2016年10月11日火曜日



いろいろきちんと見つめないといけないことがあるのだけれど
見ることと向き合えず、向き合わず
逃げたいなぁと思っていた。
どこか大切なものを、投げやりにしてきたような感じがする。
 
場所をいくらかえても
自分が変わらなければ
ずっと同じだろう。
 



坐・フェンスという
フェンスワークスの聡くんと仁美ちゃんの所属している劇団の
長野県松本市での公演に一緒に連れていってもらうかたちで
松本へ行き、それから、帰りに岐阜県の恵那にある
橋本さんと縁のある恵み自然農園で一泊させていただき、戻って来た。
 
松本へ行く前に
自分の気持ちが揺れる出来事が重なって
お腹の中がすかすかになってしまったような
それをどうしたらいいのかわからないような時間を過ごしていた。
 
 
坐・フェンスという劇団が何をするかというと
まず、会場のひとたちが円坐をくみ、車座にすわって
(その場によって様々かと思うのだけれど)来たひとたちから言葉をもらっていく。

どこから来たかとか
どんな心境でいまいるか、など
その時、そこに座ったひとから、あがった言葉を
団員はみんな聞いていて
それを聞いたところで、舞台が始まる。

何を演じるかとか、配役はどうとか、
そういうものはなく
本当に有機的に
場が立ち上がっていくような感じをうける。
 
 
今回の公演では
語られることばが
 
障害のある方とずっと関わりをもってきた方のことばだったり
なんとなく生き死にに関わる話が重なり、
自分の現在とリンクするような感覚をもって舞台を受けていた。



自分のことばから、始まる舞台をうけ
感想を語るひとに「生きる」方向へ舵をとる姿をみて
自分のおなかは、まだすかすかとしていて
立ち上がれるようなところが、まだ、ないな…と感じていた。
 
ただ、目の前で起こっていることが
「生きる」方向へすすんでいるという中に
いるということを感じていた。
 
公演のあいだ中、ボランティアスタッフでテキパキと働くひとりの女の子がいて
その子の姿が、印象に残っていた。

 
 
松本を離れて、大阪までの道中
岐阜にある恵み自然農園へ立ち寄る。
 
橋本さんと縁深いひとの営む場所。
 
 
夜9時過ぎになったというのに
ご夫婦と、そこに集った仲間が
晩ご飯に手をつけず、炭焼きしたさんまや、とれたての野菜で作ったお料理を
テーブルいっぱい、綺麗に盛りつけて待っていてくださった。
 

おしゃべりしながらいただいて
ゆっくり眠らせてもらって
翌朝も、しっかりとした朝ご飯をいただいた。
 
自然いっぱいの中をみんなで散歩して
 
それから、すこし恵那の町並みを歩いてから
恵那のとなりの集落で作陶している伊藤さんの
陶房へ立ち寄らせていただく。
 
伊藤さんのたたずまい
陶芸のはなし、
たくさんの作品をみて
 
作品の中から、一輪挿し、それから小皿を2枚、いただいて
 
帰り道、自分のおなかに
芯がまた、立ち上がっているのを感じた。
 
生きることをどこか、投げやりにしてきたと自分で自分を、見た。
 
土地に根ざし
黙々と営みをつづけるひとをみて
教わった感じがする。
 
 
伊藤さんに話を聞いてもらった、と
伊藤さんにおもいを寄せる女性の姿をみて
その人の姿からも、教わったものがある。
 
 
 
最近
「大阪に来て、もう1年?」と
聞かれることが重なっていた。
 
12月で1年になる。
 
何もわからず飛び込んで
ただくるものを受け、ただくるものを受け
なんとかなんとか、泳いでいたような感じがする。
 
このまま沈んでもいいし
泳げるところまでいこう、というような
どこか捨て身な気持ちでいたと思う。
 
 
でも力が足りなくなって
どうしたらいいかわからなくなったとき
そのまま沈んでいきそうなからだと
でもどこか、水をかく腕に力がほしい
足をつけるなら岸へ行きたい
そういう気持ちも涌きながら
 
その術を見いだせないような感じでいた。
  
 

うつろな自分なのに
メンバーでもないのに、
坐・フェンスの橋本さん、くぅ、仁美ちゃん、聡くんは
旅にのせてくれた。
松本でも岐阜でも
芯で生きているひとたちの息吹に触れた。
そこで、かえりみるものがあった。
 


 
 
足腰に、ちからをいれていきたい。


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