2016年4月29日金曜日


 
最近は、
らくちんだし
くいくいと飲めるので
お茶を水だししている。
 
なおちゃんが贈ってくれたハーブティーも
眠る前にポットにいれて
朝、水だしされているのをいただいた。

すっとする。


 
 
 
介助の仕事で
ご家族のルールと違うことをしていたらしく
ちょっとひと言いただいて
あぁ、やってしまったなぁ…と思った。

帰り際に利用者の方が
ぽつりぽつりと帰り支度しているわたしに
話しかけてくる。
 
あ、これは、フォローしてくれている。
会話のなかで、そう気がついて
なんだか心の表面が溶けるような気持ちになった。
 
 
 

ここ最近
見えてなかったひとの気持ちがパン、と入ってきて
そうすると
じぶんの目線もパン、と、そっちにうつるから
そのひとの気持ちで、いくのがいいなと思えて
ほかのひとにもそう伝えていた出来事があった。
 

そうするのが間違えない感じがするのに
わたしの胸はきゅっとかたくなって、すごく小さくなっている。
 
ここのことに関して
わたしの気持ちもたしかにあって、わたしの目線もたしかにあるのに
ひとの気持ちと目線が入ってきたときに
わたしはわたしを消して、そっちへいこうとするから
あるものを消そうとしているから
涙がでるんだな、と思った。
 
かたくなって小さくなっているのは
姿を消そうとしているじぶんの動き。
 
でも消えきることはないから痛い。
 
 
ただしくはないかもしれないけど
ひとの気持ちを知ったうえで
わたしの気持ちのところに
いてみようと思った。
そうしながら、
関わってみようと思った。
 
 
 
夜のなか
ツツジのにおい

街灯がてらてら照らす川の水面
 
大きな橋を渡るそのとき
イヤホンからナイトクルージングが流れて
 
空気がまた
うごきはじめた。
 



あめあがり、
駐輪場を出たらツツジのかおりがして
もうすこし、がんばろう。と、思った。
 
 
自転車をこいで、介助の仕事に向かう。
 
 
ひとの、からだに触れるとき
触れ方を教えてくれたひとのことを思い出す。
 
介助の仕事をしてる間の、ほんの一瞬のことだけれど。
 
 
 


 
 
 

2016年4月26日火曜日

ナツノボウシ展





wica grocery ナツノボウシ展 ☆(link)




小さなワンルーム
菜の花いけてたら、部屋がアブラナくさくなったので
これではいけない、と思って
かおりのいい花を買ってきた。


こんな風に、百合の短いところを
ぽんといけるのは
ロイテみたいだな、と思う。


隣のお花屋さんが、よくこうして百合の短いところを
ふたりのもとに持ってきたのが
そっといけてあったっけ。






初対面の太陽の塔は、横顔。
今度はゆっくり、会いにいくんだ。

ほんとうは誕生日に会いにいこうと思っていた。
忙しくてそうはいかなかったんだけど

そしたら、お芋屋さんの仕事で万博記念公園にいくことに。

『The gift will suddenly arrive. If you are ready for it. 』

だ。




佐田さんの家が完成にむかっていて
けんちゃん、なっちゃん、それからくぼやんと一緒に
ペンキ塗りに行った。
 
佐田さんは、幼なじみの建築士に設計をお願いして
かつての職場で一緒に働いていた大工さんを
関東から呼んで、家を建ててもらってた。
 
もともと建っていたプレハブを箱にして、
内側の解体は
自分と、それから友だちに手伝ってもらって、やっていたっけ。
 
ペンキ塗りしに行ったら
姫路からも友だちがきていて
みんなでわいわいペンキを塗った。
 
一生懸命塗っているところに
佐田さんが
「さぁ、みんながんばろー」と声かけてくるので
「がんばってる!」とイラッとしたりもしつつ
それでも

佐田さんたち家族が暮らす家だと思うから
できるだけ丁寧に、一生懸命
ペンキを塗った。

この間、仕事を頼んでもらったときに、
「有名なひとに、お願いすることも考えたけど
自分たちの周りにいて、ここのことをわかってくれているひとに頼むのが
ぼくららしいかなと思って」
と、言ってくれたのが嬉しかった。
 
