2015年9月30日水曜日



気がつくと、とーんと忙しくて
ずいぶんと、体がかたまっているなぁと
思った、連休初日。
 
 
夕方から、家を出て
Sぽんに段ボールを届けたあと
電車に乗って
じゅんちゃんとごはんを食べに行く。
 
ずいぶんと久しぶりだったから
じゅんちゃんの姿が見えたとき、
嬉しさと一緒に、なんだか照れたような
やわらかいぎこちなさが心に芽生えて
思わず手をのばして、握手してしまった。
 
歩いているうちに
ふーっと
ふーっと
リズムができていく。
 
 
じゅんちゃんの、生命のかたちが
わたしはすきで
 
ごはんを食べてのんびり話したあと
ふっと
「じゅんちゃんに会えてよかったなぁ…」と、
言葉がでた。
 
じゅんちゃんは、今日のことを、言っていると
思ったかもしれないけれど
そのとき、わたしの心からでてきたのは
「じゅんちゃんと出会えて、よかったなぁ」
という、人生スパンの
感嘆だった。
 
 
 
すこし寄り道して、井の頭公園の池を渡るとき
うらさんとボートに乗ったことを思い出した。

街灯のあかりが、池に照るのをみて、
わかこさんに、ずっと出していない、手紙を出そうと思った。
 
 
 
 
中央線に乗りながら
やっこちゃんはもしかしたら
いまこのそばに、暮らしているのかな。
と、思ったりする。
 
 
 
ふと、いろんな、顔が
思い浮かぶ。
 
 

電車を乗り換えながら地元の駅について
電話をかけたら、月が明るかった。
 
 
「あかんで、って、言うんだねぇ
 やわらかいことばでうらやましい」
 
と話したら
 
「なおちゃんの言葉が、方言かもよ」
 
と、言われた。
 
 



2015年9月28日月曜日



あらしのように週末が過ぎ去った

 
 
関西弁のイントネーションは
やわらかいなぁと思って
おもしろいなと思う
 
電話口で聞く声
耳すませながら
「…やなぁ」って本当に言うんだなぁと思っていた
 
介助の仕事をしていたとき、
ことばが強くならないように、
自然とイントネーションが変わっていった
 
発生するはじまりの声を、ちいさく話しだす癖がついた
 
じぶんの声が、相手のうごきや想いを、とめてしまわないように
 
 
もともとの生まれたことばが
やわらかいひとたちが、うらやましい
 
 
わたしはわたしの、ことばを
みつけている途中なのかもしれない

 

2015年9月24日木曜日

今、出来上がりました…!

chamitが今日で1周年を迎えました。

chamitはCha-tu-chaに寄り添うちいさなお店、onlineのお店です。→

お祝いとして
今日、9月24日から30日までにお買い物いただいたお客様に
(30日までに、ご入金の確認ができたお客様に)
card setのプレゼントがあります。
 

card set、作らせていただきました。
いいの出来ちゃったなぁ〜と、思っています。
 
今までイベントで冊子を作らせていただいた時や
Cha-tu-chaでなおみの部屋という企画をさせていただいた時に
いつも
「偶然、そのひとのもとにやってくる言葉」というあそびを
ちょっと、大切にしていて
おみくじのように、ランダムに、ひとつの言葉が誰かのところへいくようなこと
していたのだけれど
 
今回も、そういうあそびを
含んでいるから
 
届くひとにはひとつ、他のひとには届かない
そのひとのもとにだけ届いた言葉
というのが
入っています。
 
chamitは
実店舗Cha-tu-chaと同じように
わくわくする、素敵なお店です。
 
 
ぜひ、のぞいて
心惹かれるものがあれば
お買い物、してみてください。
 

chamit
お誕生日おめでとう

2015年9月20日日曜日





「はい」も「いいえ」も
おなじことば

どちらがいいとか
どちらを言わなきゃいけない
なんて、きっとないから
 
どっちも
同じ声で
わたしの口から
きっと、言って、いいんだ。
 

2015年9月18日金曜日


数日前に生まれたもやもやが
なかなか消えずに
今朝起きたときもいちばんに心にあったので
ノートに気持ちを書き出した。
 
自分が、なんて思っているか
聞いてあげないと
ずっともやもやと何か、話したがってる
ままなのだなと思った。
 
心に場所をつくって、あげないと。
 
 
 
