2014年5月29日木曜日

拡張

 
 
 
 
 
このあいだ、体調を崩した翌日くらいから
「どんな風に生きようと思っていたのだっけ」
と、確認して軌道修正しようとしている自分がいて
 
「こうしたかったんだ」と顔をだしてくるじぶんを
もうひとりのじぶんが見ているような
そんな時間を過ごしている。
 
 
ひとつひとつ、みたら、そうする。
たぶん淡々とそうしていくことが
じぶんという現象をたすけるんだと思う。



 
 
 
感じるのは、
内側からたちあがってくるものは
じぶん、というか
いっこの世界の現象、エネルギーの流れで
 
わたし(意思)ができるのは、
そのエネルギーが
まっすぐ通っていくように
流れをみて、
みちを開けることなのかもしれないということ。
 




 
 
 
 
10年計画をたてる、
10年後を考える
 
人生設計について
 
なりたい未来を逆算して、今を考える
 
というアイデアに触れるたび
そんなことが可能だろうか?と思っていた。
 
 
 
今の自分の動きしか、自分にはわからないと感じていた。
 


 
 
それが
このあいだふと、10年後のじぶんが、今の視野にあらわれた感じがした。

10年後、どんな風に生活しているか
なにをして、だれといて、どんなふうに生きている姿があるか
 
 
自分にとって、初めての感じだった。
 
 
 
結果、確実にその10年後があるわけでも
その10年後に、着実にむかっていくというのとも
きっとすこし違っていて

今のわたしの中に浮かんできた「10年後のわたし」に違いなく
それはほんとうの10年後のビジョンとかそういうことじゃなくて
いまのわたしを、あらわしているんだと思う。




心が通るように。



意のままに生きるというよりも
すなおに、誠実であれるように。
 

2014年5月27日火曜日


パルコミュージアムで開催している
かないくん展へ。

「死ぬとどうなるの。」

問いからはじまる、展示。
 
 
 
 
展示をみおえて、最後の部屋で
わたしのなかに浮かんでいたのは
「生きてるってなに?」
だった。




 
 
6月2日まで。

2014年5月25日日曜日

レシピ

自分には、助けになりたい存在が
明確にあるのかもしれないと
気がついてしまった。


体調を崩したのは
調整が必要だからだと思った。

ほんとうの自分が
なにを感じているか
よく見てみようと思っていた。






昨日
冬の終わりに展示をした3人で
夜の国道走る
車の中で
話したこと。



話しながら
気がついていく。

ひとつ明らかになると
その後ろにあったものも姿をあらわして

どんどん、気がついていく。



ただ、体調を回復させればいいというだけじゃなくて


どう生きようとしてたのか
どう在りたいのかまで
あらうことになっていく。








最近、kishi bashi のひとつ前のアルバム
151aをいっぱい、聴いている。
 
この動画も、
みんなちょっとシャイな感じで、はにかみながら
楽しそうに演奏している感じがすてきだ。
 
 
 
 
やわらかいものが、やわらかいまま
 
そういうところへいきたい。
 
 






(ボイパってなんでちょっとおかしく感じるんだろう)

2014年5月20日火曜日

真夜中ちかくに

 
 
皮膚がもぞもぞする感じというのは、風邪だったのかもしれない。
昨夜、頭痛がひどくなってきて
えいやとひと仕事終えたあと
気持ちが悪くて立てなくなってしまった。
 
 
頭は冷静なのに、からだが動かない。
ひとまず駅まで行かないと、と休みながら駅まで向かう。
駅に着いて、すこし横になれば復活するかもしれないと思い
駅員室で休ませてもらった。
 
駅員さんは優しくて、
「気分よくなるまでいて大丈夫ですから」
「何かあったら救急車いつでも呼びますから」
と言ってくれる。
 
 
横になってみたら、立ち上がれなくなるだけだった。
「救急車呼びますか?」と駅員さんがもう一度聞いてくれたけれど
そこまでの事態じゃないのはわかる。
でも起き上がって電車に乗れないのもわかって
タクシーを呼んでもらって
横になりながら帰宅することにした。



