2016年6月28日火曜日



もさっとした髪を切ってもらいに
くぼやんのお店へ行く。

お店のそばの商店の庭先にノウゼンカズラが咲いていた。
オレンジ色の、あまい色。空気に色が、溶けていきそうな。
 
「やぁやぁ、なおちゃん」
そう言ってくぼやんは迎えてくれる。
 
髪を切ってもらいながら話した、くぼやんのことばが
2日経った今も、指のあとみたいに、こころに残ってる。
 
「九条にはfence worksがあるから住んでて
 だからみんなが出かけたりして九条からいなくなると
 由来がなくなって、わたしなんでここにいるんだろうなぁと思う」
と話したら、
くぼやんが大正にある喫茶店を教えてくれた。
「人が由来になってる、となおちゃん言ってたけど、
 繋がる場所がある、というのもいいかもしれないね」と言って。

帰り際
「またうちでごはん食べる機会つくろう」と
言って見送ってくれる。
 
 
髪の毛はまた、短くなった。
耳も、目も、髪の毛に隠れなくなった。
 
夜の黒。
 
くぼやんのお店があって、暮らす家のある場所から
ゆっくり阪急電車に乗って帰る。

阪急梅田から、ざわざわと人の多いJR大阪駅に乗り換えて大正で降りる。
 
大正駅を降りるとすぐに、大きな川があって
橋を渡るとき時々、潮の匂いがする。
海が近いから。
 
事務所に自転車を置いていたので、
22時頃事務所に着くと、仁美ちゃんも聡くんもいる。

海の近くの川は
潮の満ち引きで
水嵩がふえたり、へったりするのだそうだ。
 


 
 



2016年6月26日日曜日



朝、晴れている。
髪がもそっとのびたので
くぼやんのところへ行って切ってもらう。

きのう、ごはんを食べている時に
写真を撮るよーと言ってシャッターを切るときに
わたしはフレームに入っていないと思って
もくもくとカレーを食べている自分の姿が
しっかりフレームインして写った写真がfacebookにアップされていた。

みんな笑顔でカメラを見ているのに、
もくもくとひとりカレーを食べている横顔。

聡くんが
「なおはさびしいひとや」と言ったことばが
本人は言ったことを忘れているかもしれないけど
なんとなく、しぼまない風船みたいにして、端っこで揺れてる。

こういうところなんじゃないかな、と思った。

昨日、橋本久仁彦さんのミニカウンセリングという講座にでたとき
「一生懸命聞かせていただきます」と
相手の話に耳を傾けたひとがいて、
そこがすごく響いて、涙がでた。

それから、自分に一生懸命触れてくれたひとのことを思い出した。

一生懸命きてくれていたのに、
いらない、と言っていたのはわたしじゃなかったかと思った。

橋本さんが
「相手のことばをそのままたどること」について
「たどらなければ、たたかいにしかならない」と続けた。

自分は自分が縛られているもののなかにいて
ほんとうに相手のことばのひとつひとつをたどることで
我執から離れる。
と説明し、

「相手のことばをはしごにして、我執からはなれる」
と、橋本さんは言った。


雨が続いていたけれど
今日はよく晴れている。

梅田で焼き芋を買って、それからくぼやんに会いにいこう。
すっきりと髪も、切ってもらおう。




2016年6月25日土曜日



帰り道に、橋のむこうに目をやったとき
空にぼわんと靄で滲んだ月が見えた。

靄で輪郭が滲むせいか
充分に、満ちて見えて
 
雨上がりで湿度のすこし逃げた空気が
肌にひんやりとして気持ちよかった。
 
「あともうすこし」と思う。
 
何のことか、わからないながらに。
あともうすこし。
どこに焦点を、合わせようとしているんだろう。
湿度は放たれたのに。




この頃、
ほんとうにいいお仕事をいただいているな、と感じる。
自分にとって大切で、深いところに影響をもらっているひとから
いただく仕事だ。
 
ロゴやDMの制作だったりするのだけれど
ものづくりをするひとたちなので
出した案にくれる修正希望が本当に的確で
希望のところを直して出てくるバランスが、納得。
というかたちにいくので
修正を重ねるたびに、その感覚が新鮮にからだに吸収される感じがしてたのしい。

本来だったらそこもびしっときめて、
はじめから提案できたらいいと思うけれど
自分にとって、尊敬する仕事をしているひとたちが
そこで培った感覚や、視点をくれて
そこにむけて手を動かし、一緒に制作できることが
ありがたく、嬉しく、たのしい。
 
 
 
