2016年6月4日土曜日


 
 
心斎橋で絵の具と画用紙を買って
自転車漕いで帰ってきた。

くたっとまた眠ってしまって、
目が覚めて冷蔵庫にあったお豆腐に
塩もみしたきゅうりとキムチをのせて食べた。

こんなに眠れるんだなぁ、と思うくらい
1日よく眠った。

夜に、心に浮かんでいたひとに電話をかける。
話を聞かせてほしいとかけた電話だったけれど、
ぽろっと自分から話し始めていたことがあって
わたしはこの話を、ずっと、聞いてほしいって
思っていたんだなぁと思った。
涙がつたつた、こぼれていた。
聞いてもらって、手放したから、きっともう、大丈夫だろう。
ありがとう、と思った。


離れていても
リンクしている。
同じように滞り、捻れ、ほどけ、流れて。

声をかけてくれるひとがいること。

話を聞いてくれるひとがいること。


 
窓をあけていたら
「俺らの人生ってなんなんだろうな」という声が
ポーンと投げ込まれたように、入ってきた。

寝転びながら、
なんなんだろう。と思う。



幻のようにふっと、
消えてしまったひとを知っている。

絶体絶命という場面を越えて
生きているひとも何人も知っている。

もう消えてしまいたい、と思ったときも
からだが元気でいることも知っている。

すこしずつ弱っていくひとも見ている。


でもどんなに細い手足であっても
生きている以上は触れると
むこうがわから伝わってくるものがあって
それがどんなに微弱であっても、「ある」以上
果てしなく力強く思う。


そんなことを考えながら
生は受けるもので、
生かされているのだよな
ということを思った。

ことさらに、生きよう、としなくてもいいのだな
と思った。
もう、生きているから。

生きようとしなくても、生きている。
生きている、というところにいる。ということ。




大阪にきて、半年が経った。

介助の仕事を終えて、駅まで自転車を漕いでいるときによく
「どうしてここにいるんだろう」
と、思う。

ここにいる、ということだけが
ぽかんと浮いて。
 


 







 
 
 



0 件のコメント:

コメントを投稿