タクシーの運転手さんは
「揺れないように運転しますね」
「気持ち悪くなったら止めるから、いってね」
「しゃべれなかったら、どんどんって、たたいてくれたらいいからね」
と声をかけてくれた。

途中、「あとどれくらいですか?」と聞いたら
「急いだ方がいい?ゆっくり運転してたから。
急いでみるね。揺れがきつかったらやめるから、どんどんってしてね」
と言って速度をあげてくれた。


気持ち悪くなって「止めてください」と言って止めてもらったとき
運転手さんが自動販売機まで行って水を買ってきてくれた。
 
 
 
 
眠りかけたところで、「このへんですか」
と運転手さんが車をとめて
顔をあげたら、自宅から数軒先の家の前だった。
 
 
いつも通りの近所の、夜の風景
 
長い旅のあとみたいに、安心する。
 
 
 
 
そのあとは部屋でだだっと横になって眠った。
ベッドのなかで家まで帰ってきてよかった、と思った。
 
 
 
知らないひとばかりが、優しくしてくれた夜。
 
「お客さんで今日終わりだからさ」
と言っていた運転手さん
 
わたしを降ろして
家に帰って眠ったのだろうか。
 
「顔色よくないけど、大丈夫?」と聞いてくれた駅員さん
宿直して朝、やっぱり家に戻って
休んだのだろうか





1日/365日
 
1日/384日
 
 
昨夜のじぶんにとっては大変だった夜と
夜に他人が、みせてくれたやさしさと
 
きっと遠くなっていくけど
 
運転手さんのしわがれ声を
おぼえていたいと思った。
 
 
 

2014年5月18日日曜日

夜勤前の、まだ夕焼け色残る空を
飛行機がちいさく
飛んでいくのが見えて

家のそばでみる飛行機は
自衛隊のものだけど
ここの上を飛んでいるのは
旅客機かなと思うと

なんだか空を流れていく
そのちいさな飛行機のつぶが
あたたかなものを
運んでいる気がしてきて

すこし心が穏やかになるような感覚があった。



小学生の男の子が
目を瞑って歩いている。

周りで友人たちが
こっちだよ!
こっち!と
声をあげてはしゃいでいる。





駅のホームで
電車を待っていたら
腕に蚊がとまりそうになった。








呼吸するたびきっと、
どこかへむかっている。


だいたい、
どこかはわからない。



目を瞑っていても
笑って手探りで
ふざけて歩いていけるみたいに




やわらかなからだ預けて
空を流れていけるみたいに

気候のせいか

どことなくそわそわとする感じや
皮膚のちかくがもぞもぞとする感覚があって

落ち着かないでいる。




何か、
変わっていっている感じがする。

2014年5月15日木曜日



部屋がほとんど、片付いてきた。
 
そうしているうちに、家の水道管に小さな穴があいて
水漏れしていたらしく
ふだん使っていなかった祖母の納戸の
天井が落ちた。
 
 
真夜中近くに、業者さんが来てくれて
水道管に関しては全部直していってくれたし
壊れたものも、だめになったものも
ほとんど最小限だったと
家族で話した。
 
 
天井は乾かして、
納戸のものをどかさないと工事に入れないというから
いままだ、穴はあいたまま。
 
穴のあいた家で暮らしている。
 
 
 
水道管にあいた穴は本当に直径1ミリくらいなのに
その小さな穴で、こんなことになるんだなと思ったし
その小さな穴が20年も開かなかったなんてすごいと思った。
 
 
 
業者さんを呼ぶのは朝でいいか、と母が言ったら
弟が「すぐに呼ばないとだめだ」と言って電話をしてくれたこととか
 
天井から漏れる水をバケツと雑巾でどうにかしようとしていたら
兄が「おむつ使えばいい」と言って
納戸に残っていた祖母のためのおむつに水を吸わせて吸水が進んだこととか
 
