2014年4月26日土曜日

 
 
眠っても、眠たい。
空気中が緑で、夜と朝の、きれいな季節だ。
 
 
 
頭はまだ、眠っているモードで
電車に乗ったら
脳内は夢をみているのに
目に映るのは現実世界だからとても不思議だった。

長い1本の、並木道を歩きながら、
霞んで見えない奥の奥、消失点を見て歩こうと思って
そうやって歩いた。

焦点の外をひとが横切り
車が走り
葉が揺れた。





海の近くで寝起きというのはいいなと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
毛布
まくら
 
窓の外 波の音
 
 
 
 
 
 
髪の毛を切っておかっぱになって
くるくるドライヤーを買った。
 
毛先がくるりとまるくなる。
 

 
 
 
もらったプレゼントに添えてあった手紙を
朝読んで
心が海に流れでる。そんな感じがした。
 
 
 
 
 

 
 



2014年4月22日火曜日

 
 
週に1度
おなじ道を歩くと
 
道沿いの木々は
毎回ちがう顔をしている。
 
 
1週間があっという間のようで
1週間前がはるか遠い
 
スケジュール帳のなかに、時間はない
ものすごく長い、旅をしている
1秒前さえはるか遠い

 
 
 
 
髪を切った日、
潤ちゃんがシャンプーとコンディショナーをくれた。
それで、丁寧に頭を洗うようになった。

頭を洗っているうちに、心がからだと近くなっていって
湯船の中で、足指を動かしたり
マッサージをするようになった。



疲れて帰ってきたらとにかく眠りたくて
お風呂もさっと入って
かたいからだのまま、ベッドに入っていたけれど
 
手のひらを
ちゃんとからだにあてると
急くこころもなだまり
からだはゆるんでいく。
 

 
 
 




2014年4月21日月曜日

かぜ 新緑のおと


 
 










ひさしぶりの、友人との再会がつづく。
時間をもって、話すことがなかった近所に住む、友人とも。
 
会ったあとも、あたたかい。
 


 
数日前に誕生日がきた。
朝から晩まで、仕事の日。
1日中、いろんなひとの顔を思い浮かべて過ごした。
 
生まれただけで、こんなにいろんな巡り合わせを受けとれる。
そう思ったら、世界の入り口、両親に感謝。と思って
帰り道に、父と母それぞれにプレゼントを買って帰った。

家に着くと母が寝ずに待っていてくれて
5つあるケーキの中からそれぞれ1つ選んで
食べてから眠った。
 
 
母に花束
父にパジャマ
 
 
 




 
土曜日にようやく髪を切りに行けた。
 
いろんな話をしながら切ってもらって
「3日くらい経った気がする」
そんな体感をおぼえる。
 
 
髪を切ることは、変わること。
 
久しぶりに前髪ができた。
 


 
数日前に
髪で顔が隠れると安心するところがある、
そういう話をしていたとき
「前髪があったほうがいいんじゃない。それが明るさに繋がる気がする」
正面に座って蕎麦食べるひとが言った、そのことばのとおりになった。

両目が世界をみる。


 
 
 
 
髪を切ったあと
潤ちゃんと、押上で待ち合わせをし
スカイツリーのなかでごはんを食べた。
 
1年前もふたりでスカイツリーにのぼった。

今の目から見つめたら
その時のこんがらがったふたりを、隅田川に流してあげたい。
 
 
 
この後どこへ行こう、となって
ディズニーランドに行きたいと言ったら
行こう、と即決してくれたので、すぐに舞浜へむかった。
 
 
 
ディズニーシーへ行き、
タワーオブテラーに乗る。
浮かび上がって落ちる。
浮かび上がって落ちて叫ぶ。
 
 

 

浮かび上がって落ちたけど生きてた!
 
