2016年12月27日火曜日

喫茶tayu-tau

とても不思議な場所です。
四天王寺のときも
いま、一身田のあたらしいお店でも

ひーちゃん、まこっちゃんと
一緒に働くスタッフが加わっても

久しぶりでも

なんでか「ただいま」という気持ちになるところ。

 
ひとつひとつのささやかなことを
自分たちらしく、と、見つめて紡ぐ
その姿に何度でもぐっとなり

おおらかな優しさにふっとほどける。


大切なお仕事をさせていただきました。http://bit.ly/2hoHBge

喫茶tayu-tau ホームページ http://tayu-tau.jp



2016年12月15日木曜日


 
きのうの帰り道
空を見上げたら月が真上にあって
しろく光って明るかった。
 


2016年12月6日火曜日

土曜日の絵のワークショップでは

描くことと
感じていることを表現するためのことばの見つけ方に
あらためて触れていく感じがあって
 
とてもたのしかった。
 
 
たくさんの人の絵に触れられたこともよかった。
そして、いろんな人の声が聞けた。
 
絵描きの方の佇まいもすてきで
またふっと、ファンになった。
 
 
 
午後からヘルパーの実習先で今度はワークショップがあった。
 
マッピング、というワークのなかで
床面に縦軸と横軸をひいて、
縦軸は「出来事の線」
壁側へいくほど「起こる出来事がいいことばかり」
窓側へいくほど「起こる出来事はわるいことばかり」
横軸は「気持ちの線」
奥側へいくほど「最低最悪」
入り口側へいくほど「最高天国」
として、
自分はどこにいるか立ってみる。
 
 
わたしは
出来事のほとんどはいいこと、気持ちは真ん中よりも最低より。
のところだった。
 
他のひとはみんな、気持ちは真ん中よりも最高よりの位置にいた。
 
ファシリテーターをしていた仁美ちゃんにインタビューをされる。
「この位置はどんなかんじですか?」
 
「起こっている出来事はいいことばかりで、」
話しながら涙が出てくる。
「絵のワークショップ出て気持ちがひらいているので。今、関東から戻ったばかりでホームシックなんです。ちょうど引っ越してきて1年で、本当にいい職場で働けているし、やりたいと思っていたことも気づけばできていたりする。いいことばっかり起こっているような気がする。でも、気持ちが追いついていない」

話しながら自分の居所がすこしわかった。
 
全然、気持ちが追いついていないのだ。
 
 
ヘルパーの仕事も、もっと入って欲しい感じを受けていて
いろんな人が会いたい、と言ってくれていて、
その全部がうれしいようで
どんどん自分のスペースがなくなってつぶれそうだった。
 
ちゃんと見えているように見えるかもしれないけれど
全然ちゃんとできていないし
やさしく見えるかもしれないけれど
やさしいわけじゃない。
 
 
 
 
研修を終えて仁美ちゃんと帰る。
仁美ちゃんが寄る場所があるというので途中で別れた。
 
疲れていたけど、人酔いしそうだったので
電車をさけて大阪駅から歩いて帰ることにした。
 
ずっと川沿いを歩きながら
狭山にいるときはたくさん歩いていたけれど
こっちに来てから、あまり歩いていなかったな、と思った。
 
中之島バンクスを歩いていると
パタゴニアがあって、
入り口をのぞいてみたら知り合いがいた。
目が合って、手をふったけど
ぱっと視線がはずれて彼は仕事にもどっていった。
 
ニット帽にマスクをしている私が、誰かわからなかったのだと思うし
こちらからは店内が明るく見えるけど
中から外は、暗くてよく見えなかっただろう。
 
「いつも私の前にいるときの彼」ではない知人の姿が新鮮だった。
 
 
もっと歩こう、と思った。

 

 
 

2016年12月4日日曜日

1枚のハンカチから、
心惹かれるようになった絵描きさんのアトリエに
絵のワークショップに参加するべく出かけた。

靭公園はイチョウが綺麗。
すこし遅刻してしまいそうなので
早足で向かう。

急ぎ足のドキドキと
初めての場所への緊張感でドキドキと席につくと
絵描きの彼女は、ミントが香るお茶を
とぽとぽと大きな鉢からおぼんの上の小さな湯のみたちに
注いでいった。
たーっと注ぎながら
おぼんの中にもこぼれていく、そのおおらかさに心がほっとし
お茶を飲んだらからだも緩んだ。



絵のワークショップは
だんだんと感覚がひらいていくようにすすんでいって
本当におもしろかった。

好きな2色でさっと水彩をひいたとき
ピンクと群青を選んでいる自分がいて
ふっと、幼稚園の頃の自分が浮き上がった。
 
 
小さな頃、
水色とピンクを使って
(色鉛筆の色数が増えたときは、水色が群青に変わったりもした)

ピンクでさーっと色をぬってから
グラデーションをつけて水色を重ねて
やがて水色だけをぬる。

この色合わせがすごく好きで

いつもただこの2色で
グラデーションをつくって色ぬりしていた。


ちいさな自分が浮き上がってきて姿が見えたとき
なんだかちょっと、じんときて、涙がでそうになった。



音も色も
絵描きさんの言っていたように
記憶と繋がっている。



2016年12月2日金曜日


大阪に戻ってきた。
東京では、本当にいろんなひとがお芋を買いに来てくれて
さらには、1週間の催事出店を手伝ってももらった。
本当にありがとうございました。





大阪に戻ってきて、はじめの数日は
海に入るときみたいな感じで、
すこし冷たい感じがします。

ひとりで寝起きするのもなんだかすこし寂しいです。


 
帰省前に、
前のマンションのひとの視線がずれない事件があって
ベランダの塀にからだを隠しながら洗濯物をほしていたけれど
なんで、何もないのに、こんなにおどおどしているんだ、と思って
勝手に隠れるのをやめようと思った。


それでも、物干にふっとかけた布が、ちょうど目隠しになったので
そのままそこに、
布を1枚、かけておくことにした。




吉祥寺でごはんを食べていたとき
「なおちゃん、こっち(埼玉)に戻りたいんちゃうん?」と
聞かれたとき、
「まだ帰れない」
と、すぐに答えた自分を見つけた。
「まだ何もしていない」
 
自分が西に住むのか
東に戻るのか、それとも全然違うところに行くのか
わからないけれど
自分が今いる場所がどこかを
自分は知ってる。
 
 
なのに戻ってきて
どうしてか今回は
いつもより寂しさがある。
 
夜、事務所にひとりでいたら
つーつー涙が出てきたので、そのまま泣いた。

泣き止んでメールの返信をうっていると仁美ちゃんが帰ってきて
「さむ!」と言って、冷たい手を私の頬にあててきた。
わたしのリアクションが薄いからか
「元気ないな」と、仁美ちゃんが言って
「寂しいんだ、ホームシック」とこたえたら
ハグしてきてくれた。

 

2016年11月24日木曜日

今日ベランダで洗濯物をほしていて
ぱっと顔をあげたら
向かいのマンションのひとがこちらを見ていた。
 
目があっているのに目をそらさないので
視力が悪いのかな、と思ったけれど
なんだかこわくて、ドキドキとした。
 
 
ひとの眼差しはよくもわるくも、力があるし
相手の存在がわからないことは、こわい。
想像が走って事実を飛び越えていくから。
 
 
窓をそそくさとしめる。
心が小さくなったので
ゆっくり呼吸をいれる。
涙が出そうになるから、
目があっているそれだけのことなのに
本当にこわさを感じていた自分に気づく。
ふと思いつた、ホ・オ・ポノポノをしてみる。
 
勝手にこわがって申し訳ないが、
あまりにもじっと、視線がはずされなかったので。

 
もうすぐ1年経つ部屋。
大阪に来ることを受け入れてくれた部屋。
こんな小さなひと場面で、引っ越したい気持ちがまた揺れる。
 

 
でも、どこに行くっていうんだろう。
 


 


2016年11月23日水曜日


昨日の日中は薄手のカーディガンを着ていれば充分なくらい暖かかったのに
今日は急に寒くなった。

夕方に介助の仕事を終えて帰宅してから
夜にずっと溜めていた仕事をしながら
気づくと0時を越えている。

時間がどこかへいってしまうような
そんな毎日が過ぎている。

やっぱり遅くまで仕事をしていた仁美ちゃんと
話しながら、仁美ちゃんの家の前まで。
仁美ちゃんの反応が面白いので、
ついちょっかいを出してしまう。
こんな言い方をしたらどんな反応するかな、
と、ニヤニヤとつつきたくなる。

仁美ちゃんと一緒に場をつくる仕事が重なっていて
仁美ちゃんというひとを、浴びるように感じる機会も重なる。

少し前に、事務所でちょっとうたた寝と横になっているとき
寒かったので近くにきた仁美ちゃんに
「毛布をかけて」と頼んだ。

仁美ちゃんは毛布をかけたあと、足下が寒そうだ、ともう一枚さらに重ねて
ふわっとわたしの足下を包んだ。

そのときに「仁美ちゃんに飼われている動物の気持ち」が
わたしにはよくわかった。(仁美ちゃんは亀ややもりや鳩を飼っている)
無垢な気持ちで大切にされる。
毛布をかけたら走ってまた遊びにいってしまう。

一瞬の真実みたいなものが仁美ちゃんにはある。

わたしは、見返りを求めたり
意地悪にこころをくだいたり、人の裏をみてしまったり
けっこうなあざとさが自分にあるのを知っているから
仁美ちゃんに憧れる。
涙がでそうなくらい。
あんな風には、なれない。

そうして時々、意地悪につついてみる。
仁美ちゃんがこっちを見てくれるので。
 


仁美ちゃんと別れてから
びゅん、と自転車を漕いで帰った。
 
夜には寒くなっていたから
事務所に置いていたちいさいブランケットをマントみたいに羽織っていて
商店街を走り抜けるのは人通りが少ないとはいえ
すこし恥ずかしかった。
 


今日の午前中は久しぶりにすこし家にいられたので
ずっとやりたかった浄水ポットのカートリッジの交換をした。
それから、壊れてしまった家電製品が
「燃えないゴミ」の分類にあたるとわかったので処分することにした。

なんだかわからないけれど気が急いていて
ごはんを食べていてもかきこむように口に入れてしまう。
前のめりで走っている気持ちだ。
 
部屋にものが増えすぎたから
ちゃんと整理したい気持ちでずっといる。
気にかかることがたくさんあって、気がそぞろなせいで
焦っているのかもしれない。
1日たっぷり、何もしないで、眠りたい。
夢中だからあっという間なのだけど
笑ってしまうくらいに、はやすぎて
自分の走ったあとが散らかっている。





鉢が小さくなりすぎたモンステラのことも気にかかっていたけど
先日、夜中にごそごそと大きな鉢にいれかえた。
ひとつひとつ。


小さな鉢にぎゅうっと根をはって、
あまりかまってあげられなかったモンステラは
日の光を求めて、なんだかへんな風にからだをのばしていた。

植物はとっても素直で
目をかけないと、どこか気持ち悪いかたちになっていく。
 
ごめんよ、と思いながら鉢をいれかえて
広がった茎を麻ひもですこしまとめて
ちょこっとだけ選定する。
それでもどこかわびしくて、すーすーとみじめな感じがあったけれど

ひと晩たってみてみると、すっと落ち着いて
素直なかおをしていた。

その健やかさに、はっとした。


今日、23日から29日まで
吉祥寺のアトレで、大阪から蜜香屋が焼き芋を売りにいっています。

大阪へ来てすぐ、友人に紹介してもらって働き始めた蜜香屋。
フェンスワークスの仕事や、介助の仕事のこともわかってくれていて
今も週に1度くらいだけだけど、働いている。


蜜香屋のひとたちのことが、とても好きになった。

そこにいるひとたちとの間で
できることを探していく、そういう在り方が
蜜香屋にはあって
はたらいているひとりひとりが、
一緒に働くひとのことを大切にしている。



有機体みたいな、お店だ。
 
 
 
有機体といえばフェンスワークスもそうで

いま介助で関わらせてもらっている、ココからっとの姿勢もそうだと思う。



こう書き連ねながら
なんだかわからないまま大阪にきたけど
なにかがものすごいかたちで
いま報われているような気がした。
 

2016年11月22日火曜日

 
なんだか、日めくりカレンダーを
高速でめくっているような気分で
日々が過ぎていく。

 
ふと気づくと紅葉していて
きれい。
 

2016年11月1日火曜日

今朝、目覚ましをかけたけれど
なかなか起きられなくて
はじめて、自分が疲れていることに気がつく。
 
からだの疲れに気づかなかったのは
こころは満ちていて、動いているから。
 
毎日、色んなことがある。
 
週末やってきたさとのちゃんが
昨日、東京へ帰る前、バイバイしたあと
なんだか涙がこみあげてきた。
 
どうしてかまだ言葉にならない。
言葉になるよりも先に、
何かを感じている心があって、うわっと涙になった。

晴れ晴れしい、別れ際の笑顔。
 



日曜日の夜、
さとのちゃんと聡くんとげんちゃんと
ラーメン屋さんでラーメンを食べているときに
有線から「モーニングコーヒー」が流れてきたのがすごく入ってきて
なんだか感動してしまった。

とってもいびつで、生々しくて、
一生懸命。
なんだか泣けてくる。
 
さとのちゃんも「よかった」と言っていたので、
その後youtubeでふたりで動画を見たりしていた。




思い通りにはならない。
思いを越えたことばかりが起こる。
 

久しぶりに聴いたグレイプバインがかっこよかった。




2016年10月18日火曜日


 
徳島のすだちをいただいて
お湯に割って事務所で飲んでいる。
はじめは、はちみつがあればな、と思ったけれど
ただお湯に割っただけで、おいしい。
酸味がつん、とこない。まろやかですっとしている。
 
 
銀行まで聡くんと歩く。
最近ひらいた「介護と医療に関わる人とすわる円坐」の話を聞いてもらう。
歩けば、緑。
同じ道ばかりを最近行き来していたけれど
公園のそばをまわれば、金木犀の香りがここでもちゃんとすると知った。
 
介護と医療に関わる人とすわる円坐、という呼びかけで
そこに携わっていたり、関心をもっているひとで
平日3時間、先週の土曜日に1日、円になってすわる場をひらいた。
 
 
「話す場所がほしい」「話す場所がひつようだと思う」という声が
重なって聞こえてくる。
自分自身もずっとそう思っていた。
やっぱりそうなんだ。
 
ひとりの胸にうけとめて、ひとりで帰っていく。
その繰り返しで疲れていってしまう。
「思いのある人ほどやめていく」と、みんな言う。
 
思いがあって、それを話せずにひとりで抱えていく人が、やめていくんだ。

「いのちの電話」の西原由記子さんが
西村佳哲さんの著書『かかわり方のまなび方』のなかで
西村さんのインタビューにこう応えている。

・・・・

—かかってくる電話には、一人で応じるんですか?