母が、お風呂上がりに静かな廊下を通ったときに
シーシー、とちいさく微かな音に気がついて納戸をあけてみたこととか
 
 
この出来事の周りのそれぞれの動きを
家族が「ファインプレー」と捉えている感じがあって
じぶんはいい家に生まれてきたんだなと今思う。
 
 
 



2014年5月14日水曜日

うすぐもり、パーカー

 
電車に乗ったら、
黄色いTシャツと紺のニット帽のさわやかなひとがいて
なにか手元に視線をおとしてうつむき加減でいるから
ちがう人にもみえて、
おそるおそる近付いて、顔を覗き込む。


友人のダイスケさんだった。


ダイスケさんが、持っていた写真を見せてくれる。
ダイスケさんは、いつもカメラを持っている。
このあとも、フィルムを現像しに行くと言っている。



ひかり、かげ、
空気ながれる画面
むこうからの、響きをかんじる。


空いている電車の中で写真を撮ってもらった。
 

フィルムカメラに写るの、苦手だ。
でも、ダイスケさんは人じゃなくて人間を撮りたいと言っていたから
それなら抵抗がないと思ったし
撮影してもらえたらうれしいなと思っていた。


わたしというブツじゃなくて
空気が、写るんだ、きっと。
 
 
今のダイスケさんの写真を見ていると
そうだって、思う。

 
 
 
数駅のあいだ、たのしい気持ちで
いま思い返しても
なんだかたのしい。




Cha-tu-chaで、友人たちへの贈り物をみつけて
ほこっとおしゃべりして
働きに行って


帰り道バスに乗ってまた、
会いたいひとのところまで。



空の月は満月まであともうすこしで




一晩眠って朝


 
ひとと出会って、揺れたこころの
温みと
厚い雲のしたの、つめたい空気をうけて
深まる呼吸
 


 
目の前に、あらわれた小さな虫が
小鼻にとまった。
 

 



 

2014年5月12日月曜日

食卓




座っていると、
どんどん揚げたてのコロッケが届くという
すてきなテーブルに辿り着いた。




ひとり、ひとりが
じぶんのボートに乗っているひとが集う
そういう食卓は、うれしい。







こどもの頃
友人の家に遊びにいって
それぞれ黙って漫画を読んで
日が暮れてばいばいすることがよくあった。




みんなで、黙り込んでもくもくとコロッケやサラダを食べているとき

その光景と重なって、たのしさが心を浮かした。




テーブルの上にそれぞれがそれぞれのことばを置いたとき

だれもそのことばを、塗り替えるようなことを
しない
 
揺らぐ空気
 
かたまらない眼差し
 
 
心のなかに宿った小さな種
 
なにになるかは、まだわからない
 
種植わったやわらかいそれぞれの土を
 
それぞれに抱いて
 
 
コロッケ、ビール
 
バナナのケーキ
 
 
 
 
(この生のうち、いちどでも

一緒に、ごはんを食べられること)
 

 
 
 
 
 
(にど、さんど、なんびゃくとあっても
あるいちどを)
 
 
 
 



テーブル離れ
電車に乗る。
 
 
 
 
 
 
夜勤前、駅を降りたら
暮れる前の空に薄く月が浮かんでいる。
 
 

 
(この生のうち、いちどでも

一緒に、ごはんを、食べたということ)
  
 
 
 
 
 
 
 

2014年5月10日土曜日

 
 
いま、とにかく部屋が散らかっている。
でも、本棚をみると、一部がとても、すっとし始めていて
気持ちがいい。


西武球場で毎年行われている
バラとガーデニング展が始まったらしい。
 
2年か3年前のこの時期
心がはっきりとせず、うすらぼんやりとしていて
ぼんやりの突破口になにか、と思って
ひとりでその年のバラとガーデニング展へ行った。
もうその流れが何しろ、うすらぼんやりとしている。
 
バラは本当に美しかったけれど、心は楽しくならなかった。

ブルガリアのバラで作られた蒸留水を
イベントのために来日したというブルガリア人女性が
民族衣装を着て販売していて
 
わざわざ遠くから所沢に来て…と思うと
買わないわけにいかない気がして蒸留水を購入した。
 
うすらぼんやりしている上に人酔いして帰宅した。
 
 
 