 
 
 
自分たちなりの深刻を抱えて、スカイツリーの展望台から
ビル群と雲から漏れる光を見てた1年前。

上にあがっても、そこから行けるところはないんだなと思った。

どんなに高く上がったつもりになっても
歩けるのはほんのわずかのスペース
空がどこまでもあることに、あらためて触れるだけ。



1年経って
ねぎ焼きを食べながら潤ちゃんが言った。
「どこに行く?ここからなら、どこへでも行けるよ」
 
 
 









2014年4月17日木曜日

 
 
 
山崎ナオコーラの『男と点と線』
昨夜、待ち合わせ前に入ったドトールで読み終えた。
 
また読み返すと思う。
 
 
 
小説をまた、読めるようになった。
 
 
いろんなことを、考えたり
考えていなかったり、あらゆる出来事を、自分の見たいように見たり
不意にその眼鏡がはずれたり、繰り返しながら生きている。
 
  
 
小説がまた、読めるようになったのは
「あたま」を捨てたからだと思う。
 
あたまで世界をつくることを、やめたからだと思う。
 
 
 
 
それから、あたまに従うことを、やめたからだと思う。
 
 
 
 
世界は、起きている。
 

 
 
 
生きているのは、はじめて。
1回こっきり生きて、終わる。
 
「こう生きるべし」ということばをつくったひとも
生きるの初心者だ。
 
みんな同じ土俵の上。
だから他人のことばを生きなくていい。
 
じぶんを信じていい。
 
いろいろ試してみよう
 
世界が流れるのを観察してみよう
 
 
生きるのははじめて。
 
いまはそういう、気持ち。
 
 
旅行鞄を空港に忘れた。
 
たまたまここに、降りて、しばらく滞在する。
でもいつかまた搭乗口に戻るときがくる。
 
ここは旅先。
 
 
 
どんな旅をしてもいい。
 
 

世界を発見していい。
 

2014年4月16日水曜日

すこし早い出勤の日は
からだがまだ眠っていて

眠ったからだで乗った電車の窓から見える景色を
「さっきまで夜につかっていた場所」
と眺めていくと

まだ夜がそこに残っている気がして

すこし安心する。




思いがけない感情をむけられると
心がちいさくなる、と思った。

自分に強い感情をおぼえるひとがいて
その感情にこたえられないとき

自分をちいさくして
自信をなくして

その感情を持てる器がない状態に自分を運ぶことで

その感情を引き離そうとする。


だから
向けられた感情が好意的であっても

なんだかどっと自信がなくなり
自分を見失ってしまった
わたしがいるなと
今朝思った。





でも、
そんな必要が
あるんだろうか。



そんな消極的な
拒み方が
あるんだろうか。

2014年4月14日月曜日

帰り道に考えたこと

 
 
 
春のわりには、雨がすくないと思う。
 
 
夜勤を終えて、稲荷山につくと
桜の木々の枝に
やわらかく初々しいみどりの、ちいさな葉がついている
 
触れたらやぶけそうに、あたらしい
 
ほんの3、4センチほどの
ちいさな葉をみて
あぁ、かわいい。と思った。
 
 
 
 
新学期が始まったばかりの今は
全身新品にみえる服に身を包んだ女の子が目につく。
 
 
たぶん、3月まで毎日制服を着ていたその子と、
「こうなりたい」と思って買ったんだろうジャケットやミニスカート、パンプス
 
 
 

桜のあたらしい葉をみて
かわいい、と湧いた思い。
 
 
このきもちには、心をあずけられる
と思った。
 
 
kawaiiというのは、やっぱり創作なんだなというようなことも
思う。
kawaiiに心は、あずけられない。
飲み込まれてしまいそうな気がして。
 
 
 
 
 
すきなひとが「かわいい」と言ってくれるときは
kawaiiじゃなくて
この桜の葉をみたときの気持ちみたいならいいなということを考えた。
 
 
 
 
ばかばかしいくらい、ちいさな話です。
噛んだガムをつつむ、紙くらいちいさい。
 
 
 
 
 
 
かわいい
 

 
初々しい、たよりない、あの発芽するいのちのひかりのようなものに
触発して起こる感情なら
 
 
「かわいい」と
ひとが言ってくれるその時間は奇跡だ。
 
 
 
 
わたしのからだは、古くなっていくから。
 
 

 
ただ
初々しく、たよりなく、発芽するいのちのひかりを
生じつづけられるのが、精神で
 
 
 
わたしは死ぬまで
そういった精神を
 
あたらしい水みたいな精神を
持ち続けられるだろうか
 
 
 