西原 いいえ。存在を一人で丸抱えするなんて出来ません。一〜二名が後ろで一緒に聴くんです。一人だとのめり込まざるを得なくて、共倒れしやすい。

『かかわり方のまなび方』西村佳哲/筑摩書房(P 011)

・・・・

ずっと心に残っていて
円坐のあいだも何度も思い浮かんできた。

場の守人、はなしを聴きつづける役割を仁美ちゃんがして
わたしは申込受付や会場作りの事務方をして、ふたりで始めた企画。
来てくれる人がいて、生き物のようにすこしずつ息をしだす。

仁美ちゃんにも色んな動きがあるみたい。

ひとの声をきいて
自分の声をきいて はなして
手足を動かしただけ
景色はかわっていく。
 
この場を、続けていきたい、と 今、思っている。
 
 
 
 
先延ばしにしていた役所の手続きをすませにいく。
役所の若い男の子がわからないところを丁寧に教えてくれる。
近所のお兄ちゃん、というかんじで、普通にやさしくて、なんだかほっとした。
 
社会的なことが、本当に苦手だ。
役所の手続き、お金の管理とそのやりとり。時間の組み立て方。
でもやる必要がある。
いまさらだけど、生きていくために。
 
「誰かに傾倒しているあいだ、自分の人生がとまっちゃうんだ」
 
昨日、ごはんを一緒に食べた女性から聞いたことば。
 
 
 

じぶんの時間を、すすめるということ。
すすむということ。
 
そこでこそ、ひとにも会えるし
しらなかった光景がたちあがっていく。

 




2016年10月17日月曜日

 
 
先日の木曜日、
介助の仕事の前に用事があって佐田さんに電話すると
「なおちゃん、明日うちに来るって聞いてるけど」と言われる。

それを聞いてがおさんに連絡すると
「いえーす」とラインの返事があった。


翌日、朝8時に梅田に集合して、
(でも結局9時出発になって)
蜜香屋のみんなで佐田さんの家へ行った。

佐田さんの家づくりにも関わった
篠山の左官屋さん、藤田さんが
日乾しレンガのつくり方を教えてくれるとのことで
もうすぐ中崎町にオープン予定の蜜香屋カフェの外装につかうレンガを
みんなで作ることになった。


土と藁と水を、藤田さんが混ぜていく。
これに太陽と。
なんでもここから、出来ていくのだな…という実感が涌いてくる。

頭の中やをずいぶんとぐるぐる歩き回ったり
気持ちの波をぐんぐんとうけているようなところにいたから
土を踏んで、空が広くて
自分たちの建物を自分たちでつくろうとしているシンプルさや
レンガの素材のシンプルさに
色んなものが落ちていく感じがした。
 
 
篠山は野花が綺麗で
帰りにすこしもらっていきたいと思ったけど
きっと摘んで帰るまでの間にしおれてしまうだろうと思った。



 一生懸命レンガの成形をして
200個近くのレンガができたら
みんなでバンに乗って、また梅田へ向かう。
 
道が混んでいたので
お店の休憩まわしに間に合わない、と
途中でがおさんとおかぴが電車で向かうと車を降りる。
カイトくんも用事があると行って一緒に降りた。

わたしは土地勘がなくて現在地がどこなのかわからず
梅田まで車で乗せていってもらうことにした。


最近はお芋屋さんのシフトがあまり入っていなかったので
運転している石山さんと会うのも本当に久しぶりだった。

大阪に来たばかりのときは
お芋屋さんの搬入の時に車に乗せてもらったりして
たくさん話した時期があったのが、すこし離れた感じがしていたので
ひさしぶりに話す機会がもててよかったな、と思いながら
近況を交わしたりしていた。

石山さんの話を聞いているときに
石山さんから
「入ってこないで。これは俺の領域やから」
と言われる。

「入ってませんよ」
「さっき、入っていってしまう、と言ってたから」
「入れませんよ」

 
わたしは境界線を引くのがあまり得意じゃないから
ひとの話に入っていってしまって、自分がわからなくなることがあった
でも、それだとだめなんだ、
 
とわたしが話していた、前の話題からの流れでだった。
 
 
石山さんの話を一生懸命きいても
同じ気持ちにはなれないんだな、と思っていた時に
ふっと言われた。
 
 
聡くんに
「思いを寄せること」は「自分のままでいること」
だと言われたことば
 
あれは、ほんとうに、ほんとうに、そうなのかもしれない。
 
聞いても、聞いても
「同じ気持ちにはなれない」ということを知ることになる。
 
いるのは自分と
それを話している相手だ。
 
でも相手をわかりたかったり、理解したいかんじがあるから
同じものをみたり、感じたいと思って、ぐっと近づいていく。

でも本当に相手の感覚に入ったら自分はいなくなってしまって
もう会えなくなってしまう。

「あいだの話をすればいい」と
前に橋本さんが教えてくれたことを思い出す。


わたしはわたしであなたにはなれないし
あなたはあなたでわたしにならないけど
あなたとわたしの、あいだがあって
そこで会うことができる。
 
 
 
週末に喫茶tayu-tauさんでカードリーディングをひらくので
昨日、仁美ちゃんにモニターをしてもらう。

カードを開きながら話をしていく。

ふと、自分にもしてほしくなって、
仁美ちゃんにカードを引いてもらって、私がカードの解釈をしていく
ということをしてみる。
 
「境界線」というカードがでて、ふたりで反応する。


境界線。

わたしとあなたが、会えるためのライン。
 

 
さえこちゃんが
「9月にいろんなものを捨てて、10月からあたらしくなるのだって」
と、この間話してくれた。
占星術とか、そこからの話だったように思う。
 
捨てるものが何か
まだはっきりとは自覚していないけれど
色んなことが、変わっていることを感じている。
 


 
 

絵を描く仕事などを
インスタグラムのアカウントに
まとめていくことを始めています。

https://www.instagram.com/chiisanayama/

わたしは、あんまり自分の絵に統一性はないように感じていて
「カラー」というか
「決まった線」のようなものは、ないと思っていた。
 
「つくってほしい」と言ってくれた人が
よろこんでくれて、その人らしいものになるのがいいって
思っているから。
 
でもまとまって見ていくと
やっぱり、わたしの線とか色みたいなものが、あるんだなぁと思う。
 
その線とか色味は
じぶんが思っている「じぶん」より
もうちょっとやさしくて(自分で言うのもなんだけれど)
なんだかハッとする。

不思議な感覚。

ありがたいお仕事を
いただいています。

2016年10月13日木曜日



Ura.さんからいただいたお仕事の仕上げにとりかかる。
パソコン画面を見つめて制作する時間が重なっていたので
「手書き」と「切り貼り」を基本にしているこの仕事が新鮮で楽しい。
あたたかいものになるように。
 
 
お昼過ぎから、さえこちゃんとあおいちゃんと会った。
さえこちゃんもあおいちゃんも背がすらっと高い美人さん。
さえこちゃんはシックな色合いの花柄のワンピース、
あおいちゃんは黄色ベースのチェックのオールインワンを着ていて
並んで座ると華やかで、その様を写真に写したかったけど
恥ずかしくて言い出せなかった。

わたしはもともと手持ちの服が無地で地味な色合いのものばかりなこともあるけれど
夕方から介助の仕事があったこともあって、
紺のワンピースに黒のパンツ、グレーのニット帽姿でいた。
ふたりのきらきらとした空気を前に、
「もうすこし明るい服を着よう」「柄物もたのしく着よう」と
ちいさく思う。

週末に出かけた松本、岐阜の話題から
坐・フェンスの舞台の話をすると、
ふたりとも「みてみたい」と関心を寄せてくれて嬉しかった。
 
星野道夫さんの写真展に3人とも行っていて
その話をしたり
どんな心持ちで生きていけたらいいか、とかそんな話題にふっと入って
それぞれの見て来た風景を包みからだすようにして、照らし合ったりした。
 
全然、別の場所で、まったく互いを知らずに歩いてきていても
30年以上生きてきたら、色んなことがあるし
日々のちいさな揺れもいくつも越えてきたはずで
だから、ふっと会った数時間のなかでも
互いの声がきこえる場所で、話せるのかもしれないと思った。
 
おなじようなところで悩んで
おなじようなことを見て
 
全くおなじでは決してないし
一様には語れないけど
歩いてきた、いまも歩いている、という経験から
話し合うことができる。

さえこちゃんからお仕事の相談もいただく。
自然と繋がっていく流れが嬉しい。
 
 
 

「アメリカで暮らしている友人に会って話をしたい、
 行こうか迷っていたら
 向こうが帰国することになって…」
 
そんな話をさえこちゃんから聞いていたらさっき
インドで暮らす友人から、冬に帰国するお知らせをもらった。



2016年10月12日水曜日

 
昨日は同年代の女性の介助に入った。
彼女の生き方が、流れていくように。
 
はじめて乗るバス。
川の流れる街。
 
 
夕方に介助が終わったので
事務所に仕事をしに行く。
 
いないと思っていた聡くんがいて
仁美ちゃんも来た。
 
 
わたしがひとに合わせすぎたり
相手の言っていないことを勝手に思って、配慮しすぎて
自分がわからなくなることがある、という話から
聡くんに
「それが思いを寄せることだと思ってるだろ?」
と言われる。

「思いを寄せるってどういうこと?」
と聞いたら
「なおのままでいること」
と聡くんは言った。
 
 

2016年10月11日火曜日



いろいろきちんと見つめないといけないことがあるのだけれど
見ることと向き合えず、向き合わず
逃げたいなぁと思っていた。
どこか大切なものを、投げやりにしてきたような感じがする。
 
場所をいくらかえても
自分が変わらなければ
ずっと同じだろう。
 



坐・フェンスという
フェンスワークスの聡くんと仁美ちゃんの所属している劇団の
長野県松本市での公演に一緒に連れていってもらうかたちで
松本へ行き、それから、帰りに岐阜県の恵那にある
橋本さんと縁のある恵み自然農園で一泊させていただき、戻って来た。
 
松本へ行く前に
自分の気持ちが揺れる出来事が重なって
お腹の中がすかすかになってしまったような
それをどうしたらいいのかわからないような時間を過ごしていた。
 
 
坐・フェンスという劇団が何をするかというと
まず、会場のひとたちが円坐をくみ、車座にすわって
(その場によって様々かと思うのだけれど)来たひとたちから言葉をもらっていく。

どこから来たかとか
どんな心境でいまいるか、など
その時、そこに座ったひとから、あがった言葉を
団員はみんな聞いていて
それを聞いたところで、舞台が始まる。

何を演じるかとか、配役はどうとか、
そういうものはなく
本当に有機的に
場が立ち上がっていくような感じをうける。
 
 
今回の公演では
語られることばが
 
障害のある方とずっと関わりをもってきた方のことばだったり
なんとなく生き死にに関わる話が重なり、
自分の現在とリンクするような感覚をもって舞台を受けていた。



自分のことばから、始まる舞台をうけ
感想を語るひとに「生きる」方向へ舵をとる姿をみて
自分のおなかは、まだすかすかとしていて
立ち上がれるようなところが、まだ、ないな…と感じていた。
 
ただ、目の前で起こっていることが
「生きる」方向へすすんでいるという中に
いるということを感じていた。
 
公演のあいだ中、ボランティアスタッフでテキパキと働くひとりの女の子がいて
その子の姿が、印象に残っていた。

 
 
松本を離れて、大阪までの道中
岐阜にある恵み自然農園へ立ち寄る。
 
橋本さんと縁深いひとの営む場所。
 
 
夜9時過ぎになったというのに
ご夫婦と、そこに集った仲間が
晩ご飯に手をつけず、炭焼きしたさんまや、とれたての野菜で作ったお料理を
テーブルいっぱい、綺麗に盛りつけて待っていてくださった。
 