この間、げんちゃんに写真を撮ってもらって
(フェンスワークススタッフみんな、プロフィール写真を撮影してもらった)

わたしが何も考えていないとき
こんなに物憂げな顔をしているのか、と知った。
何も考えていないのに
「何考えてるの?」と聞かれることがある理由が
わかった気がした。

事務所のみんながいるところで撮影した時には
大きな口をあけて笑っていたので、なんだかほっとした。
 
あの顔をみると、
自分のなかにはすごく暗いところがある気がする。
 
ある気がするけれど
そこにチカチカ、光っているだろう星のひかりに
触れていたいと思う。
 
暗闇はある。
光もある。
 




 

2016年6月21日火曜日




げんちゃんが東京から来ている。
聡くんが19時半前に事務所を出て
仁美ちゃんも帰ろうとしている気配を感じる。
事務所に今晩泊まるげんちゃんに、
なんとなく、一緒にごはん食べようか
と言いたくなるけど
暑くて食欲もそこまでない。
 
「一緒にごはん食べようか、と言いたい気持ちと
素麺くらいでいいな、という気持ちがある。
もしげんちゃんがごはん、ひとりでふらっと、
という気分でもなかったら
事務所にカセットコンロ持ってくるから素麺食べない?」
と聞いてみる。

げんちゃんは、NOでもない、という感じだったので
スーパーと家に寄ってカセットコンロなど素麺を食べられる用意をかごにつめて
また事務所に戻った。

事務所に戻る途中、
なんだか大掛かりになっている気がするなぁ
一緒にざるうどんを食べに行けばそれでよかったのでは、
と思ったけど、もう準備をして自転車を漕ぎ出していた。
 
 
事務所につくとげんちゃんはパソコンをひらいて仕事をしていた。
手伝おうかと言ってくれたけれど、手間もないので片付けをお願いする。

豚肉を茹でて、ミョウガ、紫蘇、キュウリを細切りする。
生姜をする。
調理器具の揃っていない事務所で
野菜を切ったり、湯を沸かしたりするのはキャンプみたいで楽しい。
 
素麺が茹で上がって
シャパシャパと水で冷やして
一緒に食べ始める。
 
 

カメラマンのげんちゃんは、いつも黒っぽい格好をしている。
向かい合わせでごはんを食べていると
げんちゃんの着ているTシャツの、すこしも褪せていない黒が
目にとても残る。
 
 
 
 


2016年6月15日水曜日




疲れがぬけないな、と思っていたのが
ほんとうに、いよいよ、という感じになって
どうしよう、と思いながらJRの駅へ向かう。
 
 
大正駅から、関西空港行きの電車に乗り込む。
電車はすいていたから
窓際の席でくぅっと眠る。
 
 
到着した日根野駅の周りには、
めぼしいものは何もなかった。
どうしたものか、と思いながら
関西空港から乗ってくる電車が
到着するホームのベンチに座る。
 
電車がホームに走り込んできて
とびらのむこうに、うらさんがいる。
あぁ、うらさんだ。
電車は停車位置がずれていたみたいで
扉が開く前にちょっと車体を動かしたりして
その間にも、あーうらさんがいる。と思って
ガラス窓のむこうの姿をみている。
相変わらずのつるっと、たまごみたいなお顔。
 
 
とびらが開いてでてきた、
鈴みたいな声。会えた。
 
 
昔からあるような喫茶店に入って
ピザトーストを食べながら、すこしの時間だったはずなのに
だいじなものを、ちゃんと交わしあった感じがする。
 



うらさんが、うらさんの作品、コツメカワウソを連れてきていて
小さな箱からやんちゃで生き生きした顔があらわれた時
心がもう一段深くあかるく、ぱぁっとした。
 

「死はもういいと思って」と
うらさんが言った。

それを聞いて、
わたしのなかに、言葉になるものが生まれる。
 
「実は疲れがずっとぬけなくて、
JRの電車に乗る前に事務所に寄って
誰かいたらハグしてもらおうと思っていたんだ。
パワーをわけてもらわないと、と思ってた。
でもドアを開けようとしたら鍵が閉まってて
電車のなかで、ちょっと眠って。
でも今、元気になってる。
うらさんは、看取るひとから、運ぶひとになったんだね」
 
いのちを運ぶひと。
 
コツメカワウソから、いのちの熱が
渡ってきたんだ。



 
「縁で人生が変わっていく」
 
うらさんが言った。
 
 
 

