2014年7月1日火曜日





狭山にずっと住んでいると
迷彩柄の自衛隊の航空機が
屋根に近い空を飛んで行き来するのは
当たり前の風景で

みおちゃんが狭山に来たときに
その光景をみて「こわい」と言ったのが
印象に残っている。


羽田から飛び立つ飛行機を見ると
やっぱりなんだかそれは、きらきらと自由な感じがして
ちいさなこどものほそい髪や
おんなのひとのやわらかな乳房
旅に出る期待と、そういった美しいものを
運んでいるんだなと、
切なくなるくらい眩しい明るさがあるように感じられて

自衛隊の航空機とは、別質のものなのかもしれないと
胸の深いところではっきりと感じる。






それでも、その自衛隊の航空機に乗っているのは
近所に住んでいるおじさんだったりして
自衛隊は戦争をしないっていう前提があるから
威圧的な迷彩柄だって、ただのポーズのような感じで
わたしは深刻になりすぎないでいられた。



でもそれが、変わってきている。



なんだか難しそうなことは、よくわからないし
まさか、賢い良識のあるひとが、争いを選択するなんて考えられないし

そんな風に、思っていたけど

このぼわんとした感覚がそのまま
まさかを堂々と展開させる
かっこうの土壌であることには気がついた。




わたしは油断している。





でも、わたしは自分の家の屋根の上を飛んでいく飛行機が
海を越えて戦争をしにいくなんてことを
永遠に受け入れたくない。



それをよしとはしない。



わたしはこう思っている。
武力を行使しない国の、国民であり続けたい。

意義の合わないひと、信仰の違うひと、
尊重し合いたい。

あたらしい景色がみたい。


その思いを、明確にもち
選択して、表現していく必要があるということが
いますごく、はっきりわかった。




それは、活動家になるとか
そういう、極端なことではなくて

自分のことばで、考えを述べられること。
その考えと、日々の行いを一致させていること。

わたしが考える、平和っていうものの本質をみつめて
その本質をくんだ生き方、生活をすること。


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