2015年1月14日水曜日



奈良へ出かけて、帰ってきた。

ここのところ
いろんな場所へ出かけて過ごして
帰ってきては

自分のなかで
もう関東を離れてもいいのかもしれない、
という感覚がたえず生まれてくる。
 
 

 
稲荷山は特別にいい環境だけど
公園も県が管理するようになって確実に変化してる。
いい側面もあれば
あぁ、あれもなくなってしまった。
あぁ、ここにそれを植えるのか。とか
あぁ、それをここに置くんだね。と
がっかりするようなこともたくさんある。

前はもっと、すごくすてきだったんだよ。って言いたい気持ちもあるし
丁寧に管理してくださる方々の労力の、美しさも確かにある。

だけど、変化を感じること自体が
つらい部分もある。
なにもないことが、すてきだったんだ。
 
 

 
 
目的が組み込まれたときに
失われるたくさんのこと。

目的があることで
生まれる創造的な美しさや楽しさ。
 
 

バランスが大切で

そしておのおのの、バランスのとりどころは
違っている。
 
 

 


それでもずっと暮らしてきたということは
この場所はとても、いいところでもあるんだ。きっと。
昨日の帰り道にそんな風にも思った。
 
  
 
 
 

東京は魅力的な場所だけれど
経済活動が街の流れ、人の志向をかなり引っ張っている。
経済の動きが時間になりかわっていると感じる部分がある。
やっぱり、それは、ものすごく、速いし
力はあるけど、すごく狭い。
 
その速さで繋がれるもの、生み出されるもの、
活かされるもの、たくさんのすばらしいものがあるだろう。

でも
自分ひとりに照らしたときに
やっぱり、速すぎるし、狭くなる動きがある。

そこから離れて暮らしたい。
 
違う価値観、違う時間軸で存在している場所に
生きたいという感覚が、強くなりつつある。
 
 
 
もしかしたら
ここでもそういうふうにして
暮らしていけるのかもしれない、
という思いもある。

一方で

首都圏から離れた土地のひとの在り方
土地の使われ方、に触れたときに
あぁ、こっちだな、と感じることが
重なっていく。

 

奈良へは夜行バスで出かけて
朝着いてすぐに調べていたスーパー銭湯へ向かってお風呂に入った。

お風呂からあがって、前日に買ったスコーンを食べていたら
掃除のおばさんが「ごめんなさい、持ち込みの食事はだめなの」と
声をかけてきて、スコーンをしまおうとしたら
「どこか食べられるところ…あ、あそこのはしっこの、
見えないところでだったら大丈夫だから」と言ってくれた。
 
そういう瞬間に
あぁ、もう、ぜんぜん、ちがう。と思ってしまう。
 
 
JR奈良駅からスーパー銭湯まで乗ったタクシーでは
運転手さんが
「奈良は一事が万事という調子で、きまりごとが多いから(急須の先は北へむけない、とか)奈良の者は奈良の者としか結婚できない。そういうのがいやなひとは、みんな外へ出て行きます」
と言っていて
閉鎖的な側面も、ものすごくあるのだろうということも
置きつつ。

 

 

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