 
こんどはあそこへ、あそこへも
一緒にいこう、と、そっと、生き生きと
たしかなやくそくをして
うらさんは和歌山へ
わたしは大阪へむかって
また電車に乗る。
 
うらさんの大切にしている景色のなかを
わたしが何度も訪れていることもわかった。
 

風景が重なって
時間が呼び起こされて
何度でもめぐる。
 
あたらしく。
 
やまも
かわも
待っていてくれる。

 

 
 
 
 
 
 
大正駅に戻って
事務所に寄ると、聡くんがいた。
 
「朝、すごく疲れてて」という話をしたら
みぞおちに手をあててくれる。
 
おなかがぽかぽかしてきたら
からだが緩んできて

くちからほろっと
「ひとの悩みって、背負えないよね」と
ことばが出る。
 
「それで疲れが抜けんのか」
と聞かれたときに、つーっと涙がでて
またひとつ、からだが緩んだ感じがした。
 
 
もし、重たいものが
友人の背に乗っているなら
じぶんも少しでも
その重さを感じていたいと思った。
 
自己満足かもしれないけれど
それですこしでも、そばにいられるなら。
いられるように、思えるなら。
 
 
 
 
でも、それではもう、いけないのかもしれない。
結局、「そばにいられない」という自分を慰めるためだけのことで
ほんとうに友人にとっていいかたちに、動いているとは思えない。
 
 
「ひらいていく」
 
きのう、まこっちゃんの口から
何度も出てきたそのことばが、響いてくる。
 
 
 
ぐっとぐっと
握りしめるでなく
 
 
ふっと
手をひろげていよう
 
 
そのままなるように

 

 
 



2016年6月14日火曜日



朝、ゆっくりからだを起こしていく。
窓の外から猫の鳴き声が聞こえてきた。
 
部屋には白い紫陽花を
今いけている。
 
きのうは打ち合わせ。
からだに残っている余波や体温。
 
おなかの奥で、うけとったものを
丁寧にだしていきたい。
開く方向へ。

 
 
ぐるっと山をまわって
夜に
神戸のアンセムで晩ご飯を食べた。
 
港町。
 
 
 
「ひらいていく」という
キーワードを持って。
 
 
 

家に着いて
ベランダの洗濯物を取り込んでから
くたっと眠る。
 
よく眠れた気がする。
 
夢をみたかも、わからないけど。
 
 

いつの間にかの朝

目覚ましよりはやく目を覚ます。
自然に目が覚めたときは
2度寝するより、ゆっくり起きた方がいいと
最近感じているから
ゆっくり起きていった。
 
ヨガのパラーサナ、こどものポーズをとったりして
からだの運ぶようにすこしずつ。
 
youtubeで青葉市子さんかけたりしつつ。
 
 
お茶をつくっていなかったから
昨夜の帰り道に
朝の自分のために、セブンイレブンで買ったお茶を
冷蔵庫から取り出してコップにそそいで飲む。

じぃっとまだからだが起きるのを待ちながら
手を組んでお祈りした。
 
「かみさま、」とはじめる。
かみさまがなにをさすか、わたしはわからないけれど
小さなころから、お祈りしていた何かにむかっていのる。
 
 
お祈りしながら、
手を組んで、お祈りするの、ひさしぶりだ。と思う。
 
お祈りは、リリースだ。
 
どうにもならないことを、どうにかしようとする傲慢さの。
 
 
ちからがぬけて、
開いた肩に
雲のあつい朝のうすら白いひかり



2016年6月12日日曜日



ちいさな車いっぱいに
狭山の友人たちと乗っている夢をみたので
目が覚めたとき一瞬
実家の部屋にいる気になっていた。
 
 
 
モンステラは新しい葉がひらいて、
のびのびいきいきと呼吸している。
 
 
夢のなかでは狭山にいたから
起きたときに一瞬、大阪の時間がすっぽりぬけていた。
 
すごく大切な時間だと思っているのに
ぽんと抜け落ちることがある。
 
記憶は点、点。
 
 
 
認知症のひとのあたまの仕組み、すこし触れた気持ち。
 
 
 
自分がほんとうに大切だと思っていても
ぽんと抜け落ちるちからにはかなわない
 
だからいくつものことを
忘れてきたし
忘れていくだろう
 
握っていたくてずっと持っていても
抜け落ちるちからのほうが、多分そうなるときは
そっちの方がつよい
 
 
でも、「それを経てこうなったわたし」というものはある。
 
記憶はぬけおちても
経験から影響をうけて変わった自分がある。
 
 
それは思い出せるとか
思い出せないとかよりも
 
よっぽど確かで
 
 
だから思い出せなくなることをこわがらなくていい。
握ってる手を離したら、もう触れなくなるんじゃないかと
こわがらなくていい。
 
手ならもう離れている。
 
 

