2014年3月31日月曜日

ありがとう

日曜日は
Cha-tu-chaの
6周年の、お祝い




お店でひととき過ごして
水色の小さな扉ひらいて
駅目指す帰り道には

いい日だな、今日って
いつもそう思ってる。










雨で濡れた背中
ヒーターにあててくれた昨日。

そのままで大丈夫って
そう言ったのに。

乾いた服に着替えて
背中に温風あてながら
ふと視界に入った
多肉の寄せ植え



小さな植物を
丁寧に並べて

日にあて水をやり
土をつくり
育む


簡単だよ、
あたりまえだよ、

そんな風に言いながら

小さな指で
命をふくよかにするひと。





からだが温まってきて
冷えていたんだなと気がついた。



日当たりのいい窓辺に
鉢植えをならべるその誠実な力で

わたしも生かされた瞬間。

3月のおわりに。

 
 
夜勤明け
 
外へ出るとアスファルトからはみ出たホトケノザ
空き地に溢れたナズナ
 
小さな踏切を
上り電車と下り電車が走り抜ける
 
各駅停車から乗り換えた
下りの急行列車
先頭車両
 
 
運転席の車掌の後ろ姿
綺麗に切りそろえられたうなじを眺める
 
 
  
 
 

 
あの時々やってくる絶望的な気持ちはなんだろう
 
友達がいても家族がいても多分恋人がいても
あの感じはきっと、やってくる。
今までだってそうだったから。
 
 
あの感じ
もう生きてるのも、というあの気持ち
 
誰もが経験しているのだろうか。
経験しているとしたら、
みんなどうやってほどいているんだろう。
 
 
(ここに書いているのは
記録も含めているけど
自分はこうしているっていうのが
あの状態にいる誰かに届くことがあるかもしれない
そう思っているから。
友人はやさしいメールをくれたり
手紙を送ってくれたりした。
そっと見守ってくれていたと聞いた。
ありがとう)
 


夜勤前の電車の中にもやってきて
「もう、ほんとうに、むり。神様助けてください」
と思ったら
 
開いたドアから知人が乗ってきた。
 
涙はマスクの中に隠れてた。
 
数駅のあいだ、話して
降りた駅で笑って手を振って別れる。
 
すこし気持ちが、もう、変わっている。
 
 
 
 
 
神様、いた。
神様ありがとう、と思いながら青い道歩く。
助けてくださいって、ちゃんと言おう。
そう思って歩く。
心の中で何度か、ありがとうって繰り返す。
 
歌いながら通り過ぎる自転車のひと、続く夜。
 
目の前で立ち止まった女の子が
空の星にカメラをむけていた。
 
 
女の子が立ち去って
わたしも空を見上げたら
星だと思った金色の丸い光は
飛行機だったらしい。
ゆっくりゆっくり空を移動していく。
 
 
 
 

悲しみは通り過ぎる
歓びも通り過ぎる


 
 
 
 
あの空しさ
あのどうしようもなさ
 
 
 
意味とか意義では
太刀打ちできない
 
 
 
 
なんとなく今、思っているだけで
すこししたら、違う気持ちになっているかもしれない
 
それでもこうして今
ふとやってくる空しさを浴びながら思うのは
 
いのちを、意味とか意義に賭けるのはやめようということ。
意味や意義から、生まれてくるわけではないのだから。
 
ただ生きるくらいのことしか、できない。
 
時間がないとか
ああしたほうが得だ損だとか
 
そういうものの、何にもならなさ。
 
 
 
生きているうちは
生きていることから逃げられないなら
 
すみずみまで、よく見よう。
 
 
へんなものの流れにつかまらず
損得や、大義名分に命を預けず
 
立ち止まる。
 
耳をすます。味わう。
 
役に立たなくてもいい。
 


 
 

2014年3月28日金曜日

夕方の風

 

昨夜、
眠る前にベッドに黒田硫黄の『茄子』を持ち込む。

久しぶりに読み返して安心する。
情報量の多い画面に。
 
 


役に立たない
成長しない

そういうものが
からだの奥に小さい火を灯す




目的のために世界はない。

もっと豊かだって思い知りたい

自分の頭が
無意識に吸い寄せている
《こう生きなさい》っていう空気を
ビリビリ引き裂いて走りたい




『お父さん、切っても切っても切れないもの、なんだ?』

『たくさんあるよ、水とか』


そう言って通り過ぎていった人たちがいて

『たくさんあるよ』

って声が
耳に残った。



『ちかくじゃないのにちかくっていう食べ物なんだ?』

夕方、すれ違った女の子の謎かけ



またなぞなぞとすれ違ったと思いながら


『蕎麦』
って心の中でこたえる。

でも蕎麦じゃないかもしれない。

こたえはたくさんあるのがいい。




宇宙に願いごとなんて飛ばさなくてもいい。
思いついていることがつまらないから。
 
その向こう側で遊びたい。




電線にからまった
枯れた蔦


青いコート



 
 