おしゃべりしながらいただいて
ゆっくり眠らせてもらって
翌朝も、しっかりとした朝ご飯をいただいた。
 
自然いっぱいの中をみんなで散歩して
 
それから、すこし恵那の町並みを歩いてから
恵那のとなりの集落で作陶している伊藤さんの
陶房へ立ち寄らせていただく。
 
伊藤さんのたたずまい
陶芸のはなし、
たくさんの作品をみて
 
作品の中から、一輪挿し、それから小皿を2枚、いただいて
 
帰り道、自分のおなかに
芯がまた、立ち上がっているのを感じた。
 
生きることをどこか、投げやりにしてきたと自分で自分を、見た。
 
土地に根ざし
黙々と営みをつづけるひとをみて
教わった感じがする。
 
 
伊藤さんに話を聞いてもらった、と
伊藤さんにおもいを寄せる女性の姿をみて
その人の姿からも、教わったものがある。
 
 
 
最近
「大阪に来て、もう1年?」と
聞かれることが重なっていた。
 
12月で1年になる。
 
何もわからず飛び込んで
ただくるものを受け、ただくるものを受け
なんとかなんとか、泳いでいたような感じがする。
 
このまま沈んでもいいし
泳げるところまでいこう、というような
どこか捨て身な気持ちでいたと思う。
 
 
でも力が足りなくなって
どうしたらいいかわからなくなったとき
そのまま沈んでいきそうなからだと
でもどこか、水をかく腕に力がほしい
足をつけるなら岸へ行きたい
そういう気持ちも涌きながら
 
その術を見いだせないような感じでいた。
  
 

うつろな自分なのに
メンバーでもないのに、
坐・フェンスの橋本さん、くぅ、仁美ちゃん、聡くんは
旅にのせてくれた。
松本でも岐阜でも
芯で生きているひとたちの息吹に触れた。
そこで、かえりみるものがあった。
 


 
 
足腰に、ちからをいれていきたい。


2016年10月1日土曜日



うらさんがうちへ来てくれた。
ひとがうちへ来てくれると、
わたしはお湯を沸かすのに立つことができるし
豆をひいて、コーヒーをドリップできる。

 

最近は、あまり家にいなくて
変な時間に帰って眠るか
シャワーだけ浴びてまた出かけるような
そんな感じでいたから

冷蔵庫の中には調味料しか入っていなくて
掃除機もかけていなかった。

わたしの部屋は、なかなかな風紀の場所にあるけれど
部屋に入れば居心地がいいし、
遠出をして3日くらい家をあけて帰ってくると
いつも部屋は穏やかに迎えてくれる感じがした。

引っ越してきたばかりの不安だった時にも
三重に数日滞在して戻ってきたときの部屋のあかるさに
「やっぱりいい部屋だ」と
思えたのだった。




この頃は
不自然に忙しくしていて
色んなものをそのままにしている自分がいて
部屋にも全然手を入れていなかったから
自分の心もすこし疲れていたし、
部屋も同じようにして、ちょっとくすんでいる感じがした。


うらさんがくる、ということになって
床の水拭きをして、
いらなくなったスケッチブックや、紙ごみなどを捨てたら
なんだかまた空気が
めぐり始めた気がする。



うらさんとのお仕事の話。
ほんとうに楽しみだし、ふくよかな気持ちになる。
ようこさんやみなさんと4人で、色んなことをしていたとき
自分がどんな風にものを作っていたかも、うらさんの視線が思い出させてくれた。

お茶を入れていたら
うらさんがナッツとチョコレートをかばんから出して並べてくれる。

うらさんとふたりで沖縄へ行ったとき
ふたりそれぞれに持っていたナッツやサーターアンダギーを
お腹が空いたらちょこっとずつ食べたりして
食料と水を持って、旅していたことを思い出した。


どこを歩いていても、いいように。
どこで眠ることになっても、いいように。






 
大正駅でうらさんと「またね」と手をふったあと
約束があったので宝塚まで出かけた。

いつも手みやげを持ってきてくださる方を訪ねるので
自分も手みやげを用意しようかと思ったけれど
一緒にたずねる子が午前中の用事をすませてからパタパタと
もしかしたら何も持たずに来るかもしれないと思い、
手ぶらで行くことにした。
 
乗換駅で花屋を見たとき「お花を持っていったら喜ぶだろうな」
と心に浮かんだけれど、小さな花でも大げさになる気がしてやめた。
 
 
阪急沿線の小さな駅で、
一緒にたずねる子と待ち合わせをして二人で出向く。

訪問先近くまで来たとき
道の真ん中に向日葵がぽん、と一輪落ちていた。
 
まさに花盛りの、とても綺麗な向日葵。
 
道沿いのおうちの塀から、綺麗な小ぶりの向日葵が満開なのが見えていたので
あのおうちの方が、花を切って
どこかへお裾分けに行く途中で一輪、落としたのかもしれないな、と思う。
 
ぽん、と落ちたその一輪を
「(訪問先への)お土産にしよう」と言って拾った。
 
 
 
流れがある、
わからないけど。
 
ぐーっと悩んでいるとき、からだがかたまっていた。
からだをかためて、心が揺れるところから、自分を守っていたようにも思う。
 
時期を過ぎたら、留まることはない。
そこには何もないから。
 
離れて、ちゃんと、見ること。
 
 
呼吸をいれて、生きること。
 
 
 


2016年9月15日木曜日


返していないメールが気になる。

ぐっと集中して取り組んでいたことがあったので
なかなか、メールを返せないでいた。

そういう時に
「落ち着いたら折り返すね」のひと言が
入れられるようになりたい。
こんどからは。
 
 
たくさん絵を描いた。
描いて描いて、でも本当にいい絵が描けるのは
ふっと力がぬけた、その先だなぁと思う。
 
だから、たくさん、描こう。
これからも、絵を。
そういう気持ちが生まれてきた。
 
 
力のぬけた、いい線が、ふっと引けるように、なるように。いつか。
 
 

「おわり」をちゃんとおわらせないと
「はじまり」がない、という学び。
 
いっぱい絵を描いて、
あとこれを描いたら。と臨んだ、10枚の線画を描き終えた昨日の朝、
「終わりがきた」と思った。

バトンタッチして、構成にまわす。
そこでも「おわって」それから、始まるだろう。

仕事は、手放すこと、
手放すところで終わる。
 
そんな思いが涌く。
 
一生懸命やりたいし、
満足してもらいたいから、のめりこむ。
でも最後に、しっかり、手放すこと。
 
それが最後の仕事。
 
 
あってるか分からないけど
今、そんな気持ちが浮かんでくる。
 






 
お仕事のおはなしを、ほろほろっといただく。

たのしそうな企画の、DMのお仕事。
先日終了した、ケアに関わるひとたちで座る円坐の場も
またコーディネートしてほしい、と声をかけてもらう。
 
ありがたい。


ケアに関わるひとたちの非構成の場づくり

開きたい、と思っていたけれど
限定して行うことはないのかもしれない、と思い直していたところに
話をもらって先日開催した。

少なくとも、わたし自身にその場が必要なことがわかった。



仕事の上でのことをシェアする、というよりも
ケアに関わっている、という縁というか、ある宿命(大げさな言葉だけど、ほかに見つからないのでちょっと使ってみます)をもった人たちが
集まる、ということに、図っては感じられないものがあった。


その縁の上で、場を共有しているような、そういう感覚があった。
 



 

2016年9月3日土曜日



事務所へ行くと亀がいて
名前をつけてと言ってもらったので、
「ファンタ」と名付けた。

立派な甲羅だねぇ→甲羅→コーラ(炭酸飲料)→ファンタ

という連想で。
 
 
亀をじっとみると
のどのところが動いている。
生きているんだなぁと思って
どきどきしてくる。

 
 
爪がするどかったり
餌をくわえる口の動きを見ていると
なんだかパクリとされそうで
まだ触れないでいる。




ファンタ、ファンタ、
 
名前を呼んでいたら
すこし親しくなれるだろうか。 

2016年8月30日火曜日


 
 
真夜中降っていた雨が
夜明けにはやんでいた。

事務所をでたら橋のむこうに細い月が浮かんでいる。
もうすぐ新月なんだな、と思った。

自転車の鍵が見つからなかったので、
歩いて帰ることにする。

明け方
みなと通りをトラックが走っていく。

 
朝の5時から開いているパン屋さんの名前はピン・ポン・パン。
シャッター降りた商店街。時間がはずれてしまっているみたいだ。

普段はひとがどんどんと行き交う道。
あそこへ向かおう、とか、これからあれをしよう、とか
あの人との関係とか、いろんなことを考えながら
行き交うひとたちは今、みんな眠っていて
 
空間からバラバラと虫ピンが外れたみたいになっている。


ぼわっと広がる空間は
本来の名前のないところに戻るから
夜明けの町は宇宙がとても近い。


24時間開いているファミリーマートは平熱の秩序を保ち続ける。

電車が走らない線路。 
 
 
 

2016年8月28日日曜日

 
 
21時をすぎた。
 
すこし整理したい感じがあって、
久しぶりに日記を書こうと思った。
 
 
 
今日、大阪は涼しくて秋みたいな風が流れていた。
すこし汗ばんだところに、風が冷たいから
薄いブランケットにくるまって、風をよけたりして。
 



数日前のこと 
髪型がヘルメットみたいだから、
ヘルメと呼ばれている東京在住の青年から連絡があり
いま心斎橋にいるとのことで1時間だけ会おうということになって
ぴゅーっと自転車を漕いで、珈琲屋さんへ行く。

わたしが大阪でたてた
「触れる」についてのワークショップに関心があるとのことで
その時の話などをひとしきりする。
 
わたしが話しているあいだ
ヘルメは笑ったり眉間に皺を寄せたり、表情をくるくるかえて
からだもぐぐっとゆがませたり、揺らしたりしながら聞いている。
 
「ヘルメは最近どう?」と聞いてみると
「人と会うのが久しぶりすぎて、人と話す回路がまだできていない」
すこし、かんがえたあと、ヘルメはそう言った。

「ずっと家にこもって研究したり本を読んでた」と言う。
 
ヘルメは、すくすくとゆがんでいる。
でもそのゆがみが、実はとってもヘルメのまっすぐで
生命が損なわれていない感じに
こっちも元気がでてくる。




日々、いろんなことがあって
ぐるぐるしたり、ぐっとちからをいれたり
いそいだり、ゆるんだり
自分に落ち込んだり
 
ぐるぐるとしながら
気がついたら8月末に。 

2016年8月25日木曜日

 
大切につくってきた気持ちは誰のものも薄くなかったから
ちゃんと調整して、気持ちのよいものをつくっていこう

2016年8月16日火曜日

 
ごはんのことを、ちょっと適当にしすぎた日が続いていて
ちゃんとしたものを、味わって、食べたい!
という気持ちがたまらなくなって、
ぴゅーっと自転車を漕いでd & departmentへ行く。

ハンバーグをしっかり食べて
珈琲まで飲んで、元気になった。

ハンバーグも柔らかくて美味しかったけれど、
つけあわせの茄子とズッキーニと獅子唐がとっても美味しかった。
焼いてあって、茄子とズッキーニは瑞々しくて、塩がぱらぱらっとふってある。
 
帰りに一階のshopをふらりと覗くと
パイロットの細字のペンが売っていた。
聡くんが書きやすいペンを探していると前に話していたので
どうかな?と思って買ってみる。
自分にも黒を一本買った。
ayacoちゃんが絵を描いているペンはこれじゃなかったかなと思って。

ボールペンはJET STREEMが今のところとっても書きやすいけれど
あともう一歩、かわいかったり、シンブルだったら本当にいいなと思う。
 
文房具も、車も、
なんでちょっとウルトラマンチックなデザインが多いんだろう。
 
 
 

ごはんを食べて元気になって
堀江をぴゅーっと自転車漕いで走っているとき
 
あぁ、時々は川を越えよう、と思う。
 
窓越しにかわいい服や、素敵な内装を見ると
気持ちが生き生きとしてくる。


九条、千代崎あたりから
ひゅんっと細い川を一本渡れば堀江で
ちょっとお洒落なお店がたくさんある地域になる。
 
 
九条の商店街の体温が近くて生き生きした感じは大好きだけれど
丁寧にデザインされているもののなかにいる、気持ちよさもあると思った。
 


 
 
 


2016年8月15日月曜日


事務所へ行ったら玄関に
見慣れないサボがあって、
なっちゃんが来てるのかな?と思って
「なっちゃん来てるの〜?あ、みさこさんかな」
と言いながら階段をあがる。
 
部屋の奥でさがちゃんとさがちゃんの恋人が、
仁美ちゃんと結婚式の打ち合わせをしていた。
 
さがちゃんの周りは空気がかるくてふわっと広い感じがする。
恋人のひとは、軸がしっかりとしていて、やわらかい印象。
思いがけず会えてうれしくなる。
 
 
ピンポンパンで買ってきたサンドイッチを食べてから
絵を描き始める。
 
描いた絵を佐田さんに送って
午後からは、お芋屋さんの仕事へ向かった。


お盆休みの日曜日。大阪駅は人がいつも以上に多い。
 

久しぶりにシフトが入れ違いになったしょーこちゃんと引き継ぎをしてから
派遣会社から土、日と2日間、お手伝いできてくれているマネキンさんと
3時間ほど一緒に働く。

知らない場所に1日、2日だけ来て働くって、どんな感じなんだろう。
話すたびに、覗き込むように、こちらの表情を見てくる人だなと感じる。

会話の中で、わたしが仕事を掛け持っている話になると
「大変じゃないですか」と聞かれたので
「でも、どこも人がいいから、恵まれていて、楽です。
ここ(お芋屋さん)も、みんな、人がいいし」
と答えると、相手の表情が変わる。
「そう感じませんでしたか?」と、聞くと
前日一緒に働いていた女の子が苦手だったと言う。
「あの子、めちゃくちゃ、人見知りなんですよ。緊張していたんだと思います」
と、こたえた。
 