2016年6月9日木曜日



帰り道を歩いていると甘い香りがした。
ホームセンターの垣根はクチナシだった。
 
ぽかんと白が夜に浮いて



朝、飲みきれなかった珈琲を冷蔵庫にいれていた。
帰ってきてお風呂上がりに飲んで美味しいと思った。



抱えているのが重たいけど
相手に伝えていいものか、わからない気持ちでもやもやとする。
 
前に介助の仕事のコーディネーターのひとが
利用者さんにむけて、感じたけど言わない方がいいという気持ちがあったら
そのひとが目の前にいると思って、ひとりの時に
ばーっと全部言うんだ、と言っていた。
 
布団に入っても、もやもやしていたので
そのことを思い出して
心の中で、思い浮かべた相手にむかって
気持ちのままを言ってみる。
 
気持ちにふたをしたり
ないものにするよりは、いいと思った。
 
ないものにしても、あるから
かならず、でてくるのだ。
 
そういうことが、ずっと苦しかったように思う。



今日は1日うとうとしていて
介助の仕事中の待機時間にもうとうとしてしまっていたから
「うとうとしてごめんなさい」と伝える。
 
眠りのはなしから夢のはなしになって
「いい夢をみたら、起きて5分以内に反芻するといい」と
教わる。
 
いい夢みたな、ってどんな夢だったかな、と思い浮かべたときに
すぐに出てきたのはおじいちゃんの夢だった。

「死んだひとが夢にでてきたときって、いつも、
 あれ、なんでいるんだろう。
 死んだんじゃなかったっけ。って、夢の中で思うんです。
 おじいちゃんが夢にでてきたことが何回があるけど
 その時もそうで、
 でも一回だけ、起きるまでおじいちゃんが死んでるってことを忘れてて
 夢の中で生きたおじいちゃんと一緒にいるっていう夢をみて
 それがすごく嬉しかった」

起きてからもしばらく忘れていたんだった。
 




(『くちなしの丘』キセル)





2016年6月4日土曜日


 
 
心斎橋で絵の具と画用紙を買って
自転車漕いで帰ってきた。

くたっとまた眠ってしまって、
目が覚めて冷蔵庫にあったお豆腐に
塩もみしたきゅうりとキムチをのせて食べた。

こんなに眠れるんだなぁ、と思うくらい
1日よく眠った。

夜に、心に浮かんでいたひとに電話をかける。
話を聞かせてほしいとかけた電話だったけれど、
ぽろっと自分から話し始めていたことがあって
わたしはこの話を、ずっと、聞いてほしいって
思っていたんだなぁと思った。
涙がつたつた、こぼれていた。
聞いてもらって、手放したから、きっともう、大丈夫だろう。
ありがとう、と思った。


離れていても
リンクしている。
同じように滞り、捻れ、ほどけ、流れて。

声をかけてくれるひとがいること。

話を聞いてくれるひとがいること。


 
窓をあけていたら
「俺らの人生ってなんなんだろうな」という声が
ポーンと投げ込まれたように、入ってきた。

寝転びながら、
なんなんだろう。と思う。



幻のようにふっと、
消えてしまったひとを知っている。

絶体絶命という場面を越えて
生きているひとも何人も知っている。

もう消えてしまいたい、と思ったときも
からだが元気でいることも知っている。

すこしずつ弱っていくひとも見ている。


でもどんなに細い手足であっても
生きている以上は触れると
むこうがわから伝わってくるものがあって
それがどんなに微弱であっても、「ある」以上
果てしなく力強く思う。


そんなことを考えながら
生は受けるもので、
生かされているのだよな
ということを思った。

ことさらに、生きよう、としなくてもいいのだな
と思った。
もう、生きているから。

生きようとしなくても、生きている。
生きている、というところにいる。ということ。




大阪にきて、半年が経った。

介助の仕事を終えて、駅まで自転車を漕いでいるときによく
「どうしてここにいるんだろう」
と、思う。

ここにいる、ということだけが
ぽかんと浮いて。
 


 







 
 
 



2016年6月3日金曜日




今日は、誰にも会わない日。
すこしほっとする。

眠れるだけ眠る、と思ったらお昼になっていた。
じぶんの手元にある仕事をする日。
深呼吸する日。
 
画材屋さんに絵の具を買いにいこう、と思いついたら
からだが動き始めた。
 
でも今、ゴーヤやきそばを作って食べたあと
またくたっと横になりながらこれを書いている。
 
もうすこし休んだら
着替えて、自転車漕いで、いこう。
 
よく晴れている。