これはもはやテレパシーだ
青いコートって書いて
あなたの頭の中に、青いコートが浮かぶこと。
 
 
 
さようなら、目的。
 
 
ことばを忘れた気持ちで世界に立ってみる。
 
 
 
 
ことばを忘れた気持ちで。
 
 
 

2014年3月27日木曜日



 
 
 
車椅子おして、お昼直前の小さな町医者に
いとこを連れて行く。

片手で傘を持って
片手で車椅子押した。

後ろからおばさんが
もう一方のハンドル持って押してくれて
片手でひとりで押した方が
ちょっと楽かもと思ったけれど
「おばさん、片方押すからね」
と手を伸ばしてくれるから、
そのままふたりでハンドルを片方ずつ持って
少し先の医院まで小雨の降る中いとこ乗せた車椅子押した。
 
 
 

診察を終えて帰宅後
午後になって熱が出てきたいとこを
おばが車椅子からベッドに移す。
いとこを抱きかかえるおばに「(いとこは)何キロなの?」と聞くと
「35キロ」と返答がある。
わたしより6、7歳年上のいとこは、少女みたいに
小さなからだをしている。
 
 
 
 
熱も高く、ぜぇぜぇと苦しそうだから
眠ればいいのに、と思うけど、いとこは目をとじない。

「寝てれば、といっても、寝るのをすごく、いやがる人なの」
とおばが言った。
 
 
耳が聞こえないし、喋ることもできないから
目を閉じるのが、こわいのかな
と思った。
 
「ここにいるから、目をつむって、少し休んだ方がいいよ」
そう伝えて真っ白な小さな手をにぎったら、
いとこは目をつむって、夕方まですこし休んだ。 
 
薄い手のひら

わたしの指先にいとこの脈が伝わってくる。

とっとっとっ
と、はやい。
 



2014年3月25日火曜日

ゴーウィズザフロー アンド ダンス、ダンス、ダンス

 
 
 
夜勤明け、最寄り駅を降りると
女子高生が3人改札をぬけてきたところで
 
1人が足を怪我して松葉杖をついていた。
 
電車は彼女たちが改札ぬけて、
車両に乗り込むのを待って発車した。
 
 
 
