2017年6月8日木曜日


この頃一緒にお仕事をさせていただくようになった高知の女性と話していて
彼女の働き方や生き方のスペースの広さ(距離だったり、お金の動きだったり、そこをポンと行く、心や経験も含めて)が伝わってきたら

その広さに触れて、自分が自分をひどく圧迫していることに気がついた。
 
いつも時間が足りなくて、大切にしたいことほど手が回らなくて
目の前のことをこなしていくの必死で、こなすのもギリギリだから
丁寧な仕事にならない
 
そんな風に過ごしてきたここ特に数ヶ月間の混乱は
自分で自分に招いていたことだとわかった。
 
両側の壁がぎゅーんと迫るような体感の中にいたけれど、
両側の壁に圧迫されて視界が狭くなれば、考えなくてはいけないことも少しでいいし
不安を感じる時間も最小限にできる。
やらなくちゃいけないことは渋滞していくけど、両側は壁に抑えられているから
とにかく目の前にあることだけをやっていけばいい(いくしかない)

そんな方法を自分にとって、とにかく日々を前に進めているつもりになっていた。
 
その証拠に、彼女の広さに触れて、自分をプレスしているものに気がついて
それを外そう、と思った瞬間に、こわさが走ったのだった。

こわいのは、今までそれをよすがにして、歩いてきていたから。
それがあることで見ないですんでいたものが視界に入って来るから。
でも、プレスしていることと、その仕組みが見えたから、外れてしまった。
 
彼女の広さに触れて初めて、秋のことを考えている私がいた。
今までずっと、せめて来月のことを視界に入れるだけで精一杯だった。
 
秋のことが視界に入った時、空間について、ひとつハッとなる感覚があった。

いつでも今ここ、というのは、本当にそうだなぁと思いながら
例えば時間のかけて実現したいことというのもある。
3年とか、10年とか。
 
そこに触れられるかどうかは、その空間に触れているかどうかの話だ、と感じた。
 
3年間、というスペースに私が触れられれば
その3年間の中にある出来事に、触れていくことができる。
 
スペースがないのに、3年計画を立てることは
霞に絵を描いていくようなもので、ないものを作っていくようなこと。
 

空間の話。
 
 
 
その次の日、久しぶりに空を見上げている自分に気づいた。
 
自分の好きなことを、少しずつ思い出し始めた。
 
一年近く前に言われてから、ずっと心に入り込んでいて、何かするたび気になっていた言葉を「これは私のことじゃない」と気づいて、引いてもらうことができた。
 
なんだか力がぬけてしまった。



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