2016年10月1日土曜日



うらさんがうちへ来てくれた。
ひとがうちへ来てくれると、
わたしはお湯を沸かすのに立つことができるし
豆をひいて、コーヒーをドリップできる。

 

最近は、あまり家にいなくて
変な時間に帰って眠るか
シャワーだけ浴びてまた出かけるような
そんな感じでいたから

冷蔵庫の中には調味料しか入っていなくて
掃除機もかけていなかった。

わたしの部屋は、なかなかな風紀の場所にあるけれど
部屋に入れば居心地がいいし、
遠出をして3日くらい家をあけて帰ってくると
いつも部屋は穏やかに迎えてくれる感じがした。

引っ越してきたばかりの不安だった時にも
三重に数日滞在して戻ってきたときの部屋のあかるさに
「やっぱりいい部屋だ」と
思えたのだった。




この頃は
不自然に忙しくしていて
色んなものをそのままにしている自分がいて
部屋にも全然手を入れていなかったから
自分の心もすこし疲れていたし、
部屋も同じようにして、ちょっとくすんでいる感じがした。


うらさんがくる、ということになって
床の水拭きをして、
いらなくなったスケッチブックや、紙ごみなどを捨てたら
なんだかまた空気が
めぐり始めた気がする。



うらさんとのお仕事の話。
ほんとうに楽しみだし、ふくよかな気持ちになる。
ようこさんやみなさんと4人で、色んなことをしていたとき
自分がどんな風にものを作っていたかも、うらさんの視線が思い出させてくれた。

お茶を入れていたら
うらさんがナッツとチョコレートをかばんから出して並べてくれる。

うらさんとふたりで沖縄へ行ったとき
ふたりそれぞれに持っていたナッツやサーターアンダギーを
お腹が空いたらちょこっとずつ食べたりして
食料と水を持って、旅していたことを思い出した。


どこを歩いていても、いいように。
どこで眠ることになっても、いいように。






 
大正駅でうらさんと「またね」と手をふったあと
約束があったので宝塚まで出かけた。

いつも手みやげを持ってきてくださる方を訪ねるので
自分も手みやげを用意しようかと思ったけれど
一緒にたずねる子が午前中の用事をすませてからパタパタと
もしかしたら何も持たずに来るかもしれないと思い、
手ぶらで行くことにした。
 
乗換駅で花屋を見たとき「お花を持っていったら喜ぶだろうな」
と心に浮かんだけれど、小さな花でも大げさになる気がしてやめた。
 
 
阪急沿線の小さな駅で、
一緒にたずねる子と待ち合わせをして二人で出向く。

訪問先近くまで来たとき
道の真ん中に向日葵がぽん、と一輪落ちていた。
 
まさに花盛りの、とても綺麗な向日葵。
 
道沿いのおうちの塀から、綺麗な小ぶりの向日葵が満開なのが見えていたので
あのおうちの方が、花を切って
どこかへお裾分けに行く途中で一輪、落としたのかもしれないな、と思う。
 
ぽん、と落ちたその一輪を
「(訪問先への)お土産にしよう」と言って拾った。
 
 
 
流れがある、
わからないけど。
 
ぐーっと悩んでいるとき、からだがかたまっていた。
からだをかためて、心が揺れるところから、自分を守っていたようにも思う。
 
時期を過ぎたら、留まることはない。
そこには何もないから。
 
離れて、ちゃんと、見ること。
 
 
呼吸をいれて、生きること。
 
 
 


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