 
ひととの間のことで
「相手が気分悪くするかもしれないな」と思って
何も言わずに受け入れたことがあったのだけれど
 
受け入れたわたしの奥で、わたし自身が、いい気持ちでいられなかった。
 
相手が気分を悪くしないように、と行動を選んだとき
わたしは
気分を悪くしているわたしのことを、無視していた。
 
その時黙っていた、心の奥のわたしが
「あのとき、すごくいやだったよ」と
ずっと話しかけてきているんだ

そう思って

ノートに気持ちを書きだしながら
隠れていたわたしの顔をみた。
 
 
気持ちを書きつらねた隣に、

わたしがまず、わたしの味方になる
 

書いた。
 
 
心の奥でなにかが、ふっとゆるんだ感じがした。



2015年9月16日水曜日


秋の音がする。
昨日の朝、風があまくて、
ふと気づくと近くに、金木犀の木があった。
 
 
不動産サイトで気になっていた部屋の住所をgoogle mapに入れると、
川と小学校の近くだった。
画面に川が見えただけで、ぐっと気持ちが引き寄せられる。

もうひとつ、気になっていた部屋の住所も、試しに検索すると
街のなかで、こころが、ふっと離れる。
 
そういうことなんだな、と思う。
それを頼りにすればいいんだ。
 
 
 

携帯ケースに貼ったステッカー

ふと手にとるたび、目に入るスヌーピーとチャーリーブラウンは
じぶんの、ちいさな味方。
 
ささやかなまじないを
重ねてじぶんを組み立て、ほどき、運んでいく。
 
 
 
今朝ふと、
20代の頃に受けたヒプノセラピーのことを思い出す。
さめた頭で夢をみるみたいに、いくつかの「過去生」といわれる映像をみた。
自分がつくりだした夢なのかもしれないと
今でも思っているけど。
「あなたには前世がない。初めて生まれてきた魂だ」と言われたこともあれば
「ものすごくたくさん、転生を繰り返してきた、魂」と言われたこともある。
 
ほんとうのことはわからないし
わからなくていいけれど

「過去生」としてみた、自分の風景が
今朝ふとまた、あたまの中で再生されて

こころがひろくなった。

この生って、なんだろう、と
鏡の前の自分をみたら

ドラマが外れた。
 
 


2015年9月15日火曜日


顔が下むいてるな、と思って
きゅっと、眉毛をあげて目を開いてみる。
そうすると
胸に風が入る。
 
一瞬。
 
 
忙しい毎日で、心を置いてとりかかりたいことほど
遠くなっている。
 
でも、「目処をつけて」と話していた
「目処」がついた。
 
ノートに書く。今日感じたちいさな気持ち。
すこしだけ進んだ計画。
 
携帯のメモと
無地のノートとに。
 
へとへとになって、気づいたら毎晩眠ってしまっているので
そのちいさい記録と、ささやかな、チェック入りのto doが
寝落ちする自分から、明日の自分に手渡せる、自分なりの前進。
 
 
心を、ちゃんと
持っていく。
 
 
 
 
 
携帯電話のカバーに
チャーリーブラウンとスヌーピーの
小さなステッカーを貼った。
 

2015年9月14日月曜日


夜中
音のとおりがよいのは
秋になっているから


今朝、彼岸花が
咲いているのをみた
 
 
 

2015年9月9日水曜日


目覚まし時計をかけないで
たくさん眠って
元気になった




7月の展示からずっと預かってもらっていた
絵などを受け取りにCha-tu-chaへ。
ふらりとお店へも遊びに行きたいところだった。
 
ずっと、欲しいな、と思っていた
山桜のコーヒーメジャースプーンを買う。
夏、がんばった自分に。というわけではなかったけれど
こうして書いたら、なんだかすこし
心があたたかくなった。
だから、そういうことにしよう。
 




家に帰って、いろいろやりたいことがある
と思うも
からだが休まろうとしているので
そのまま横になって
本を読んだり、そのまま眠ったりしていた。
 
本屋へ行きたい…という気持ちが夜になっても残っていたので
雨の中TSUTAYAへ。
怠っていたカードの更新をする。

 
家に帰って
のんちゃんが丁寧に包んでくれた搬出物から
紙粘土で作った置物をひとつ取り出して
部屋に置いた。
 

 