佐田さんも、同じことを言っていた。
 
考えてみたら
わたしもそんなふうにして、とても未熟なのにも関わらず
声をかけてもらってきた。そればかりだ。
 
頼んでくれることが何よりもありがたくて
こたえたくて、よろこんでほしいから、向き合うことができた。
 
ペンキ塗りした帰り道に、
くぼやんの話を聞きながら
くぼやんが佐田さんのことを、特別に感じているのがわかった。
くぼやんの言っていること、なにをみているのかが
すごくよくわかる気がした。
おなじものを感じているような気がした。

 
 
 
ひとによって、鍵はちがう気がするし
ひとつ見つけた、と思った鍵も
ドアによって変わるのだから
それがずっと、扉を開いてくれる鍵になるかはわからないけれど
 
34年間生きてきて
扉をひらく鍵は、これだった。と思ったことがいくつかあって

ひとつは
「拙くても、じぶんの言葉で話す」ということ。
ひとつ、嘘をつくと、ひとつ、自分の本筋から離れていく。
 
話す、と、聞く。は対になっているから
じぶんの言葉を話すには、じぶんじしんと、相手のことを
精一杯、聞く必要がある。
 
耳なく、口だけにはならないはずだから、
誠心誠意。
 
と、書きつつも、嘘をついていることが
わたし、あるかもしれないけど
嘘をつくときには、嘘をついているわたしを、見ていること。
 
 
もうひとつは、
ここにあるもので生きる。ということ。
出会ったひとと、関わるということ。

関東から大阪へ、ということを「思いきった」と言われることがあるけど
それは、大阪が目の前に、あったから行けた。
やぶからぼうに、どこかへは行けないし
たとえば、隣の市に引っ越すようなきっかけは、目の前になかったんだ。
だから、大阪は近くて、隣の市は、わたしにとって、遠かった。
そういうことなんだと思う。
 
5年前に介護の仕事をしよう、と思った時
タウンワークで仕事を見つけた。
いろんな仕事の探し方があると思ったけど、
じぶんの触れるところにあるものを信じよう、と思ったのをおぼえてる。
じぶんの手が届くところより、すこし先にあるものに手を伸ばそうとして
ずっと虚しい思いをしていたから。
もうすこし手を伸ばせば、届きそうだったけど、永遠にその距離は縮まらなくて
ずっとずっと、なんの手応えもおぼえられなかった。
だからもう
手を置いて、触れられるものを信じようと思ったんだった。

それを思い出して
また大阪に来て介助の仕事をしようと思ったとき
駅にあったタウンワークを手にとった。
 
タウンワークから面接を受けた会社では、働くことにならなかったけど
そこを受けたと話したことから、そこを受けたなら、あの事業所と近いよ、と
今の仕事先と、仕事先を営むひとと、ご縁が繋がった。
 
いつも、遠くをみることを
教わってきたな、と思う。

「何になりたい?」
「目標はなに?」
「やりたいことはなに?」

いつも、今より
すこし遠くに
目線を促されてきて
ずっと空っぽ
なにもないところに
なにかがなくちゃいけない気がして
なにかを
追いかけてるのに
なにを追いかけてるのか
わからなかった。

もうすこし、先にあるもの
もうすこし、すてきにならないと
もうすこし、

その「もうすこし」は
際限なくて
追いかけても、ずっと埋まらなかった。
 
ギブアップしたときに
いつも
人生がひらけたな、と
思う。
 
「もうすこし」を諦めて
ここが私の生きるところだ、と肚すえたときに
いろんなものが
繋がって動きだした。


 
 


 

 

 


2016年4月23日土曜日



毎日、なんだか、うごいている。

大阪ではたらいているfence worksという事務所
から
なっちゃんと、2月まで一緒に働いていたけんちゃんが
もうすぐ東京へ行きます。
いろんな企画をたてているみたいなので
関心があるものがあればぜひ。