なんとなく、マネキンさんの
控え目なようで、ぐいぐいくる空気や
心の中がわからない感じや、店舗のものの扱い方を見て、ちょっと、疲れてくる。
前日一緒に働いた彼女も、色々感じるものがあったんだろうなと思う。
人見知りに加えて、正直な子だから、そのまま態度に出たのだろう。
 
それでも
あとほんの数時間だし
気分よくお店に立って、いい空気でお芋に触ってほしいし
お客さんに楽しく接して欲しい
と、思うと、妙にマネキンさんに向かって気を遣って、
マネキンさんの気分をよくしようと動いている自分がいる。

それでまた疲れてきて、途中から、もう黙々とお芋のヘタを切ることにした。

マネキンさんがあがる時間になって
帰り際に「話しやすい方でよかったです」と言われる。

なんだかちょっとな、という気持ちが残る。
 
 
ひとりになったら気が楽になって
お芋を焼いたり、備品の補充をしたりしながら
接客をする。
 

途中でショーケースがぱぁっと真っ白になって
隣の店舗のひとと「なんでだろう!?」と話していたら
外で突然の豪雨が起こったらしい。
 
湿度があがって一瞬で真っ白になったのだった。

 
 

 

 
 
 

 

 



 


2016年8月13日土曜日



ひゅっと、影に入る自分がいる。
そういう性質があるから
できていることもあるように感じるけれど
(裏方が好き、とか)
 
入りたくないのに、影に入るというか
明るいものをみて、自分を隠すことがあることに
気がついてきた。
それが苦しいということにも。
 
 
介助の仕事を終えて、大正駅を降りる。
それから大きな橋をひとつ渡る。
川面がたゆたゆしていて、いつも綺麗。
月をさがしたら、ずいぶん下の方で鈍い金色に光ってる。
ビルとビルの合間、環状線が走る、その光が見える。
 
あんな、光るものが、浮かんでいて
なんて綺麗なところに、生きているんだろうな、と思う。
 
月は、みかんの房みたいな、かたちをしてる。
風もふいている。
 
 
 
京セラドームがあるからか、会社も結構多いのか
夜遅くても、いつもひとが駅へむかってぱらぱらと流れている。
 
介助の仕事が終わって戻ってくるのは23時頃なので
すこし酔いが回ったいい感じの人たちも多い。
 
その日は
木の陰でぴったりとくっついてキスしてる人たちがいた。
なんとなく見てしまう。
(いま初めて、気持ちが通ったのかな?)とか、考えたりして。

スケーターの少年たちが、かたまって喋り込んでる。
まだ長そうな夜。
 
 
 

事務所に立ち寄ると、仁美ちゃんも聡くんもいた。
 
仁美ちゃんは奥で眠っていて
聡くんも眠たそうな顔をしていた。
 
仁美ちゃんが眠っているので、すこし小さな声で聡くんと話した。
 
 
絵を描こうと思っていたけれど、
朝と晩にヘルパーの仕事、
合間に事務所に戻って、ひとつ企画に参加していて
さすがに眠たくて集中力も出ないから、
聡くんが帰るというので、わたしも一緒に帰ることにした。
 
「仁美ちゃん、帰るよ」
と、眠っている仁美ちゃんに聡くんが声をかけると
「寝っちゃったー」
と言って仁美ちゃんが起きてくる。
 





 

2016年8月9日火曜日


おもたい風がふく。
肌に触れるとすこし、すずしさを感じたりしながら。

昨夜、いちど家に戻り
事務所で仁美ちゃんに分けてもらった、
いただきもののきゅうりとトマトと
それから冷蔵庫に入れっぱなしだったズッキーニと解凍した豚肉を焼いて
久しぶりに家でごはんを作って食べた。

 
きゅうりもトマトも、実がしっかりしていて
トマトはあまくて驚いた。
仁美ちゃんも聡くんも、トマトは選んでいなかったなと思い返して
あまさの驚きを共有したい気持ちになって
明日、事務所にひとつ、トマトを持っていこうと思う。


絵の仕事がまだあったので
晩ごはんのあと、また自転車で画材を置いている事務所へ向かった。



大通りの向こうの薬局へ寄ってから、と思い
大きな交差点の前で自転車をとめる。
 
信号待ちをしているその時
高速道路の間にある、中央線の高架を電車が走りぬけていった。
 
ばわんばわんと、おもみのある風が夜をたゆます。
あかるい夏の暗闇をトタントタンぬけていく電車の白いひかりをのぞみながら
今このときの、この感じ。と、思った。
 
 
狭山に帰ったとき、
裕子さんがTuuliで聞かせてくれた、星野さんのはなしを
星野さんの本を大切に読んでいる、くぼやんと佐田さんにつたえよう。
と思って、胸にもっていた。

くぼやんには一昨日会ったときに、
佐田さんにはメッセンジャーで送っていたのをすっかり忘れて
昨日、仕事の電話をしているときに、また話していた。

あとから、もうメッセンジャーでつたえていたんだ、と気づいて
はじめて聞くみたいにして、聞いてくれたなぁと思い返す。


とおいアラスカ

裕子さんの風景 ずっと大切に触れてきた時間
 
くぼやん さださん わたしも

それぞれがどこかで、星野さんの本や写真に出会っていること。


重なると深まる

深まるとひびく 
 
 
 
自転車を漕いで
事務所へ。




2016年8月6日土曜日


夜が明けてしまった。

午前中に終わらせたい仕事がまだたくさん手元にある。
外が明るくなって、蝉が鳴き始めている。
 
隣で、やっぱり徹夜している仁美ちゃんがパソコンに向かっている。
 
わたしは眠さがどうしようもなくて、
すこし横になって眠ったので、徹夜ではない。
夢をみた。内容は忘れてしまったけれど、気配だけ今も近い。
 
学生時代の、テスト前のよう。
 
埼玉に帰省する前もこんなだったし
大阪に戻ってきてからもやっぱりそんな風で
 
でも、どの仕事も顔が見えて、熱があるし
やりたくてやっているから
眠たいけど眠たいだけで充実している。
 
でも、1日があともう少し、長かったらいいなと思っている。
 
 
 
埼玉にいる自分と大阪にいる自分が、同じようで
同じじゃない気がする。
 
それは「わたし」が確固とした存在なわけじゃなくて
風景や、目の前にいるひとによって、変わるからだと思う。
 
晴れの日と曇りの日の気持ちが違うように
自分もまた、現象なのだろうから。
 
 
 
埼玉から大阪に帰って来た日
聡くんの態度がこわいと感じてビクビクした。
後から聞いたら、仁美ちゃんとの冗談のやりとりだったという。
そういえば仁美ちゃんも笑っていた。
 
それを聞いて
聡くんは変わっていないのに、
わたしが変わったんだと思った。
1週間のあいだに。
 
冗談がわからなくなっていたし、
「なんでそんな態度なの」とつっこまずに
ぐっと洞穴に隠れて様子を見ていた。
 
 
 
関西弁で言われて、好きなことばがある。
「なんて?」ということば。
「なんて言ったの?」「なんだって?」という感じで
わたしは多分声が小さかったり
ごにょごにょとまとまらない話が長くなるので、
よくそんな風に聞き返される。

「なんて?」
 
わたしは、このことばが、すごくうれしい。
 
「なんて?」
 
聞こえなかったのを、聞こえなかったままに
わからなかったのを、わからなかったままに
流すんじゃなくて、
どゆこと?と、身を寄せるようなことば。

 
 
なんでやねん、
どないやねん、
 
関西弁には、入ってくることばがある
そう、それから面白いのは
「なんて?」も含めて
入ってくることばは、はねっかえす意味ももっている。

けど、どちらにしても
スルーするわけじゃない。
 

 
 
埼玉にいるあいだ
たくさんのひとと会って、一緒に過ごすことができた。
帰る日の晩は、両親とごはんも食べられた。
 
なんてことのないふつうの食卓だったけれど
あまったお刺身をみて、父が「食べないの?」と聞いてきた。
その声が、どこかまるくて、ちからなく、やさしかった。

 
 
触れないやさしさがあること
見ないふりするやさしさがあること
 
よく知っている。
 
 
でも、あるものを、見ること
ぼやけて見えるところに、たずねてみること
 
いま多分、
おぼえている途中で
 
痛い思いするとやっぱり
のばしてた手をひっこめて、
手をのばそうとしていたことすら誤摩化そうとする自分がいるのだけど
 
でもやっぱり、
やっぱり、おぼえていく途中。
 


仁美ちゃんは、まだパソコンに向かってる。
画面をじっと見てる。
 



 
 

 

2016年7月30日土曜日

お知らせ、いくつか
こちらのリンク先から → 
日々の記録は下の記事から…

2016年7月28日木曜日


毎日、絵を描いたり
メールをうったり、企画のことを考えながら過ごしていると
あっという間に時間が経っていて
1日24時間が、ちょっと足りなくなっているようだ。
 

1週間ぶりに介助の仕事に向かいながら
1週間前がずいぶん遠いなと思う。
 
阪神タイガースの鳥谷君のユニフォームを着たひとたちが
行き交う駅。


今は、すこしのつもりで顔つけた水面が
思いのほかふかくて身体ごともぐってしまったようなところにいる気がする。

 
さとのちゃんが泊まりにきてくれたおかげで
部屋がちょっと片付いているところに
助けられている。

2016年7月20日水曜日


なんだか、嵐の中を
Tシャツ1枚で、歩いているような日々。

もう、びっしょり雨に濡れているし
荷物もほとんど落っことしてきてしまっていて
でも、歩くということだけ決めているから
歩いているような
そういう日々だった。

暴風を浴び
風が過ぎ去っても
風の余韻が肌に残っている。
 
いまは嵐が過ぎた。
空も青空。

東京から来ていた、さとのちゃんと
自転車漕いでd&dに行って
さとのちゃんは紫蘇ジュース飲んで
わたしはパフェを食べた。

なんだか嵐のなかをぐるぐる歩いているあいだに
自分が広げられたような感じがあって
今は余白が、すこし涼しい今日の風にたなびいている。


2016年7月10日日曜日



明日は
午前着で届く荷物を受け取り
それから大阪ではじめての選挙へ行く。

大阪では護憲派の候補者が
共産党のわたなべ結さんしかいない。




9条って、なんだろ〜
詳しいことはわからないー
みんな何を言っているんだろう、

という感じの私だけれど
障がい者運動を通して
法律を改正する際に「てにをは」の一文字を巡って
互いに譲らない議論が延々と交わされることを知っている。
 
たかが一文字、だけれど
その「てにをは」によって、解釈の範囲や位置が変わるので
法改正後に出来る主張が大きく変わる。




だから
ちょこっと変えるだけですよ〜
趣旨は変わりません、なんていうのは
ものすごく大きなごまかしで
 
「てにをは」の一文字が変わるだけでも
言っている内容は大きく変わります。
 
東を向いていたものが
西を向くこともあるような
そういうことの前にいるということはわかる。
 
 



 
 

 



2016年7月8日金曜日

 
 
もうすぐ七夕がおわる。
 
 
埼玉からやってきた愉快な3人との
たのしい旅を終えて
なんだか急にホームシックにかかった。
埼玉に帰りたい…という気持ちが涌いてきて
とても悲しい気分になる。
デパ地下のお芋屋さんで働いている間にも
ふとした瞬間にぽろぽろっと涙がこぼれる。
 
 
それで昨日、お風呂に入っているときに
「わたしはひとりだ」ということが
ふと、ものすごくよく、わかった。
 
さびしいから誰かに触れたくなったり
関係性のなかにいるように見える
誰かのことが羨ましくなったり
 
そんな風にへんてこに捻れながら
でも捻れてるのをどうしたらいいかわからなくなって
あーあ、と思いながらお風呂に入っているときに
「あ、わたしってひとりなんだ」と思った。
 
それは意外にも
すごく軽々として、すっとした理解だった。
 
どのひともまた、「ひとりだ」ということを同時に理解したからだった。
 
あのひとも
あのひとも
誰かと一緒にいるようで
どこまでもひとりなんだ。
こんな風に。
 
ひとり、は
孤独とイコールではなかった。
 
とってもひとりだから
誰かと一緒にいられるんだ。ということも思った。
 
 
今日は
午前中、いちど家に戻り
また15時前から事務所へ行った。
 
事務所に行くと聡くんがいて
「何もできなくなっている自分がいるけど
 そうだと得をする、背後の自分がいる」
というようなことを言う。
 
 
一見ネガティブなことが起こっていて
それに困っているようで
その状況から何かを得られている背後の自分がいる。
 
というようなこと。
 


そうだなぁ、そういうことは多いにあるだろう、と思うし
自分が「つかれたー」と言っているときも
もしかしてそうなのかもしれない。と思って
すこし振り返ろうと思った。
 

そして、早寝をして、ちゃんとごはんを食べ
元気になろう。
 


2016年7月7日木曜日

100人のシルクスクリーン展

今日から埼玉県川口市のtanabikeさんで
100人のシルクスクリーン展が始まっています。
「どうぶつ」をテーマに100枚のデザインが並んで
Tシャツやバンダナ…好きなものに
自分で刷ることができるのだそう。