2015年9月6日日曜日


昼食は
ゆかりをまぶした梅干しおむすびと
コロッケを食べた。
 
社食の厨房のなかの、誰もが手際よく
働き者だ。
からだに仕事が染みついた様子のおじさんとおばさんの中に
若い女の子が、ひとりいて
その女の子の纏う空気は、
仕事とからだのあいだに、まだすこし距離があって、
やわらかい感じがする。



いつもとすこし、違うことをして帰ろう
と思って
ドトールへ立ち寄り
本を1冊、読み終える。
 
 

 
やわらかい夜風がふいてくる。
とおくからきて、
とおくへ流れていく風だ。
 
秋は空がちかい。空のむこうも近い。
 


2015年9月5日土曜日


ゆかりをまぶしたお米に、梅干しつつんで
おむすびにして持って行った。
 
社食でコロッケを買おうと思っていたけれど
休憩をとる時間が遅れて社食が閉まっていたから
スーパーでアイスクリームを買った。
 
おむすびと、アイスの糖質ダンスだけれど
凝ったものが、今はからだに入っていかない。
 
おむすびは簡単だけど
力が落ちているときでも、口に運ぶことができて
それから、じん、と
からだを支えてくれるのがわかる。
 
コンビニのおむすびじゃなくて、
誰かがにぎったものでもなくて、
自分でにぎった、おむすびが、こういうとき、効果がある。
 
たぶん、じぶんのために、ちゃんとこしらえる。
ということが
じぶん自身に、力を与えているのだと思う。
 
 
 
オリンピックのエンブレムのニュースを見ると、心がふさぐ。
いちばん、恥ずかしいのは
浅はかに、たたいて、撤回させた、名前のない、この国の空気だ。
そう思った。
そう思うとまた、くやしく、かなしい。


すこし想像すれば
丸も、丸とシンクロする、曲線の切り抜き方も、理にかなっていて
理にかなってシンプルになるほど、どこかで誰かが考えたことと
重なることもあると、考えられるし

自分の名前で、あんな大きな仕事を請け負って
(大小は、関係ないと思うけど)
誰かのデザインを真似して使うなんて、つまらないこと
ものをつくる人間だったら、しないって、わかる。


ひとの何倍、何十倍、もしかしたら、何百倍、だ。
それくらいの、努力をしてきたはず。
積み重ねてきたはず。

 
 
雑に眺めて批判だけできるように報じられるニュースが
3年後、世界から消えていますように。
 
 
 
 
夜、街路樹の百日紅の花に手をのばした。
ふわりとやわらかい、花びらの感触。
 
 




2015年9月4日金曜日

 
 
夏の疲れで、食欲がなく
朝はすこしヘロヘロとしながら仕事先へ向かうも
帰り道、元気になっていた。
 
ひとと会って、話したからだな

思った。
 
「あなたはやさしいね」と言ってくれた人がいて
その人から、ちからをもらったんだ。
 
「こどもはいるの?」と話しかけられたので
「なかなかできないんです」と答えた。
 
年齢の話から
結婚していることは、そのひとの中で前提だったみたいだから
してないんです、とわざわざ言わなくてもいいか、と思って
話を続けた。

「ぼくたちもなかなかできなくて、高麗神社へお願いしに行ったらできたよ
 子育ての神さまじゃなくて、出世の神さまなんだけどね」

「そうしたら、今度行ってみようかな」
 
「焦らなくていいよ。気持ちの問題もあるから、リラックスして、ふたりで温泉でもいったらいいよ」

「そうですね。でも、どっちでもいいなって、思ってるんです」

「いる人生も、いない人生も、いいよ。育てるというのは、また大変だから。大変だけど、それが喜びでもあって。育てる存在があるというのは、いいよ」
 
 
なんとなく心に残った。

「あなたはやさしいね」と言って、その人はその場を離れた。
 
 
 
やさしいひとになりたい、と
ずっと思っていたなぁと思い出す。

自分はじぶんの心の意地悪な部分も
くらいところも知っているから、なんともそれだけじゃないと
思うけど
 
あのひとがそう言ってくれたということは
夢が叶ったのかもしれない。
 
ある部分で。ときどきは、そうあれるくらいに。
 
 
 