 
 
kawaiiに預けるのは簡単だ
 
kawaiiのほうが、
かわいいより、耐久性があるだろう。
 
 
 
 

ただ
 
かわいいには、生命がある。
 
 
 
 
女の子の新品コーディネートの服には
まるでかわいさをおぼえないが
 
 
初々しい頬と
 
新品のヒール履いて小さな歩幅でゆっくり歩くその姿は
 
とてもかわいい。
 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 

 
 


2014年4月12日土曜日

 
今のところ
 
だから
きっと今の状態もまた移り変わっていくのだろうけれど
 
 
いろんな<カギカッコ>が
はずれていった感覚があって
 
もういちど
目的を持たずに
ただ存在できそうなところに
 
わたしは移っている 
 
 
そんな感覚がある
 
 
 
目的なく、存在してる状態を許せるとなると
 
世界が近付いてくる感覚がある
 
空気の流れる音が聞こえる
 



2014年4月10日木曜日

ゲート

 
 
 
 
 
 
 
 
帰り道
ふと道沿いの家に目をやると
窓のむこうの部屋に白い菊の花に囲まれた棺が見えた。
 
 
 

 
髪の毛がのびたので
今朝はひとつに結んで通勤した。
 
 
通勤電車の中で目をとじると
目とおへその線上に
景色が浮かびあがる
 
 
知らない場所
誰もいない風景
 
 
わたしはこの場所を心に持ててれば
たぶん大丈夫なんだと思った



目をとじると見えるものはなんだろう 

 

さぁ寝ようと目をとじて
「今、なにが見えてる?わたしは、外国人の女の子が3人」
そう話しかけたら

となりの人が
「なにも見えないよ」
と言ったことを時々思い出す。
 
 
 
自分の調子がいいときは
映像がでてくるとき
 
目をとじてても
目をひらいていても
 
どこか遠くの知らない場所のじかんが
一緒に流れているとき
 
 
 
 
 
 
まだ桜が咲く前に
友人とご飯を食べているそのとき
 
「尚ちゃんと話していて、見えてくる景色を
伝えられたらいいと思う」
 
友人がそう、話してくれたのをきっかけに
 
「わたしはね、話してて、こんな景色がみえるよ」
 
わたしから友人へ、彼をみていて浮かんできた景色を話した。
 
「それでね、端の方になんだか、草原もみえる」
 
彼と重ねて、中心に見える景色の左端に
青々とした草原が見えてきて

そう伝えたら
友人はあったかい顔で笑った。
 
今週、こどもが産まれる予定で
草が関係する名前、つけようかと思ってるって
帰り際に、話してくれた。
 
 
 
 
彼はわたしと話しながら
どんな景色をみてくれていたんだろう
 
 
 
 
 
じぶんというのは
 
様々な時間
様々な風景の
 
総体なのではないだろうか
 
 
 
 
 
 
 
 
道沿いの家の窓に目をやったのは
 
そこが同級生の家で
 
窓のむこうにいつも、針仕事をしているおばあさんの姿があったから。
 
 
 
 
あのおばあちゃん、まだ元気なのかな
 

そう思って

つい窓に目をやった、
きょうの帰り道だった。
 
 
 
 


 

2014年4月9日水曜日



  
時々、やってくる
割と長居するむなしさは
 
ひとつのファンタジーがほどけてしまった
むなしさのような気がする


2014年4月8日火曜日






笑っていいとも!
が終わってしまった。

特番を録画して
帰ってひとり真夜中に観て涙。


次の日もまた
観返してしまう。



 
 
むなしさ

あのどうしようもなさは

霧が晴れるみたいに
だんだんと薄くなっていった。


正気に戻ると4月。


大学時代の先輩と
戸山公園の桜を見た。


新歓コンパの学生に溢れている高田馬場
 
はしゃいでいる団体の
ひとりの顔にふと視線がとまると
無防備であどけなくて 
湯気たつ肉まんみたいに、やわらかそうな頬をしていて

ひゅんと、せつなくなった。





むなしい気持ちで歩いているとき
いくつか大切にしていたものを捨てた
 
 
寄る辺としていたものが
通じなくなってしまったから
 
 

 
 
 
 
ふと歩いているときに
 
どこか遠くの
知らない国のドアが開いて閉まったこと
思う
 
 
 