とっても楽しい展示。
シルクスクリーン印刷は本当に楽しいです!
やったことのないひとはぜひ。

素敵な「どうぶつ」がたくさん集まって
気持ちいいサファリになるはず。


そして、お楽しみでもいいなと思ったけど
わたしが描いたのはこんな感じです。
猫かなぁ。
最近、くぼやんのおうちの猫、むすびちゃん
む〜ちゃんのかわいさに心動いていた時だったから
猫がつい、でてきたのかもしれない。
 
ぜひぜひ、刷ってほしいです。

たくさん、恋をして(ひとにだけでなくね)
たくさん、まちがえて
たくさん、それでもよかった!と思ったりして
いきいき生きたいものです。

…とか書きながら
夏の暑さにやられてヘロヘロなわたしは
今日は事務所で仁美ちゃんにハグしてもらって
元気を取り戻しました。
 
こんなところも動物だなぁと思います。
 
たのしみにおでかけください♪


2016年7月3日日曜日


今日は
Henning schmiedtの『Walzer』を聴いている。
 
しばらく、マンションの入り口の植木のところに
たぶん野良猫がおしっこをして
ベランダのところに匂いがあがってきて
窓を開けられなかった。
 
水で流したら、と思ったけれど
週末なので、週が開けたら上の階に住んでる大家さんに
ホースから水を出してもらうようにお願いしようと思っていた。
 
でも、今朝窓を開けたら匂いも消えてる。
なんとなくホッとした気持ち。
 
昨日作っていた茄子の煮浸しと
トマトを切ったのと、にんじんサラダで朝ごはんにする。
 
 
「自分は何かを間違えているのでは」というあの気持ち。
あのむなしさ。
 
すこし面白いところだと思うので
自分のなかでちょっとたどってみた。
 
先週
「結婚、できない」自分は「どこか間違っているのでは」という
思考でいたのだけれど
なんで、どうして、「できない」っていう風に
思ってしまうんだろう、と自分のお腹にさわっていく。
 
最初は、世間のコマーシャルに影響されているんじゃないかな、と思った。
そういう目で、見られることもあるし
そう言われることもある。
 
でももっと、わたしのところに、
何かあるんじゃないかな、とさわっていくと
ずっと結婚したいな、本当にわたしの方を見てほしい、と思っている人と
5年くらいそばにいて関係を続けてきていて
その間ずっと
「願っているように、ならない」「そうできない」
という気持ちをベースにしてきていて
その響きを今もまだ、うたっているんじゃないかなぁと思った。
 
そう思ったらすこし、腑に落ちてきた感じがあって
もう終わりにしてもいいよな、と思った。
 
 
いろんなところを歩き回って
不毛な道も、かなり歩いた気がするけれど
それでもやっぱり、その時の自分が覚悟をもって歩いていたことを
わたしがよく知っている。
 
 
今日はいい天気で
くぼやんが教えてくれた珈琲屋さんへ、でかけてみようと思う。
 
明日会うくぼやんに、豆もお土産に買おう。
 


2016年7月2日土曜日


 
昨日は、事務所ですこし昼寝したりしつつも
夕方まで仕事をして
それから梅田へ出た。
 
プレゼントを探してルクアの中を歩いて
その後、合流したお芋屋さんのがおさんと石山さんとおかめちゃんと
梅田蔦屋で閉店の23時まで打ち合わせをした。

解散してから環状線に乗って大正駅で降り、
置きっぱなしのパソコンを持って帰ろうと事務所に寄ったら
そこからメールのやりとりが始まって、
なんとなくそのままネットを見たり、仕事の確認をしていたら
夜中の3時近くになっていた。
 
家は近いけれど、それでもこれから深夜3時の街を自転車でぬけて
家に帰ってお風呂に入って…ということを思うと、もう動きたくなくなる。

そのまま事務所で朝まで眠ることにして
座布団を重ねた上に横になった。


横になったら考えごとをする間もなく、朝まで眠った。
 
 
宅急便が来るはずと思って10時過ぎに事務所を出る。
それから、昨日買っていた食材を使って、ごはんのストックを作ったり
メールの返信をしていた。
 
佐田さんから、今日がぶんぶんの結婚式だと教えてもらったので
お祝いの気持ちをもって過ごしてみる。
 
 
先週のわたしは
同じ年代の多くの人が、結婚をしたり
子どもを産んで子育てしているのに
わたしはそのどちらもしていない、と思い
何か生き方を間違えているのではないか
というむなしさにとらわれていた。
 
その話を
木曜日に事務所に来たなっちゃんと仁美ちゃんと3人でいる時にほろっと口にしたら
なっちゃんが「結婚しててもそう(生き方を間違えているのではないかということ)思うよ」と言った。
 
それを聞いたら
「いまの自分は何かを間違えているのではないか」という気持ちは
状況によって埋まるものではなくて
そう思うひとは、どんなに状況が変わっても、そう思い続けるのかもしれなくて
それならそれは、状況の問題じゃなくて、そう感じるわたし自身の問題、と気がついて
「強欲〜!」と思わず口からこぼれた。

埋まらない、欲望!
 

ひゃ〜、と思いながらも
状況に問題がないんだ、とクリアになったら
むなしさも消えた。


いまの自分しかないじゃん、
どうやったって。

 
 

 

 

くぼやんの美容室へいく途中に見つけたノウゼンカズラ

 
YUKIちゃん聴くと
元気がでる。




2016年7月1日金曜日

おしらせもろもろ。


100人のシルクスクリーン展 7/7〜31
場所:tanabike(埼玉県川口市)




100人のクリエーターが今年の夏に身に付けたいデザインを
シルクスクリーンにして、ずらっとtanabikeに並べます。

その中から選んだデザインを、
Tシャツ、トートバッグなどの素材に
好きな色のインクで自分で刷って、この夏を楽しもう。
今回のテーマは「どうぶつ」
100種類のデザインとtanabikeでお待ちしています。


※「小さな山」の名前で参加しています。

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tanabike HP / http://tanabike.com
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Le Marché d'été 7/30  AM9-11
場所:yuzuri(埼玉県杉戸町)


だいすきな場所が、ひらきます。
DMをつくらせていただきました。


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wica grocery HP / http://wicagrocery.com
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『触れる』にふれるワークショップ 7/16
場所:studio CAVE(大阪市西区)




拡大して見えるでしょうか。。
大阪に来て動き始めている企画のひとつです。
関心があればぜひ。

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fence works HP / http://www.fenceworks.jp
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2日間通いの円坐 8/27・28
場所:studio CAVE(大阪市西区)





拡大して見えるでしょうか。。
大阪に来て動き始めている企画のひとつです。
関心があればぜひ。

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fence works HP / http://www.fenceworks.jp
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2016年6月28日火曜日



もさっとした髪を切ってもらいに
くぼやんのお店へ行く。

お店のそばの商店の庭先にノウゼンカズラが咲いていた。
オレンジ色の、あまい色。空気に色が、溶けていきそうな。
 
「やぁやぁ、なおちゃん」
そう言ってくぼやんは迎えてくれる。
 
髪を切ってもらいながら話した、くぼやんのことばが
2日経った今も、指のあとみたいに、こころに残ってる。
 
「九条にはfence worksがあるから住んでて
 だからみんなが出かけたりして九条からいなくなると
 由来がなくなって、わたしなんでここにいるんだろうなぁと思う」
と話したら、
くぼやんが大正にある喫茶店を教えてくれた。
「人が由来になってる、となおちゃん言ってたけど、
 繋がる場所がある、というのもいいかもしれないね」と言って。

帰り際
「またうちでごはん食べる機会つくろう」と
言って見送ってくれる。
 
 
髪の毛はまた、短くなった。
耳も、目も、髪の毛に隠れなくなった。
 
夜の黒。
 
くぼやんのお店があって、暮らす家のある場所から
ゆっくり阪急電車に乗って帰る。

阪急梅田から、ざわざわと人の多いJR大阪駅に乗り換えて大正で降りる。
 
大正駅を降りるとすぐに、大きな川があって
橋を渡るとき時々、潮の匂いがする。
海が近いから。
 
事務所に自転車を置いていたので、
22時頃事務所に着くと、仁美ちゃんも聡くんもいる。

海の近くの川は
潮の満ち引きで
水嵩がふえたり、へったりするのだそうだ。
 


 
 



2016年6月26日日曜日



朝、晴れている。
髪がもそっとのびたので
くぼやんのところへ行って切ってもらう。

きのう、ごはんを食べている時に
写真を撮るよーと言ってシャッターを切るときに
わたしはフレームに入っていないと思って
もくもくとカレーを食べている自分の姿が
しっかりフレームインして写った写真がfacebookにアップされていた。

みんな笑顔でカメラを見ているのに、
もくもくとひとりカレーを食べている横顔。

聡くんが
「なおはさびしいひとや」と言ったことばが
本人は言ったことを忘れているかもしれないけど
なんとなく、しぼまない風船みたいにして、端っこで揺れてる。

こういうところなんじゃないかな、と思った。

昨日、橋本久仁彦さんのミニカウンセリングという講座にでたとき
「一生懸命聞かせていただきます」と
相手の話に耳を傾けたひとがいて、
そこがすごく響いて、涙がでた。

それから、自分に一生懸命触れてくれたひとのことを思い出した。

一生懸命きてくれていたのに、
いらない、と言っていたのはわたしじゃなかったかと思った。

橋本さんが
「相手のことばをそのままたどること」について
「たどらなければ、たたかいにしかならない」と続けた。

自分は自分が縛られているもののなかにいて
ほんとうに相手のことばのひとつひとつをたどることで
我執から離れる。
と説明し、

「相手のことばをはしごにして、我執からはなれる」
と、橋本さんは言った。


雨が続いていたけれど
今日はよく晴れている。

梅田で焼き芋を買って、それからくぼやんに会いにいこう。
すっきりと髪も、切ってもらおう。




2016年6月25日土曜日



帰り道に、橋のむこうに目をやったとき
空にぼわんと靄で滲んだ月が見えた。

靄で輪郭が滲むせいか
充分に、満ちて見えて
 
雨上がりで湿度のすこし逃げた空気が
肌にひんやりとして気持ちよかった。
 
「あともうすこし」と思う。
 
何のことか、わからないながらに。
あともうすこし。
どこに焦点を、合わせようとしているんだろう。
湿度は放たれたのに。




この頃、
ほんとうにいいお仕事をいただいているな、と感じる。
自分にとって大切で、深いところに影響をもらっているひとから
いただく仕事だ。
 
ロゴやDMの制作だったりするのだけれど
ものづくりをするひとたちなので
出した案にくれる修正希望が本当に的確で
希望のところを直して出てくるバランスが、納得。
というかたちにいくので
修正を重ねるたびに、その感覚が新鮮にからだに吸収される感じがしてたのしい。

本来だったらそこもびしっときめて、
はじめから提案できたらいいと思うけれど
自分にとって、尊敬する仕事をしているひとたちが
そこで培った感覚や、視点をくれて
そこにむけて手を動かし、一緒に制作できることが
ありがたく、嬉しく、たのしい。
 
 
 
この間、げんちゃんに写真を撮ってもらって
(フェンスワークススタッフみんな、プロフィール写真を撮影してもらった)

わたしが何も考えていないとき
こんなに物憂げな顔をしているのか、と知った。
何も考えていないのに
「何考えてるの?」と聞かれることがある理由が
わかった気がした。

事務所のみんながいるところで撮影した時には
大きな口をあけて笑っていたので、なんだかほっとした。
 
あの顔をみると、
自分のなかにはすごく暗いところがある気がする。
 
ある気がするけれど
そこにチカチカ、光っているだろう星のひかりに
触れていたいと思う。
 
暗闇はある。
光もある。
 




 

2016年6月21日火曜日




げんちゃんが東京から来ている。
聡くんが19時半前に事務所を出て
仁美ちゃんも帰ろうとしている気配を感じる。
事務所に今晩泊まるげんちゃんに、
なんとなく、一緒にごはん食べようか
と言いたくなるけど
暑くて食欲もそこまでない。
 
「一緒にごはん食べようか、と言いたい気持ちと
素麺くらいでいいな、という気持ちがある。
もしげんちゃんがごはん、ひとりでふらっと、
という気分でもなかったら
事務所にカセットコンロ持ってくるから素麺食べない?」
と聞いてみる。

げんちゃんは、NOでもない、という感じだったので
スーパーと家に寄ってカセットコンロなど素麺を食べられる用意をかごにつめて
また事務所に戻った。

事務所に戻る途中、
なんだか大掛かりになっている気がするなぁ
一緒にざるうどんを食べに行けばそれでよかったのでは、
と思ったけど、もう準備をして自転車を漕ぎ出していた。
 
 
事務所につくとげんちゃんはパソコンをひらいて仕事をしていた。
手伝おうかと言ってくれたけれど、手間もないので片付けをお願いする。

豚肉を茹でて、ミョウガ、紫蘇、キュウリを細切りする。
生姜をする。
調理器具の揃っていない事務所で
野菜を切ったり、湯を沸かしたりするのはキャンプみたいで楽しい。
 
素麺が茹で上がって
シャパシャパと水で冷やして
一緒に食べ始める。
 
 

カメラマンのげんちゃんは、いつも黒っぽい格好をしている。
向かい合わせでごはんを食べていると
げんちゃんの着ているTシャツの、すこしも褪せていない黒が
目にとても残る。
 
 
 
 