なんとなく、心むなしくなった日。
夕方の出勤前
家を出る前に本棚からよしもとばななの『海のふた』を手にとった。

電車の中で、開いたページを読み返す。


目をとじて
好きな漫画のなんてことない、ちょっとおかしいひと場面、思い出す。

西日に木の葉が照るのを見る。
 
「いつか終わるんだ」
そう思ったら、すこし楽になる。


つかの間、ここにいて、いつか終わる。

なにをしてもいい。なにもしなくてもいい。

世界はことばを話さない。
人が物語をかたり、物語を読み、消えていく。



むなしさを救うのは
なんでもないもの、だなと思った。



とるにたりない、温かなもの。
時が経つと、冷めて消えているもの。







夜、仕事を終えた駅のホームで
足をひきずる男性を見た。
 
乗り換えの駅で、松葉杖の女性を見た。

降りた最寄り駅で、また足を引きずる人をみた。





足、をけがしている人に、目がいく。
何かサインかなと思うけど、わからないから
そのままにした。

お風呂に入って、ちゃんと眠ろうと思って帰った。










今朝、ゆっくり起きて

友人にメールをうつ。
綴りながら、結びつく。






昨日の夜勤明け、車で西武線沿線の駅まで送ってもらったとき
道の合流地点でドライバーが
「流れに乗るのが大事なんだよ」
と言ったこと。




オール漕ぐのやめて
流れにゆだねてみようか。

必死に歩くのやめてみようか。



go with the flow







物語読む、人の性。




躍起にならなくてもいい。
 


足は前に進むことを可能にする。
でも、そのためにあるのではない。
アイラブユー
もうすこし踊ろう。
 

2014年3月24日月曜日

ふと、むなしさにつかまってしまった。

多分からだが疲れているだけなのだけど

むなしくなって
こころが、小さくなる。




自分なんて、いてもいなくてもという気持ちが
やってくる。




歩いていたら
丁寧に手入れされた庭に
クリスマスローズが植わっていて

植えたひとの手先の慎ましさがみえるような佇まいで

そばに黄色い水仙も
ちょうど綺麗な満開のときにあって

すこし命が
蘇ったような感じがした。


風がふいて
それはもう冷たくなくて

背中をたぷんとおしてくる風




木々の葉が西日を浴びて
チラチラと光っている。


すこしむなしさが、
ほどけている。


胸がひらきつつあるのを感じる。


自分の生命が
なにに救われているか
おぼえていたい。

2014年3月23日日曜日

左へカーブを曲がると

 
寝ても寝ても
もうすこし、眠っていたくて
 
目をとじてひとつ夢みて
だいぶ眠った気になって目を開いても15分も経っていなかったりして
 
それならばもうすこし眠ろうと
そんなことを3度くらい繰り返した。
 
 
いくつか、かるい眠りのなかで
やわらかい夢をみた。
 
 
 
 
自分ができたけどしなかったこと
してしまったけど、ほんとうはこうすればよかったと思ったことのいくつかを
考えはじめて
 
瞬間、しない、と決めたところにわたしがいるし
してしまったところに、わたしがいる。と思って
もう考えるのをやめた。
 
 
理想が、わたしではないから
そのときそこにいたわたししか、わたしはいない。
そこからすすんだわたししか、ここにいない。
 
 
 
 
 
内側から
ぬらりと闇色の波がひろがって
ことばがのまれて、黙ってしまう。
 
闇は海のいろ
闇は宇宙のいろ
 
わたしがかつて
いたところのいろ

今も奥で
繋がっているところの色。
 

はじまり。

おとといの夜
本棚からはみ出していた
「小さな山」を手にとった。

ちょうど一昨年の夏の終わり
cafe leuteの閉店前3日間
お店に置かせてもらったフリーペーパー。

写真は
そのフリーペーパーの
最後に書いたことば。




今も
同じように
それぞれが自由で笑っていられるように
祈り続けているなぁと

その夜あらためて思った。

2014年3月20日木曜日

ファンタジーをほどく


 
 





 
  



 
 
 
 
 
 
 
笑っていいともで小沢くんが歌っていて
聴いていたら涙がでた。
 
 
空だと思っていた空が開いて
あたらしい空がみえたみたいな
そういう感じだった。
 
 

ここは、きれいだよって
今、発せられた、声。
その新鮮さ。
 
 
  
 
 
 
 
どうして今生きているのか
同じ場所で目が覚めるのか
昨日も今日も川が川で空が空なのが
不思議で仕方がないんだ。
 
 
「簡単に世界を説明しないで」 


 
  

 
 
 
 
 


2014年3月16日日曜日

合奏



テレビのコマーシャルで流れているのをきくたびに、
いい曲だなぁと思っていた
All My Lifeという曲を昨夜ダウンロードして
ずっと聴いている。

音が重なるのは気持ちがいいな。
春の夜は遠くの音が、近く聞こえる。
 
 
 
さっき、よしもとばななさんのHPで
彼女の12月の日記を、読み返していたところ。

http://www.yoshimotobanana.com/diary/








チューリップの花びらがひらいてきた。
 
 
 
