2015年2月7日土曜日

 
 
住宅地の細い道を歩いていたら
庭木になった、オレンジ色の実を(蜜柑だろうか)
ヒヨドリがつついていた。
 
近所の方から、庭になった美味しい蜜柑をいただいた冬だったので
「このおうちは、なった実をとらないのだな」
と思った。
いくらか、食べられるだけの分をもいだのかもしれないし
もしかしたら、ご年配の方のお住まいで
木の実をとるようなことができないのかもしれないし
理由はわからないけれど
 
実がなるからって、とらなくたっていいんだよな
 
と思った。

なる実の全てをとらなくていい。
 
鳥が実をつつく様も
つつかれて果実が澄んだ午前の空気にさらされる様も
穏やかで美しかった。
 
家主は鳥のために、残しているのかもしれない
とまた思い、それならそれも豊かな感じがすると味わったあとに
 
ただそうなっているだけで
意図がなくたって、そもそもいい
 
ということを、思った。
 
 

 
 
すこし赤裸々な話になるけれど
ひとつの観察として書いてみたいと思う。
 
 
ここ最近のわたしは
「すてきなふたり」に出会っている。
 
それまでのわたしは「すてきなひとり」と出会ってきた。
 
(ふたりにみえても
結局は「すてきなひとり」と「すてきなひとり」がいるのだけど)
 
それで、結婚ってなんだろうと、たびたび、触ろうとしている。
 
 
したいとも思わないけど
したくないわけじゃない。
そもそも相手なしに、したいとか、したくないとか
考えられることなのかな…とか
 
いろんな思いがめぐるのだけれど
 
でも気になる。と思って
 
婚活サイトに登録してみることにした。
 
同じように「よくわからないけど」と靄のなか、手をかくようにしている人が
いるのではないかな、と感じたから。
 
 
 
そのサイトでは
相手が自分にコンタクトをとりたいと思った時に
質問を設けることができて
 
わたしはふたつの質問をつくった。
(ひとつはわたしが以前、面接で問われたこと。
いい質問だと、ずっと思っていたので)

「今日、嬉しいことがありましたか?」
「大切な友人の、尊敬するところは?」
 
 
 
夜、眠る前にサイトを開いたら
ふたりのひとからアクセスがあって、
それぞれが質問にこたえてくれていた。
 
今日あった、ささやかな嬉しい出来事を
誰かが教えてくれることには、あたたかな感触があった。
 
 
 
それでも
自分が数ある顔写真と、自己紹介文から
ひとを選ぶことが難しく思えて、退会することにした。

 
そして当然だけれど
みんな真剣で、ぼんやりしているひとはいないし
数少ないぼんやりしているひととは、ぼんやりしたまま
永遠に出会えない気がした。そもそも必要としていないのだ。
 

 
 
たばこを、吸う、吸わない
お酒を飲む、時々飲む、飲まない
 
学歴 職種 年収 性格分類
 
 
いろんな人のプロフィールを見ていきながら
 
わたしは何を選ぼうとしているんだろう
と思った。
 
そして、同じように向こう側にいる誰かに
今、選ばれたり、選ばれなかったり
しているんだな。と感じた。
  
 
 

 
 

それからふと
なにかを得ようとして、するものではないのではないかな
と、思いが湧いた。
 
安定がほしい、とか
こどもがほしい、とか
なにかが欲しいと思って、するのが結婚では
ないんじゃないかな。という感じがした。


 

 




 
そこまでが、なんとなく、わかったこと。
 
 
 
 

 
 
 
今日は久しぶりに
祖母に会いに行った。
 
皺が増えた祖母の手。
柔らかい。
 
ふと会話が途切れたり
祖母が真顔になった瞬間に
 
また話題を探したり、
祖母に笑ってもらおうとしたけれど
 
ほんとうは言葉で時間を、埋める必要はなかったんだ。
 
そう帰り道に思った。
 
ない話を、探すよりも
笑ってもらうよりも、
 
ただ何もなくたって、一緒にいたらよかったんだ。

思った。
 

 
 

 
 




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