいいし

 
そういう風に
なるといいなと思うのは

自分がそういう風に、ありたいと思うから。







障害に関心がある、というのも通過点で

さらに深まったところにある本当の関心は


そこにいっこの、生命があるっていうこと。

それそういうことのように、思う。
 
 
 
 

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