2016年4月26日火曜日




小さなワンルーム
菜の花いけてたら、部屋がアブラナくさくなったので
これではいけない、と思って
かおりのいい花を買ってきた。


こんな風に、百合の短いところを
ぽんといけるのは
ロイテみたいだな、と思う。


隣のお花屋さんが、よくこうして百合の短いところを
ふたりのもとに持ってきたのが
そっといけてあったっけ。






初対面の太陽の塔は、横顔。
今度はゆっくり、会いにいくんだ。

ほんとうは誕生日に会いにいこうと思っていた。
忙しくてそうはいかなかったんだけど

そしたら、お芋屋さんの仕事で万博記念公園にいくことに。

『The gift will suddenly arrive. If you are ready for it. 』

だ。




佐田さんの家が完成にむかっていて
けんちゃん、なっちゃん、それからくぼやんと一緒に
ペンキ塗りに行った。
 
佐田さんは、幼なじみの建築士に設計をお願いして
かつての職場で一緒に働いていた大工さんを
関東から呼んで、家を建ててもらってた。
 
もともと建っていたプレハブを箱にして、
内側の解体は
自分と、それから友だちに手伝ってもらって、やっていたっけ。
 
ペンキ塗りしに行ったら
姫路からも友だちがきていて
みんなでわいわいペンキを塗った。
 
一生懸命塗っているところに
佐田さんが
「さぁ、みんながんばろー」と声かけてくるので
「がんばってる!」とイラッとしたりもしつつ
それでも

佐田さんたち家族が暮らす家だと思うから
できるだけ丁寧に、一生懸命
ペンキを塗った。

この間、仕事を頼んでもらったときに、
「有名なひとに、お願いすることも考えたけど
自分たちの周りにいて、ここのことをわかってくれているひとに頼むのが
ぼくららしいかなと思って」
と、言ってくれたのが嬉しかった。
 
佐田さんも、同じことを言っていた。
 
考えてみたら
わたしもそんなふうにして、とても未熟なのにも関わらず
声をかけてもらってきた。そればかりだ。
 
頼んでくれることが何よりもありがたくて
こたえたくて、よろこんでほしいから、向き合うことができた。
 
ペンキ塗りした帰り道に、
くぼやんの話を聞きながら
くぼやんが佐田さんのことを、特別に感じているのがわかった。
くぼやんの言っていること、なにをみているのかが
すごくよくわかる気がした。
おなじものを感じているような気がした。

 
 
 
ひとによって、鍵はちがう気がするし
ひとつ見つけた、と思った鍵も
ドアによって変わるのだから
それがずっと、扉を開いてくれる鍵になるかはわからないけれど
 
34年間生きてきて
扉をひらく鍵は、これだった。と思ったことがいくつかあって

ひとつは
「拙くても、じぶんの言葉で話す」ということ。
ひとつ、嘘をつくと、ひとつ、自分の本筋から離れていく。
 
話す、と、聞く。は対になっているから
じぶんの言葉を話すには、じぶんじしんと、相手のことを
精一杯、聞く必要がある。
 
耳なく、口だけにはならないはずだから、
誠心誠意。
 
と、書きつつも、嘘をついていることが
わたし、あるかもしれないけど
嘘をつくときには、嘘をついているわたしを、見ていること。
 
 
もうひとつは、
ここにあるもので生きる。ということ。
出会ったひとと、関わるということ。

関東から大阪へ、ということを「思いきった」と言われることがあるけど
それは、大阪が目の前に、あったから行けた。
やぶからぼうに、どこかへは行けないし
たとえば、隣の市に引っ越すようなきっかけは、目の前になかったんだ。
だから、大阪は近くて、隣の市は、わたしにとって、遠かった。
そういうことなんだと思う。
 
5年前に介護の仕事をしよう、と思った時
タウンワークで仕事を見つけた。
いろんな仕事の探し方があると思ったけど、
じぶんの触れるところにあるものを信じよう、と思ったのをおぼえてる。
じぶんの手が届くところより、すこし先にあるものに手を伸ばそうとして
ずっと虚しい思いをしていたから。
もうすこし手を伸ばせば、届きそうだったけど、永遠にその距離は縮まらなくて
ずっとずっと、なんの手応えもおぼえられなかった。
だからもう
手を置いて、触れられるものを信じようと思ったんだった。

それを思い出して
また大阪に来て介助の仕事をしようと思ったとき
駅にあったタウンワークを手にとった。
 
タウンワークから面接を受けた会社では、働くことにならなかったけど
そこを受けたと話したことから、そこを受けたなら、あの事業所と近いよ、と
今の仕事先と、仕事先を営むひとと、ご縁が繋がった。
 
いつも、遠くをみることを
教わってきたな、と思う。

「何になりたい?」
「目標はなに?」
「やりたいことはなに?」

いつも、今より
すこし遠くに
目線を促されてきて
ずっと空っぽ
なにもないところに
なにかがなくちゃいけない気がして
なにかを
追いかけてるのに
なにを追いかけてるのか
わからなかった。

もうすこし、先にあるもの
もうすこし、すてきにならないと
もうすこし、

その「もうすこし」は
際限なくて
追いかけても、ずっと埋まらなかった。
 
ギブアップしたときに
いつも
人生がひらけたな、と
思う。
 
「もうすこし」を諦めて
ここが私の生きるところだ、と肚すえたときに
いろんなものが
繋がって動きだした。


 
 


 

 

 


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