それから、
上のリンクからの企画とは別に、なっちゃんが
東京の小金井公園で円坐をひらきます。

ぜひ。

わたしとしては
関東の大切な友人たちに
なっちゃんとけんちゃんを紹介したいと感じていて
自分の身が大阪にあっても
もしも出会いがそこにあったらうれしいな、という気持ちでいます。

円坐って、どんなものか
説明したいのですが
いまからでかけなくてはいけないので
この記事ではここまで。

いろんな流れでわたしはそこに触れていきましたが
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
ここに関心をもった流れから
わたしは通じていくような感じもしています。


そこに関心をもつ自分の流れは
またさらにさかのぼらないといけないのだけれど。

2016年4月18日月曜日



年を重ねるごとに
誕生日はただただ、
感謝の1日になる。

2016年4月17日日曜日


いい香りのする花をいけよう、
と思って
 
百合の花を買った。
つぼみばかりのその花をみて
「何色が咲くんですか?」と聞いたら
「こっちは、白」と、おじさんが答えて
 
白い百合はいいな、と思って
もらってきた。

白い百合、マリアさまの花。
 
ひらいた淡いオレンジ色のばらが30円で売られていたので
それも買った。
ひらききっているわけでもないし
もうすこしたのしめそう、と思った。
 
 
それが数日前のことで
すこしずつ緑のつぼみが、白っぽくかわってきて
開いていきそう。
 
あんなにつぼみがきゅっとして、
きれいな緑色だったのに
 
気づけばやわらかくふくらみはじめて、緑がぬけていっている。
 
不思議。生きている。
 

ばらも、元気。ちいさい玄関の入り口を明るくしてくれている。
 
 







 


2016年4月14日木曜日


まだ眠っていたいな、と思ったけれど
窓を開けて
からだを起こし
メールチェックをしていたら
 
外から突然、『負けないで』のサビ部分がとびこんできた。
 
 

 負けないで ほらそこに
 ゴールは近づいてる
 どんなに 離れてても
 心は そばにいるわ
 感じてね 見つめる瞳
 

 
おもてを走り過ぎた車が、大音量で流していた様子。
ふいに聞こえてきた歌詞に
励まされてる自分を見つける。
 

 
雨の予報が出ていたけれど
洗濯物がたまっていたので
ひとまず洗濯する。
 
屋根があるから、明日の朝までほしていたら
きっと乾いているだろうと思った。

 

そんなこんなしていたら
夕方から大雨降った。


でも、屋根があるから
そう
大丈夫なんだ。
 
 
 

 


 
 

2016年4月11日月曜日

 
 
 
今日ははやく帰ろう。
 
 
自転車を漕いでスーパーへ行く。
 
 
野菜とお肉を買う。
見切り品のところに、袋いっぱいの菜の花があって
冷蔵庫の中の豚とごぼうを炒めたのと合わせて
パスタにしようと思った。
 
 
帰宅して
菜の花の、葉が黄色くなっているものは
葉をつんでから
茎の先を切って、いけることにした。
 
 
パスタを食べ終えて
花瓶と、飲み物の空き瓶にぽんぽんといけた菜の花が
水をすいあげて、いきいきとしているのを見る。
 
 


2016年4月10日日曜日


 
珈琲豆がきれてしまいそうで
カルディで豆を買った。
いつも買う豆の、半額くらいだし
味も美味しい。
でもなんだか
朝、珈琲をいれるテンションが続かない。
 
もっと
ドリップしているだけで元気になって
こくっと飲んで
あぁ、美味しいなと力になっていたのに

思って、今朝、そうか。と思った。
 
実家では
ドリップ珈琲は飲まなかった。
飲みたいけど、
なんだか大掛かりになっちゃう感じがあって
母とふたりでインスタントコーヒーを
「コーヒー、飲む?」
「いれたよー」
なんて言い合って
気軽に淹れては飲んでいた。
 
