2017年6月30日金曜日

 
三重、4泊の旅から戻って来た。
じんわり余韻に浸りながら、毎朝出してもらっていたように
牛乳をたっぷり入れて冷たいコーヒー牛乳を作って飲む朝。
 
今週中に送ります、と伝えていた絵の仕事をする。

途中でくにちゃんが事務所に来た。片手にスーパー袋。
中には神山町でとって来たというビワがいっぱい。
好物なのでたくさんいただいてしまった。
「ビワの木がたくさんあって実っているのにそのままなんよ」
と言いながら、採った時の話をしてくれた。
「なんで採らないのかな」と言ったら
聡くんが「採れないんちゃうか」と言った。
ビワの木々とお年寄りたちの気配が、ふわんとやって来る。

「ビワの花の匂いっていい匂いなんだよ」と話すと聡くんが
「ジャスミンみたいな?」と言ったので
「そんなにクセがない。世界で一番いい匂いだと思う」と伝える。
いつ頃咲くのだったか、寒い時期だったか。
大宮の住宅街でビワの花の香りをかいだ時の景色がふわっと浮かぶ。

水曜日の夜に仕事先のTVでデビュー当時の中森明菜が映ったのを観て
その可愛さに驚いたのをきっかけに、
ビワを食べた後はYOUTUBEで中森明菜を追いかけながら
ずっと絵を描いていた。

描いているうちに必要な画材が出て来て
夕方、心斎橋まで電車で出かけて画材屋さんで買い物をした。

横断歩道で信号待ちをしていると黒塗りの高級車が続けて
トロトロと目の前を進んでいくので
どんな人が乗っているんだろうと好奇心で運転席を覗いてみたら
年下に見える若い男性がハンドルを握っていた。

なんの仕事をしているんだろう、資産家なのかな、など考えを巡らせて
青信号 自転車のペダルを踏み出す。
 
画材を買って事務所に戻り、またひたすら描く。
電気の下で絵を描いていると自分の頭がペン先で影になるので、
電気を背にして窓辺で絵を描いた。
 
細かい線画。

構図を組んで下絵ができたら、あとはペンを入れていくだけだから
無心の作業。

 

 

2017年6月21日水曜日

眠っても眠っても、体がかたくて
昨日、お芋屋さんで掃除を終えた後
みんなが遅いお昼ご飯を食べにいくと言っていて
石山さんから「なおちゃん、蕎麦食わん?」と聞いてもらったけれど
早く帰るのがよさそうと思って、断って帰ってきた。

中崎町の商店街入り口にある八百屋さんの野菜は美味しいので
きゅうりとミニトマト(あいこちゃん)と紫玉ねぎと水菜と梅干しを買って
谷町線に乗り込んだ。
 
家について服を着替えてから、布団に潜って眠った。
夜から約束があったので、それまで眠ろうと思った。
 
20時前に目を覚ますもまだ体調がイマイチで
21時からの約束を明日に変更してもらえないかメールをうった後
もしかしたらメールを読んでないかもしれないから、21時には事務所へ行こうと思って身支度をする。
 
20時前、目を覚ます前に夢を見ていた。
夢の終わりに誰かが私に向かって話していた言葉が残っている。
 
「40歳を前にした時に言われたんだ。『素直でよろしい』って」
 
その、『素直でよろしい』という言葉が、夢の向こうから
目覚めても照らしてきている感じがした。
 
21時前に事務所に着くと仁美ちゃんがいた。
仁美ちゃんと少し話していると、だんだんと体の重さが抜けてくる。
 
仁美ちゃんの抱えている仕事の話を聞いて
文章を書く仕事をひとつ受けおうことにした。
 
それでそのまま書いてしまおうと思って、23時前まで、文章を書いていた。
体はだいぶ楽になっていた。
途中、仁美ちゃんが「いったん帰って気分変えるわ」と言って、家に帰った。
 
ひとりで事務所にいると、亀のファンタが水槽でスイスイ泳ぐ姿が目に入った。
徳島からやってきたファンタは来た時より随分大きくなって
水槽は小さくなった。
 
文章を書き上げて仁美ちゃんにメールで送って、パソコンを閉じて帰り支度をする。
 
家に帰る途中で24時間営業のスーパー玉出に寄った。
食欲がなかったけれど、アイスクリームなら食べられそうと思って
アイスクリームを買いたくなったから。
 
ソーセージと柴漬けを買って(柴漬け+塩昆布+水菜+ちくわ+ごま油のサラダ、教えてもらったのだけど、すごく美味しい。水菜を買ったのでまた作ろうと思って)
アイスクリームコーナーへ進んでいる時、
蔵王そば、という美味しそうな蕎麦が売られているのを見たので買った。
レトロなパッケージと、母の故郷近くの「蔵王」というところに惹かれて。
 
それから蕎麦を食べるために麺つゆとアイスクリームをカゴに入れて会計をすませる。
 
夜の玉出のレジ係は、心配になるくらいのおじいちゃん。
それでも、じいさんの声は明るいし、お釣もささやかな丁寧さを持って渡してくれる。
そのやりとりで、ちょっと元気になるくらい。
 