 
 
新しい世界がはじまった
 
いまここは、笑っていいとも!のない世界

 
 
 
 

2014年4月7日月曜日

うたとさくら

 
 
 


まだ1月
 
お花見の約束をしよう、と話して
4月5日にお花見をします
とメールを送った。
 
 
来ても来なくてもいい
来られなくなってもいいし
その日、来たいひとだけ
 
 
そう思っていたら
たくさん、集まった。
 
 
 
9枚のシートを広げて、くっつけて
一緒にいろんなもの、つまみながら
話したり
 
「月が動いてる」と空を見上げたりした。
 
ふと気づくと
10人くらい、姿なくなっていて
「散歩に行ってた」と帰ってきたり
 
「むこうで遊んでいたよ」と上着脱いでかけ戻ってきたり
 
ずっと座ったままかたまって、ゆっくり飲んで
話したりしていた。
 
なんでもないことを。
すこし、大切なことを。
 


途中参加の友人たちが
ふらりとあらわれて、
空気があたらしくなったり
 
暗くなってもうお互いの顔も見えなくなった頃
輪の中から声が聞こえて
「来てたの!?」と
到着していた友人に気づいたりした。
 
 
 
 
寒くなってきて
周りのお花見客もいなくなって
 
「そろそろ」の空気感に包まれたとき
 
みーちゃんが肩を組みに来てくれたので
そのまま肩組んで、横に揺れていたら
思わず歌っていた
『今日の日はさようなら』
 
しづぽんとねるちゃんも肩組んでくれて
笑いながら、ちいさな合唱になる。
 

 
いつまでも絶えることなく
友だちでいよう

明日の日を夢みて
希望の道を

空を飛ぶ鳥のように
自由に生きる

ラーララララーラーラーラララー
ララーララーラララー



 
さぁ、そろそろ、なんて
温度を冷ましてひらくには
会えたことが、うれしすぎて。

そんなときは、歌えばいいんだって発見した。
笑顔で次にむかえたら、
またすぐに会えそうな気がする。
 
 
 
 
 
公園の芝の上で
 
それぞれの方向に、さようなら
 
 
 
夜の思い出は、
からだの奥で光る水になる。
 
 
 
 
発光しながら眠る
発光しながら起きる

発光しながら通勤
発光しながら働く
 
 
 
光のなかに歌があって
 
(いつまでも絶えることなく 友だちでいよう)
 
 
 
光がふと、消えるその前に
歌声が浮かばなくなる、そのすこし前には
また会おうよって、思う。
 
 
 

2014年4月3日木曜日

世界はしずるにとどまらない








夜、仕事を終えた帰り道に
風で揺れてる風船をみかけた。
 
偶然引っかかっているのか
誰かが引っかけていったのかわからないけれど、
畑の端の低い石垣に糸の先がひっかかっていて
風船はその日のすこし、強い風に
ばたばた揺らされている。
 
 
糸はずして、空に飛ばしたら気持ちいいだろうな
 
そう思ったけれど
もしかして
風船なくした誰かが、明日の朝見つけるかもしれないと思ったら
はずすことできないで
そのまま通り過ぎた。
 
 
駅を目指す夜道

乗り込んだ電車のなか
 
2週間過ぎようとする、今も
 
あの風船のことを
ふと思い出す。
 
 
 
糸、はずして
空に飛ばせばよかったんじゃないかって
 
小さく思い続けている。
 
 
 
あのときの場所に、もう風船はない
 
 
 
わたしの心のなかに
石垣にひっかかって、
風の中をばたついている風船は今もあって
 
あぁ
飛ばせばよかったんじゃないかなと
思う。
 
 
 
 
 
でも

飛ばせばよかった、とは思わない。
 
 
 
飛ばせばよかったんじゃないかなと
今もわたしは迷っていて
 
もう一度あの景色に出会っても
糸ははずさないのだと思う。
 
 
 
 
風船を
朝見つけて笑うかもしれない誰かの存在が
 

あの晩も
今も
 
夜が明けたそこにいるんじゃないかと
思われて


 
見なかった景色に憧れながら
 
糸をはずさず立ち去った自分が
ほんとうに見たかった景色を選択している。