2016年3月28日月曜日


 
 
からまっている糸があったら
 
ほどくには
面積がいる。
 
空間がいる。
 
真空状態では
ほどけないから
 
わたしたちは
話す。
 
打ち明けて、
糸の端をちょっと持ってもらったり
ほどくために糸を広げる
スペースを分けてもらったりする。
 
そうして糸をほどいて
 
すっと
誰かの抱えている糸が解けたとき
 
その糸に知らぬ間にからまっていた
自分の糸も解けていたりする。
 
 
ゲシュタルトの祈り、のことばがすきだ。
 
あなたはあなた
わたしはわたし
 
けっこう、大事なところだ。
 
でも
あなたがらくになると
わたしもらくになる
 
そんな融合している部分も、
やっぱり確実にあって
 
「自分っていうのは自らを分けるって書くでしょ。
自らを分けられるひと、自分を注げるひとのことまでを、
自分っていうんだと思ってる」
 
と言った佐田さんのことばは
多分本当にそうなんだと思う。
 
それはあなたの問題で
わたしの問題ではない、という言葉が
抱え過ぎて動けなくなっている時には、とても有効だ。
いちど荷を降ろして
整理するために。
 
でも
 
あなたはあなた
わたしはわたし
という自他を分け過ぎて
もう触れなくなることもある。
 
自他を意識し過ぎて関心を失って
もう出会えなくなることもある。
 
わたしたちは
空間に由来している。
 
独立独歩で存在しているということはあり得ない。
 
このからだだってまた、決してわたしが所有できているものではなく
この宇宙(仮)空間における、ある状態で
その状態に「自分」らしい、意識が宿っている。
 
すでにからだは空間なのであるから
厳密には別個に存在していることはなく。
 
互いにひとつの空間に由来している。
 
だから
なにかが、
「自分」の担っている空間に比重がかかりすぎてしまっている時には
ほかの場にリリースしてよいのだと思う。
 
 
塩梅。
 

 

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