また夢をみた。
大学時代の後輩が出てきて
誰かのおみやげのおまんじゅうの包みを
一緒にひらいていた。

2度目の夢のなかでは
ヨーロッパへ旅行中の友人たちの家へ行き
窓をあけ、床を水拭きした。
上の階に住む友人もやってきて、洗濯物をほした。
 
風が吹いていて
わたしは行かないと、と思って
窓から空を飛んで、出ていくのだった。
 

 
 



2015年9月3日木曜日



描きたい絵があるのだけれど
どうもうまく、描くことができなくて
ずっと抱えている

一部を描き直す、ということでいいはずなのだけれど
全体を描き直さないと、バランスがとれないのかもしれない

いろんなものが
響き合いのなか
 
今日は帰宅したら、しっかり描こう
一部、というのがどうしても無理そうなら
全体を直す気構えで描いてみよう。
 
 
 
 
へんな時間に、眠ったり起きたりしていた生活も
直そう。夜はベッドで眠ろう。

 
季節が変わり始めて
勢いだけで乗り越えていたときに、無理していた部分が
きちんとやってきた。
 
つらいなぁ、と思うけれど
このひと夏分を、夏の終わりにかえしてくれる
代謝のよさは、ありがたい。
 
小さな澱を、丁寧に洗えば、それだけで澄む。
元気になろう。
 



夢を見た。
柔らかくて、いい夢だった。
 
9月に入っている。

2015年9月2日水曜日



evernote :
あめ。まっすぐあるく。感情に浸らず、うしろをみたら、意識して、前へ。まえよ。
 
 


 
この間、古本屋さんで見つけた
『世界を変えるSHIEN学 力を引き出し合う働きかた』を
読みすすめている。
ことばがやわらかくて、書かれている内容もすっと入ってくるので
読んでいて面白い。
 
携帯電話にも初めて電子書籍を入れた。
三砂ちづるさんのエッセイをダウンロードして、
夜眠る前に少しずつ読む。
 




 
 
 
『前をみなさい。うしろ見ても、どうしようもないから』

と、私より40年、長く生きているそのひとはふいに言った。
わたしは朝、
evernoteに書き込んだことを思い出す。


思考の流れは癖のついた場所を、通っていくから

振り返ることが好きな私の思考は
ついうしろに向かって流れていく。
見つめて浸るのもいいけれど
いい加減にしないと、どこへも行けなくなるから
思考の流れがうしろを目指した瞬間に
「前よ」と、意識して
流れをぐいっと動かす。
 
しばらくしているうちにきっと癖づいて
まるめがちだった背中も、
すっとのびているだろう。
 
 
 





 



2015年9月1日火曜日


派遣先で自動ドアの電源を切る時
高い位置にある電源を落とすために、引っ張る紐が
昨夜ふいに切れた。

強い力で引っ張ったわけでもなくて
毎日毎日、電源を入れて切る、1日2回を重ねて傷んでいた紐が
昨日のその時に、たまたま切れた。
 
 
手帳を見たら満月で、
「満月だよ」とラインのメッセージに添えたら
「満月で大安だよ」と
返事がくる。
 
 
満月の日に飛び立ったキキ
木にぶつかるたびになる鈴の音
 
何かが自然なちからで
解かれた感じがした。
 
 
 
行く前は知らない
これから先のことを
いつも





 
evernoteには書き込まなかったけれど
頭の中に書き込んだことを
今日の帰り道に反芻して歩いた。
 
昨日の通勤時、まっすぐな道を歩いている時に思い浮かんだこと。

「全部とおりすぎていく」
「とおりすぎていくだけ」
ということ。



歩いていれば、かならず駅に着く。

うれしい気持ちでも
かなしい気持ちでも
どんな気持ちで歩いていても

歩いていれば駅に着いて、電車に乗れば景色が変わる。

景色が変われば心も変わっていく。

それが起こるなんて、知らなかったことが
ささやかに積み重なり、
会うなんて知らなかった人と出会い、
帰宅して眠り、また翌朝がくる。

景色も、心も、
どんどん変わっていく。
 
 
長くいても、仕方ない場所がある。
見つめ続けても、解消されない感情もある。
そんな場所や感情に触れた時こそ
つい足をとめそうになるけれど
(とまっても、沈んでいくだけ)ということを
経験が教えてくれる。

気持ちは流れるままにして
足もとめないで
とおりすぎていけばいいんだ。