2015年1月30日金曜日




お知らせが前夜になってしまいました。
明日、1月31日
稲荷山のBRIKIKKA、10周年おめでとうのマーケットが開かれます。

年末にお話をいただいて
AURORAとs-clothes-treeとして参加します。

TRUST MEという、書き続けているショートショート
短い物語というか、ある断片を
s-clothes-treeのTシャツやトレーナーに添えて
お出しします。

Tシャツとトレーナーには、
シルクスクリーンでプリントも入れました。

BRIKIKKA、おめでとう
いつもありがとう

の気持ちを込めました。かわいくできあがりました。

コラボアイテムの他に、s-clothes-treeのアイテムも並びます。

私も、あと数時間の猶予ですが…
できたら言葉のものをもうひとつ作って持って行きたいと企んでいます。
BRIKIKKAのオーナーと
「書いてる?」って、交わす会話が、とても好きだから。




「やらない?」
年末の忘年会の席で、ぽっとはなしをくれた、オーナー。

その軽やかさが、すてきだ。


そんな風に、ふっと、ひらいてくれる温かさに感謝
(そして、そういうひとが、わたしの周りには
ほんとうに、たくさんいる。と、あらためて気づく)

わたしも、そうあれるように。


雪はとけて、
11年目が始まっています。





2015年1月28日水曜日

 
 

前に読もうとして読み進められなかった本が
友人との会話の中に出てきて
その本が好きだとそのひとが言ったので
読み進めていた。

シンガポール料理の店で食事をしているときに
その本の話題が出てきた。
自分の好きな作家を
彼も好きだとその時まで知らなかったので
知って嬉しくなった。
とても辛くて美味しい麻婆豆腐を食べて
翌朝、本棚からその本を取り出して、読み始めた。

前にページを開いた時には入ってこなかった言葉が繋がって
描かれた景色が浮かんでくる。
3冊から成るその物語を
さっき読み終えた。

読んでいる途中に
本をすすめてくれたそのひとと
その日交わした会話の内容を
よく思い出していた。

物語の内容ともリンクしている感じがして
わたしにとっては
この本の物語は
友人がすすめてくれたところから始まり
彼の面影と一緒に読むことで進んでいった。

登場人物とわたしがリンクする
と、彼は言っていた。
時々そのことについて思いを巡らせた。


ひとが自分をどう見ているかって
わからないものだな、と感じる。

自分のなかのどの部分が
そのひとと交流しているか
そのひとのなかのどの部分と
自分が通じているか

そういうことなのかな、と
思いながら。
 
 

鞄の中に入れて持ち歩いたり
眠る前に読んで、そのままふとんのなかに紛れ込んだりしていたので
今、読み終えたその本はかなり、傷んでいる。


受験生のとき
1冊の参考書を、背が割れるくらい、ボロボロにした。
(その1冊だけ熱心に取り組んで、理解して
あとは志望校の過去問を解いていたのだけど、すごくいい方法だったと思う。)
その本を経験して
書店に新品で並んでいるものと
手元の本は(わたしにとって)違う存在になった。
 




書かれた内容だけで成るのではなく
読むわたしのなかで起こっていく。
本は通過するものなんだな、と、感じる。
 
 
 
 
 
昨日の夜中
雪が屋根に落ちる音を聞いた。

今日は晴れていて
いま西日が、家々の壁を染めているのを
窓から見ている。

トライフルにはいろんな意味があるのだそう。
もちろん、重なる、という意味もある。
ささやかなものが重なるって
なんだかすてきだ。



雨のあがった朝
立ち上った蒸気に光のライン
透明な雫を抱えた枝
眺めながら駅まで歩く。




昼過ぎ、雪が降りそうな白い空。

 

 

2015年1月26日月曜日

 
 
電車を降りて、改札をぬけたら、月が見える。
今夜の月は靄がかっている。
昨夜はクリアに光っていた。
 
 
Cha-tu-chaの5 days cafe
お皿にのせてくれたトライフルが美味しい。
愛さんが
「トライフルって、ささやかなという意味なんだって」
と、教えてくれた。
 
 
 
ひとはそれぞれの流れの中にいて、うつくしい。
 
 

2015年1月22日木曜日

昨年末から少しずつ
SNSの利用を減らしてきている。
 

つい、iPhoneのアプリからTwitterやFacebookを
開いて見ている自分がいたので
Twitterアカウントを消し
Facebookもアプリを削除して、
基本的にパソコンから見るのみにした。