2016年6月15日水曜日




疲れがぬけないな、と思っていたのが
ほんとうに、いよいよ、という感じになって
どうしよう、と思いながらJRの駅へ向かう。
 
 
大正駅から、関西空港行きの電車に乗り込む。
電車はすいていたから
窓際の席でくぅっと眠る。
 
 
到着した日根野駅の周りには、
めぼしいものは何もなかった。
どうしたものか、と思いながら
関西空港から乗ってくる電車が
到着するホームのベンチに座る。
 
電車がホームに走り込んできて
とびらのむこうに、うらさんがいる。
あぁ、うらさんだ。
電車は停車位置がずれていたみたいで
扉が開く前にちょっと車体を動かしたりして
その間にも、あーうらさんがいる。と思って
ガラス窓のむこうの姿をみている。
相変わらずのつるっと、たまごみたいなお顔。
 
 
とびらが開いてでてきた、
鈴みたいな声。会えた。
 
 
昔からあるような喫茶店に入って
ピザトーストを食べながら、すこしの時間だったはずなのに
だいじなものを、ちゃんと交わしあった感じがする。
 



うらさんが、うらさんの作品、コツメカワウソを連れてきていて
小さな箱からやんちゃで生き生きした顔があらわれた時
心がもう一段深くあかるく、ぱぁっとした。
 

「死はもういいと思って」と
うらさんが言った。

それを聞いて、
わたしのなかに、言葉になるものが生まれる。
 
「実は疲れがずっとぬけなくて、
JRの電車に乗る前に事務所に寄って
誰かいたらハグしてもらおうと思っていたんだ。
パワーをわけてもらわないと、と思ってた。
でもドアを開けようとしたら鍵が閉まってて
電車のなかで、ちょっと眠って。
でも今、元気になってる。
うらさんは、看取るひとから、運ぶひとになったんだね」
 
いのちを運ぶひと。
 
コツメカワウソから、いのちの熱が
渡ってきたんだ。



 
「縁で人生が変わっていく」
 
うらさんが言った。
 
 
 

 
こんどはあそこへ、あそこへも
一緒にいこう、と、そっと、生き生きと
たしかなやくそくをして
うらさんは和歌山へ
わたしは大阪へむかって
また電車に乗る。
 
うらさんの大切にしている景色のなかを
わたしが何度も訪れていることもわかった。
 

風景が重なって
時間が呼び起こされて
何度でもめぐる。
 
あたらしく。
 
やまも
かわも
待っていてくれる。

 

 
 
 
 
 
 
大正駅に戻って
事務所に寄ると、聡くんがいた。
 
「朝、すごく疲れてて」という話をしたら
みぞおちに手をあててくれる。
 
おなかがぽかぽかしてきたら
からだが緩んできて

くちからほろっと
「ひとの悩みって、背負えないよね」と
ことばが出る。
 
「それで疲れが抜けんのか」
と聞かれたときに、つーっと涙がでて
またひとつ、からだが緩んだ感じがした。
 
 
もし、重たいものが
友人の背に乗っているなら
じぶんも少しでも
その重さを感じていたいと思った。
 
自己満足かもしれないけれど
それですこしでも、そばにいられるなら。
いられるように、思えるなら。
 
 
 
 
でも、それではもう、いけないのかもしれない。
結局、「そばにいられない」という自分を慰めるためだけのことで
ほんとうに友人にとっていいかたちに、動いているとは思えない。
 
 
「ひらいていく」
 
きのう、まこっちゃんの口から
何度も出てきたそのことばが、響いてくる。
 
 
 
ぐっとぐっと
握りしめるでなく
 
 
ふっと
手をひろげていよう
 
 
そのままなるように

 

 
 



2016年6月14日火曜日



朝、ゆっくりからだを起こしていく。
窓の外から猫の鳴き声が聞こえてきた。
 
部屋には白い紫陽花を
今いけている。
 
きのうは打ち合わせ。
からだに残っている余波や体温。
 
おなかの奥で、うけとったものを
丁寧にだしていきたい。
開く方向へ。

 
 
ぐるっと山をまわって
夜に
神戸のアンセムで晩ご飯を食べた。
 
港町。
 
 
 
「ひらいていく」という
キーワードを持って。
 
 
 

家に着いて
ベランダの洗濯物を取り込んでから
くたっと眠る。
 
よく眠れた気がする。
 
夢をみたかも、わからないけど。
 
 

いつの間にかの朝

目覚ましよりはやく目を覚ます。
自然に目が覚めたときは
2度寝するより、ゆっくり起きた方がいいと
最近感じているから
ゆっくり起きていった。
 
ヨガのパラーサナ、こどものポーズをとったりして
からだの運ぶようにすこしずつ。
 
youtubeで青葉市子さんかけたりしつつ。
 
 
お茶をつくっていなかったから
昨夜の帰り道に
朝の自分のために、セブンイレブンで買ったお茶を
冷蔵庫から取り出してコップにそそいで飲む。

じぃっとまだからだが起きるのを待ちながら
手を組んでお祈りした。
 
「かみさま、」とはじめる。
かみさまがなにをさすか、わたしはわからないけれど
小さなころから、お祈りしていた何かにむかっていのる。
 
 
お祈りしながら、
手を組んで、お祈りするの、ひさしぶりだ。と思う。
 
お祈りは、リリースだ。
 
どうにもならないことを、どうにかしようとする傲慢さの。
 
 
ちからがぬけて、
開いた肩に
雲のあつい朝のうすら白いひかり



2016年6月12日日曜日



ちいさな車いっぱいに
狭山の友人たちと乗っている夢をみたので
目が覚めたとき一瞬
実家の部屋にいる気になっていた。
 
 
 
モンステラは新しい葉がひらいて、
のびのびいきいきと呼吸している。
 
 
夢のなかでは狭山にいたから
起きたときに一瞬、大阪の時間がすっぽりぬけていた。
 
すごく大切な時間だと思っているのに
ぽんと抜け落ちることがある。
 
記憶は点、点。
 
 
 
認知症のひとのあたまの仕組み、すこし触れた気持ち。
 
 
 
自分がほんとうに大切だと思っていても
ぽんと抜け落ちるちからにはかなわない
 
だからいくつものことを
忘れてきたし
忘れていくだろう
 
握っていたくてずっと持っていても
抜け落ちるちからのほうが、多分そうなるときは
そっちの方がつよい
 
 
でも、「それを経てこうなったわたし」というものはある。
 
記憶はぬけおちても
経験から影響をうけて変わった自分がある。
 
 
それは思い出せるとか
思い出せないとかよりも
 
よっぽど確かで
 
 
だから思い出せなくなることをこわがらなくていい。
握ってる手を離したら、もう触れなくなるんじゃないかと
こわがらなくていい。
 
手ならもう離れている。
 
 

2016年6月9日木曜日



帰り道を歩いていると甘い香りがした。
ホームセンターの垣根はクチナシだった。
 
ぽかんと白が夜に浮いて



朝、飲みきれなかった珈琲を冷蔵庫にいれていた。
帰ってきてお風呂上がりに飲んで美味しいと思った。



抱えているのが重たいけど
相手に伝えていいものか、わからない気持ちでもやもやとする。
 
前に介助の仕事のコーディネーターのひとが
利用者さんにむけて、感じたけど言わない方がいいという気持ちがあったら
そのひとが目の前にいると思って、ひとりの時に
ばーっと全部言うんだ、と言っていた。
 
布団に入っても、もやもやしていたので
そのことを思い出して
心の中で、思い浮かべた相手にむかって
気持ちのままを言ってみる。
 
気持ちにふたをしたり
ないものにするよりは、いいと思った。
 
ないものにしても、あるから
かならず、でてくるのだ。
 
そういうことが、ずっと苦しかったように思う。



今日は1日うとうとしていて
介助の仕事中の待機時間にもうとうとしてしまっていたから
「うとうとしてごめんなさい」と伝える。
 
眠りのはなしから夢のはなしになって
「いい夢をみたら、起きて5分以内に反芻するといい」と
教わる。
 
いい夢みたな、ってどんな夢だったかな、と思い浮かべたときに
すぐに出てきたのはおじいちゃんの夢だった。

「死んだひとが夢にでてきたときって、いつも、
 あれ、なんでいるんだろう。
 死んだんじゃなかったっけ。って、夢の中で思うんです。
 おじいちゃんが夢にでてきたことが何回があるけど
 その時もそうで、
 でも一回だけ、起きるまでおじいちゃんが死んでるってことを忘れてて
 夢の中で生きたおじいちゃんと一緒にいるっていう夢をみて
 それがすごく嬉しかった」

起きてからもしばらく忘れていたんだった。
 




(『くちなしの丘』キセル)





2016年6月4日土曜日


 
 
心斎橋で絵の具と画用紙を買って
自転車漕いで帰ってきた。

くたっとまた眠ってしまって、
目が覚めて冷蔵庫にあったお豆腐に
塩もみしたきゅうりとキムチをのせて食べた。

こんなに眠れるんだなぁ、と思うくらい
1日よく眠った。

夜に、心に浮かんでいたひとに電話をかける。
話を聞かせてほしいとかけた電話だったけれど、
ぽろっと自分から話し始めていたことがあって
わたしはこの話を、ずっと、聞いてほしいって
思っていたんだなぁと思った。
涙がつたつた、こぼれていた。
聞いてもらって、手放したから、きっともう、大丈夫だろう。
ありがとう、と思った。


離れていても
リンクしている。
同じように滞り、捻れ、ほどけ、流れて。

声をかけてくれるひとがいること。

話を聞いてくれるひとがいること。


 
窓をあけていたら
「俺らの人生ってなんなんだろうな」という声が
ポーンと投げ込まれたように、入ってきた。

寝転びながら、
なんなんだろう。と思う。



幻のようにふっと、
消えてしまったひとを知っている。

絶体絶命という場面を越えて
生きているひとも何人も知っている。

もう消えてしまいたい、と思ったときも
からだが元気でいることも知っている。

すこしずつ弱っていくひとも見ている。


でもどんなに細い手足であっても
生きている以上は触れると
むこうがわから伝わってくるものがあって
それがどんなに微弱であっても、「ある」以上
果てしなく力強く思う。


そんなことを考えながら
生は受けるもので、
生かされているのだよな
ということを思った。

ことさらに、生きよう、としなくてもいいのだな
と思った。
もう、生きているから。

生きようとしなくても、生きている。
生きている、というところにいる。ということ。




大阪にきて、半年が経った。

介助の仕事を終えて、駅まで自転車を漕いでいるときによく
「どうしてここにいるんだろう」
と、思う。

ここにいる、ということだけが
ぽかんと浮いて。
 


 







 
 
 



2016年6月3日金曜日




今日は、誰にも会わない日。
すこしほっとする。

眠れるだけ眠る、と思ったらお昼になっていた。
じぶんの手元にある仕事をする日。
深呼吸する日。
 
画材屋さんに絵の具を買いにいこう、と思いついたら
からだが動き始めた。
 
でも今、ゴーヤやきそばを作って食べたあと
またくたっと横になりながらこれを書いている。
 
もうすこし休んだら
着替えて、自転車漕いで、いこう。
 
よく晴れている。
 


2016年5月29日日曜日



archipelagoの帰りに、三田でkibitopanに寄った。
翌日、新しいお皿にパンをのせて朝ごはんにする。
 
美味しいパンを久しぶりに食べた。
元気がでる。
 
朝食の準備をしていた時
電子レンジの上に置いていたマグカップに
ふりむきざま、手があたってしまい
ぽーんと投げ出されたマグカップ
あ、と思った時には床に落ちて綺麗に割れた。
 
携帯電話を落とした時もそうだったけれど
不思議と動揺なく、あ…と思って
それから金継ぎをしよう。と思ってかけらを集め、
新聞紙に包んで戸棚に閉まった。
 



ここのところ、身の回りがずっとぱたぱたとしていた。

介助の仕事先でヘルパーさんが緊急入院したり
そこでスケジュールがぐるっと変わって
ぱたついている中、はじめて電車の乗り継ぎを間違えて遅刻したり
 
引越、出産、
 
乱気流
 
ただ、緊急入院したヘルパーさんに関しては
ひとりの時に倒れていたらきっと命がなかった。
たまたま延長していた勤務中にことが起こり、
緊急搬送されて助かったという。

事業所の代表の女性は
「いつか起こることが、起こるときに起きて、偶然が重なって、助かった。
 倒れるときを、自分で決めていたんじゃないかと思うくらい。
 倒れたヘルパーさんは、自分の命を、長年介助していたその利用者さんに
 たくしたんじゃないかなと思う」
と、口にした。
 
わたしは、そういうことも、もしかしたらあるのかもしれない。と思った。
 
 
 
割れたマグカップを集めるとき
「身代わりやな」と
携帯がこわれた時に聡くんが言ったことばが
もういちど頭に浮かんだ。
 

そうかもしれない、と思った。
 
 
じっとじっと、していよう。抗わずに。と思う。
なるべくところに、ことが流れていくように。




雨があがって夕方
空気がすんで、すこしひんやりとしている。
 
夕陽が透明で
歩く人が金色をしていた。
 

2016年5月27日金曜日


介助の仕事の前に、携帯電話を落として
画面を割ってしまった。
 
介助の仕事を終えて事務所に戻る。
東京から戻ってきたばかりの聡くんと待ち合わせ、
新しくもらった仕事の相談をする約束をしていた。
 
アマゾンでsimフリーのスマートフォンを調べて
1番安いものを買おうと選んでいると聡くんがやって来て
隣で聡くんもパソコンを開いて機種を探してくれ始めた。
 

画面がパリパリに割れた携帯電話

「身代わりになってくれたな」と聡くんが言ったのを聞いて
そうだな、と心が落ち着いた。
 
 
何かすこし捻れたままいこうとしているところがあった気がする。
 
 