 
 
本棚から、ぼんやりとしている本の存在が消えていく。
 
視界が晴れる感覚がある。
 
一段、視界が明るくなると
さらにぼんやりとした本と、はっきりしている本が
見えてくる。

ぼんやりとしている本を、棚から引き抜く。
 
 
 
 
あの年も、なにしろまず部屋の整理をしていたら
よかったのかもしれない。
 
 
約束のない土曜日
 
本棚の整理をして

かぶを漬けた。




今だけ、こう思っていて、明日には、ちがうふうに

 
 
洋服を整理して
次は本だと思っていた。

本棚から、本を引き抜く。
紙袋につめて売りに行った。

風が強くて、運転している軽自動車の
ハンドルがとられそうになった。



本棚の整理をしていると
奥に並べている本のタイトルが目に入る。

そのタイトルは今もあたらしく心に入り込んでくる。
新陳代謝のよい、生きている本なんだ。




いままで、何度も本を買って読んで棚にならべて
その棚から引き抜いた本を売ったし
そのままいつでも、棚に残る本を持っている。



自分というのは、どこまでが自分だろうか。

いや、ほとんど世界なんだ。
身体を中心として、場がある
その空間がたぶん「じぶん」で

空間からぬきとられた本
空間に残った本

身体をととのえるのと同じ感覚で
空間をととのえていくこと



世界は精神のかたち


 
 
としての側面を多くはらむ。






2014年5月6日火曜日

 
 
今日もよく、頑張った。駆け抜けるように。
そう思って乗った電車のなかで
おなじように仕事を明けたなおちゃんに
「今日もすこし、世界をハッピーにしたはず」
とメッセージ送って、
そうか。と思った。
 
 
しごと、というのはきっとどこかで何かを明るくしていることで
23時ちかく、電車に乗っているひとたち
きっと今日、どこかで、世界のなにかを
ほんのすこし、あかるくしてきたひとたちなんだ
そう思ったら
乗り合わせたひとりひとりの呼吸が
すんと深まったように感じられる。
 
 
おつかれさまです。
 
 
 
 
  
近道の公園をぬける。
ひとの気配がなくて、コートのフードかぶって
がに股で歩いた。
 
通り抜けてから、うしろを振り向くと
誰もいない。
 
 
いつもいる、スーツ姿のひとたち。
今日は連休中なんだ。と気づく。
そういえば、さっきの電車もいつもより空いていた。
 
 
家のそばまできたとき鳥の鳴き声が聞こえて
「夜に鳥が鳴いてる」と思った瞬間に
幼稚園のある方角から、アオーとクジャクの鳴き声が降る。
 
クジャクは他の鳥の声に
こたえたんだろうか。
 
 
 
 
 
ある音に呼応して、ある音がでる。
ある行いに呼応して、ある行いがなされる。
 
そういう連鎖が幾重にも重なっている夜
 
そういう連鎖が幾重にも重なってくる朝
 
 
 
 




呼吸がつづいて、夢をみて起きる。
起きてまた眠る。
 
重なる幾層のなか
 
呼びかけるひとつになりながら。
ひとつの響きの受動体となりながら。 
 
 
 
夜道歩きながら見えたマンションの最上階の窓明かり
住人の顔は知らない
多分、えいえんに会わない
 
でも生きている
その光を、今夜帰り道にわたしが一瞬、
見たということ
 
 
 
世界は記憶のなかにない
行いとしてなされ
そしてすぐ、時のむこうにいってしまう
 
世界は意味のなかにもない
ただ温度がある
 
光をみた
 
意味の生じない行為のつみかさなり
真夜中近くのクジャクの鳴き声

 
 
 
 
 




2014年5月1日木曜日



あっという間だ。
5月に着地すれば、4月のひと月のことが。

年が明けてから昨日までのことが。

それよりも前のことは、もうほとんど「期間」として捉えられない。