Facebookでは、お互いに登録していても
フォローし合っていない友人もいる。
その距離感を大切にしたいと思っているから。
 


今の自分には
大切な友人の生活を、知り過ぎないことも大切な気がするし
自分の生活を、伝え過ぎないことも、大切な気がする。



あまりにも見え過ぎているような感じがあると
見えているものを見て、わかった気がしてくるけれど
それは編集されている。

見えていない部分、見せていない部分、見せられない部分に
実はたいせつな気持ちがある。
 
 
 
メールの返信は、もともと遅い方だったのが
LINEの仕組みの上で、会話のように言葉が交わされる流れに
自然と自分ものっていたけれど
それも見直すことにした。
自分の話すリズム、聞くリズムの方を大切にすることにする。
相手方も、そうあってくれたら、と願う。
 
 
 
 
 
余白の中
沈黙の中に
世界は広がっていく
 
 
そういう感覚を、思い出している。
 
 
 

 
 
 


 
 

 
 

 

2015年1月21日水曜日

 
 
大晦日に友人たちと会って
帰り道に買ったチューリップの花びらが落ちて
生き生きとしためしべとおしべがあらわれて
綺麗だと思った。
 
 
大晦日、2、3時間、駅からすぐのスターバックスで
1ヶ月後の打ち合わせをした。


それから静かな正月がきて
迷っていたけれど、友人の仕事の手伝い(という名目)で
奈良へ出掛けて帰ってきた。
あたらしいご縁と、嬉しい再会と。


東京と奈良は高速バスで。

・旅賃節約
・奈良着、発の利
をとり。

寝ていると、朝、見知らぬ土地に着いている
という感覚が好きなのだけど
その高速バスは男性が多くて
すこし緊張した。

自分より力がある他者の存在というのは
動物として結構、圧なんだなと感じる。

眠ればみんな無防備なので
眠ってしまえば
圧も消える。
 
 
 
昨日と今日がひっくりかえるような
そういうことも
人生には時々起こる。
 

ちょうど1年前に見送ったひとの顔が思い浮かんでくる。
 
 
そのひとが自分を呼び止めてくれた場所があったのだが
そのひとが亡くなったあと、そこを離れてきてしまった。
 
 
 

 
 
 
 
奈良ではいろんな人に会った。







 


奈良で再会した友人が仕事を紹介してくれた。
職人の手によるアクセサリーの販売の仕事だった。
私はアクセサリーを身につけていられないので
私ではだめだろうと思い、
思い浮かんだ友人に、またこのお仕事を紹介させてもらった。
 
 
 

 
 
 
今は少しずつ貯金が減ってきているので
転職サイトを見たりしていたのだけれど
ほんとうに、あの中から、何かを見つけるって
出来るんだろうか。
 
そんな風に思っていた時に

友人が紹介してくれた仕事は
わたし自身は断ってしまったけれど
 
彼経由であったことだけでも
とても魅力的だった。
 
 
 

 
 
 
今、わたしがさせてもらっている仕事もまた
直接の友人がくれている仕事だ。
 
 
目に見えるもの
手で触れることのできる距離から
渡されたもののなかを
届くひかりを繋いで
生きていくこと
 
 
 

 
 
 



2015年1月17日土曜日

自分のためのメモ


誰かをすごい、と思うときに
その人がすごいんじゃなくて
その人を自分はすごいと感じた。
と、感覚の居所を、手元に置いておくことが
大切だと感じる。
その人はその人。
大きくしたり、小さくしたり、
色をつけて、みないでいること。 
 
「この人はすごい」と色づけしたときに
相手にとっては、ひとつ、決めつけられたような
窮屈な感覚を、与えることもあるかもしれないし
自分側にしても、「すごい」とレッテルを貼ってしまって
ほんとうに繊細な相手の情報を、受け取り損ねるかもしれない。
 
この人を、すごいと、わたしは感じた。
「すごい」は感想。

 
人間のほうは、もっと自由というか
多様で無形。お互いに。
視点を定めてしまわぬように。
もしくは目の前の人に過去を照らし続けないでいられたら。

2015年1月14日水曜日



奈良へ出かけて、帰ってきた。

ここのところ
いろんな場所へ出かけて過ごして
帰ってきては

自分のなかで
もう関東を離れてもいいのかもしれない、
という感覚がたえず生まれてくる。
 
 

 
稲荷山は特別にいい環境だけど
公園も県が管理するようになって確実に変化してる。
いい側面もあれば
あぁ、あれもなくなってしまった。
あぁ、ここにそれを植えるのか。とか
あぁ、それをここに置くんだね。と
がっかりするようなこともたくさんある。