弟が、インスタントコーヒーで
牛乳たっぷりのカフェオレを作って飲んでいる姿も好きだったし
うちのコーヒーは、インスタントでも
家族のリズムのなかで、いい感じに巡っていた。
 

そうして
外ではいつもまた、美味しいコーヒーを飲んでいた。
 
cafe leuteではYAMAさん(現、DJANGO BANQUET)の珈琲を
ふたりが美味しく淹れてくれて
 
YAMAさんの店舗へ行って珈琲豆を買ってきた時には
実家でもドリップして母と飲んだ。

Tuuliでも、aalto coffeeの豆から、いつも美味しい珈琲を淹れてだしてくれた。
 
さおりさんやのんちゃんのところでお手伝いしている時にも
ふたりがハンドドリップで珈琲をいれてくれて

fabrica[*]のおうちを訪ねても、エスプレッソマシーンで
ミルクもくもくのカフェオレをよくだしてくれた。
 
BRIKIKKAではカップが空になると、もーさんが珈琲を注ぎ足してくれて
すこし冷めてたり、あたため直してくれてたりするそれが
嬉しかった。


ドリップしてくれる珈琲だけじゃなくて
 
なおちゃんがひとり暮らししていたときに
あそびにいっては、カップをお湯であたためてから
丁寧にいれてくれるインスタントコーヒーも、大好きだった。

 
特別な焙煎豆だから、というだけじゃなくて
みおちゃんの授乳中に、一緒に飲んだスターバックスのデカフェの珈琲も
美味しかった。



引っ越してきてから
引っ越し前にTuuliで販売してもらったaalto coffeeをずっと飲んでいて
飲み終えた頃に
haseさんがお土産で山田珈琲の豆をくれたり
木綿ちゃんがffee&co.のヒデさんの豆をくれたりして
 
珈琲はいつも誰かと飲んだり
ドリップしながら、いつも一瞬「あのひとの豆だな」とか
「あのひとがくれたな」と
思い浮かべるものだったんだ。
 
 
 
カルディの豆は、そこから繋がるところに
誰もいなくて
美味しいと感じるのに、なんだか珈琲の周りにほわほわと、
いつもあったものがない。
 
この豆がきれたら、
こんどは、むこうに誰かを
感じられる豆をたのもう、と思った。
 





2016年4月8日金曜日


 
ふいに決まって
先日、津にある喫茶tayu-tauを訪れた。

午後の待ち合わせだったので
11時過ぎに大阪を出ればよくて
仕事の整理をしようと道すがら事務所に寄る。
 
聡くんがいて、
ニット帽の被り方の相談にのっていると時間がきて
JRの駅まで歩く。
横断歩道の前でとまっていると
仁美ちゃんとくにちゃんがむこうから走ってきて
声をかけてくれた。
「どこ行くの?」と聞かれて
「三重の津」と話す。

仁美ちゃんが1+6=4とかかれたTシャツを着ているので
「間違ってるよ」と言うと
仁美ちゃんは笑って
「こないだ外国のひとにも言われたわ!」と言った。
 
特急に乗り換える、鶴橋の駅は
焼き肉の匂いがする。
 
 
電車の中、景色が変わる。
津に着いたら、
すこし肌寒かった。
 
先日東京で会ったばかりのさおりさんと
津駅で待ち合わせる。
とまった特急列車からさおりさんが降りてきて
「ほんとに来た!」と思う。
時間や場所の感覚がずれてくる感じがして
なんだか笑ってしまう。
 
 
tayu-tauの前まで来ると
窓越しに目があって、ドアをあけてくれた。
 
ここに、毎日があって
来れば会える
 
嬉しくて胸がむずむずした。
 
 
 
 
tayu-tauにくるといつも
誠実に毎日と向き合い続けているその姿が
胸に響いてくる。

 
 
