2015年3月10日火曜日



苺が届いた。
 
ぐったりとした月曜日で
起き上がれずに眠ったり
ベッドの上でパソコン作業をしたりしていた。
 
重たい雨がばちばちと降ってる気配に
心も湿っていくような感じがしていた。
 
そこに真っ赤な、苺が届いて
わっと心が、明るくなった。 
 
土曜に見た東京タワーは柔らかい光で
昔はもっと真っ赤じゃなかったっけ、となおちゃんと話した。
みおちゃんの企画した研究会に参加した夜だった。
 
研究会で、それぞれの人の公共空間への取り組みや考えを聞きながら
身体障害を持つ人だったらその空間にどんな参加の仕方が出来るんだろうと
いうことをずっと考えていた。
  
 


先日、食事の席で
私が介助の仕事をしていたことを知って
近くの特別養護老人ホームで働くのはどう?と
何気なく挙げた人の言葉を聞いて
「介護の仕事はしたくない」と反射的に言葉が出た。
辞めたということは、辞めようと決めた経緯のあることなのに
できていた、という理由で、ひとは簡単に「それをすれば」
と言うんだな、と思う。

 
悪気なんてひとかけらもなく
むしろ何気ない善意だけがあるのだと感じながら。
  


「どこに行っても人間関係は色々あるよね」
と、続いた言葉に、
人間関係のいざこざで辞めたわけではない。と思ったけど
黙っていた。

自分が違う形をして、歩いていく。
 
雨がどばどばと降って
東京タワーの柔らかい赤
を思い出している。
 
 


研究会が開かれた会議室の窓は
線路に面していて、走る電車が間近に見えた。
 
身体を密着させる感覚を思い出すと
こころがかたくなる。
 
それでも、
公共空間を考える時に、それは彼女にとって快適だろうかと
思い浮かべる顔が、たくさんあって
彼女たちと出会ったという点から切り替わった、
大きな流れのなかを、たぶん、生きていて
生きていくんだろうと思う。
 




 

0 件のコメント:

コメントを投稿