2016年10月18日火曜日


 
徳島のすだちをいただいて
お湯に割って事務所で飲んでいる。
はじめは、はちみつがあればな、と思ったけれど
ただお湯に割っただけで、おいしい。
酸味がつん、とこない。まろやかですっとしている。
 
 
銀行まで聡くんと歩く。
最近ひらいた「介護と医療に関わる人とすわる円坐」の話を聞いてもらう。
歩けば、緑。
同じ道ばかりを最近行き来していたけれど
公園のそばをまわれば、金木犀の香りがここでもちゃんとすると知った。
 
介護と医療に関わる人とすわる円坐、という呼びかけで
そこに携わっていたり、関心をもっているひとで
平日3時間、先週の土曜日に1日、円になってすわる場をひらいた。
 
 
「話す場所がほしい」「話す場所がひつようだと思う」という声が
重なって聞こえてくる。
自分自身もずっとそう思っていた。
やっぱりそうなんだ。
 
ひとりの胸にうけとめて、ひとりで帰っていく。
その繰り返しで疲れていってしまう。
「思いのある人ほどやめていく」と、みんな言う。
 
思いがあって、それを話せずにひとりで抱えていく人が、やめていくんだ。

「いのちの電話」の西原由記子さんが
西村佳哲さんの著書『かかわり方のまなび方』のなかで
西村さんのインタビューにこう応えている。

・・・・

—かかってくる電話には、一人で応じるんですか?

西原 いいえ。存在を一人で丸抱えするなんて出来ません。一〜二名が後ろで一緒に聴くんです。一人だとのめり込まざるを得なくて、共倒れしやすい。

『かかわり方のまなび方』西村佳哲/筑摩書房(P 011)

・・・・

ずっと心に残っていて
円坐のあいだも何度も思い浮かんできた。

場の守人、はなしを聴きつづける役割を仁美ちゃんがして
わたしは申込受付や会場作りの事務方をして、ふたりで始めた企画。
来てくれる人がいて、生き物のようにすこしずつ息をしだす。

仁美ちゃんにも色んな動きがあるみたい。

ひとの声をきいて
自分の声をきいて はなして
手足を動かしただけ
景色はかわっていく。
 
この場を、続けていきたい、と 今、思っている。
 
 
 
 
先延ばしにしていた役所の手続きをすませにいく。
役所の若い男の子がわからないところを丁寧に教えてくれる。
近所のお兄ちゃん、というかんじで、普通にやさしくて、なんだかほっとした。
 
社会的なことが、本当に苦手だ。
役所の手続き、お金の管理とそのやりとり。時間の組み立て方。
でもやる必要がある。
いまさらだけど、生きていくために。
 
「誰かに傾倒しているあいだ、自分の人生がとまっちゃうんだ」
 
昨日、ごはんを一緒に食べた女性から聞いたことば。
 
 
 

じぶんの時間を、すすめるということ。
すすむということ。
 
そこでこそ、ひとにも会えるし
しらなかった光景がたちあがっていく。

 




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