週明けまで、携帯電話のない生活。


今日は篠山にopenした、archipelagoへ行ってきた。
お店を始めたお祝いと、お子さんが産まれたお祝いと、伝えに。
 
JR大阪駅で、篠山口行きの電車の時間を確認した時に
「古市に何時に着きますか?」と駅員さんにたずねると
「あいので、各駅停車に乗り換えて…」と言う。
「あいので、各駅停車に乗り換えるんですね?」と聞き返すと
「はい」と返事があったので
快速に乗って相野駅で降りると、ホームで各駅停車を待つ人はひとりもいない。
次の列車は30分後の快速。その次はさらに30分後の快速。
駅員さんが間違えてアナウンスしていて、
快速に乗ったままでよかったんだとわかる。
 
ホームをツバメが行き交いする。
緑がさわさわという。
 
携帯電話はない。

30分、ホームのベンチで本を読む。
時々顔をあげて、ぼんやりする。
 

すごく楽だった。





古市駅を降りてすぐ、
倉庫を改装したarchipelagoがある。


中に入ると接客中の小菅さんがいた。
 
 
「なおちゃん、来てくれてありがとう」と
小菅さんが声をかけてくれたとき
小菅さんの目がツヤツヤとして綺麗で、あ、と思った。
 
 


産まれたての赤ちゃん
新しいお店
 
きっとすごく大変だったり、色んな気持ちを持ってはいるとおもうけれど
 
いま、ピカピカの、綺麗なものを見ている
澄んだものを見ている。
 
小菅さんの見ているものが、目の光になっているのかなと思った。
 
 
 
 
 
お祝いの気持ちも込めて
お買い物をしようと、お財布にお金をいれていった。
 
たくさんは買えないから、たくさん、迷った。
 
いっぱい迷って、いっぱい迷って
本当にすてきな花器を買った。
 
 
 


携帯をおっことしました。
はじめて、あの画面割れを経験。
 
しばらく携帯電話のない生活。

2016年5月25日水曜日


きのうの帰り道
もうすぐ引っ越していくなっちゃんが
「その自転車置いていっていい?」
と言った。
 
わたしはずっと、なっちゃんとけんちゃんから借りた自転車に乗っている。
白い自転車。

リサイクル品を買った、と言っていた自転車は
けっこう年季が入っているので

この間は盗難車かと疑われ
はじめて警察に呼び止められた。
 


泊まりに来ていたかげちゃんを後ろに乗せて
遅刻ぎりぎりのところ、ふたり乗りで切り抜けもした。
 
もう思い出が出来ている自転車だ。
 
 
自転車屋さんに空気を入れてもらった時
「チェーンがかなり錆びているので、いつ切れてもおかしくない」
と言われてから
チェーンが切れて転ぶイメージが時々頭をよぎり
どこかビクビクとしていたので
さっき思い立って自転車屋さんへ入り
チェーンを取り替えてもらった。
なんのことはない、すぐに新しいチェーンになって
ペダルのまわりもスムーズになった。
 
 
堀江が近い西区は
おしゃれな自転車に乗った人が、さっそうと走り抜けていったりする。
 
目に入れば、いいな、と思う気持ちもあるけど
 
自分が大切にできる自転車は、大阪に来て何もわからないときに
けんちゃんとなっちゃんが貸してくれた自転車の他にないと思う。
 



 
 

2016年5月24日火曜日


ベランダに干した毛糸のラグや
ウールガーゼのストールに触れると、もうほとんど乾いている。
 
ウールは撥水性がいいんだなーと思ってから
昨日の夜ごはんののこりを温めて、昼ごはんにした。
 
食べながら、考え事をしていた。
 
前世とか来世って本当にあるのかな。
確認しようもないけど、でももしかしてあるのかもしれないな、と
さっきは思った。
 
それから昨夜の夢を思い出した。
 
「死んだら時がとまってしまう」
 
もしも来世があるのなら、とまらない。
めぐり続けるだろう、と思った。
 
 
昨日、こわい感じが近くにきたのにはすこし心当たりがある。
妄想かもしれない、と気をつけながら。

母がずっと行っていなかった、父方のひいじいさんたちの墓参りに行くと
言っていた。
 
 
時のとまったところに、いるひとが来たのかもしれない。
 
夢話かもしれない、と置きながら
ひとつ、ここに書きたい。
夢のなかで、ああ言ったひとに。
自分のなかの、夢のかけらに。
 
 
死んでも、時はとまらない
ぬけがらを置いて
つぎへ行くこと
 


 
 
 



しばしばそういう状況になるのだけれど
やはり部屋が散らかっていた。
 
でも片付ける気も起きずに
どこか泥のようになっている。
 
 
日曜日、事務所からの帰り道に
ウール用の洗濯洗剤を買った。
 
部屋は散らかったまま
自炊も出来ていないまま
出したい手紙も出せていない
 
でも、昨日の朝、お芋屋さんへ出かける前に
ベランダに届いた洗濯機で
ずっとしよう、と思っていたセーターやカーディガンの洗濯をした。
 
 
朝、お湯を沸かして珈琲をいれるのも
どこか面倒くさくなっていて
母が送ってくれた野菜たちも、冷蔵庫に入ったまま触れていない。
今日もできなかった、と思うなかで
ひとつ、ずっとしたいと思っていたことをした。
 
泥みたいにどこかが溶けて、散らかった今日のなかに
いっこ、確かにあれをした。と思えることをした。
 
それだけで、「冬物、洗濯して、しまいたい」と
ずっとどこかに思っていた気持ちと、その周りが
すっと綺麗になる。
 


お芋屋さんでユニフォームを自分で買えないかな、と相談する。
共有しているユニフォームは、デッドストックのシャツだから、難しい、と言われ
「でも、みんな持ち帰って洗濯しているから」と綺麗だよ、とすこし困った顔で
伝えられる。
 
でも、洗剤の匂いがきついと気持ち悪くなることもあるし
ひとの匂いや気持ちがうつった服を、着るのがしんどいこともある。
 
伝えたいところを、どう言ったら伝えられるかな、と思って
曖昧に黙る。
 
面倒くさいことを言ってるのかもしれないな、と思うのと
正直に言えば、きっとわかってくれるだろうな、と思うのと。
 
 

お芋屋さんを終えて夜、
川のそばを歩こうと思って大阪駅からJRの電車に乗った。
家まで帰る途中にfence worksの事務所があって
なっちゃんの自転車が停まっていたので、ドアを開けて中に入った。
 
事務所にひとりでいたなっちゃんと、日曜日の話をしていたら
「あれを食べよう」となっちゃんが言って
冷蔵庫から水ようかんを出してくれた。
 
透明であまい。
 
 
スーパーフレックが開いているうちに、お肉を買いに行こう、と思って
まだ仕事を続けるなっちゃんと「また明日」と交わして事務所を出る。
 
なっちゃんの自転車が停まっていて
事務所に入るとなっちゃんがいる。
 
ふっと見えてくる、なっちゃんが引っ越していった6月の気配があって
 
今が、今だけ。と、心の隅がすこしかたくなった。
 
 

 
スーパーフレックに入って
お肉とミョウガと紫蘇とトマト缶を買った。
アイスを買おうか迷ったけど、食べたいアイスがないので諦めた。
 
 
8時を過ぎれば商店街は静か。
スーパーの裏の暗い道を歩く。
角を曲がると、ホテル・トロピカルが見える。
 



家に帰って
乾いたニットを取り込み、袋につめて、防虫剤を入れてしまう。
 
すこし気持ちがすっとして
毛布も洗濯機にかけて、夜のベランダに干した。
 
 
にんじんを千切りにして、塩をふってタッパーに入れる。
新しょうがをスライスして醤油につける。
 
すこしずつからだが動き出す。
 
よもぎ茶を、お茶パックに分け入れる。
途中まですすめて、ごろんと横になる。
 
横になってしばらくぼんやりしたあと
起き上がって、使いかけのタマネギと買ってきた豚肉をキムチと炒めて
ミョウガをのせて、ごはんと一緒に食べた。
 

 
夜、なかなか寝付けなくて
眠っているのか起きているのかわからないところで
夢をみた。
 
「死んだら時がとまってしまう」
 
と、夢の中のひとが言った。
 
 
目がさめて、足下の観葉植物の鉢を倒してしまい、
暗い中、倒れた鉢を起こす。
 
 
ほんとうに死んだら時がとまってしまうのかな
 
 
時計をみたら3時前で
こわい感じがよって来たので
聡くんのことを考える。
 
 
夜行バスに乗って、夜中目が覚め、
こわい感じが起こった時に気がついたのだけれど
聡くんは持っている重力が深くて輪郭が濃いので
聡くんのことを考えて、聡くんの存在感に意識をあてていると
こわい気配が聡くんにかなわず、消えていく。
 
それでまじないとなえるように
聡くん、聡くん、と思っていたら
そのままいつの間にか眠っていた。
 
 
 
この間「前世家族だったんじゃないか」と聡くんに言われた。
そのときわたしは
「同じ土だったんじゃないか」と答えた。
 
窓が開いていて
隣の保育園からカレーの匂いがしていた。
 
カレーから連想しての土かと思っていたけど
そんなこともないように思う。
 
同じ海の泥とか
やっぱり同じ土だったんじゃないかと思える。
 
 
朝がきて
起きてラジオをかけた、と思っていたけど
目が覚めてからそれも夢だったことに気づいた。
黒いラジオは家にない。
 
 
目玉焼きとウィンナーを焼いてパンにのせて食べる。
にんじんとしょうがも皿の端にそえて食べた。
 
かわいていた毛布を取り込んで
防虫剤と一緒に袋につめてしまう。
 
洗い残していたニット類をまた洗濯機にかける。

 

生きてる。時がうごく。
 

2016年5月23日月曜日



お芋屋さんで、
森、道、市場へ行った。

途中、聞きたい音楽、行きたい場所があったら
仕事をぬけよう、と話していたので

キセルの演奏になったら行こう。と思っていた。

演奏開始時間よりはやく、
音楽が流れ始めた。

ベガだ、好きな曲だ。

でもリハーサルかも。リハーサルなら本番やるかも。

そう思いながら、でも、もう始まってたら!と思って
「すみません!好きな曲が始まっているので!」と言って
仕事をぬけさせてもらい、
ステージにむかって走った。


 
アスファルトこえて、緑の芝の上。
音が大きくなって、音楽の渦の中に入る。
キセルがいる。
 
思い返せば、夢の中の風景みたいだ。
 
 
ベガは、わたしにとって、中嶋くんの曲だ。
もう10年くらい多分、会っていない中嶋くんの曲だ。
 
中嶋くんは、小さなうさぎみたいな女の子にずっと恋をしていた。
何回か告白してふられているのに諦められなくて
曖昧なふられ方に、自分では思いが断ち切れなくて
「(両思いになる)可能性がないならそう言って」と、
とどめを刺してもらいに行くと
「可能性がないとは言い切れない」と、ころされることなく帰されて
つないだ皮のところで
夢見るようにずっと恋をしていた。

中嶋くん、
 
 
そんな風に中嶋くんのことを思い出していたら
今日、ふいに中嶋くんの話をする機会があった。
 

 
ほんとうに相手をおもう、想いがなければ、相手を切れない。
そう、感じさせられたひとの在り方を前に
切られなかった、中嶋くんの姿が浮かんできて。


中嶋くんが恋をしていた、
その、小さなうさぎみたいな女の子の名前がずっと思い出せなかった。
 
だけど話を聞いてくれたひとが
「その女の子は本気でひとにも自分にも向き合ったことがないから、
相手の本気がわからない。本気の感触を知らないから」
そう言ったその時、
彼女の名前が思い出された。
 
ももちゃん
 
「本気の感触を知らないから」
わたしからみえてたその子の姿がそこにあったから、
名前があらわれたんだと思った。

ももちゃんだ。
 
 

キセルのベガの
「あぁ死んだら眠れない」っていう歌詞のところが好きと
ずっと思っていたけど
昨日インターネットで歌詞を検索したら
「安心だな 眠れない」だった。


2016年5月18日水曜日


 
どんどんと、毎日が過ぎていく。

時間を無駄に使うのがこわいと思っているとき、
何もできなかった。

時間は経つものなのかもしれない。

するところ、
あるところに。

 
わすれよう、
大切なこと。
何度もなぞりたくなる過去を。



わすれよう
 
記憶は風にふくまれる
においにすりこまれる
あのこの目になかに、髪の毛の先に
季節のひかりに
宿っているから

また出会えたときに
ふっとまた、沸き上がり
思い出すことができるから

安心して、忘れよう

 
いま、とどまっていたい記憶に手をあてながら
どうしたらいいかな、と思いながら
ふと、そう思った。

2016年5月8日日曜日



今日は生活の合間に寄っていた、シワをのばす日。
 
 
たまっていた洗濯物をほして
シンクにそのままにしていた洗い物を片付け
それからお米を炊いた。
 
午前着で荷物を受け取り
 
自転車を漕いでスタンダードブックストアへ行って
母の日の贈り物を見つけた。
 
 
気がつくとシワは寄っている。
 
1日のうちに小さく寄ったシワを
小さくのばしてから眠れたらいいけれど
 
その「小さく」ができないときもある。
それで
時々まとめて、きゅっきゅと
のばすことが必要な日がある。
 

自転車で信号待ちをしているとき
気が急いているのに気がついて
「待とう。いま、急ぎすぎてたペースを、調整しているところ」
と、思う。

信号が青になってから
横断歩道のななめ先にあるファミリーマートに寄って、
食パンを買った。
 

 
くいくいと、自転車を漕いで
神社の横を通りすぎるとき
 
数日前に出会ったひとたちの
滋味ある様を何度も心のなかでなぞっていることに気づき
 
ひとの様はこんなに見えるのに
あのとき、わたしはどう映っていたんだろう、と思った
 
そこはまったく、こんなにも、見えないんだな、と気づいて
そこはまったく、こんなにも、見えないんだ、と感じた
 
 
 