玉出を出ると雨が降り始めていた。
雨に濡れながら帰る。
 
自転車を漕いでいるとタイヤのゴツゴツする感じがあって
これはもしやパンクしているかもしれないと思う。
 
茨住吉神社の横を通る時、甘い匂いがした。
何か植物の匂いかもしれないけれど、なんの匂いかはわからない。
 
雨の中、諦めたように歩く、スーツ姿の人とすれ違った。
あと数十分で、夏至の1日がくる。

2017年6月8日木曜日


この頃一緒にお仕事をさせていただくようになった高知の女性と話していて
彼女の働き方や生き方のスペースの広さ(距離だったり、お金の動きだったり、そこをポンと行く、心や経験も含めて)が伝わってきたら

その広さに触れて、自分が自分をひどく圧迫していることに気がついた。
 
いつも時間が足りなくて、大切にしたいことほど手が回らなくて
目の前のことをこなしていくの必死で、こなすのもギリギリだから
丁寧な仕事にならない
 
そんな風に過ごしてきたここ特に数ヶ月間の混乱は
自分で自分に招いていたことだとわかった。
 
両側の壁がぎゅーんと迫るような体感の中にいたけれど、
両側の壁に圧迫されて視界が狭くなれば、考えなくてはいけないことも少しでいいし
不安を感じる時間も最小限にできる。
やらなくちゃいけないことは渋滞していくけど、両側は壁に抑えられているから
とにかく目の前にあることだけをやっていけばいい(いくしかない)

そんな方法を自分にとって、とにかく日々を前に進めているつもりになっていた。
 
その証拠に、彼女の広さに触れて、自分をプレスしているものに気がついて
それを外そう、と思った瞬間に、こわさが走ったのだった。

こわいのは、今までそれをよすがにして、歩いてきていたから。
それがあることで見ないですんでいたものが視界に入って来るから。
でも、プレスしていることと、その仕組みが見えたから、外れてしまった。
 
彼女の広さに触れて初めて、秋のことを考えている私がいた。
今までずっと、せめて来月のことを視界に入れるだけで精一杯だった。
 
秋のことが視界に入った時、空間について、ひとつハッとなる感覚があった。

いつでも今ここ、というのは、本当にそうだなぁと思いながら
例えば時間のかけて実現したいことというのもある。
3年とか、10年とか。
 
そこに触れられるかどうかは、その空間に触れているかどうかの話だ、と感じた。
 
3年間、というスペースに私が触れられれば
その3年間の中にある出来事に、触れていくことができる。
 
スペースがないのに、3年計画を立てることは
霞に絵を描いていくようなもので、ないものを作っていくようなこと。
 

空間の話。
 
 
 
その次の日、久しぶりに空を見上げている自分に気づいた。
 
自分の好きなことを、少しずつ思い出し始めた。
 
一年近く前に言われてから、ずっと心に入り込んでいて、何かするたび気になっていた言葉を「これは私のことじゃない」と気づいて、引いてもらうことができた。
 
なんだか力がぬけてしまった。



2017年6月4日日曜日

夾竹桃の枝の下へ行くと
甘い匂いがした
 
鮮やかなピンク色の花が満開だ
夾竹桃も芳る花なのだなと思う
 
先日、名古屋に行く前に買って、それからずっと使っていたパソコンが壊れた。
おとといは、介助の仕事を終えた瞬間に雷雨がやってきて
リュックに備えていた小さなか折りたたみ傘で身を守ったけれど
強い風にしなった骨がぐわんと曲がった。
 
びしょ濡れになって辿り着いた駅のホームから、空が真っ白に光るのを見ていた。
後ろに並んでいた女の子たちも、服が濡れたときゃあきゃあ騒いでいて
22時半、到着した空いた上り電車に乗りこむと、彼女たちは
「座りたい」
「でもこれじゃ(服が濡れていて)座れないよな」
「お尻は濡れてへん。大丈夫ちゃう」
と言いながら、3人並んでちょこんと座席についた。
その姿が可愛らしくて、ひととき和んだ。
 
 
母が大阪に来た。一緒に働いている橋本さん、仁美ちゃん、聡くんと会ってもらった。
ひとしきり母が喋った後
「安心しました。これから(みんなの)名前を聞いたら顔が浮かぶから」と言った。
その言葉がじわんと伝わってきて、心配かけていたんだなとあらためて気づく。

母が2泊して埼玉に戻ったあと
私はアクセサリーを身につけられるようになった。
 
小さな頃から
母はいつもネックレスとイヤリングと指輪、それから香水を必ずつけていた。
赤い服や鮮やかなグリーンの服、綺麗な色の服をいつも着ていた。
 
私はといえば紺の服ばかり着ていて香水は匂いに酔ってしまってつけられない。
アクセサリーも可愛いものを見ては憧れるのだけれど、身につけていると
肌へ当たるのが気になったり
似合わないもので着飾っているようなあさましさを覚えたりして
アクセサリーは何をしても嫌になってすぐに外してしまった。

それが
母が帰った翌日から、アクセサリーをつけることに抵抗がなくなっていた。
もし私が醜くて、豚に真珠に見えたとしても
そんなことはもう、どうでもいいのだった。