本当に決意すると
そのことについて、もう話さなくなるんだと
いま思っている。




少し前にTuuliのしゅんすけくんが

お店の窓辺を全部ミモザにしようと決めた
という話をしてくれた。


そうしようかな、じゃなくて
そうすると決めた話をしてくれた。






ひとと交わすことば
出会ったひとの笑顔
触れた空気、かぜ

いろんなものが
現在のじぶんの根底で
おおきくちいさく
響きつづけて

合奏となって
じぶんの命を動かしている。


その音楽のなかに、
しゅんすけくんがしてくれたその話も
ずっとあって、

今また、メロディラインにのぼってきた。





大阪にいこうと思うって
ほとんど決意に近かったけど
みんなに話していた秋

いく、って言いきれなかったから
あんなに口に、出していた自分がいたんだろうか。




その時は、そんなふうに思っていなかったから違うのかもしれない。
いく以外の未来が感じられなかったのも事実だ。

でも
「いこうと思う」から「いく」には、ならなかった。







ヘルパーの学校へ願書申込をするときは、誰にも言わなかった。

福祉の現場で働いている兄からは
「尚美みたいなやつには絶対にできない」と言われ続けていたし

自分の気持ちでしか動けない私が
「ひとさまのため」に働けるなんて家族は信じていなかった。

自分でもなんで関心があるのかわからないままだったけれど
すると決めていたから
誰にも何も言われたくなくて
黙って申し込んでいた。





ほんとうに決めると
もうそうするだけだから

誰にも何も、言われたくなくて
わたしは黙るんだ。

と思った。





またひとつ、黙ったことがあるって
さっき気がついた。





昨日の夜はよく眠れた。

昼間、お日様を浴びて、からだをぐーっと
のばしたからかもしれない。

いくつか夢をみたのだけど
ぜんぶ今は忘れてしまった。


なんだか充実した時間を過ごして目覚めた気がする。




大学時代からの大切な先輩が
関わった仕事をおしえてくれた。

http://wego-campaign.jp/20th/?brandbanner


バナナのポスターを、わたしは多分みている。



他にも
テレビをみていて、ふと流れたCMで心に残っていたもの

「最近あれをつくった」と教わったとき
やっぱり。と思う。





眠らないで、
おもしろいものを作ろうとしつづけている人。


おもしろいものを作ろうとするのは
そこに触れたひとの命のひかりが、あらわれるように。
 
 
 
 
 
 
 
どうしていつまでも
「こういうことがしてみたい」とか
「どうしたらこれをかたちにできるだろう」とか
そういうことを、思い続けてしまうんだろうか。


目の前にある仕事の、つづきを探そうとしているんだろう。




わからないけれど

これでいい、ということがないくらい

世界はみずみずしくて





命生き生きと、いききってよし。
 
 
 













2014年3月15日土曜日

うれしいお昼ごはん











日が落ちてから
ベランダに出て洗濯物を取り込んでいたら

まだ水色ののこる空に
白い月が浮かんでいた






じぶんの奥から湧いてくる
命の流れに正直にあることで

どこに運ばれていくのか
だれと出会い
なにを見ていくのか

知りたい










あかるい昼間の公園で
ぐぅっとからだをのばす









花屋さんで買った
チューリップ
3本

瑞々しくピンク










きらいだった色、黄色が
今とても、好きな色





沈丁花のかおり
にじむ春のあかるい夜


窓のあかり

ひとの体温

2014年3月10日月曜日

 
ほんとうは、
自分でヨガを取り入れて行くようになりたいのだけれど
いまのわたしには
お金を払って、時間をもうけることと
おしえてくれるひとがいることで
始めることができる。


週に1、2度
教室と友人のところに通っていたけれど
半年くらいぱたりと、行っていなくて
そのあいだに、よちさんのヨガへ行ったのが1度。

わたしはからだと
ずいぶん離れていたように感じる。


12月、久しぶりに身体介助の仕事をしたとき
じぶんのからだがどう動いているのかわからずにとまどった。
からだと話せていないから、
指示をもらっても
からだの動かし方がわからなかった。
 
 
 
ここにきてすこしずつ、仕事のリズムがとれはじめて
近所にできたヨガスタジオに
体験レッスンに行ってきた。
 
 
足の横に手のひらおいたとき
「爪がのびてる」と思った。

足の爪先をみることなく
ぱっぱとからだを洗って
ざばっとあがって眠ったり

ほんとうに、自分のからだを
ぜんぜん見てあげていなかったんだと気がつく。
 
 
 
 
 
レッスンを終えて、家に帰って
すぐに足の爪を切りそろえた。




翌日、
前日の体験レッスンで動かしたからだが
軸を思い出しているのがわかった。

からだの可動域がすこし広がっていて
意識とからだが呼応しているのがわかる。


いちど繋がっていた回路は
刺激するとまたひらいてくれるんだと感じた。




先日
いつもぼんやりしていた
身体介助のある場面で
ポイントがきちんとわかってスムーズにいったのを感じた。



介助がむずかしい、と思っていたけれど
わたしがまず、自分のからだと通じていなかったんだと思った。

皮膚の感覚もきっと閉じていたし

からだの外側と内側の連携も曖昧になっていただろう。
 
 
 
 
からだをきちんと
目覚めさせること


呼吸させ

ゆっくりやすませること





ふかふかと、充実していること。
 

 


週明け、青空

つよい風
白い雲

目を洗ったみたいな、気持ちでいる。
 
 
 
心もすとんと、今、きれいだ。
 
 
 
求めが、わかる。
わかり、応えられる。
 
 
という循環が始まると
介助は楽しくなるなと感じる。
 
楽しくなる=らくだから、
からだの動きも芯からぶれなくなる。





わたしは今
じぶんに問いかけたい

わたしの求めは、なにか

わたしの命のはたらきは
どこへむかって、流れようとしているのか
 
 
 