しばらく店内で、ゆっくりしていると
東京の知人が店の外にいて
電話しにおもてへ出ていたさおりさんと出会って
わぁ!とふたり驚きあっている。
 
おもてへ出ると、
ご友人と一緒に旅行にきているとのことだった。
 
それで一緒にテーブルにつくことにすると
彼女たちが待ち合わせされていた女性が
遅れてさらにやってくる。
 
その女性の以前の職場を聞いて、あれ、と思ってたずねると
同じ職場で働いていた友人と繋がっていた。
 
 
待ち合わせをしていたみたいに
すっぽり同じテーブルに座る。
 
「ここ(tayu-tau)はそういう場所なんです」
「ここは人が集まってくる」
 
ひとりが、そんな風に
言葉にした。
 
 
初めてtayu-tauを訪れたのは
2、3年前の秋で
まっぴと木綿ちゃんと、車内泊の弾丸で伊勢を訪ねた帰りだった。
 
プレートやデザートを、分け合って食べた。
ひとくちひとくち、美味しい、と言いあって。
 
偶然出会った、東京の知人、という女性は
木綿ちゃんと親しい方で
共通の友人である木綿ちゃんのはなしも
たくさん話題にのぼって
 
ほんとうに賑やかな夜になった。
 
 
遅れてやってきた女性の昔の同僚というのは佐田さんで
佐田さんの新居を建てている大工さんは
cimaiさんや陽子さんと関わりがあったり
 
どこかとどこかが、
どんどんと繋がっていくのは
 
そのひとりひとりが
出会ったひとと、ちゃんと関わっている。ということなんだろうと思う。
 
 
生きていると、魔法のようなことが起こる。
起こったことを、まるで魔法のように感じることがある。
 
そのように「魔法」をはたらかせるものは
そうだ、そういうふうに
「出会ったひとと(自分自身と)、ちゃんと関わっている」
ということかも

今ふと思った。
 



 

 



2016年4月5日火曜日


 
ちゃんとごはんをつくろう、と思った。
美味しいものを食べよう、と思った。
薬味が大好きなのに
ぜんぜん薬味をとっていない、と思って
スーパーへ行ってミョウガと紫蘇とショウガを買う。
香りのあるもの、と思ってセロリも買った。
お肉も買った。調味料も買い足した。
 
「俺、ひとりでご飯食べられへんかって、ひとりで暮らしてたとき、飯ぜんぜん食えんくなって。力もでーへん。あかんなって思って考えたときに、ひとと一緒なら食えると思って、こうやって人と外で飯食うようにしたな」
 
石山さんは一昨日、そう話していて
もしかしてご飯に声かけてくれたのは
最近体調を崩したわたしが
ちゃんと食べてないんじゃないかと思ったのも
あったのかもしれない。
翌朝、ふとそう思った。
 
実際、全然ちゃんとご飯を食べていなかったから
美味しいものを作って食べよう、と思った。
 
セロリと豚ひき肉でそぼろを作る。
茄子を煮浸しにする。
白いごはんをよそってちゃんと食べた。
 
ひとりだと、早食いになるな
と思って
途中から意識してよく噛んだ。
 
そぼろが美味しくて
ごはんをおかわりした。






 


 
 

 

2016年4月4日月曜日


 
 
4月に入って
桜が視界に入ってくる
 
昨日はお芋屋さんの早番で
休憩時間にお昼食べいこ、と石山さんから声かけられた。
 
新しく入った男の子がいて
その子に声をかけた流れで
話せるように場をつくってくれたんだと思う。
 
連れて行ってくれたお店は
カンテ・グランデで
ずっと前、初めて大阪に来たとき
陽子さんと一緒に入ったお店だった。
 
合流して早々
「なおちゃん、(その男の子が)生きてる意味がわからないんやて」

石山さんが話しかけて来た。
 
初めて会うその男の子は
20代前半といった感じで、くりくりとした、綺麗な目をしていた。
 
あ!と思う。わたしも意味を探していたことがあった、と思った。
それでなんだか、
「わたしは意味はないって思ってる!」と
探して探して、見つけたところを
ぱっと口にした。
 