のこさんが
「前にひとから「のこさんは○○なひとだよね」と言われたことがあるけど
 自分では、えー、そんなことないのに、と思った
 自分で思っている自分と、ひとが見てる自分は違うんだなと思って
 でももしかしたら、案外、他人が見てる自分のほうが、
 ほんとうの姿なのかもしれない」
と言っていたことばを
思い出す


そう、今書きながら
「なおちゃんは、なんかいいんだよ。うん。なんかいい」
と言ってくれたくぼやんのことばを思い出した
 
わからないけど、
なんか、勇気になる
 
 
 
シワがのびたので、
いままた、絵を描き始めている

2016年5月7日土曜日




 
洗濯物がたまっていく
 
明日、まとめてごそっと
洗濯をしよう
 
 
メールの返信もたまっている
 
 
 
 
髪の毛が綿飴のようになってきていたので
切りたいな、と思っていた
 
佐田さんが中崎町にやってきたついでに
描き足した絵を渡した日
夕方からくぼやんのところに髪を切りに行くというので
わたしも便乗して連れて行ってもらった
 
ふたりが髪を切る横で
パソコンを開いて仕事をする
 
はじめての仕事ばかりで
焦ってぼろぼろとしている
 
髪を切る暇なんて、ともいえるけれど
だからこそ髪を切りたかった
 
パソコン作業をしていたら、見落としていた失敗に気づいて
「どうしよう…」と口に出したら
くぼやんと佐田さんが「え、相手に聞いてみればいいじゃん」と
返事をくれて、あぁほんとうに、そうだ、と
すこし気が楽になった
 
それだけでも髪を切りにきてよかったな、と思った
ひとりだったら「どうしよう…」のループのなかにいたかもしれないから



相手先に電話をかける
 
東京の夕方に繋がる電話が不思議だ
 
 
今日やることがあり
明日、やることがある
 
それはたぶん
なんとか、だけど
めぐっているということなのかもしれないな
 
出会いのなかから
めぐりが生まれている

そんなことを、ふと実感する




 
髪を切るふたりの会話が聞こえてくる

「最近大工さんと山菜採りをして、そしたら山菜が目に入るようになって
 車を運転してても、このへん、ありそうだなーとか、目に入るようになった
 山菜を見る、目ができた」

くぼやんが佐田さんの話を聞いている。
 
この話は、野草のはなしをしていたまゆみさんが言っていたことと
まるで同じ感覚のことを言っている、
そう思った。
 
まゆみさんの話を、くぼやんも一緒に聞いていたから
きっとくぼやんの頭のなかにも
まゆみさんのことが浮かんでいると思ったけれど
 
くぼやんは聞きながら、まゆみさんのことは話さなかった。
 
佐田さんの発見を
佐田さんのところで
聞いていた。
 
 

 
 
 
メールの返信が終わったところで
わたしの番になった
 
 
みじかくざっくり切ってもらう
  
 
くぼやんが
たったったっと
ハサミをいれていくので
 
どうして瞬間瞬間に
ハサミをいれられるんだろうと思って聞くと
 
「…さっきの話じゃないけど、目があるんだと思う」
と、くぼやんが言った
 
切るところが、見える目
 
 

 
 
  
夜、くぼやんの家でごはんを食べたとき
ふとくぼやんとふたりになって
くぼやんの語ってくれた話が
忘れがたい
 
 
ひとりひとりそれぞれに
そのひとの目にしか
見えない景色をみて
 
時々ふいにそれを
わかちあうような
瞬間がきたりする
 
そして波がひくようにして
またそれぞれの
景色の中に
 
  





翌日から2日間の企画があり
企画を終えた夜はのこさんが
「なおちゃんの来阪祝い」といって
晩ごはんをごちそうしてくれた
 
  
 
のこさんとは2年前、
穂高の山道を
すこし山の下にある、お風呂まで
一緒に歩いた
 
途中、座っているカモシカの親子を見つけて
黙って顔を見合わせたりすることもあった
 
のこさんはその時足をくじいていて
山道を降りる途中で急なところは先を進む誰かに
手をひいてもらっていた
 
その姿が思い浮かぶ


今、隣を歩くのこさんの足どりは
すっすと軽い



「なおちゃんは赤ちゃんみたいって思う」
のこさんからそう言われる。
仁美ちゃんからも2回言われたことがある、と思った。
自分のことは、自分ではわからないな、と思う。



大正駅でのこさんと別れて
家に帰る道
橋を渡ったときに
風から潮のにおいがかすかにした
 
 

2016年5月1日日曜日


パソコンをする棚の前の壁。
ペンキ塗りを一緒にした、みきちゃんがくれたカード。
僻地へ行って、暮らしながら写真を撮っているのだって。






マンションの下のコインランドリーが使えなくなってしまって
仁美ちゃんの家で洗濯してもらった。
 
洗濯物をほすのが嬉しくなるような、青空の日だった。
 
 
 
5月になった。
 
走る車の大阪ナンバーを見るたび、
なんだか不思議な気持ちになる。
 
まだどこか、長い夢をみているような感じがする。
 
でも、人生全体が本当はきっとそんな風だ。
 
夢だし、ものすごく、本当なんだ。
 



2016年4月29日金曜日


 
最近は、
らくちんだし
くいくいと飲めるので
お茶を水だししている。
 
なおちゃんが贈ってくれたハーブティーも
眠る前にポットにいれて
朝、水だしされているのをいただいた。

すっとする。


 
 
 
介助の仕事で
ご家族のルールと違うことをしていたらしく
ちょっとひと言いただいて
あぁ、やってしまったなぁ…と思った。

帰り際に利用者の方が
ぽつりぽつりと帰り支度しているわたしに
話しかけてくる。
 
あ、これは、フォローしてくれている。
会話のなかで、そう気がついて
なんだか心の表面が溶けるような気持ちになった。
 
 
 

ここ最近
見えてなかったひとの気持ちがパン、と入ってきて
そうすると
じぶんの目線もパン、と、そっちにうつるから
そのひとの気持ちで、いくのがいいなと思えて
ほかのひとにもそう伝えていた出来事があった。
 

そうするのが間違えない感じがするのに
わたしの胸はきゅっとかたくなって、すごく小さくなっている。
 
ここのことに関して
わたしの気持ちもたしかにあって、わたしの目線もたしかにあるのに
ひとの気持ちと目線が入ってきたときに
わたしはわたしを消して、そっちへいこうとするから
あるものを消そうとしているから
涙がでるんだな、と思った。
 
かたくなって小さくなっているのは
姿を消そうとしているじぶんの動き。
 
でも消えきることはないから痛い。
 
 
ただしくはないかもしれないけど
ひとの気持ちを知ったうえで
わたしの気持ちのところに
いてみようと思った。
そうしながら、
関わってみようと思った。
 
 
 
夜のなか
ツツジのにおい

街灯がてらてら照らす川の水面
 
大きな橋を渡るそのとき
イヤホンからナイトクルージングが流れて
 
空気がまた
うごきはじめた。
 



あめあがり、
駐輪場を出たらツツジのかおりがして
もうすこし、がんばろう。と、思った。
 
 
自転車をこいで、介助の仕事に向かう。
 
 
ひとの、からだに触れるとき
触れ方を教えてくれたひとのことを思い出す。
 
介助の仕事をしてる間の、ほんの一瞬のことだけれど。
 
 
 


 
 
 

2016年4月26日火曜日

ナツノボウシ展





wica grocery ナツノボウシ展 ☆(link)




小さなワンルーム
菜の花いけてたら、部屋がアブラナくさくなったので
これではいけない、と思って
かおりのいい花を買ってきた。


こんな風に、百合の短いところを
ぽんといけるのは
ロイテみたいだな、と思う。


隣のお花屋さんが、よくこうして百合の短いところを
ふたりのもとに持ってきたのが
そっといけてあったっけ。






初対面の太陽の塔は、横顔。
今度はゆっくり、会いにいくんだ。

ほんとうは誕生日に会いにいこうと思っていた。
忙しくてそうはいかなかったんだけど

そしたら、お芋屋さんの仕事で万博記念公園にいくことに。

『The gift will suddenly arrive. If you are ready for it. 』

だ。




佐田さんの家が完成にむかっていて
けんちゃん、なっちゃん、それからくぼやんと一緒に
ペンキ塗りに行った。
 
佐田さんは、幼なじみの建築士に設計をお願いして
かつての職場で一緒に働いていた大工さんを
関東から呼んで、家を建ててもらってた。
 
もともと建っていたプレハブを箱にして、
内側の解体は
自分と、それから友だちに手伝ってもらって、やっていたっけ。
 
ペンキ塗りしに行ったら
姫路からも友だちがきていて
みんなでわいわいペンキを塗った。
 
一生懸命塗っているところに
佐田さんが
「さぁ、みんながんばろー」と声かけてくるので
「がんばってる!」とイラッとしたりもしつつ
それでも

佐田さんたち家族が暮らす家だと思うから
できるだけ丁寧に、一生懸命
ペンキを塗った。

この間、仕事を頼んでもらったときに、
「有名なひとに、お願いすることも考えたけど
自分たちの周りにいて、ここのことをわかってくれているひとに頼むのが
ぼくららしいかなと思って」
と、言ってくれたのが嬉しかった。
 
佐田さんも、同じことを言っていた。
 
考えてみたら
わたしもそんなふうにして、とても未熟なのにも関わらず
声をかけてもらってきた。そればかりだ。
 
頼んでくれることが何よりもありがたくて
こたえたくて、よろこんでほしいから、向き合うことができた。
 
ペンキ塗りした帰り道に、
くぼやんの話を聞きながら
くぼやんが佐田さんのことを、特別に感じているのがわかった。
くぼやんの言っていること、なにをみているのかが
すごくよくわかる気がした。
おなじものを感じているような気がした。

 
 
 
ひとによって、鍵はちがう気がするし
ひとつ見つけた、と思った鍵も
ドアによって変わるのだから
それがずっと、扉を開いてくれる鍵になるかはわからないけれど
 
34年間生きてきて
扉をひらく鍵は、これだった。と思ったことがいくつかあって

ひとつは
「拙くても、じぶんの言葉で話す」ということ。
ひとつ、嘘をつくと、ひとつ、自分の本筋から離れていく。
 
話す、と、聞く。は対になっているから
じぶんの言葉を話すには、じぶんじしんと、相手のことを
精一杯、聞く必要がある。
 
耳なく、口だけにはならないはずだから、
誠心誠意。
 
と、書きつつも、嘘をついていることが
わたし、あるかもしれないけど
嘘をつくときには、嘘をついているわたしを、見ていること。
 
 
もうひとつは、
ここにあるもので生きる。ということ。
出会ったひとと、関わるということ。

関東から大阪へ、ということを「思いきった」と言われることがあるけど
それは、大阪が目の前に、あったから行けた。
やぶからぼうに、どこかへは行けないし
たとえば、隣の市に引っ越すようなきっかけは、目の前になかったんだ。
だから、大阪は近くて、隣の市は、わたしにとって、遠かった。
そういうことなんだと思う。
 
5年前に介護の仕事をしよう、と思った時
タウンワークで仕事を見つけた。
いろんな仕事の探し方があると思ったけど、
じぶんの触れるところにあるものを信じよう、と思ったのをおぼえてる。
じぶんの手が届くところより、すこし先にあるものに手を伸ばそうとして
ずっと虚しい思いをしていたから。
もうすこし手を伸ばせば、届きそうだったけど、永遠にその距離は縮まらなくて
ずっとずっと、なんの手応えもおぼえられなかった。
だからもう
手を置いて、触れられるものを信じようと思ったんだった。

それを思い出して
また大阪に来て介助の仕事をしようと思ったとき
駅にあったタウンワークを手にとった。
 
タウンワークから面接を受けた会社では、働くことにならなかったけど
そこを受けたと話したことから、そこを受けたなら、あの事業所と近いよ、と
今の仕事先と、仕事先を営むひとと、ご縁が繋がった。
 
いつも、遠くをみることを
教わってきたな、と思う。

「何になりたい?」
「目標はなに?」
「やりたいことはなに?」

いつも、今より
すこし遠くに
目線を促されてきて
ずっと空っぽ
なにもないところに
なにかがなくちゃいけない気がして
なにかを
追いかけてるのに
なにを追いかけてるのか
わからなかった。

もうすこし、先にあるもの
もうすこし、すてきにならないと
もうすこし、

その「もうすこし」は
際限なくて
追いかけても、ずっと埋まらなかった。
 
ギブアップしたときに
いつも
人生がひらけたな、と
思う。
 
「もうすこし」を諦めて
ここが私の生きるところだ、と肚すえたときに
いろんなものが
繋がって動きだした。