ヒヤシンスのかおりが
部屋にみちて

夜勤明け、帰宅したあかるい部屋の
空気は清浄


からだがある。
生きている。

2014年3月9日日曜日




冬から
ゆっくり春になっていく


仕事の移動中
降りた駅で雪をみた。




肩、きゅっとすぼませた
駅のホームで
あたまのなかに流れるのが
くるりの沈丁花という曲の
しずかなイントロ
ギターの音色





空気つめたくても
ひかりは春



会おうという約束のたび雪が降ったので
すぐに溶けそうな白い雪をみて
心がすこし、つまるような、そういう気持ちになった。

「これは、積もらないよ」
心の中でとなえる。

これが最後の雪になって
こんどの約束は、まもられたらいいなと思う。
春の夜の匂いがするといい。



『今年最後の雪かもねー』







招待してもらった結婚式
未来だと思ってた予定が、近くなる。

年の初めに交わした、お花見の約束も。





中華料理屋さんで、目の前に座った友人が
間もなく父になること、伝えてくれた夜


ふたりそれぞれ小さな花束もって
旅から帰ってきたひとに、会いにいった夜


溶けるように消えていく


「息がとまることがあるってわかった」
そう聞いたその夜
だいじなひとを亡くす夢をみた。




昼過ぎに起きた日曜日
テレビをつけたら震災の特集番組



生きていれば、まだ会えるよね
わたしたちは




もうすこし約束が、できるよね。

namioto

 
 
 
 
朝、あつまろうよと
ひさしぶりに3人で会って
数ヶ月ぶりなのに時間とびこえて会えるのは

みおちゃんがロンドンにいたときも
そうだったなと思い出す。



会わないあいだに、
話したいいろんな出来事があったけど

顔を会わせたら、
未来のことを話していた。



2014年3月6日木曜日

2/20 - 3/4



2週間の展示が終わりました。

布と真綿と、ことばと、光とで作った空間は
あっという間にたたまれました。



家の近くの公園に
うそみたいに落ちてた大きな枝は
にじ画廊さんが使ってみたいと
ひきとってくれました。



そういうことか、と思ったんです。







展示に、きてくださったかた
おこころ、よせてくださったかた
本当に、ありがとうございました。


「ことばが、眠っていくようなかんじだったのかと思います」
展示を終えていくことにあてて
友人が送ってくれた、メールのことば


友人のいのちのはたらき
彼女の呼吸の、風景




わたしに起こった風景のなか

ことばは、ハレーションおこすように
ひかりになって
消えました。

消えた先で、ちいさな風がおこって
ことばは世界にかえり
風が世界をおこしました。





そういう景色が

みえるような
感じがしました。







future is now






































2014年3月3日月曜日

あまつぶの、さき




夜勤をあけると
雨はいまにも、あがりそうで
葉っぱや枝先に、あまつぶがたれて
湿気った空気に
梅のあまいかおりが滲んで

こころが静かになった

 
 
展示は、明日の火曜日までとなりました。
きてくれて、ありがとう。と
こころ、よせてくれて、ありがとう。



なんとなく、ひとつの気持ちを
しずかになだめて
なくなるまま、なくしてしまいたいと思っていたのだけど

土曜日の朝
やっぱり、その気持ちは、今ここにある。
そう思ったら、からだがぐーんとあつくなって
涙が流れた。

わたしは元気になった。




どんな気持ちも、
なにかになるために、どうにかするために
発生するわけではなく

わたしであるから
その自然として、発生している。



どんなにささやかであっても
それはわたしの命のはたらきのひとつだから
めぐり燃えて流れるまで
わたし自身の手にも
おさめることはできない


ただそうあることしか。




そしてそう、あると、いまのわたしは、元気になる。
いのちがきちんと、めぐっていくから。




今日、
夜勤を終えてお風呂からあがってひらいたTwitter

藤田ゆみさんのツイートをみる。





藤田さんの、Twitterアカウント@fujiyumingから
引用させていただきます


ゆきさん がFBに書いてたメッセージ。 今のいま、わたしに必要なことでした↓ Relax. Nothing is in control. 「心配すんな、何一つ思い通りにはできない」 自分で何とかしようとすることを手放して諦めるほど 現実の展開はスピードアップする


Relax, Nothing is in control.


帰り道、足がすすむまま立ち寄った八幡様で
ひいたおみくじ


春風の
吹けばおのづと
山かげの
梅も桜も
花は咲くなり




ひとりで生きているわけでなく
わたし自身もまた
天体のひとかけらにすぎない


それでいて確かに
このポイントは、宇宙からあずけられている1点。
 
 

風の流れていく
ときの流れていく

流れ消えていく

ある1点。



アイラブユーしか
言えないなと

いまはそう、思った。