2016年6月12日日曜日



ちいさな車いっぱいに
狭山の友人たちと乗っている夢をみたので
目が覚めたとき一瞬
実家の部屋にいる気になっていた。
 
 
 
モンステラは新しい葉がひらいて、
のびのびいきいきと呼吸している。
 
 
夢のなかでは狭山にいたから
起きたときに一瞬、大阪の時間がすっぽりぬけていた。
 
すごく大切な時間だと思っているのに
ぽんと抜け落ちることがある。
 
記憶は点、点。
 
 
 
認知症のひとのあたまの仕組み、すこし触れた気持ち。
 
 
 
自分がほんとうに大切だと思っていても
ぽんと抜け落ちるちからにはかなわない
 
だからいくつものことを
忘れてきたし
忘れていくだろう
 
握っていたくてずっと持っていても
抜け落ちるちからのほうが、多分そうなるときは
そっちの方がつよい
 
 
でも、「それを経てこうなったわたし」というものはある。
 
記憶はぬけおちても
経験から影響をうけて変わった自分がある。
 
 
それは思い出せるとか
思い出せないとかよりも
 
よっぽど確かで
 
 
だから思い出せなくなることをこわがらなくていい。
握ってる手を離したら、もう触れなくなるんじゃないかと
こわがらなくていい。
 
手ならもう離れている。
 
 

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