石山さんは
「俺はどうでもいいと思ってんな。
 ごはん食べながら話そ。テーマは生きる意味やな」
と言った。
男の子が
「重いすね」
と言うと、石山さんはすぐに
「軽いやろ。俺はどうでもいいって思ってて、なおちゃんは意味はないって言ってるし」
とこたえた。
 
意味で心臓は動かない。
 
でも心臓が動く意味を知りたい。
 
どうして生きているかわからないから
生きている理由を知りたい。
 
何か意味があれば
すこし落ち着く気がして。
 
でも、多分、意味以前を生きている。
 
意味がかなうところを越えて
もう生きているから

頭や言語のあるより
もっとはじめのところで
動いているから
 
命を意味、に入るように
ちいさく刻まなくてきっといいんだと思う。
 
「どうでもいい」という言葉は
投げやりな感じがするけど
佐田さんは石山さんのことを
「多分おれが知ってるひとの中でいちばん、がむしゃら」
といつか言っていた。
 
男の子の話も聞きながら
カレーを食べつつ、いろんな話をした。
 
気付くと昼休憩が2時間経っていて
お芋屋さんに戻ってしょうこちゃんに
「ごめんね」と謝ると
しょうこちゃんが笑って
「いいて、いいて」と言った。
 
しょうこちゃんのちいさな顔。
ちいさな肩。
 
カンテ・グランデの隣の神社でも
桜が満開で
いまも目にのこってる。
 


けんちゃんとなっちゃんに、
事務所近くの公園まで
お花見に声かけてもらう。
雨上がりの夜で
夢みたいに綺麗だった。


その翌日は、
朝からUSJに行った。

ご縁をうけて始まった、介助の仕事の
研修でのこと。
 




2016年4月1日金曜日




ナナオサカキの詩集が欲しいな、と思っていたら
DOORSの本棚に並んでいたので購入した。
 
本を買うのは久しぶりだ。
 
 
 
 
難波神社の桜が綺麗で
しばらく見上げていた。
 
雨が降って、眠たい。
 
 
 
数日前に聞いた『チェインギャング』が、
あたまから離れない。
 
ふと気付くと
歌っている。
 
 
 

 

 
「なおみさん、顔白い」
 
そう言われて鏡をみたら
血の気がすっかり引いて、真っ白な顔をしていた。
 
ひさしぶりに何度か戻してしまう。

からっぽの胃から、ぐっと押しもどされてくる。

埼玉から帰ってきてから
こちらで起こったひとつの出来事について
わたし、受けきれなかったんだな、
拒んでるんだな。と感じた。


 
「なー。断ってもいいんだな。
『引き受けられません、ごめんなさい』でも、いいんだな」

そんな言葉をもらって、
あぁ、わたしは、拒んだなぁと思った。
からだも、ぐっと、押し返したんだなぁと思った。
 
かさぶたが、剥がれたような気持ちになる。
あたらしい皮膚はまだやわらかい。
 



「ことばってよく出来ていてね、
人の為って書いて、偽りでしょ。自分の為。自分の為ですよ。
なおちゃんは、自分の為に、自分を守りなさい」

そう声をかけて励ましてくれた友人が

「なんか前世でもこうしてた気がするなぁ」と言ったので
「前世でも助けてくれていたね」と冗談のつもりでこたえたら

とつぜん、胸からうわぁっとこみあげてくるものがあって
涙がでてきて驚いた。

たましいが、YESっていってるのかなと思いながら
「ほんとにそうなのかな」と言ったら
「どっちでもいいけど」と言われる。

確認しようもないし
本当にどっちでもいいことだと思ったけど
じぶんの胸のなかでだけ
「そうだったのかもしれない」と
思っていよう、と
思った。
 
 
とっぷり眠って
朝、起きたら
 
さおりさんから
アトリエの窓から見える、桜の開花報告が届いた。
 
大正駅まで歩く道は大きくて
川も渡るので気持ちがいい。
 
石膏が剥がれるようにして
変わっていきながら、4月。