前はもっと、すごくすてきだったんだよ。って言いたい気持ちもあるし
丁寧に管理してくださる方々の労力の、美しさも確かにある。

だけど、変化を感じること自体が
つらい部分もある。
なにもないことが、すてきだったんだ。
 
 

 
 
目的が組み込まれたときに
失われるたくさんのこと。

目的があることで
生まれる創造的な美しさや楽しさ。
 
 

バランスが大切で

そしておのおのの、バランスのとりどころは
違っている。
 
 

 


それでもずっと暮らしてきたということは
この場所はとても、いいところでもあるんだ。きっと。
昨日の帰り道にそんな風にも思った。
 
  
 
 
 

東京は魅力的な場所だけれど
経済活動が街の流れ、人の志向をかなり引っ張っている。
経済の動きが時間になりかわっていると感じる部分がある。
やっぱり、それは、ものすごく、速いし
力はあるけど、すごく狭い。
 
その速さで繋がれるもの、生み出されるもの、
活かされるもの、たくさんのすばらしいものがあるだろう。

でも
自分ひとりに照らしたときに
やっぱり、速すぎるし、狭くなる動きがある。

そこから離れて暮らしたい。
 
違う価値観、違う時間軸で存在している場所に
生きたいという感覚が、強くなりつつある。
 
 
 
もしかしたら
ここでもそういうふうにして
暮らしていけるのかもしれない、
という思いもある。

一方で

首都圏から離れた土地のひとの在り方
土地の使われ方、に触れたときに
あぁ、こっちだな、と感じることが
重なっていく。

 

奈良へは夜行バスで出かけて
朝着いてすぐに調べていたスーパー銭湯へ向かってお風呂に入った。

お風呂からあがって、前日に買ったスコーンを食べていたら
掃除のおばさんが「ごめんなさい、持ち込みの食事はだめなの」と
声をかけてきて、スコーンをしまおうとしたら
「どこか食べられるところ…あ、あそこのはしっこの、
見えないところでだったら大丈夫だから」と言ってくれた。
 
そういう瞬間に
あぁ、もう、ぜんぜん、ちがう。と思ってしまう。
 
 
JR奈良駅からスーパー銭湯まで乗ったタクシーでは
運転手さんが
「奈良は一事が万事という調子で、きまりごとが多いから(急須の先は北へむけない、とか)奈良の者は奈良の者としか結婚できない。そういうのがいやなひとは、みんな外へ出て行きます」
と言っていて
閉鎖的な側面も、ものすごくあるのだろうということも
置きつつ。

 

 

2015年1月7日水曜日

2015年の生き方



生きることを
むずかしくしていくのをやめようと思う気持ちが
心の中に置かれていた。

大晦日に買って帰ったチューリップの
硬かった蕾が、ほどけてふくらんできている。




持ちすぎていたものを手放した。

パソコンはいつでも触れる机の上に置いていたけれど
今は使うときに出して、
使わない時にはキャスターをつけた板にのせ
布をかけて、部屋の隅に片付ける。

携帯もあまり見なくなった。




お正月、親戚の集まる場所が嫌いなので
(苦手、ではなくて、きらいだと思う)
新年会へは行かない。
でも祖母には年賀状を出したし
墓参りへも行った。



それで静かな年越しになって
ふと思ったいくつかのこと。



ひとつは、決めていく。ということ。
うまくいかなかったら、とか
続かなかったら、とか
間違っていたら…と、選択を保留にしないで
ひとつひとつ決めて経験していくということ。


それから
できることをする。ということ。

たとえ未知のことでも
こころとからだが進めるならそれは
できること。
じぶんにとって見当違いな
できないことをしようとするのを、やめること。
たとえば、見栄のようなものによって
自分が動かされていないか、チェックする。
正直でいること。



それから
じぶんの
目の前にやってきたことを信頼すること。
もっと他に何かがあるんじゃないか、
もっと何か違うことをしないといけないんじゃないか、
という気持ちを
いちどおろすこと。
ささやかなことを丁寧に積み重ねること。



そういうことを
思っていた。
朝起きるごとに、自然と胸にそれらの思いが落ちていたので
そんな風に、暮らしてみたい。



祈ることや
沈黙の時間や
みえないこととも
再び繋がって生きて行きたい。



夕方の橋を渡ることとか
朝の匂いをかぐとか

そういうことをまた、たのしもう。



空を見にでかけたり、
近所に飲みにでかけたり
友だちに手紙を書いたり


ささやかなことを丁寧に積み重ねるようにして
積み重ねたぜんぶがばーんとひっくり返っても
またゆっくり、ひとつずつ飽きずに楽しんで
重ねていけるような心持ちで。

星空の下の草原にいるみたいに