2017年9月30日土曜日



梅田の映画館で『パターソン』を観てきた。
 
左隣に座っていた女の子は靴を脱いで
座席の上に足を上げてスクリーンを見ていた。

暗がりの中
時々視界の端に、彼女の白い足がうつって
その白さが綺麗だと感じた。
 
空いている映画館
家で観るみたいに、足をくずして。
  
 
パターソン、よかった。

ジム・ジャームッシュの映画は
観たあと、映画の中の時間がぶわぁっと体内に、
日常に、流れ込んでくる。
その新鮮な空気の揺らぎを、知っているような気がして
映画を観ると
現在の続きに、あの場所があるような
あの場所の続きに、現在があるような
そんな感覚を迎えることになる。



2017年9月19日火曜日



日曜日の昼間に
近畿地方を覆う予定だった台風は
高知で随分長いこととまっていたみたいで
夜までお天気がもって
京都御所を散歩できた。
 
 
京都御所はひたすら大きくて
白い砂利道がずっと続いていた。
 
その脇を立派な松なんかの木々が生えていて
木の枝ぶりを眺めながら歩くのは気持ち良かった。






鴨川近くにある、ホホホ座で流れていた音楽。
流れた瞬間、いいなと思ったら
一緒にいた人が「この音楽が気になります」と言って
お店の人に誰の曲か聞いていた。

イ・ラン
という人の音楽だった。

 

帰ってきて、翌日、風邪をひいた。
体の中が、ボワンとする。
 
台風は夜のうちに過ぎていて
朝から介助の仕事があったので兵庫へ向かった。
 
よく晴れている。
 
排便の処理をしながら
日常会話を続ける。
 
便はくさい
そしてそれは当たり前のこと
 
赤ちゃんのウンチだってくさい
 
前は、くさいと思っちゃいけないと思っていた。
そう思うのは相手に悪いことだと思っていたのだ。
 
でも便がくさいなんて誰だって知ってる。
 
顔に出したり口で言ったりするわけじゃないけど
「くさいと思っちゃいけない」と思うのをやめたら
 
結構それは、なんでもないことになった。
 
淡々と処理をするだけ。
それは出るし
その処理の介助が仕事だから。
 

 
秋が深まる、台風一過の日。
交代のヘルパーさんが
「今日は台風家族やな」と言った。
 
たいふうかぞく、たいふういっか、たいふういっか
 
脳内変換して
「本当ですね」と返事したら
 
「台風家族やな、と言って、本当ですねって返事きたの初めてやわ!」
と言われた。
 
 
台風家族の月曜日。



2017年9月12日火曜日



色々やることがあるけれど
パソコンを見ている目が疲れてきて
何をやっていけばいいのか散らばっているものを
整理できず、順番に見ていけなくなってきたので

自転車を漕いでスタバへ行った。


ほうじ茶ティーラテを飲みながら
「疲れた時は、休もう」と思った。
時々忘れる、あたりまえのこと。

「そして今、疲れているな」と、疲れてる自分を見つけた。
先週はずっと、忙しかった。よく頑張った。
 
ひと呼吸。
 
夕ご飯はちゃんと家で作ろうと思って
久しぶりに好きなスーパーへ行った。

24時間営業の玉手ではなくて、21時に閉まる市場の中にあるスーパー。
お客さんに主婦が多く、そのスーパーに入ると「生活」の空気に包まれて安心する。
野菜とお肉とヨーグルトと卵を買った。

 
夕ご飯にレンコンと豚肉を炒めて食べたけれど
レンコンにちょうどいい焦げ目がついて、美味しくできた。
 
1時間ほど眠って、また事務所へ行って絵を描こうと思って横になったら
そのまま寝入ってしまっていたようで
夢を見ていたら電話が鳴った。真夜中0時だった。
 
おかげで見ていた夢を、よく覚えている。
金木犀の茶葉をもらう夢だった。
 
 
京都の住宅街を歩いているその人は帰り道の中。
背景にガシャン、という音がして
「ガシャンと音がしましたね」と言うと
「今、薬局の前で、トラックがとまって荷卸ししています」
と教えてくれた。

 
夜中、薬局の前で、トラックから荷がおろされていた。

2時過ぎから雨。朝になってもまだ雨が降っている。

 

 

2017年9月9日土曜日


マーガレットズロースというバンドを教わって
好きになって、最近ずっと聞いている。

いい歌。




2017年9月7日木曜日


きのう、介助の仕事を終えて
外へ出ると月は雲に隠れていた

暑さがぬけて、でもすこし湿気った夜
自転車をゆっくり漕いで、駅の隣の駐輪場まで。
借りてる自転車を戻して、駅に入り
のぼりホームに立つと、そこからは満月が見えた。

月ってどうして、あんなに白いんだろう
と思いながら見ていた。

月曜日
なおちゃんとみおちゃんと、みおちゃんのむすめっこのつきさんとあおさんが
関西に来てくれて
一緒に京都の街を輪になりながら歩いたり
神戸の海辺を、やっぱり夕方、歩いたりした。

女の子ふたりが眠ったあと
発泡酒を飲みながら3人で話した。

一緒にいるときの空気はついこの間も会っていたように近いけれど
会わない間にそれぞれに流れている時間のことも
確かに感じた。

そしてそれは、しみじみ、生きている、ということの、「旨み」のように思えた。
味わい、というのかな。

いろんな風を受けて、いろんな気持ちを知って
泣いて塩っからくなったり、明るく軽く、笑えたり、
眩しくて消えそうなくらいのよろこびに触れたり

そんな風にして生きているから
わたしも なおちゃんも みおちゃんも
あの生まれたばかりの女の子たちのように、ピカピカでふわふわで、柔らかくはない。

まるで何度も洗ったタオルのようだけど
吸水性は磨きかかっているぜ、というか。

みおちゃんたちの泊まるホテルの部屋を出るときの
ドア越しのみおちゃんの美しさは眩しかった。

阪神電車に乗って家に戻り
うちに泊まるなおちゃんと、お茶を飲みながら話した。
話しながら眠って、起きて横を見たらなおちゃんが眠ってる
そのふんわりとした明るさに、朝から心が和んだ。

涼しくて、肩の力が抜ける。




2017年9月4日月曜日



大正のおでん屋さんで
おでんを食べながら話した人
 
高田渡の話になったので
「道で眠った、って歌、知ってます」
と言ったら
「あの歌ですよね、あるーきーつかーれてはー・・」
と、『生活の柄』をちょっと思い出し歌ってくれたのだけど
その鼻歌がうまくて、ちょっと聞き入ってしまった。
 

「瑞々しい」という言葉を、よく使う人。